サクリファイス(後)
“トモダチの部屋” は一区画四方の玄室でした。
わたしとパーシャは、その西の内壁付近に新しいキャンプを描いて休息を摂っています。
西の壁際には “フードを被った人間型の彫像” があって、その前にはお香が焚かれていたらしい祭壇がありました。
レットさんとジグさんは、わたしたちのすぐ側で寝ています。
ジグさんは最後の“小癒” がギリギリ間に合い、危険な状態を脱しました。
今は小康状態で、造血して意識が戻るのを待っているところです。
“犬面の獣人” や “オーク” は、やはりあの亡者が薄気味悪かったのか、玄室の中までは踏み込んできません。
レットさんたちが帰還を諦めて立て籠もったのがこの玄室で、ある意味幸運でした。
「……本当にありがと」
パーシャが玄室の扉から目を逸らさずに言いました。
「……あんたが来てくれなければ、あの二人だけでなくみんな死んでた」
レットさんとジグさんの隣には、パーシャの言うあの二人。
犠牲になったドワーフの戦士とエルフの僧侶の姿があります。
エルフの方は女性のようです。
「……うん」
わたしは体育座りをしたまま、小さくうなずきました。
「……わたしにも経験があるから」
「……うん」
と、今度はパーシャが小さくうなずきます。
デリケートな話題だとわかってくれているのでしょう。
パーシャは、それ以上突っ込んだ話はしてきませんでした。
「……ねえ」
「……なんですか?」
「……あんたがさっき言ってた、“ある人”って誰?」
「……え?」
「……ほら、 解呪を褒めてくれたって言う」
「……ああ」
わたしはようやく、パーシャの聞いている人が誰なのかわかりました。
「……潜る前に、迷宮の入り口で言った人のこと覚えていますか?」
「……確か、熟練者の君主 ……」
「……その人のことです」
「……その人って、あんたの恋人?」
「……」
一瞬の黙考のあと、
「――ええっ!? なんでそうなるのですかっ!?」
思わず、飛び上がってしまったわたし。
「なんでって、匂いがした。言葉の端々に」
「に、匂い?」
「うん、女の」
「お、女の……って」
「ねえ、聞かせてよ。その人のこと詳しく!」
パーシャが急に目を輝かせて、ガールズトークを迫ってきました。
「ちょ、そ、そういうのではないです。あの人は、アッシュロードさんはそういうのではなくて」
なぜ、こんな時に、こんな場所で、突然の恋バナ?
「へぇ、アッシュロードさんっていうんだ。へぇ」
わざとでしょうか。
ニヤニヤとどこか嫌らしい、パーシャの笑顔。
「あ、あの人は――あの人は――」
「あの人は?」
ええと、だから、なんというか、なんというべきか、なんというのでしょう?
「怪しいなぁ。その慌てっぷり」
「聞いてください! ねえ、聞いてください! ちゃんと説明するから聞いてください!」
「うん、聞いてる」
「アッシュロードさんは、わたしの――わたしの――そう、わたしの保険屋さんなのです!」
わたしはなぜかそこで、必死にアッシュロードさんについて長々と説明をすることになりました。
「それじゃなに。別に恋人ってわけでも、好きな人ってわけでもないんだ」
「そ、そうです。あの人はそういう人ではないです」
「…………そっか。残念」
「? 残念? どうして?」
「……だって、そんなレベルの高い探索者が恋人なら、迷宮からあんたが帰ってこなければ助けにきてくれるでしょ」
パーシャの声と表情が、再び沈んでしまいました。
「……もしもの時は、あんただけでもいいから助けにきてもらいたかった」
「……助けてはもらえると思う。わたしはアッシュロードさんと契約してるから。でも……それはわたしが死んだとき」
アッシュロードさんは、わたしの死体だけを回収する。
パーシャやレットさんやジグさんや、他の二人の遺体は放置されてしまう。
それが保険屋さんの……アッシュロードさんの仕事だから。
それでは、また同じ事の繰り返し。
わたしだけが生き残ってしまう。生き返ってしまう。
それはもう嫌。
「……それじゃ、他に好きな男はいないの? 好きな男もいないまま、こんな迷宮で死ぬことになるの? そんなの……酷いよ」
「……パーシャ」
パーシャがわたしのことで気を病んでくれているのはわかります。
立場が逆なら、わたしも同じだったでしょうから。
優しい女の子なのです。
「う~ん、好きな人はいないですが、仲の良い男の子ならいるでしょうか!」
わたしはことさら明るい声で言いました。
「え?」
「気になる?」
「気になる、気になる。どんな子? 探索者? 強い? 格好いい?」
