サクリファイス(前)
玄室の中からにじり寄る、“トモダチ”
外からわたしたちを威嚇する、“犬面の獣人” と “オーク” の大群。
わたしたちは玄室の扉の前で寄り固まって、進むに進めず、退くに退けず。
はっ……はっ……はっ……はっ……。
繰り返される、短く浅い呼吸。
すでに頭の中はパニック寸前で、今にも戦棍を放り出して泣き喚きそう。
ダメ。ダメ。ダメ。それはダメ。絶対にダメ。
それをしたら、絶対に助からない。
落ち着いて。落ち着いて。落ち着いて。
冷静でいる限り、思考という資源は無限のはず。
お金も装備も経験もないわたしが、この迷宮で生き残るには、考え続けること。
考えて、考えて、考えて、生き残る方法を見つけること。
そうあの人が――アッシュロードさんが教えてくれた。
冷静に。冷静に。冷静に。
考えるには、考えて答えを出すには、何が必要?
正しい答えを、生き残る方法を導き出すには、何が必要?
それは、それは何?
正しい答えを導き出すために必要なもの、それは――正しい情報。
正しい情報を得るために必要なもの、それは何?
わたしは大きく息を吸い込んで――吐き出しました。
正しい情報を得るために必要なもの――それは “見ること”
“見て” 、自分の置かれている状況を正しく理解すること。
だから、見ます!
“トモダチ” は、這うような速度ですが確実に近づいてきています。
このままでは接敵するのは確実です。
それでは、“犬面の獣人” や “小鬼” たちは?
扉の前のわたしたちを半包囲して今にも襲い掛からんとしている、直立した “犬” と “豚” の群れ。
低い唸り声を上げ、手には重い蛮刀や錆びた短剣を握っています。
でも……近づいてこない?
唸って威嚇しているだけで、包囲の輪を狭めようとはしていない?
彼らも…… “トモダチ” を怖れている?
少なくとも、気味悪く思っている?
もしそうだとするなら、どういう判断を下せばいい?
多分、ここです。
ここが生と死の分岐点。生き死にの際。生死の境。
「……玄室に立て籠もります」
「「……えっ」」
「玄室に立て籠もります」
わたしの呟きに驚いたパーシャとレットさんに、もう一度今度はハッキリと伝えます。
「な、なに言ってるのよ。中には “トモダチ” が」
「数の暴力よりは対処できるはずです。それに “犬面の獣人” や “小鬼” たちも、“トモダチ” を怖れて――少なくとも気味悪がっています」
わたしは戦棍の柄頭を “貴族の亡霊” に向けて警戒しながら、説明――説得します。
「玄室に入って扉を閉めてしまえば、彼らも中の様子が分からずに慎重になると思います。少しは時間が稼げるはずです」
「で、でも」
「袋のネズミの方が袋叩きにされるよりマシでしょう、パーシャ」
「……君のレベルは?」
レットさんが彼を支えていたわたしから離れ、剣の切っ先を上げました。
「4です」
「生命力は?」
「28」
「……ギリギリだな」
レットさんの声はまだ辛そうでした。
それでも両手で剣を構えて、前後の敵を睨み付けます。
「あの亡者は一見実体があるように見えるが、実は亡霊だ。つかみどころがない。俺と君とパーシャだけじゃ、削りきれないかもしれない」
レットさんは “トモダチ”と戦った経験から、勝算を推し量っているようです。
「……ごめんなさい。いろいろ考えたのですが、これしか浮かばなかったのです」
玄室に入ったとしても、“トモダチ” に勝てるかどうかはわからないのです。
傷ついた戦士に、呪文の尽きた魔術師。そして未熟な僧侶。
この編成で慎重になるな、という方がおかしいのです。
「いや、俺もそれしかないと思う。現状では最善の策だろう」
「ありがとうございます」
賛意を示されて、わたしは少しだけ強ばっていた顔がほころびました。
「俺はレトグリアス・サンフォード。仲間はみんな “レット” と呼んでくれてる。貧乏貴族の九男で、食うために探索者になった」
「九男って、それはないでしょう」
わたしは視線を “トモダチ” に向けたまま、思わず吹き出してしまいました。
「実はまだ弟が二人いる。貧乏貴族の子だくさんってやつさ。君の名前は?」
レットさんが獣人の群れに切っ先を向けつつ苦笑しました。
「エバです。エバ・ライスライト」
「来てくれて感謝する、エバ。一緒にこの窮地を乗り切ろう」
「はい」
「なによ、なによ。勝手に二人だけの世界に浸らないでよ。あたいもいるってこと忘れてない?」
「忘れてないさ、パーシャ。エバを連れてきてくれた君にも、もちろん感謝してる。ありがとう」
「わ、わかってればいいのよ。わかってれば」
「ふふっ」
そんな二人のやり取りに、またしても笑みが零れます。
どうやら “トモダチ” との戦いを前に、リラックス出来たみたいです。
「それじゃ、行ってみるか」
「はい」「うん」
「3で玄室に飛び込め。飛び込んだら俺が扉を閉める。エバ、その間少しだけ “トモダチ” を抑えてくれ」
「了解です」
「1、2――3!」
レットさんの合図でわたしとパーシャは弾けるように、玄室に飛び込みました。
わたしは戦棍を “トモダチ” に向けて威嚇。いえ、挑発します。
「……OhoOhooohnnnn!」
背筋が凍りつくような悲嘆の叫びが、玄室にこだまします。
反射的にわたしたちを追い掛けた獣人たちが、怨念に充ち満ちたそのむせび泣きに、身をすくめました。
「ぬおおおおっ!」
獣人たちが動きを止めた一瞬の隙を突いて、レットさんが玄室の扉を閉ざします。
重々しい音が響いて、“トモダチの部屋” が迷宮から隔離されました。
「無事か!?」
「は、はい!」
すぐにレットさんが加勢してくれます。
正直ホッとしました。
武器を取っての白兵戦は苦手です。
回復役の立ち回りを身に付けるのに精一杯で、それどころではなかったというのが本音です。
そもそも、この “トモダチ” という魔物は――。
あ、当たらない!?
