苦渋
「ネームドなのか!」
「…… ネームドはネームドだが、海賊じゃないみたいだぜ」
驚くレットさんに、ジグさんが嫌悪感も露わに答えました。
四人の海賊船の船長の背中から、無数の細く長く鋭い触手が生えて、ヒュンヒュンと通廊の空気を切り裂いていました。
「…… “妖獣” が四体も!」
顔から血の気が引きました。
首領の背後に控えていた船長たちは、全部で五人。
そのうちの四人が “妖獣”に同化され、乗っ取られていたのです。
首領も含めて、おそらくここにいない残りの船長もおそらく――。
「幹部を乗っ取って、海賊たちを支配していたのね」
わたしの考えを、やはり嫌悪感の籠もった声でフェルさんが代弁してくれます。
「接近戦は駄目です!」
鋭い声で注意を喚起します。
わたしもフェルさんも、まだ石化を治療できる “神癒” の加護は授かっていません。
石化は有機物・無機物関係なく、文字どおり石にしてしまう凶悪極まる特殊攻撃です。
分泌する体液に触れればよほど運がよくないかぎり、鎧の装甲や帷子の鎖ごと彫像になってしまうのです。
「わかっているが――」
前列中央を守るレットさんの横顔に、苦渋の色が浮かびます。
残る集団攻撃魔法は、
パーシャの “焔嵐” が×1
フェルさんの “焔柱” が×2
“焔柱” と同威力の “慈罰” を計五回嘆願して、ようやく倒せた相手だということは、要塞を脱出するまでの間にみんなに話してあります。
「……あいつは外に出せねえぞ。もし一匹でも出せば……」
ジグさんが呻きました。
そうです。
それだけは絶対に出来ません。
もし一匹でも要塞の外に逃してしまえば、その一匹は迷宮に生息する魔物や動物と同化し、無限に数を増やしていくでしょう。
そしてやがては地底湖で拠点を築いている訪問団の人々に、暗闇から触手を伸ばすのです。
「――パーシャ! フェル! 残ってるありったけの炎の魔法を叩き込め! 絶対にここから出すな!」
レットさんが決断しました。
探索者にとって、持てる集団攻撃魔法をすべて使い切ってしまうのは、悪手も良いところです。
帰路に多数の魔物と遭遇しないとは限らないからで、古強者なら厳に戒める行いです。
ですがその鉄則を破ってでも、今は燃やさなければならないのです。
「音に聞け、ホビット灼熱の呪文――」
「慈母なる女神 “ニルダニス” の熱情もちて――」
「“焔嵐” !」
「“焔柱” !」
パーシャとフェルさんの炎の魔法が、四体の “妖獣” に向かって解き放たれました。
パーシャの現出させた紅蓮の猛炎が “妖獣” たちの中心で吹き荒び、フェルさんが呼び起こした聖焔の柱がその足元から噴き上がります。
「――ニルダニスよ、今一度、御加護を!」
さらに、フェルさんが最後の “焔柱” を嘆願して、追撃を加えます!
轟っ!!!
城門から噴き出た高熱と轟音の余波が、わたしたちの肌を、鼓膜を襲います。
浮いていた珠の汗が一瞬で蒸発し、産毛が縮れ、わたしは顔前に盾をかざして身を守りました。
轟音が鼓膜を乱打します。
「やったか!?」
やはり顔先に盾をかざしたジグさんが、小盾の陰から灼熱地獄と化している城門内部をのぞき込み、叫びます。
「いや――まだだ!」
「……ああっ」
劫火の中から姿を現す、四つの人型。
歩を進めるたびに、炭化した皮膚がボロボロと剥がれ落ち、鮮やかなピンクの組織が露出します。
やがて人の形そのものがグズグジュと崩れ、本来の不定形の物体と成り果てたそれが、軟体質な身体を引きずるように近づいてきます。
立ち上る白煙は、猛炎によって負ったダメージによるものでしょうか?
