強制連結路
「――誰だ!?」
ジグさんが叫び、全員が武器を手に身構えました。
なんの気配も感じなかったにも関わらず、いつの間にか目の前に、頭にターバンを巻いた親切そうな砂漠の民が立っていました。
真っ黒に日焼けした顔に黒い髭。
元の世界で言うなら、紛れもなくアラブ系の男性です。
男性はニコニコと人のよさげな、見方によってはうさん臭い笑顔を浮かべて、北の壁を指差しました。
「おい、誰だって聞いてんだよ!」
「まって、ジグ! この人たぶん “人外” だよ!」
気色ばんだジグさんを、パーシャが制しました。
人外とは “迷宮支配者” の意を受けた文字どおり “人成らざる者” で、DMの望む方向に探索者を導く迷宮の狂言回しです。
「……北に何かあるのでしょうか?」
砂漠の民と思われる男性が親切そうに指差している方向には、一区画離れて内壁があるだけです。
「気をつけて、罠かもしれないわよ!」
フェルさんがもっともな警告を発しました。
“迷宮支配者” の望みが、探索者の望みと同じとは限らない――むしろ、真逆であることの方が多いからです。
アラビアンナイト風の男性は、それでも気を悪くした素振りは見せず、ニコニコと北を指差し続けます。
やがて……。
スッ……と身体が薄れていき、親切そうな男性は消えてしまいました。
消え去る間際に、
“……奥方によろしく”
との意味深な言葉を残して。
「なによ、口がきけたんじゃない」
「奥方……? 誰のこと?」
憤慨するパーシャと、美しい眉根を寄せるフェルさん。
「? 奥方って誰かの奥さんってことですよね?」
確かにフェルさんの言うとおりです。
いったい誰のことなのでしょうか。
「……調べてみるか」
ジグさんがそういって、北に向かいました。
誰も反対しなかったのは、人外は往々にしてわたしたちを惑わす存在ですが、時として探索者を救うことがあるのも知っているからです。
“紫衣の魔女の迷宮” の暗黒回廊に潜む謎の隠者などはその典型でしょう。
特にこの迷宮の支配者は、善悪さだからぬ “世界蛇” ……。
わたしたちに、迷宮内に巣くっている “妖獣” の駆除をさせたいのなら、悪辣な罠に嵌めるのは本意ではないはず……。
「落とし穴は……ないな」
ジグさんが慎重に足元を調べて、穽計がないことを確認しました。
「――来てもいいぞ」
ひとまず安全が確かめられ、わたしたちは全員で人外と思われる男性が指差した一×一区画を調査します。
「――フェル、ゴブリンどもは?」
「まだ遠いけど……グズグズしてないで早く移動しましょうよ」
落ち着かない様子でレットさんに答えるフェルさん。
毛糸玉のように複雑な区域に引き込んだとは言っても、相手は鼻の効くゴブリンです。
特に人間の匂いには敏感で、どこまでも執拗に追ってきます。
彼らの……大好物だからです。
「そうだな――もう充分だ、行こう」
人外の男性の意図を探るのは、今よりももっとずっとよい状態のときです。
それは生還して充分な休息を摂り、また戻ってきたとき。
今は、その時ではありません。
「……えっ?」
レットさんが調査の切り上げを宣言したとき、不意にわたしの――いえ、パーティ全員の重力が消失しました。
(――転移地点!?)
いえ、違います! これは――。
「――強制連結路!」
誰かが叫んだときには、わたしたちはいきなり足元に出現した穴に滑り落ちていました!
ジグさんの名誉のためにも言っておきますが、決して落とし穴を見落としていたわけではありません!
床が階層の岩盤ごと、そっくり消失したのです!
この穴は迷宮の任意の座標を繋ぐ透明なトンネルで、探索者からは “強制連結路” と呼ばれています!
罠とも移動手段とも言える仕掛けで、下層に滑落させるだけでなく、時として上層に噴き上げ、あるいは同じ階層へと押し流す、作動したが最後対象者を強制的に移動させる、迷宮の不条理のひとつなのです!
「「「きゃーーーーーーっっっ!!!」」」
重なる三人の女の子の悲鳴!
それはまるでジェットコースターに乗って、急勾配を延々と滑走しているようでした!
わたし――わたし――ジェットコースターって死ぬほど苦手なんです!
ジェットコースターに乗るくらいなら、“高位悪魔” とソロする方がよっぽどマシだとも思っています――っていうか、今思いました!
