”P”★
一度第四階層まで上ってから強制連結路を使わなければくることができない、二重構造の区域。
しかも “鎧の悪魔” に守られたキーアイテムがなければ、辿り着けない区画。
そこは迷宮の深奥と呼んでも差し支えのない場所でしょう。
その迷宮の深奥で、わたしたちを待ち受けていた者。
冥く落ちくぼんだ眼窩に鬼火のような不気味な橙の揺らめきを灯した、"骸骨のような姿" ――。
「―― “不死王”!」
わたしの口から、怖れと畏れ、そして驚愕のない交ぜになった悲鳴が漏れました!
“真祖” が大地に満ちすぎる人類への天敵として、自然の理の中で生まれ出た先天的な不死の王なら、“不死王” は強大な力を持つ魔術師が、永遠の命を得んがために自ら魔道に堕ちた、後天的な不死属の頂点!
特殊能力と魔力。
すべてにおいて “真祖” に匹敵する力を持つと言われる、最強にして最悪のアンデッドモンスター!
怪物百科では、危険度 “S” に指定されているその魔物が、台所の奥からヒタヒタと無造作な様子で姿を現したのです!
「――化物めっ!」
レットさんが、彼らしからぬ怒号を上げて斬り掛かりました!
先手を取られたら強大な呪文で一掃されてしまいます!
逃走に失敗しても同じ!
生き残るには先手必勝!
一気に畳み掛け、反撃の余裕を与ずに倒すしかありません!
カドモフさんとジグさんがすかさず後に続き、わたし、パーシャ、フェルさんが、それぞれ “解呪” “暗黒” “静寂” の祝詞や呪文を唱えます!
“不死王” はモンスターレベル・呪文無効化能力ともに高く、“解呪” や “静寂” も通りにくいのですが――それでもやるしかありません!
唯一、パーシャの唱えている “暗黒” の呪文だけは耐呪が不可能なため、効果が見込めます!
ホビット神速の呪文が “不死王” の視界を奪って、その隙を魔法の武器を手にしたレットさんたちが衝ければ、勝算はあります――絶対にあります!
ですが――。
いくらパーシャが神速の詠唱を唱えたとしても、無詠唱には敵いません……。
“不死王” は呪文を詠唱し、発声によって言霊を介した魔導方程式を展開させることなく、魔法を顕在化したのです……。
目の前でバタバタと倒れる、レットさんたち……。
魔法の無効化能力のない人間には、最強の攻撃呪文 “対滅” よりも致命的な呪文……。
(“酸滅” の……呪……文……)
次の瞬間、酸欠に陥ったわたしの意識はプツンと途切れ、虚無の底に落ちていきました……。
・
・
・
……トン、トン、トン、
それは……とても懐かしく郷愁を誘う音でした。
お母さんが立てる……まな板の音。
わたしは微睡みの中で、そのリズミカルな音を聴いていて……。
やがて掛かる声を待っている……。
『起きなさい、瑞穂。朝ですよ――』
わかっています……。
そんなはずはありません……。
わたしの部屋は二階で、キッチンは一階……。
わたしはいつも、目覚し時計のアラームで起きていて……。
だから、これはわたしのイメージ……。
ううん、お父さんのイメージ……。
お父さんが話してくれた、日本人の起床の心象風景……。
だってその証拠に……。
漂ってくるいい匂いがお味噌汁ではなく、コンソメの……。
「………………え?」
いきなり覚醒した意識に、状況の把握がまったく追いつきません。
わたしは……わたしたちは、“不死王” に “酸滅” の呪文を懸けられたその場所に、折り重なるように倒れていました。
「レットさん! カドモフさん! ジグさん! フェルさん! ――パーシャ!」
わたしはふらつく頭で強引に立ち上がり、倒れ伏しているみんなの側に駆け寄ってその首筋に手を当て脈を測り、口元に掌をかざして呼吸の有無を確かめました。
……全員、生きています……気を失っているだけ。
ヘナヘナと腰砕けて、冷たく固い石の――キッチンの床に座り込みます。
トン、トン、トン、
カッティングボードを、キッチンナイフが叩く音……。
無意識に顔を向けたわたしの視界に飛び込んできたのは、濃緑色のローブに身を包んだ長身の背中……。
前屈みになって、調理台で何かを刻んでいる…… “不死王”
「……ひっ!?」
思わず飛び退き、側に転がっていた戦棍にぶつかって、ガシャンッ! と騒々しい音が響きました。
ピタッ、
と、“不死王” の動きが止まり、
……ジロッ!
と、振り返りました。
冥く落ちくぼんだ眼窩の奥で、鬼火のような眼光が揺れています。
その相貌は、まさしく幽鬼。
まさしく “骸骨のような姿” です。
「……リ、“不死王” ……」
恐れおののいたわたしの口から、我知らず恐怖に震えた呟きが零れました。
「―― “不死王” !? “不死王” だと!? この高貴にして華麗なるわたしが、
あのような不浄な化物だと!?」
「ひぃいいっ! ご、ごめんなさいっ!」
なぜか激高する “不死王” に、わたしは顔を背けて謝りました!
だってだって、目が爛々と燃え盛って、口から閃光が放たれて――すごく、すごく怖いのですもの!
ピカーッ!
と、突然 “不死王” の身体が、粒子をはらんだやわらかな緑色の光を放ちました。
そして、まるで聖光のようなその美しい輝きが治まると、
「――失敬。問題ない。わたしは高度な精神修養を積み、感情抑制の能力を得ている。怒りはすぐに打ち消すことができる。怯えることはない、ニルダニスの娘よ」
いきなり落ち着き、紳士的な口調になる…… “不死王”……じゃなくて……それなら……。
「え、ええと…… “不死王” でないのなら、あなたはいったい……」
「我が名は “ポトル”! 華麗にして偉大な史上最強の魔術師なり!」
バサッァァ! と濃緑のローブを翻して、カカカカッ! ……と大見得を切る骸骨……さん。
そしてまたピカーッ! と緑光を放ち、いきなり落ち着きを取り戻します。
な、なんなのです、この人(?)……。
ん? ポトル?
「……えっ!? それじゃ、もしかして “P” というのは!?」
「左様、わたしのことだ。ようこそ、我が悠久なる住まいへ。久方ぶりの賓よ、歓迎するぞ」
「………………(……え~~~~~)」







