流れ★
「――大丈夫だ。魔物はいない」
長い長い縄梯子を登っていると、頭上からレットさんの声が降ってきました。
どうやら上層階に到達し、橋頭堡を確保したようです。
少し上を登っていたレットさんの速度が増し、階層の淵にヒラリと身を躍らせた気配がしました。
ホッと安堵の息を漏らします。
上層は、すぐそこのようです。
わたしは踏み縄を握る手に力を込めて、それでも慎重に最後まで登りきりました。
「……はぁ、はぁ」
額に浮いた汗を拭って周囲を見渡すと、そこは二×一区画の狭い玄室で、方角はわかりませんが一区画離れた左側に扉がひとつありました。
先着していたジグさんとレットさんが、武器を手に縄梯子の周辺を固めています。
わたしも腰に吊していた戦棍を握り、背負っていた盾を構えて陣列に加わります。
やがてパーシャ、フェルさん、そして殿を守っていたカドモフさんが到着しました。
誰の顔にも疲労の色が滲んでいて、特に体力だけでなく精神力 も消耗しているフェルさんとパーシャはグッタリしています。
「さっきの回廊よりも休息には向いているな。ここでもう一度キャンプを張って交代で仮眠を摂ろう」
レットさんが励ましたあと、
「エバも休んでいてくれ」
座り込んでしまっているフェルさんとパーシャをチラ見して、わたしに言いました。
わたしはお言葉に甘えてふたりの側にお尻を下ろし、ぼんやりと自分の周りに魔方陣が描かれていくのを見つめました。
(……ここで休息を摂って気力を回復させて……もう一度二階に下りて帰路を探す……)
一階に下りる縄梯子までの距離を考えると、憂鬱になります……。
突破してきた玄室にも、新手の魔物が棲みついているかもしれません……。
玄室は魔物にとっても絶好の休息場所です……。
巣くっていた一群を殲滅したとしても、少し時間を置けばすぐに次の魔物がこれ幸いに後釜に座るのが常なのです……。
(……初めての探索でこんなところまで来てしまって……きっとあの人は呆れるでしょうね……もしかしたら怒ってくれるかも……)
膝の間に顔を埋めて、うつらうつら……。
少しでも……体力と気力を回復させないと……。
……カタッ、
それはほんの微かな物音でした。
ですが休息していた六人の探索者がハッと顔を上げ、かたわらの武器に手を延ばすには充分な音でした。
全員の視線が、この玄室唯一の扉に注がれます。
(……敵か?)
(……おそらく)
(……し、下におりましょう)
(……だが少し知恵の回る奴だったら、俺たちがぶら下がっているところを見計らって梯子を落とすぞ)
(……そ、それ最悪!)
(……ど、どうしますか?)
ジグさん、レットさん、フェルさん、カドモフさん、パーシャ。そしてわたしが、潜めた声で矢継ぎ早に言葉を交わします。
フェルさんの言うとおり、無駄な戦闘は回避してこれ以上の消耗は避けるべきです。
ですがカドモフさんの指摘ももっともで、降下中に梯子を切られてしまえば、全員が落下死してしまうでしょう。
迷宮の天井はとても高く、天井付近から落ちればどんな屈強な探索者でも無事ではすみません。
特に二階からこの階は、一階から二階の倍も高さがあるように感じました。
(……殲滅する)
レットさんが断を下しました。
(……縄梯子を切られる危険は冒せない)
(……だな、一網打尽はごめんだ)
(……よし!)
ジグさんがうなずき、パーシャが気合いを入れ、わたしを含めた残りの三人が表情を引き締めました。
全員が武器を構え、魔物たちの侵入に備えます。
扉を開けて玄室に侵入してきたところに、逆撃を加えるのです。
――バンッ!
乱暴に扉が蹴り開けられ、魔物の集団が雪崩れ込んできました。
玄室に潜む相手への、強襲。
いつもとは逆の状況です。
「“死人使い” ×6!
“ドワーフ戦士” ×4!
“武器を持った男” ×5!」
ジグさんが叫ぶなり、六人の “死人使い” と パーシャが呪文の詠唱を開始しました。
もちろん、わたしとフェルさんも加護の嘆願を始めます。
(……パーシャが遅れてる!?)
積み重なった疲労のせいでしょうか?
それとも相手の魔術師たちを一挙に葬るべく、高位の長大呪文を唱えたため?
高位の呪文は強力ですが、その分詠唱に時間が掛かるのです。
普段のパーシャなら、少々の呪文の長さなどものともしない詠唱速度で魔法を完成させてしまうのですが、今回は――。
敵味方入り乱れての呪文・加護の応酬は、
“死人使い “ の “昏睡”
“死人使い “ の “焔爆”
パーシャの “焔嵐”
フェルさんの “静寂”
わたしの “静寂”
――の順で、完成しました。
特に最初の三人の呪文はほぼ同時に効果を発揮し、パーシャは “昏睡” の催眠効果と “焔爆” の炎に晒されながら呪文を唱えあげ、六人の “死人使い” を薙ぎ払いました。
わたしは自分の嘆願した加護によって、無音の巨大な松明と化した敵の魔術師たちを無視して、くずおれたパーシャに駆け寄ります。
小さな身体にまとわりついている炎を振り払って、顔をのぞき込むと――。
(息は……あります!)
“恒楯” の加護のお陰で、重度の熱傷も負っていません。
ただ……。
「――パーシャが “昏睡” に懸かりました!」
振り返って叫んだわたしの目に飛び込んできたのは、前衛の三人がパーシャの呪文の標的にならなかった九人の敵戦士と、斬り合っている光景でした。
「……黒ドワーフか! よかろう! かつての同族のよしみだ、俺が工匠神の元に送ってやる! 最初の火の炉で薄汚れたその身を清めるがいい!」
カドモフさんが珍しく戦闘中に吠えると、同じくらいの背丈の “ドワーフ戦士” 全員を向こうに回して、大立ち回りを演じています。
レットさんは、“武器を持った男” を三人。
ジグさんは身軽さを武器に、残りふたりをどうにかあしらっています。
「フェルさん、パーシャをお願いします!」
わたしは意識のないパーシャをフェルさんに託すと、 戦棍と盾を手にジグさんの加勢に向かいました。
これで四対九!
レベルはこちらが三倍以上です!
手傷は負うでしょうが、なんとか押し切れるはず!
ですが――!
「――レット! 新手の足音が近づいてる!」
フェルさんが、ぐったりと弛緩したパーシャを抱き起こしながら叫びました。
剣戟の響きに紛れて接近する別の跫音を、エルフの聴力が聞きつけたのです。
遭遇戦直後の遭遇。
迷宮ではままあることですが――なにもこんな時に起きなくても!
「レット、まずいぞ!」
「カドモフ、血路を開くぞ! ジグはパーシャを! エバ、フェルは加護で掩護だ! 突破する!」
レットさんは即座に逃走を選択しました。
このままでは二階にも下りられないまま、追い詰められてしまいます。
“死人使い” が六人もいる敵です。知恵が回ります。
あのまま縄梯子を下りていたら、間違いなく梯子を落とされ全滅していたでしょう。
殲滅を選んだ、レットさんの判断は正しかったのです。
それなのに――。
(……流れが、変らない!)
わたしは戦棍を振るって間合いを取りながら、歯を食いしばりました。
対集団攻撃の要であるパーシャが人事不正な今、新手が現われる前にこの玄室を出なければ――あるいは、全滅です!







