ドラゴンクエスト
わたしたちはアンの用意してくれた朝食もそこそこに、本部に向かいました。
拠点のほぼ中央に張られた野営用の大きな天幕で、“リーンガミル親善訪問団” の首脳部がこの異常事態の対応に当たっています。
天幕には、トリニティさんを筆頭に主立った首脳陣が集まっていました。
他にも臨時にトリニティさんの補佐官を務めているハンナさんや、護衛の混成中隊を編成する各小隊長の皆さん。
それに “緋色の矢” の六人の女性探索者がいます。
そしてわたしたち “フレンドシップ7”と、アッシュロードさん&ドーラさん。
野戦時の司令部としても使う特大の天幕でしたが、さすがにこの人数では狭苦しく感じます。
湿気の籠もりやすい地下迷宮なうえに、地底湖湖岸に設営された拠点です。
湿度が酷すぎるので、少しでも通気性を良くするために垂れ幕は上げられ、代わりに周囲から耳目を遠ざけるために、警備の近衛騎士が厳重に配置されていました。
全員の肌にジットリと不快な汗が浮かぶ中、報告と情報の共有がなされます。
重要な報告は、昨日帰還してすぐにしていましたが、再度より詳細に説明がなされます。
「……地下要塞の “海賊” と、他の生物と同化し記憶を奪う新種の魔物か」
レットさんやドーラさんから一通り報告を聞き終えたトリニティさんが、執務机の上で組んだ手に顎を乗せて考え込みました。
「諸君らが遭遇した海賊は、地理的に “アバナシアの海賊” と見て間違いないだろうな。長年にわたるリーンガミル海軍の掃討作戦にも関わらず、撲滅がなされなかったのは、つまりはこういうわけだったか」
「まったくの諜報不足さね。いくら根城とされている “アバナシア群島” を焼き払っても、本隊は巨万のお宝と一緒に別の場所に温存されてたってわけだからね」
なぜか苦々しげな様子のドーラさん。
「最初は遭難者が偶然見つけた地下迷宮だったんだろう。それから何十年もかけて、あの “隠し砦” を築き上げた。途中にある掘建て小屋は、最初に遭難した海賊たちのもんだろうな」
「……あの掘建て小屋が何十年も前の物?」
アッシュロードさんの言葉に、怪訝な顔を向けます。
この湿度の地獄で?
さすがにそれはないでしょう。
それなとっくに腐って跡形もなくなってますよ?
「ここは地下迷宮だ」
しっかりしろ――的な口調で返されて、ハタと気づきます。
そうでした。
ここは空間が歪んでいる地下迷宮。
それは “次元連結” している構造からも明らかです。
空間が歪んでいるということは、時間も歪んでいるということ。
「そ、それじゃ――」
「ああ、開けてビックリ玉手箱さ。ぐずぐずしてると、ここが俺たちの竜宮城になっちまう」
聞き慣れぬ単語に、皆の視線がアッシュロードさんに集まります。
アッシュロードさんも、自分がなぜそんなことを言ってしまったのか分からないようで困惑しています……。
「その問題は我々も認識している。急いでここを脱出しなければ外界では歳月が経ってしまうかもしれない。 “親善に派遣した外交団がリーンガミルで行方不明” なんて騒ぎになってしまったら、帝国とリーンガミルは一触即発だ」
気性、怜悧にして烈火の如し。
武を嗜み、乱を好み、戦を愛でる。
その身、常に馬上にありて、征途をゆく。
……あのトレバーン陛下が、そのような事態を黙って見過ごすわけがありません。
静なら静。動なら動で、必ず何かしらの動きを採られるはず。
どちらにせよ、行き着くところは…… “戦争” です。
「……この迷宮を出るには、使命を果たすしかありません」
「聞かせてくれ、聖女殿」
我知らず漏らしてしまったわたしを、トリニティさんがうながします。
わたしは頷き、今度こそ自分の意思で語りました。
「わたしたちは、この迷宮の支配者にして星の意思 “真龍” に召喚を受けています。真龍はわたしたちに、この迷宮内に巣くう“妖獣” の討滅を望んでいるのです」
それは半ば、予想されていたことでした。
一〇〇〇人もの訪問団をまるまる迷宮内に “転移” させるなど、神や魔王以外に、世界蛇以外の何者に可能だというのでしょうか。
ですから、問題は残り半分の方なのです。
「その “妖獣” とは、いったいどんな魔物なのだ? 人と成りかわるというが、“変身獣人” の類いなのか?」
“緋色の矢” を束ねるスカーレットさんが、困惑げな顔で訊ねました。
