後の話
地底湖に浮かぶ孤島で、アッシュロードさんたちとの再会を果たしたわたしたちは、トリニティさんとヴァルレハさんの魔法で “湖岸拠点” へと運ばれました。
わたしたちが離れている間に拠点の整備はますます進んでいて、怪我人や病人を治療する “救護所” も設営されていました。
救護所には、乾燥させた “動き回る海藻”で造られた寝台が並べられており、訪問団に参加している聖職者の人が交代で詰めています。
フリーズドライした巨大な海藻を成形しただけの簡素な寝台ですが、迷宮の床に寝かされるよりよほど上等です。
わたしたちは、ひとまずそこで休むことになりました。
シーツ代わりの毛布が被せられた寝台に横になるなり、数秒と待たずに仮死のような眠りに落ち、全員が三日三晩もの間、昏々と眠り続けました……。
そして目を覚ますなり、
――ガツッ! ガツッ!! ガツッ!!! ガツッ!!!!
「お、おい、もっと落ち着いて食えよ。誰も取りゃしねえから」
「す、すごい食いっぷりニャ。飢えた “大蛙” も裸足で逃げ出す激しさニャ」
「お、お水ありますから、喉につかえたら言ってください」
「~喉につかえたら、声なんて出ないだろうさ」
アッシュロードさん、ノーラちゃん、アン、ドーラさんの、呆れ顔、驚き顔、心配顔、諦め顔――もなんのその。
欠食児童と化したわたしたちは、用意されていた食事をガツガツ、モリモリ、ゴリゴリ、これでもかこれでもかと、口の中に詰め込みました。
本当に、涙が出るほど美味しかったのです。
レットさんも、ジグさんも、カドモフさんも、フェルさんも、パーシャも、もちろんわたしも、みんなそろって――。
d >_< b
↑こんな顔でカッ喰らっていました。
「「「「「「お代わり!」」」」」」
「は、はい、ただいま」
同時に差し出された六つの大皿に、お鍋からシチューともお粥とも採れるお料理を次々によそるアン。
堅パンと鹿の干し肉と山羊のチーズを海藻の出汁で柔らかく煮込んだお料理でしたが、食べれば食べるほどにお腹が空いてくるようで、もうどうにも止まりません。
「……生きててよかったですっ」
「……うんっ、うんっ、うんっ」
わたしの心の底からの述懐に、フェルさんが心の底から何度も同意します。
「この救護所で出してる食事だけどね、病人食だから隠し味に例の “聖水” が垂らしてあるのさ」
苦笑しながら、ドーラさんが説明してくれました。
「“中癒” と同等の効果がある、ありがたい水だからねぇ。そりゃ食欲だって出るだろうさね」
「そんな……貴重な品を……どうやって……手に入れたの……ですか?」
大皿からシチューを掻き込みながら、わたしは耳だけで訊ねました。
「そうさね。時を超えた一組の夫婦の置き土産……てとこかね」
感慨深げなドーラさんの言葉に、思わずスプーンを動かす手が止まりました。
(……時を超えた一組の夫婦……)
もちろん脳裏に浮かんだのは、ポトルさんとサマンサさんの姿です。
この奇妙な符合は偶然でしょうか。
それとも……。
――ゴクンッ、
「そのご夫婦のことを、詳しく聞かせてください」
「あ、ああ、いいよ。食べながら聞きな」
ドーラさんは突然真剣になったわたしに戸惑いながらも、第三層で出会ったという騎士修道士とその妻の話をしてくれました。
わたしは食事の手を止めたまま、ドーラさんの話に聞き入りました。
他のみんなも――食いしん坊なパーシャまでもが、やはりスプーンを止めています。
「……というわけさ。不思議が当然の迷宮でも、ちょっと信じられない話だろ?」
ドーラさんが語り終えるなり、肩を竦めて苦笑しました。
「その十字軍ってのは、つまり……」
「わたしがいた世界に昔存在していた宗教的な義勇軍です。強い信仰の下に異教徒から聖地の奪還を目指して戦った……」
わたしは大皿に視線を落としたまま、パーシャの疑問に答えました。
湯気を上げていたシチューは、熱の大半を失っています。
「それじゃ、正義の軍団ってわけだ」
「……いえ、彼らが奪還を目指した聖地は、異教徒にとっても聖地だったのです。互いに神の名の下に残虐な行為の応酬がなされました」
「まるで “カドルトス信徒” と “ニルダニス信徒” みたいだな――おおっと!」
口を滑らせた――すまん! みたいな顔で、ジグさんがわたしとフェルさんをみました。
「いいのよ。事実だから」
フェルさんが苦笑して顔を振り、わたしも追従しました。
「血を血で洗う凄惨な戦いが続きましたが――でも両方の陣営に偉大な指導者が現れて、和平が結ばれたこともあったのですよ。その時の聖地は異なるふたつの信仰が認められて、異教徒同士が共存していたのです」
「…… “天の王国” だな」
