彷徨
「――埋めるぞ、この階」
レットさんの生還への不退転の決意に、全員がうなずきました。
いつも順番で一列縦隊を組み、一区画離れた北の扉を出ます。
強制連結路で落ちてきた玄室を出ると、すぐ北に内壁、東に扉がある回廊でした。
北に内壁は、すでに踏破した二重構造区域の最南の壁です。
レットさんは東の扉を指示しましたが、扉の奥は三区画の “くの字形” の玄室で、隠し扉の類もなく、そこで行き止まりでした。
気落ちする必要はありません。
これでまた地図の一角が埋まったのですから。
わたしたちは引き返し、北側の内壁に沿って今度は西に向かいました。
扉によって繋がれた回廊は徐々に長くなり、その長さは四区画、七区画と伸びていきます。
これまでの毛糸が絡まっているような構造とは、明らかに違ってきています。
扉を開けるたびに魔物との遭遇戦が発生しましたが、“浪人”や “武器を持った男” といった、第四階層よりも弱い敵ばかりだったので、問題なく突破できました。
「敵の強さは二階のままですね……」
わたしは戦闘に勝利後、誰に言うともなく呟きました。
視線の先には、開けずに放置することにしている宝箱を名残惜しげに見つめるジグさんやパーシャがいます。
「このまま “死人使い” や “小鬼呪術師” が出て来なければいいのだけれど……」
「そうですね……」
と、フェルさんに相槌を打ちます。
“死人使い” も “小鬼呪術師” も集団攻撃呪文の “焔爆” を唱えてきます。
これらの魔物と対するときは、わたしとフェルさんが “静寂” の加護を施して、可能な限り安全を確保するのが常なのですが……。
“静寂”の属する第二位階の “精神力” も残りわずかになっていて、倍掛けなんて贅沢は赦されなくなっているのです……。
「宝箱は無視だ。それよりも――拓けたな」
言いながら、レットさんが周囲を見渡しました。
七区画にも及ぶ長い回廊の終端にあった扉を開けると、そこは数区画にわたって拡がる広間でした。
「“E0、N0” ――南西の角だよ」
パーシャが地図を描き込みながら教えてくれました。
彼女の言うとおり、西と南がジットリと結露した岩盤の外璧です。
「梯子があればよかったんですけどね」
弱々しく微笑んだわたしに、みんなが “まったくだ” といった表情を浮かべました。
広間には、たった今わたしたちが入ってきた以外にも三つの扉があり、迷宮内に時たま現われる “分岐点” のようでした。
そのうちのひとつ、西側の内壁にある扉を見たカドモフさんが、ボソッと漏らしました。
「……なにか書いてあるぞ」
その扉は表面を蜘蛛の巣が覆っていて、もう長い年月開かれた様子がありません。
「……そこだ」
カドモフさんが指差したのは、扉の上部に彫り込まれた看板?とも表札?とも取れるものでした。
「……気……高き……魔術……P……――駄目だ。蜘蛛の巣と埃で読めやしねえ」
近づいて解読を試みたジグさんが、あっさりと匙を投げます。
もちろん、手で汚れを払うような真似はしません。
「どう思う?」
「意味不明だけど、こんだけ長い間 “開かずの扉” だったんだから、あたいだったら絶対に開けないね」
レットさんに助言を求められたパーシャが、険しい表情で扉を見つめたまま答えました。
「……そうだな。ここに踏み込むのは、他を調べて何もなかってからにしよう」
残る扉は、入ってきたものを除けばふたつ。
東奥と西手前の、東西に奥行きをつけて並んだふたつです。
地図の外縁を埋めるというセオリーにしたがって、わたしたちはまず東奥の扉を調べました。
結果は四区画進んだところで行き止まり。
引き返して、もうひとつの西手前の扉を開けます。
こちらは……とても長い回廊でした。
北に六区画、東に二区画、そして北に四区画、また東に二区画。
合計一四区画進んで、ようやく終端に達しました。
行き当たりの東側に扉があります。
ジグさんがまず罠がないか調べ、それから中の様子を探りました。
(……問題ない)
(……よし、行くぞ)
視線の会話を交わすと、わたしたちは東の扉を開けて足を踏み入れました。
と――次の瞬間、辺りの闇を払っていた “永光” の魔法光が、掻き消すように消え去りました。
「またか!」
「落ち着け――角灯を点せ。これは暗黒回廊 じゃない」
舌打ちたジグさん嗜め、レットさんが落ち着いて指示を出します。
これは南東区域にもあった、“短明” や “永光” の魔法光だけを消し去る罠です。
「大丈夫だ。薄暗くなっただけで、まったく見えなくなったわけじゃない」
みんなを冷静に戻す、レットさんの沈着な声。
やはりこの人は、リーダーの資質を持つ人なのです。