レットさんの言葉どおりです。
何度戦棍で殴りかかっても、実体がないためかダメージを与えることができません。
レットさんの剣もパーシャの短刀も同様です。
一見すると “腐乱死体” なのに……硬い!
そのくせ向こうの攻撃は、
バシッ、
「くっ!」
大した痛痒はないものの、確実にこちらの生命力を削ってきます。
「こんな相手、どうやって倒したんですか!?」
戦闘中だというのに訊ねずにはいられません。
「あたいの呪文で装甲値を上げたんだよ! 第二位階の “宵闇” の魔法!」
パーシャが短刀を突き出しつつ叫びました。
なるほど、と納得はするものの、状況の打開にはつながりません。
ダメージを与えられない以上、いずれこちらの生命力が削り取られてしまいます。
この戦闘は逃げられません。
外には “犬面の獣人” と “小鬼” が大挙して待ち構えています。
このままでは、ジリ貧です。
「呪文の援護なしじゃ、こんなに硬かったのか、こいつ!」
剣を振るいながら舌打ちするレットさん。
頼みのその長剣も空を切るばかりで、“トモダチ” に傷を負わせることはできません。
このままではダメです。
どうにか、どうにかしないと。
どうにか――。
「――下がります! 少しの間、彼をわたしに近づけないでください!」
「なにする気!?」
「“解呪” を試してみます!」
相手は亡者。
それなら彼の魂を縛り付けている呪いを解くことで、退散させることができるはず――。
「君のレベルじゃ無理だ! そいつはネームドだぞ!」
レットさんが叫びますが、構わず祝詞を唱えます。
レベルが高かろうと、呪いが強かろうと、“トモダチ” は――この人は救いを求めているのです。
「慈母なる “ニルダニス” よ。不浄な意思に縛り付けられし穢れなき魂を、どうか御胸にお抱きください――!」
韻を踏んで印を結びます。
女神の御心に触れた幸福感が精神を高揚させ、身体の中から清浄な風が吹き起こりました。
女神 “ニルダニス”の祝福がなされたその風は、探索者たちから “トモダチ” と呼ばれる貴族の亡霊を包み込み、その魂を縛り付けている不浄なる呪いを解き崩します。
“トモダチ” は一瞬だけ蒼白い聖光を放つと、清浄無垢なる塵となって崩れ去りました。
「……灰は灰に……塵は塵に……どうか安らかに眠ってください」
「すごい! すごい! エバ、あんたってば何者なの!? “トモダチ” を退散させちゃうなんて!」
わたしが最後の聖印を切り“トモダチ” の冥福を祈っていると、パーシャが飛び跳ねるように駆け寄ってきました。
「前にある人に言われたの。わたしの解呪は駆け出しにしては上出来の部類だって」
「上出来どころか、“トモダチ” は熟練者の僧侶でも退散させるのは難しいって話なのに!」
「そ、そうなんだ」
そんなに大変な相手だったんだ。
それでも成功したのは、きっと “聖女” の恩寵のお陰なのでしょう。
これってもしかして、隼人くんが前に言っていた チートってやつなのでしょうか。
「レットもそう思うでしょ!」
「ああ……そうだ……な……」
ぐらり、とレットさんの身体が傾ぐと、そのまま床に倒れ込みました。
装備していた胸当てが石畳の床に火花を散らします。
「レット!?」「レットさん!?」
駆け寄ると首筋に指を当てて脈拍を確かめ、鼻の前に手をかざします。
「ど、どう?」
「大丈夫。気を失ってるだけ。ホッとして気が抜けたんだと思う」
「よかった……」
パーシャが大きく息を吐いて、胸を撫で下ろしました。
「ひとまず寝かせましょう――パーシャ、もう一人盗賊 の人がいるって言ってたけど、その人の近くに」
「そうだ、ジグ!」
パーシャはハッと我に帰って、玄室の隅に走り出しました。
「エバッ、こっち!」
わたしは一旦レットさんを楽な姿勢で横たえると、パーシャに続きました。
玄室の西?の壁際に消えかかったキャンプの魔方陣があり、その中に革鎧を身にまとった人間の男の人が横たわっていました。
「ジグ! ジグ!」
「ゆすってはダメ」
わたしはパーシャを下がらせると、ジグと呼ばれたの男性の傍らに膝を着きました。
やはり首筋に手を当て、鼻の前に手をかざします。
――脈拍が弱く、呼吸も浅い。
「危険な状態よ。すぐに治癒の加護を願わないと」
残された最後の “小癒” です。
失敗は許されません。
パーシャが固唾を呑んで見守る中、女神への嘆願を始めます。







