マンチキン
アッシュロードは石と化した扉への無駄な抵抗を諦め、力なくドワーフの足元に立った。
右半身が石になったドワーフを無言で見下ろす。
左半身だけで北側の壁際に待避していたドワーフの視野には、火薬庫の扉が入っていた。
カドモフは自由になる左腕を持ち上げ、火薬庫の反対側――城門に続く通路の先を指差した。
「ガキが。二〇年早いってんだよ」
一六のがきんちょに “俺を置いて先に行け” と言われるとは、まったく自分も歳をとったもんだ。
アッシュロードは、可笑しいやら、情けないやら、なぜか少しだけ誇らしいやら、複雑怪奇な思いに囚われた。
保険屋の頭は一時の混乱を脱し、猛烈な勢いで “悪巧み” を始めていた。
この期に及んで――いや、この期に及んだからこそだ。
知識と経験。
ここに来るまでに得た情報。
洗いざらい引っかき回して “悪巧み” は練れた。
「方法がないわけじゃない」
感情の籠もってないアッシュロードの言葉に、カドモフが目だけで頷いた。
「おまえを殺す」
やはり目だけで了承する、カドモフ。
「おい、少しは驚くなり狼狽するなりしろ。可愛くねえぞ、おまえ」
純一のドワーフ戦士に可愛くねえぞもないもんだ……と肩を竦める思いだったのは、カドモフの方である。
「禁じ手だ。“石化”の状態異常をより上位の異常である “死” で上書きする。その後に俺の加護で蘇生させれば、お前の石化は解ける。蘇生に失敗すれば “灰” になっちまうが――それならそれで持ち運びが楽だ」
「……」
カドモフは呆れた。
いったいこの男の頭は、どういう仕組みになっているのだろうか。
この世界の “理” を、まるで逆手に取るような “悪巧み” ではないか。
「“灰” になったおまえを元に戻せるのは、ここじゃトリニティか “緋色の矢” のノエルだけだ。……最悪、おまえの死をあいつらに背負わせちまうかもしれん」
ドワーフの瞳にようやく躊躇いの色が浮かんだのを、アッシュロードは見て取った。
「ま、しばらく皮袋の中で我慢してくれるなら、ここを出た後に寺院の生臭坊主どもに任かせてもいいけどな――そっちがいいのか?」
そっちで頼む――と、心優しきドワーフは答えた。
「……わかった」
アッシュロードはそういうと、腰の剣帯に手挟んでいた+2相当の魔法の短刀を引き抜き、未だ生身のままのドワーフの頸動脈に当てた。
「運が良かったな、おまえ。左半身だったら心臓が石になってて即死だったぞ」
◆◇◆
「どうする、レット!? 斬り込むか!? それとも――」
そういって、ジグさんがチラリとわたしとフェルさんに視線を向けました。
それとも……?
それとも、なんです? ジグさん?
その視線の意味はなんです?
嫌ですよ……そんな……。
そんな真似、出来るわけないじゃないですか……。
だって……だって……。
中にはまだ、あの人たちがいるんですよ……。
わたしはすがるような視線を、レットさんに向けました。
ジグさんが言いたいことはわかります。
“炎の魔法はもう尽きた”
“石化のある相手に斬り込みはできない”
“だから――もうカドモフとアッシュロードを見捨てて、城門を閉ざすしかない”
……と。
レットさんは無言で 剣の切っ先を、不定形の動きで徐々に近づいてくる四体の “妖獣” に向けています。
このままではすぐに城門を抜けて、要塞の外に出てしまいます。
レットさんの頭の中では、全員が助かるためのありとあらゆる方法が考えられているはずです。
七人全員が助かる方法が。
それは……苦渋の決断を迫られているレットさんへの、精一杯の友情の発露だったのでしょう。
レットさんが逡巡しているであろう言葉を、ジグさんが先に口にしました。
「――レット、扉を閉ざそう」
「!? 何を言っているの、ジグ! 中にはまだグレイとカドモフがいるのよ!」
あんまりな意見に、顔色を変えて食ってかるフェルさん。
「だが、戻ってこない! このままじゃ、奴らが要塞の外に出ちまう! あのふたりが火薬庫に花火を投げ込めたかはわからねえ! でももし投げ込んでいたのなら、ここで城門を閉ざさないと奴らの仕事が無駄になっちまう!」
「そのためにふたりの命を無駄にするわけ!?」
「男なら仕事を取る! この仕事をやり切れたら死んでもいいと思えるのが男だ!」
「こんなときに性差を持ち出さないで! 撤退すればいいじゃない! ここは撤退して拠点に戻って守りを固めるのよ!」
「海賊たちを見てみろ! こんな大要塞に隠れていながら “頭” をそっくり乗っ取られちまったんだぞ! あんな開けた場所で守り切れるものか!」
「だからって!」
ふたりが言い争っている間も、レットさんは考え続けていました。
そして、わたしも。
(……何か、何かあるはずです! 全員が、みんなが助かる方法が何か!)
撤退は、より大きな回避不能な破滅への一本道です。
ジグさんの言うとおり、迷宮の他の魔物や動物と同化した “妖獣” を、あの場所で防げるわけがありません。
一〇〇〇人もの人間がいるのです。
食料の調達、水汲み、用足し――闇に紛れた “妖獣” が忍び寄る隙は、いくらでもあるのです。
この四体の――いえ、もしかしたら要塞内に他にもいるかもしれない “妖獣” は、絶対にここで食い止めなければなりません。
(でも、でも、どうすればいいの!? 呪文も加護も尽きたわたしたちじゃ、火力が足りない! 倒しきれない! 接近戦を挑めば石にされてしまう! いえ、それどころか同化されてしまうかも!)
そして、わたしたちの姿と意識を乗っ取って拠点に戻られたら――。
残された方法は “障壁” の加護で城門を封鎖すること。
でも、中にはまだカドモフさんが――あの人がいるのです。
(だから――だから言ったのです! あなたはあの油と相性が良すぎるって! わたしも一緒に行くって――逝くって! だからあれほど言ったのです!)
今は冷静になって、無限のリソースを使って “悪巧み” をしなければならないのに、わたしの心は千々に乱れて、何も思い浮かびません。
そしてわたしが狼狽えている間に、四体の “妖獣”はいよいよ城門から潜って要塞の外に出ようとしていました。
「――フェル、エバ、リーダーとして命令する! すぐに城門を封じろ!」
血涙を吹き零すような、血反吐を吐くような、そんな苦渋に満ちた声で、レットさんが命令しました。
いつものような指示ではありません。
反論を許さない、厳しい口調で明言した命令――厳命です。
「嫌、嫌……そんなの絶対に嫌……」
フルフルと顔を振って、いやいやをするフェルさん。
「命令だ、フェル! ここで奴らを封じないと、訪問団一〇〇〇人が全滅する! いや、それだけじゃない! もし一匹でもこの迷宮から出せば、世界が滅ぶ!」
「嫌ったら嫌っ! 絶対に嫌っ!」
「頼む、フェルッ! エバッ! 世界を――アカシニアを救ってくれ!」
ついに泣き出してしまったフェルさんに、レットさんが悲痛極まる表情で懇願します。
それは自分の命と引き換えには、絶対に顔には出さない表情、口はしない言葉でした。
でも――ごめんなさい、レットさん。
わたしは世界よりも、あの人が大切なのです。大事なのです。愛しているのです。
だから――。
「わかりました。ただし、扉は内側から封じます。わたしは一度、愛する人を炎の中に置き去りにしました。もう一度同じ後悔はしません」
わたしは進み出ると、苦悩するリーダーに申し出ました。







