蛇行迷宮
「――そんじゃ、三箱目を被せてみるかいね」
アッシュロードが踏破区画のマッピングを終えたのを見計らって、ドーラが眼前に拡がる広大な空間に顎をしゃくってみせた。
これまでの階層の癖から考えて、一〇メートルも歩けばまた背後に壁が現われるだろう。
壁が現われればそれに沿って探索し、何もなければまた新たな壁を出現させる。
難しいことは何もないが、なんとも人を小馬鹿にしたような階層だ。
「ミミズの頭を切り落としたくなるね、まったく」
“首狩猫” にかかれば、“世界蛇”も長虫に格下げである。
「ミミズに頭があるならな」
アッシュロードはたったいま地図を描き込んだばかり羊皮紙を巻くと、腰の雑嚢にしまい込んだ。
前後を仲間に守られているフルパーティの地図係と違い、地図を出しっぱなしでいられる身分ではない。
“悪” のバディは、東に延びる長大な内壁に沿って進んだ。
一区画ほど進んで後ろを振りかえると、やはり新しい壁が出現していた。
一階への縄梯子があった座標に、三箱目が被されたのだ。
出現した壁に沿って北に進み、端まで来ると西に折れて、北に延びるもうひとつの長大な内壁を目指す。
やがて内壁に行き着いた。
この壁沿いにも何もなかった。
さらに内壁に沿って北に進む。
一区画進んだところで、背後に四箱目が被せられた。
四箱目に沿って、東に進む。
これの繰返しだ。
しかし……この箱には差異があった。
四度出現した壁に沿って東に引き返していくと、壁が南に折れている座標にそれはいた。
魔物との遭遇!
フォワードのドーラとバックアップのアッシュロードが、得物を手に同時に身構える。
襲い掛かってはこない。
しかし、ふたりは共に “悪” の戒律に従う探索者である。
たとえ友好的な魔物でも、容赦はできない。
攻撃してこないことを幸いに、斬り捨てるまでだ。
だが……。
「――あんた人間みたいだね。こんなところで何してるのさね?」
目の前に現われた年老いた男に、ドーラが剣先を向けたまま油断なく訊ねた。
男は白髪白髯で、見慣れぬ僧衣を着ていた。
僧衣とは言っても、カドルトス寺院の強欲坊主がまとっているようなケバケバしい法衣ではなく、修道士が身に付けるような極々質素なものだ。
その衣も薄汚れているうえにボロボロで、老いた男以上に歳月を重ねているようだった。
「……冒険者か……久方ぶりだな」
ややあって、しゃがれた見た目以上に老いを感じさせる声が返ってきた。
「……わしは……探しておる……もう気の遠くなる月日、探し続けておる……」
「探してるって何をだい?」
「……わからぬ……わからぬから……探しておるのだ……」
アッシュロードとドーラは顔を見合わせた。
どうも狂人の類らしい。
しかし、ただ頭がおかしいだけの老人が、気の遠くなる月日迷宮内を彷徨っていられるわけがない。
((……仕掛けか))
アッシュロードとドーラの頭に、同じ考えがよぎった。
老修道士が言葉通りの月日をこの迷宮で過ごしているのなら、迷宮支配者である “真龍” の加護を受けた存在だろう。
だとするなら、何かしらの役割を与えられたキャラクターであり、このキャラクターの期待に応えない限り道は拓けない。
元々この “龍の文鎮” という迷宮は、“真龍” が自分に謁えるにたる人間を選別するために造ったと伝えられている。
世界蛇とも呼ばれ、この星の意思とも言われる最古の龍を拝したければ、希望者は己に資格があることを示せというわけだ。
見返りは巨万の富とも、不老不死の命とも、神をも凌ぐ叡知とも言われるが、どれもお伽噺の域を出ない口伝に過ぎず、迷宮も近郊にある城塞都市 “リーンガミル” の冒険者たちが、低層階を日銭稼ぎのハクスラに利用している程度である(それも実入りが悪く、人気がない)。
この年老いた修道士姿の男は、あるいは “真龍” が設置した謎かけの類なのかもしれない。
「例え話として聞いておくれ。仮にあたしたちが、あんたの探し物とやらを見つけてきたら、礼はしてもらえるんだろうね?」
「……誠意ある行いには、報酬を以て報いるだろう」
「それで、その報酬ってのはなんなんだい?」
「…………報酬を以て報いるだろう」
「~どうやら、そっちの方も覚えてないみたいだね」
ドーラは、小さくため息を吐いた。
あまりにも長く迷宮に留め置かれたせいか、すっかり耄碌してしまっているらしい。
もはや、“謎かけ” どころか “お使い” にもなっていない。
首狩猫は本当に、“世界蛇” の頭を切り落としたくなった。
◆◇◆
「……北の外璧と西の外璧が交わってる」
「……ああ、北西の角で間違いないな」
フェルさんの呟きに、ジグさんが疲れた声で同意しました。
パーティの視線の先には、天井から垂れ下がっている上層への縄梯子。
「……少し、休もうよ。戻るにしても元気がないよ」
グッタリした様子で、パーシャが提案します。
小さい身体は抜群の瞬発力を誇りますが、持久力はあまりないのです。
そして戻らなければならない道程の長さを考えれば、気が重くなるのも仕方がありません。
わたしたちは今日何度目かのキャンプを張り、体力となにより気力の回復を図りました。
魔方陣の内側に車座に座ると、皆が背嚢から口糧を取り出して、もそもそと口にし出しました。
出発前に輜重部隊から分けてもらった、カチカチに焼き固めた堅パンです。
無言で歯が欠けるのではないかと思えるような保存食を囓りながら、全員の目が中央に広げられた地図に注がれています。
「……何も、間違ってなかったよね、あたいたち」
ゴクリと大きな嚥下音を鳴らしたあと、しばらくしてからパーシャが発言しました。
「……南東の角に戻りたくて彷徨ってるうちに、北西の角にきちまったんだからな」
答えになってない答えを返す、ジグさん。
誰も何も答えないのでは、パーシャが可哀想だと思ったのでしょう。
「……」
わたしは黙って地図を見つめます。
南東の角から描かれ始めた地図は、南東区域を埋めたあと南西に拡がり、そこから今度は北東に、そしてさらに北西に拡がり、最終的に北西の角に到達しています。
引き返した方がいいのでは……?