何気なく呟いたアッシュロードさんに、『そうですね』と小さく頷きました。
「でも、よかったじゃない。ドーラたちのおかげで、その修道騎士?の夫婦は迷宮から解放されたんでしょ。お礼に “聖水の泉” まで残して」
そういうと、パーシャは再び冷めてしまったシチューを掻き込み始めました。
「ま、そういうことになるかね――そのあと五階に登って例の “瓶詰めの帆船模型” を手に入れたって寸法さ。最初はただの工芸品の類だと思ってたんだけどね、まさかキーアイテムの一種だったとは、あたしらも驚いたよ」
“瓶詰めの帆船模型” ……わたしたちを遭難・全滅の危機から土壇場で救ってくれた魔道具です。
“水上歩行” の魔法が封じられていて、所持している者とその周囲の人間は、水の上を歩くことができる……とのことでした。
アッシュロードさんは、この“酒瓶” の能力で地底湖を渡ってきたのです。
「今度はあんたたちの話を聞かせとくれでないかい」
「――いや、それはトリニティの所に行ってからにしよう。どうせ報告しなきゃならないんだ。二度手間になっちまう」
アッシュロードさんの言葉に、ドーラさんだけでなくパーティの全員が『もっともだ』と同意しました。
わたしは食事を終え、寝台から立ち上がりかけました。
さすがに三日三晩寝続けていたので、身体中がポキポキしています。
「……痛たたた」
わたしは苦笑いしながら、踏ん切りをつけて “どっこいしょ” と立ち上がります。
まるでお婆さんです。
エバお婆ちゃんです。
そんなわたしのおでこに向かって、不意にアッシュロードさんの手が伸びてきてきました。
「な、なんです? またデコピンですか? もう寝ぼけてはいませんよ――」
口を尖らせたわたしの抗議を無視して、モゴモゴと祝詞が唱えられ……。
「……あ」
アッシュロードさんの手を通じて、身体の中に流れ込んでくる暖かな波動……。
懐かしい感覚……。
初めて会った時も、この人はわたしにこの魔法を施してくれた……。
“痺治” の加護……。
わたしのポキポキは、あっという間に解け去って……。
不意打ちの優しさに、わたしも溶けちゃって……。
「な、なんだよ」
「あ、ありがとうございます」
バツ悪げなアッシュロードさんに、ポーッとした顔でお礼を言います……。
わたしは今こそ確信しました……。
やっぱりこの人、天然ジゴロ……。
ジゴロずるい……超ズルい……。
「グレイ!」
当然、面白くない人もいます。
フェルさんが真っ赤な顔で頬を膨らませた(おまけにちょっと涙ぐんだ)、”すげーかわいい顔” で、アッシュロードさんを詰りました。
エルフずるい。超ズルい。
「ああ、わかったよ」
アッシュロードさんが『……自分で出来るだろうに』とブツブツ零しながら、フェルさんの額に触れました。
「エヘヘ……ありがとう」
泣いたエルフがもう笑っています。
その可愛らしいこと、かわいらしいこと。
ぶぅ! ブゥ! Boo!
エルフ超々ずるい! 超ズルい!
「「「「グレイ!」」」」
さらに続く、四つの黄色い?声。
見ると、ニヤニヤするパーシャとジグさんに、レットさんとカドモフさんがついでだからとばかりに便乗しています。
「――ああっ? おまえらには自前の僧侶がふたりもいるだろうが!」
調子に乗るな! とばかりに、プイッ! とトリニティさんの天幕に向かって歩き出す、アッシュロードさん。
その猫背を見て、わたしは改めて思いました。
“ああ、やっぱりわたしはこの人が大好きです…………サマンサさん”
それからわたしはフェルさんと、残る四人に “痺治” の加護を施しました。
全員の身体が本調子に戻り、ドーラさんと一緒にトリニティさんのいる本部に向かおうとしたとき、
「ニャーも行くニャ! ニャーも行くニャ! ニャーもお話聞きたいニャッ!」
お母さんからお留守番を言い渡されたノーラちゃんが、猛然と抗議の声を上げました。
しかし、さすがに対策本部の会合に子供のノーラちゃんを連れて行くわけにもいかず……。
「なんか土産を持ってくるから、それで我慢しとくれよ」
「マンマ! いつもいつもニャーが物で釣られると思ったら大間違いニャッ! それは大人の傲慢ニャッ!」
「あんた……そんな言葉どこで覚えたんニャッ?」
「猫人、三日会わざれば刮目して見るニャッ!」
実に微笑ましいやり取りですが、いつまでもこうしているわけにはいきません。
わたしは雑嚢から彼らを取り出すと、ノーラちゃんに紹介しました。
「ノーラちゃん、お話はあとで必ずしてあげるから、わたしたちが戻るまでこの子たちと遊んであげててくれないかな?」
大きく見開かれたノーラちゃんのつぶらな瞳を、蛙と熊のふたつの彫像が見つめています。