それとも……。
「……再生……してる」
全身を泡立たせて見る間に回復していく “妖獣” たちに、おののくパーシャ。
他のみんなも同様です。
なんとういう強靱な生命力でしょうか。
いえ、生への "種” 的な執着でしょうか。
生命力 の最後の1ポイントを刈り取らないかぎり、この物体は再生し続けるのです。
「どうする、レット!? 斬り込むか!? それとも――」
そういって、ジグさんがチラリとわたしとフェルさんに視線を向けました。
それとも……?
それとも、なんです? ジグさん?
その視線の意味はなんです?
嫌ですよ……そんな……。
そんな真似、出来るわけないじゃないですか……。
だって……だって……。
中にはまだ、あの人たちがいるんですよ……。
◆◇◆
アッシュロードは可能な限り飛び退り、掌の中で “悪の曲剣” を反転させ刃を敵に向けた。
そして彼にしては珍しいことに、短剣を抜くことなく左手も曲剣の柄に添えた。
大きく息を吸い込み――止める。
切っ先を右下段に下げた、どこかサムライ染みた構え。
目蓋の奥に、ずっと忘れていた幼馴染みの少女が浮かんだ瞬間、アッシュロードは “妖獣” に向かって、強く、鋭く、踏み出していた。
「――っっっ!!!」
下段から斬り上げる一刀で、針のように伸びてきた無数の触手をすべて切断。
返す刀で袈裟斬りに “海賊船の船長” ごと、うちに潜む “妖獣” を、攻防一体の斬撃で両断した。
返り血という名の石化成分を含む体液が飛び散り、アッシュロードを汚す。
そして保険屋は、賭けに勝った。
身体の深奥に宿っている “デーモン・コア” は、世界の “理”の外にいるかとも思われた “妖獣”にも効果があったのだ。
その直後、アッシュロードは逆転負けを喫した。
「なんだとぉっ!?」
迷宮内でアッシュロードが狼狽するのは珍しい。
地下迷宮の苔むした臭いの染みついたこの男は、危機に陥るほど鉄のように沈着になる。
しかしこの時ばかりは、まったく予期していなかった事態に狼狽えた。
アッシュロードが一刀の元に屠り、生体活動を停止させた異様な魔物は、斬り捨てられた勢いのまま彼の横を数歩進み、そこで前のめりに倒れた。
火薬庫の扉に体液をぶちまけて。
迷宮の扉は開け放っておいても、時間が経てばひとりでに閉まる。
アッシュロードが “時限発火装置” を仕掛けた火薬庫の扉は、閉じたまま石化してしまったのだ。
それは “神璧” の加護を何重に重ねたよりも強固であり、なおかつ時が過ぎても効果が切れない堅牢極まる守りだった。
「おい、冗談はやめろ!」
アッシュロードは石扉に飛びつき、剣の柄頭で力任せに叩いた。
しかし耳障りな反響音がするだけで、小揺るぎもしない。
カドモフが行動不能になった今、アッシュロードは最悪要塞の滅菌を諦めて脱出するつもりだったのだ。
いや、そうするしかないと判断していた。
自ら歩けないうえ、石化によって重量が倍加しているドワーフを担いでいては、とてもタイムリミットまでに城門には辿り着けない。
四十路に近いアッシュロードが途中でバテたところで、仲良く爆死するのがオチだ。
そうならないためには、要塞の爆破を諦めて時限装置を解除する必要があるが……もはやそれは望めない。
命を断たれた “妖獣” の見事なまでの復讐だった。
「……」
アッシュロードは石と化した扉への無駄な抵抗を諦め、力なくドワーフの足元に立った。
右半身が石になったドワーフを無言で見下ろす。
左半身だけで北側の壁際に待避していたドワーフの視野には、火薬庫の扉が入っていた。
カドモフは自由になる左腕を持ち上げ、火薬庫の反対側――城門に続く通路の先を指差した。