と思った直後に、一方通行の扉や転移地点 に足を踏み入れてしまい、戻れなくなってしまう。
リカバーのために周囲を探索していると、さらに奥へと入り込んでしまう。
それを繰り返しているうちに、わたしたちはついに南東の角から北西の角へ……階層を対角線上に移動してしまったのです。
「……むしろ、よく全滅しなかったわよね」
フェルさんの声には、まだ元気がありません。
迷宮を彷徨った距離を考えれば、そう思うのも不思議ではありません。
「……俺たちも腕をあげているからな」
答えたカドモフさんの声は普段と変りありませんが、解せぬ……といった響きがあります。
すべての戦いにほぼ危なげなく勝利したというのに、パーティは追い詰められてしまったのですから。
「……階層の中央に二×二の玄室があります。これを越えたとき、少しだけ迷宮の構造が変化しました。目的地に近づいているように錯覚してしまって、引き返すという発想が湧かなかったのです。本来なら目的地から遠ざかっていると考えるべきでした」
わたしは淡々とした口調で、自分たちが陥った心理的な穽計を説明しました。
「……道理だ」
むぅ……とカドモフさんが納得したように唸りました。
「……最初に西に行くべきだった」
零れたレットさんの呟きには、後悔が滲んでいました。
地図の南西部分に、一方通行の扉によってわたしたちが最初に退路を断たれた区画があります。
あの時レットさんは、近くにあった北の扉から調べる判断を下しました。
少し離れた西の扉を調べていれば、あるいは帰路を見つけられたかもしれないと言いたいのです。
「それは結果論ですよ。あの時点でこの階層が、こんな風に蛇行しているなんてわかりませんでした」
そうなのです。
この第二階層は、まさに蛇行する蛇のような形をしていたのです。
北西部を頭とするなら、そこからやや南寄りの北東に、それから今度はさらに南寄りの南西に、そこからさらに南寄りの南東へと、侵入可能な区域が文字どおり蛇行しているのです。
「蛇頭の先端に上層への梯子が、尾の先に一階への梯子があるってわけね……見れば見るほど、まるで小さな蛇が群がり寄って大蛇になっているように見えるわ」
嫌悪感の籠もった、フェルさんの声と視線。
地図の上に浮かび上がったこの階層は、まさしくフェルさんの述懐どおりの構造をしていました。
「だが、この迷宮は不定形じゃなかったよな? この北東と南西にポッカリあいた未踏破区域には、どうやって行くんだ?」
ジグさんが身を乗り出して、地図の空白部分を指差しました。
この迷宮は二〇×二〇区画の正方形をしているはずです。
これまでの踏破部が蛇行した形をしているなら、当然空白の部分が出来るのです。
「この階層が “蛇” を模しているなら、最初に向かわなかったこの南西区域の未踏破区画に、進入路があるのかもしれないな」
ジグさんに代わって、レットさんが地図の一点指し示しました。
そこは “蛇” のお腹にあたる部分で、そこだけが欠けているのでした。
「そして帰路も」
「ああ」
それまで黙っていたパーシャが呟き、レットさんが頷きました。
どうやら、次に目指すべき地点は決まったようです。
「魔法使いは、少し眠ってくれ。精神力は回復しないだろうが、頭がスッキリするし気力も戻るはずだ」
「そうですね。急いだところで何が変るわけでもないでしょうし」
毒に冒されている人がいるわけでもなく、食料や水が不足しているわけでもありません。
仮眠を摂って、英気を養ってから出発しても問題ないでしょう。
「――まって、どうやらその暇はないみたいよ」
不意にフェルさんが、東に延びる回廊の先を険しい表情で見つめました。
それから目をつぶり眉根を寄せて、神経を集中しています。
エルフの鋭敏な聴力が、何かを聞き取ったようです。
「敵か?」
「ええ……それもかなり多いわ。人型が少なくても二〇以上」
「複数グループだな。“修道士”、“浪人”、“武器を持った男”.“魔女” もいるかもしれん」
「もう “滅消” がないよ!」
「……どうする? やるのか?」
フェルさん、ジグさん、パーシャ、そしてカドモフさんが、レットさんを見つめます。
「いや、今戦うのは無理だ。一旦やりすごそう」
そういって、レットさんが天井から垂れ下がっている縄梯子を見やりました。
一時的に上層階へ待避して、魔物の大集団をやり過ごそうというのです。
それは正しい判断でした。
ですがこれまでの流れから、わたしは危機感を覚えました。
(レットさん、それではまた同じことの繰返しでは? ここは蛮勇を振るってでも、強行突破を図るべきでは?)
しかし、我ながらそれは暴論でした。
これから戻らなければならない長い道のりを考えれば、戦闘は極力避けなければならないのです。
レットさんの判断は、まったく正しいのです。
そして……その正しい判断が、またしてもわたしたちを窮地へと追い込んでしまうのでした。
その場その場の正しい判断の積み重ねが、より大きな過誤を……危機を招く。
まるで……魔魅に憑かれたように。