フウッと全身から力が抜け、意識が遠くなる……なんとも言えない快感がわたしを包み込みました。
(……あ、この感じ……癖になりそう……)
しかし、そうは問屋が卸しません!
突然強制連結路が閉じて、わたしたちは硬く冷たい迷宮の床に放り出されてしまいました。
「……むぎゅう」
ドサッとフェルさんに乗られてしまい、思わず口から “むぎゅう” が漏れます。
「あ、ごめん!」
「い、いいから、早く退いてください……」
あの人に抱き締められての “むぎゅう” でしたらいくらでも漏らしたいところですが、そ、それ以外はノーグッドです……。
「け、怪我はないか?」
わたしの下にも、カドモフさん、レットさん、ジグさんが折り重なっていたのですが、三人とも頑健な身体と頑丈な装備、そして “恒楯” のお陰で、軽い打ち身程度で済んだようです。
「な、なんとか……」
弱々しい声で答えます。
わたしの上にもフェルさんの他にもパーシャが落ちきたのですが、ふたりの体重が軽かったのと、トリニティさんに頂いた鎖帷子のお陰で、どうにか骨が折れたり内臓が破裂したりするようなことはありませんでした。
「魔法の鎖帷子に感謝です……」
「他のみんなは?」
「俺は平気だ……出来るならずっと寝そべってたいけどな」
「……問題ない」
「あたいも」
「おまえは一番上だったろうが」
「うっさいな! ホビットの強運舐めないで!」
「……ここはどこ? 見覚えがあるような内壁だけど……」
一足先に立ち上がったフェルさんが、周囲を見渡して呟きました。
「パーシャ」
レットさんが、“ガルルルルッッ!” とジグさんを睨み付けているパーシャを見ます。
「“座標” の呪文は、あと何回残ってる?」
「三回」
「使ってくれ、ここがどこだか知りたい」
パーシャは頷き、呪文の詠唱を始めます。
わたしたちが落ちてきたのは二×一(あるいは一×二)の玄室で、一区画離れた側面に扉がひとつありました。
「二階。“E2、N11” 。北を向いてる」
パーシャは瞑想から醒めると、すぐに地図を取り出して、たった今念視した座標を描き込みました。
「……初めて来る場所だよ」
「だが、あの時に選ばなかった “西の扉” に近い……」
「最初に踏破した、この蛇が蛇行しているような区域ですが、相似性がありますよね」
わたしは、みんなの中心に広げられた地図を指でなぞりました。
「四階への梯子がある “北西区域” と一階への梯子がある “南東区域” は、地図の上ではまったく同じ面積の長方形をしていて、対角線上に位置しています」
さらに指先をずらしていき、
「“北東区域” はそれよりも狭い正方形をしていて、わたしたちが最初に向かわなかった “南西区域” は、その対角線上にあります。“南西区域” には足を踏み入れてないので地図は埋まっていませんが、この階層の相似性から考えて、おそらくこの区域は “北東区域” と同じ正方形をしているのではないでしょうか?」
「でも、今わたしたちがいるのは、そのどこでもないわ――もしかして、二重構造? 四階からしかこれない?」
ハッと気づいたように言ったあと、フェルさんが顔色を曇らせて続けました。
「……もしそうだとするなら、こちら側から縄梯子のある区域には戻れないわね」
「……ええ。二重構造なら、独立した構造になっている可能性が高いです」
わたしは頷くしかありません。
あるいは一方通行の扉によって、こちら側からだけは戻ることが出来るかもしれませんが……それではまた同じことの繰返しです。
あの時、隠し扉による帰路の発見を期待してしまったがために、この窮地を招いてしまったのですから。
「逆に、だ。一度四階まで上がって、そこから強制連結路を使わないとこれない区域だなんて、いったい何があるってんだ?」
「よっぽど見つけてほしくないもの……かな」
盗賊らしいジグさんの意見に、パーシャが小さな顎に小さな手を当てて答えます。
「……ここが二重構造で独立した区域だとしても、やることは変らん。進んで描き、描いて進む。それだけだ」
「カドモフの言うとおりだ。迷宮で迷ったときに、パニックになって動き回るのは最低最悪の行動だ。一区画ずつ丁寧に地図を描くんだ」
決意の籠もったカドモフさんの言葉に、レッドさんが深く頷きました。
「――埋めるぞ、この階」







