上層探索
梯子を登り切ると、初めて目にする階層がそこにありました。
前方に真っ直ぐ伸びる、一区画幅の回廊。
第一階層よりいくぶん湿度の低い、それでも肌にまとわりつくような空気。
遠くに聞こえる、怪鳥の啼き声。
岩山の迷宮 “龍の文鎮” の第二階層です。
「声は聞こえないな」
こういう時、口火を切るのはこの人と決まっています。
短剣を逆手に構えたジグさんが、周囲を警戒しながら呟きました。
ジグさんのいう “声” とは、数日前にアッシュロードさんとドーラさんが聞いたという、おそらくはこの迷宮の支配者である “真龍” の声です。
“ここは汝らの立ち入れぬ所、早々に立ち去るがよい!”
爆発炎上する地下要塞から命からがら逃れてきたアッシュロードさんたちは、頭の中にこの声が響いた直後に、“湖岸拠点” に転移させられたのでした。
「やっぱり、あたいらが “善” のパーティだからかな?」
キョロキョロと辺りを見渡しながら、パーシャが誰ともなしに言いました。
一緒にいた “中立” のカドモフさんは聞いてないことから、トリニティさんは “ 悪” の戒律の者が立ち入れない階層” なのでは? ――との推論を立てていましたが、正鵠を射ているのかもしれません。
わたしはほんの少し前に、階下で交わしたアッシュロードさんとの会話を思い出しました……。
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『その正面にある扉を開けて垂れている梯子を登ったら、俺とドーラは拠点に転移させられていた。ひとつ北にある扉の奥にも梯子が垂れていて、そっちを登ったら転移はなく、第三層に辿り着いた。さらに北の扉には梯子はないが魔方陣があって、足を踏み入れた途端やはり拠点に送り返される。俺たちは昨日は、その魔方陣で帰ってきた』
焼け焦げた要塞の深奥。
首領の部屋の奥には、北から南に四つの扉が並んでいました。
一番北が、魔方陣によって湖岸拠点に転移させられる扉。
二番目が、中にある梯子で第三層に登れる扉。
三番目が、首領の部屋を出てすぐ目の前にある扉で、中にある梯子を登った途端、“真龍” の警告と共にアッシュロードさんとドーラさんが拠点に送り返されたものです。
四番目が一番南の扉で、ここには特に何もありませんでした。
『俺たちは二番目の扉から三層の探索に向かう。おまえたちは三番目の扉の梯子を登って、拠点に転移させられるかどうか確認しろ。トリニティの考えが正しければ何も起こらないはずだが、その場合は――』
『探索を続行する』
レットさんが頷きます。
壁も、床も、天井も、すべてが炭化し黒ずんだ地下の大要塞。
要塞中を駆け巡った爆圧によって、扉という扉はすべて吹き飛んでいましたが、堅牢無比な造りの内壁が崩れることは辛うじてありませんでした。
目の前に並んでいる四つの扉が原形を留めているのは、“真龍” の加護のなせる業だと思われます。
『――よし、始めるぞ』
アッシュロードさんが背を向けました。
猫背気味の背中に、昨日と同じように無事を願う祈りを捧げます。
“善” と “悪” で別れた階層。
ここからは、お互いに何かあっても助けに行くことはできないのです……。
祈りが終わらないうちに、つと眼前の背中が立ち止まりました。
振り返ったアッシュロードさんが、わたしと――フェルさんを見やります。
視線を感じて、ふたりの僧侶が顔をあげました。
フェルさんもまた、アッシュロードさんに祈りを捧げていたのです。
『あ~、晩飯で会うぞ』
猫背の君主さんはそう言い残すと、そそくさとふたつ目の扉を開けて中に入ってしまいました。
『『ぷっ!』』
思わずフェルさんと顔を見合わせて、吹き出してしまいました。
なんて様にならない人でしょう!
仮にも好かれている女たちに言葉を残すのです。
もう少し言いよう、やりようがあるでしょうに。
でも……らしいです。とても。
(ええ、晩ご飯で会いましょう。誰一人欠けることなく)
そうして、わたしたちは今度こそ散会し、それぞれの戒律にのみ許された階層へと赴いたのです。
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「――ずいぶんと分かりやすい階だね。“E19、N0”、つまり南東の角っこだよ、ここ」
第一層から繋がる梯子の前で “座標” の呪文を唱え終えたパーシャが、どこか気勢を削がれたような表情を浮かべました。
「分かりやすくていいじゃねえか」
「だから、そういったじゃない!」
身も蓋も底もないジグさんの言葉に、くせっ毛の女の子が嵐を吹きます。
「階層は?」
「二階」
レットさんの問いに、ジグさんに向かって “イーッ!” をしながら答えるパーシャ。
「つまり “悪” は三階。“善” は二階というわけか」
「実に面白い」
「「「「「……」」」」」
芝居がかったわたしの言葉に、みんなの視線が集中します。
「わたしの好きなドラマのセリフなんです」
「いいぞ、聖女さまがノッてきた」
ジグさんがおどけて冷やかし、フッと笑みを零したレットさんが、すぐに表情を引き締めて、いつものように探索の開始を宣言します。
「――よし、行くぞ」
西へ真っ直ぐと延びる一区画幅の通路を、ジグさんを先頭に慎重に進みます。
途中でふたつ並んだ扉を発見しましたが、すぐには入らず、まずは回廊の終端を目指します。
わたしたちのやり方で、こうすることで迷宮の “アウトライン” を明確にしていくのです。
回廊は四区画進んだところで北に折れ、さらに四区画進んだところでまた西に折れました。
そこからまた四区画、北に一区画、西に一区画で、回廊は終わりました。
突き当たりの西は内壁で、北と南に扉があります。
ここでわたしたちは、やり過ごしてきた扉を調べるために、回廊を引き返しました。
“アウトライン” を明確にするには、まず外璧に近い区域からマップを埋めていくのです。
パズルを外枠から作っていくのに似ています。
やがて回廊の北側の壁に、先ほどスルーしたふたつ並んだ扉が見えてきました。
セオリーどおり、まず外璧に近い東側の扉から調べていきます。
それからわたしたちは幾たびか魔物の群れと遭遇し、これを退けつつ探索を進めていきました。
現われる魔物は人型が多く、そのモンスターレベルはどれも2~3程度で、今のわたしたちから見れば脅威ではありません。
ですが、徒党を組んでいる上に呪文や加護を唱えてくる敵も多く、なにより “妖獣” と同化しているのではないかという、心理的な重圧があります(幸いにして、どの敵も寄生されてはいませんでした)。
パーシャが “焔爆” を二度、わたしとフェルさんがそれぞれ “棘縛” と “静寂” を一度ずつ使ったとき、南東区域のマップの大半が完成していました。
あと調べてないのは、 最初の長い回廊の終端にあった南側の扉だけです。
それ以外はすべて行き止まりで、先に進む経路はありません。
負傷している人はなく、呪文も加護も、まだ回数を残しています。
特に切り札とも言える “滅消” の呪文は、温存されたままです。
ここで探索を切り上げる判断はありえません。
迷宮探索の経験を積んできた、パーティの誰もが思いました。
ですから、この時点での “まだ行ける” は、“本当に行ける” だったのです。
“フレンドシップ7” に結成以来、最大の危機が訪れるのでした。