途端にパーシャが食いついてきます。
ガールズトークは、どの異世界でも普遍なのでしょうか。
「そうですねぇ――うん、よいでしょう、今日は特別です。写真を見せてあげましょう」
「写真? なにそれ、初めて聞く言葉」
「すごく細かい、奇麗な絵のことですよ」
わたしは得意げに笑って、あの日以来 肌身離さず持っているスマホを、腰の雑嚢から……。
……ガタンッ、
「「――!?」」
玄室の扉が発した異音に、弛緩していた空気が一瞬で引き締まりました。
「エバッ」
「レットさんとジグさんを起こしましょう」
大量に失われた血が回復するまで、もう少し休ませてあげたかったのですが、そんなことは言っていられません。
「レットさん! レットさん!」
わたしは立ち上がると、寝ているレットさんの側に駆け寄り、その身体を揺り動かしました。
「ジグ! ジグ!」
となりではパーシャが盗賊のジグさんを起こしています。
「レットさん、起きてください!」
「う……っ」
何度か身体を強く揺さぶると、レットさんが呻き覚醒しました。
「……エバ……」
「起きてください。“犬面の獣人” たちが来たかもしれません」
低レベルとはいっても、レットさんとてすでに幾度かの修羅場を潜り抜けてきた探索者です。
すぐに状況を理解して、剣を手に立ち上がりました。
「扉か?」
「はい。変な音がしました」
「……どうなってる?」
その時パーシャに支えられたジグさんが、頭を振りながら話しかけてきました。
わたしはかいつまんで、今の状況を教えます。
「そうか……巻き込んじまったみたいだな。それにレットと俺のことも救ってくれた。俺はジグリッド・スタンフィード。ジグでいい。礼を言うよ。ありがとう」
ジグさんは二〇歳ぐらいの痩せ形の男の人で、短く刈り込んだ茶色の髪がこびりついた血で固まっています。
「俺が扉を探ってくる。こういうのは盗賊の仕事だからな」
「平気か?」
「俺より耳のいい奴がいればそいつ任せるが、いないだろ?」
ジグさんはレットさんにそういうと、 腰から 短剣を引き抜いてキャンプから出て行きました。
慣れた仕草で玄室の東側にある扉に近づき、耳を当てて慎重に外の音を探っています。
「いるな。最低でも二〇匹は」
しばらくして戻ってきたジグさんがレットさんに報告しました。
レットさんがこのパーティのリーダーなのです。
「もっと多いかもしれん。とにかく見たことも聞いたこともない数だ」
「エバ、加護はいくつ残ってる?」
「第二位階が一回だけです。加護はすべて授かっています」
「そうか」
なにかを決意したようなレットさんの横顔に、胸騒ぎを覚えます。
そして、
「みんな聞いてくれ。こうなってはもう全員で脱出するのは無理だと思う。だから俺がここに残って奴らを引きつける。その隙に脱出しろ」
全員の顔を見渡して伝えました。
「な、なに言ってるのよ! そんなこと出来るわけないじゃない!」
真っ先に反応したのは、やはりパーシャでした。
噛みつくような凄い形相で、レットさんに食ってかかります。
「ああ、そうだな。いくらおまえが騎士の家系に生まれたからって、しょせんは九男だ。そこまで騎士道精神を発揮する義理はないと思うけどな」
ジグさんも、やんわりとですが反対します。
「エバ、君はどうだ?」
パーティメンバー二人に反対されたレットさんが、わたしを見ました。
「君は善意で巻き込まれた人だ。君がいなければ俺もジグも死んでいた。おそらくパーシャもだ。君の意見はこの中の誰よりも重いと俺は思う」
「……」
レットさんがこの無謀な提案を思い付いたのは、きっと今ではないでしょう。
パーティが半壊してパーシャを救援に呼びに行かせたときから、おそらくはずっと考えていたはずです。
いざとなったら、自分が囮になって他の仲間を逃がす――と。
それが騎士の家系に生まれた “善”の戒律のリーダーの、考えに考え抜いた末の結論なのでしょう。
それなら、わたしが考えに考え抜いた末の結論は? 答えは?
長く考えている時間はありません。
迷宮では、答えをすぐに出さなければならないときもあるのです。
このレットさんの命を賭した提案に答えを――。
そしてわたしは答えを出しました。
「あなたの言うとおりです」
わたしは彼の真摯な瞳を見つめ返しました。
「やはり、ここはレットさんに囮になってもらいましょう」
「ちょ、なに言ってるのよ、あんた?」
わたしの言葉に、パーシャの表情が凍りつきました。
それでも、わたしは構わずに続けます。
「わたしたちが助かるには、レットさんに囮になってもらうしかありません」