「“変身獣人” はあくまで襲った相手を殺して、その姿を真似る魔物です。ですが “妖獣” は違います。“妖獣” は襲った相手と同化して、記憶ごと乗っ取るのです。同化されてしまった人間は、知識や思い出を持ったまま、本人以外の “何か” になってしまうのです」
「自分の意思は残らないのか?」
「完全に同化されては無理でしょう。わたしたちが遭遇した海賊たちには、知識はあっても、怒りや怖れといった人としての感情がまったくありませんでした。あれは人の形をした、人以外の “何か” です」
頭を振って答えるわたしに、スカーレットさんだけでなく天幕にいた大勢の人間が嫌悪感に顔を歪めました。
「しかしそんな魔物がいるなんて聞いたことがないぞ? レイン閣下の仰有るとおり新種なのか? この迷宮だけに生息する?」
疑問を口にしたのは、近衛小隊を預かる騎士の方でした。
近衛騎士とは言っても元はわたしたちと同じ探索者で、アッシュロードさんたちの後に “紫衣の魔女” を討滅した古強者です。
魔物への警戒心は、普通の騎士の比ではありません。
「“妖獣” は、この世界の生きものではありません」
「?」
「“妖獣” は流れ星に乗って、他の天体からやってきたのです」
多くの人が、キョトンとした表情を浮かべています。
わたしは手短に、この世界が宇宙という広大な空間に浮かぶ世界のひとつでしかなく、夜空に瞬く星々にもまた、別の世界があるかもしれないと話しました。
「“真龍” は、この星の意思。でもだからこそ、他の星からきた “妖獣” を御することが出来ないのです。“真龍” はせめて世界に “妖獣” を放たないように、この迷宮を閉じました。一匹でも外に出してしまえば……世界は滅びます」
それは宣託によって、あの炎燃えさかる城門の前で伝えられた事実でした。
“妖獣” を一匹でも外界に出してしまえば、人という人、生きものという生きものと同化して次々に数を増やしていき、やがてこの世界に生存するすべての生命を呑み込んでしまうのです。
「……つまり、あたしらは世界蛇ですら手に負えないやっかいな魔物を、この迷宮から一匹残らず駆逐しない限り、ここから出られないってわけかい」
ドーラさんの嘆息混じりの言葉を最後に、重苦しい沈黙が垂れ込めました。
「……だが殺せない相手じゃない」
その沈黙を破ったのは、黒衣の筆頭近衛騎士でした。
「石化に再生とやっかいな能力を持ってはいるが、呪文も竜息もねえ。むしろ不意打ちさえ喰らわなきゃ与しやすい相手だ」
この時点でもっとも多く “妖獣” を屠っているアッシュロードさんが、そういって現在判明している限りの特徴を説明します。
「触手から触れた相手を石化させる分泌物を出す。体液も同様だ。剣で切り刻むのは得策じゃないが、“神癒” があるなら一番手っ取り早くもある。ないなら炎が有効だ」
得体の知れない未知の脅威ではなく、あくまで新種の魔物として意識する。
問題を具体的に。
輪郭を鮮明に。
この人のいつもの思考法です。
「“滅消” は効かないが、耐呪能力はない。焼き放題だ。ビビるな」
「アッシュロード卿の言うとおりだ。未知なる敵だからといって過度に怖れることはない。怖れとは無知なるが故の感情だ。情報を集め、分析し、知識を蓄えていけば、いずれ既知の魔物となる」
「戦えて殺せるのはわかった。だが具体的にどう殲滅する? どうやってこの迷宮から駆逐する? この広大さだ。“|サーチ・アンド・デストロイ《見つけ次第駆除》” では、効率が悪すぎるぞ?」
「「「「「「「「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」」」」」」」」
「――それについては、あとで考えることにしよう。確かに “妖獣” は難敵・難問だが、今の我々にはもっと差し迫った問題がある」
スカーレットさんの言葉に全員が再び押し黙ったとき、トリニティさんがさらなる脅威の出現を予感させました。
「これ以上、何が出てきても驚かないよ。お次はなんだい? また悪魔かい? それとも巨人かい? あたしが頚を刎ねてきてやるから言ってみな」
「尾籠な話で恐縮だが……」
ドーラさんにうながされ、クソ真面目な顔で続けるトリニティさん。
「排泄問題――トイレだ」
これまでで一番重苦しい沈黙が垂れ込めました。
それは……確かに問題です。