扉の奥は、東に延びる蛇行した長い回廊でした。
北は一区画先で行き止まりで、念の為に調べてみましたが何もありませんでした。
東に進むしかありません。
東に三区画進むと、回廊は北に折れていました。
二区画進むと、また東に三区画。
突き当たりに扉が現われ、中は二×一の玄室で……そこで行き止まりでした。
「おい、なにもないぞ?」
「“短明” を点してみる? 隠し扉があるかも」
フェルさんが控えめな口調で提案しました。
こういう状況では、高位階でコストの高い “永光” よりも “短明” を使うのが賢い選択なのです。
「無効化の罠が消えてるといいが……やってくれ」
頷いたフェルさんが短く祝詞を唱えると、すぐに柔らかな光が溢れ玄室を照らし出しました。
「罠が消えてる」
「だが、やっぱり何もない」
パーシャの呟きに、ジグさんが言葉を継ぎ足しました。
灯りを消す罠の先にあった玄室。
隠された仕掛けなり何なりがあると思うのは当然でしょう。
わたしたちは玄室中を念入りに調べてみましたが、やはりなにもありませんでした。
「「「「「「……」」」」」」
徒労感が一気に押し寄せてきました。
「おかしいなぁ。あたいの予想だとこの西側に隠し扉があるはずなんだけどなぁ」
地図を見ながら、パーシャが渋面を作っています。
「? どういうことです?」
「この第二層が相似性を持った構造なら、この西側に二×二の玄室があるはずなんだよ」
「ああ、あの迷宮の雰囲気が変った……ように思えた」
「そうそう。だけど肝心の扉がないんだ」
おっかしいなぁ……と、しきりに首を捻るパーシャ。
「ないものは仕方ない。戻って “蜘蛛の巣扉” を開けてみよう」
レットさんの声にも疲れが滲んでいます。
わたしたちは玄室を出て、重い足取りで長い回廊を引き返しました。
扉を潜った瞬間、フェルさんの嘆願した “短明” が掻き消えます。
誰もが黙り込んだまま歩を進め、やがて回廊始点の扉の前まで戻りました。
「……この回廊を出たら “永光” を掛け直すわね」
フェルさんの声にも元気がありません。
扉の奥に魔物がいないかどうか調べたあと、ジグさん、レットさん、カドモフさんと扉を潜り……
「……」
「? エバ、どうしたのよ?」
立ち止まり、後ろを振り返ったまま動かないわたしに、パーシャが怪訝な顔を向けました。
「やっぱり……変です」
一度の四階に昇ったあと、強制連結路を使わないと来ることの出来ない、二重構造の区域。
その奥に張り巡らされた魔法光を掻き消す罠。
近くに二×二の玄室の存在が予想されるのに侵入できない……。
「この魔法光を無効化する罠が、単に探索者を眩惑するだけのものとはやっぱり思えません」
わたしは強い眼差しで、みんなを見渡しました。
「もう一度戻って、今度は玄室があるはずの回廊の内壁を調べてみましょう」
消灯の罠があった回廊の終点の玄室に、何かあると思うのは人の心理でしょうが、盲点でもあります。
魔法の明かりを消したのは、隠したい何かがこの回廊にこそあるからでは?
わたしの意見は受け入れられ、パーティは再び東に引き返しました。
角灯の明かりを頼りに、今度は玄室があると思われる内壁を入念に調べます。
油が残り少なくなったその時、わたしが触れていた煉瓦造りの内壁が不意に消えてなくなり、わたしは奥に倒れ込みました。
「「「「「エバッ!」」」」」
「痛たたた……だ、大丈夫です。モーマンタイ、モーマンタイ」
わたしはしかめ顔に無理やり笑顔を浮かべて、立ち上がりました。
咄嗟に手をついたので、掌の皮が擦り剥けてしまっています。
ですが、どうやらその価値はあったようで……。
「お手柄だ、エバ」
レットさんがわざわざわたしの手首を握って、引っ張り起してくれました。
「あ、ありがとうございます」
そこは一×一の正方形をした玄室で、北側に扉がある以外は何もありませんでした。
「……消灯の罠は、あの扉を隠すため?」
わたしは北の扉を見て呟きました。
「……魔物の気配はないぜ」
「……だが、油断はするな」
先んじて扉を調べたジグさんの言葉に、レットさんが自分に言い聞かせるように答えました。
もちろんです。
これだけ厳重に隠されていたのですから、鬼が出ても蛇が出てもおかしくはありません。
(……行くぞ!)
(((((了解!)))))
バンッ!
レットさんの合図で、全員が武器を手に北の扉に突入しました。
そこもやはり一×一の玄室でした。
ですが、決定的に違うところがひとつ。
玄室でわたしたちを待ち受けていたものがいて、それは鬼どころか、まして蛇などでもなく……。
「ア、紫衣の魔女……」
口から、戦慄が漏れました。







