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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
211/659

見えない刃★

 ジグさんが立ち止まっていると思われる場所から、さらに一〇メートルほど先。

 そこにいたのは、一頭の犬――シベリアンハスキーでした。

 間違いなく、首領に頭を撫でられていたあの犬です。

 その犬が警戒するように、わたしたちのいる()()を見つめています。

 それから要塞中に聞こえるほどの激しさで、吠え始めました。


 言うまでもなく、犬には “光学透過” も “静寂” も関係ありません。

 人間の何万倍も優れた嗅覚があるのですから。

 それは異様な光景でした。

 この熱帯といっても過言ではない湿度の地獄の地下迷宮で、極寒の地で生きるシベリアンハスキーが吠え立てているのです。


(なんなのです、この犬……どこか、なにか……)


 わたしは海賊(主人)たちに異変を知らせるシベリアンハスキーを見て、強い違和感に襲われました。

 当たり前ですが、人間と同じように犬にも感情や表情があります。

 ですが目の前のシベリアンハスキーからは、それらが全く感じられないのです。

 見えないわたしたちへの警戒心や怯えが一切なく、無感情で無表情。

 ただ吠えているだけ。

 これではまるで、あの――。

 その時フッと、後ろからわたしを引っ張っていたロープの感触がなくなりました。

 パーシャが “アンザイレン” していたロープを解いたか、切ったのです。

 

(パーシャ! 何をするつもりなの!?)


 わたしが声にならない問いかけを発したのと同時に、今度はわたしたちにかけられていた “光学透過の水薬(グラス・ポーション)” の効果が切れてしまいました。

 タイミングは最悪でした。

 わたしたち()()の姿が現われた瞬間、騒ぎを聞きつけた海賊たちが武器を手に駆け付けてきたからです。


(まだ加護は使えません!)


 わたしは戦棍(メイス)と盾を構えながら、声にならない声でレットさんに伝えました。

 ふたり分の水薬を四人で分けたわたしたちよりも、フェルさんの嘆願した “静寂” の加護は倍も長続きします。

 水薬の効果が切れたわたしたち()()は、壁に背を寄せ陸続と集まってくる海賊たちに武器を向けました。

 海賊たちは、わたしたちから一切の音がしないことに気づいたようです。

 ですが普通なら勢い込んで襲い掛かってくるところを、ジリジリ包囲しながら遠巻きに様子をうかがっています。

 やはりそうです。

 “妖獣(THE THING)” に同化されてないか、怖れているに違いありません。


 それなら――。


(パーシャ、今がチャンスです!)


 わたしが心の中で呼び掛けるまでもありませんでした。

 誰よりも機を見るに敏な彼女が、この機会を逃すわけがありません。

 突然、頭に薄汚れたターバンを巻いた海賊が『ギャッ!』と悲鳴を上げ、舶刀(カットラス)を取り落としました。太腿から噴水のように血が噴き出しています。

 両手で傷口を押さえて転げ回る仲間を、呆気に取られた様子で眺めていた別の海賊の足からも、やはり突然血が噴き出しました。

 パーシャが自分で懸けた “透過(グラス)” の効果は、水薬を半分しか使えなかった他の四人と違って、まだ続いているのです。

 そしてこれ幸いとばかりに、短刀での “鋭いひと突き(スティング)” を海賊たちにお見舞いしているのでした。

 褐色の肌をした大柄な海賊が、またひとり太腿から血を噴き出して悲鳴をあげました。


 包囲の環が崩れました。

 レットさんが長剣を煌めかせて突進します。

 短剣を逆手にジグさんが続き、戦棍と盾を構えたわたしとフェルさんも突撃します。

 迷宮に潜むもっとも危険な敵は “見えない刃(ファントム・メナス)” です。

 それは探索者にも魔物にも平等に死をもたらします。

 海賊たちは、その見えない刃に切りつけられたのでした。


◆◇◆


「ここより俺は、不動の拠点。友たちを護る、鉄壁の要塞――さあ、抜いてみせろ!」


 カドモフは群がり寄ってきた海賊たち向かって吠えると、腰を落とし低い重心を更に低くした。

 右手には彼の体躯に合せた、やや短めだがその分肉厚で重量のある(ロングソード)

 左手には木製の大きめの盾(ラージシールド)

 身体を縮こまらせたかのようなその構えは、見る者がみれば一分の隙も無い、まさに鉄壁の人間要塞だ。

 だが褐色の肌を諸肌に脱いだ巨漢の海賊たちには、そこまでの眼力はない。

 しょせんは数を頼みにする、レベル2の戦士に過ぎない。

 戦い慣れた波浪に揺れる船上ならいざしらず、ここは彼らの戦場(フィールド)ではない。

 迷宮(ここ)は|カドモフ《DWARF FIGHTER》の戦場である。


 自分よりも遙かに背丈の低いドワーフがさらに重心を低くしたことで、与しやすしと思ったのか、海賊たちが一気呵成に襲い掛かってきた。

 得物の舶刀を振り上げ、真っ二つに両断せんと渾身の力を込めて振り下ろす。


 キンッ!


 ボルザッグ商店のお抱えの熟練鍛冶が鍛えた(ヘルム)は、その力任せなだけの斬撃に余裕で耐え、逆に刀身を根本からへし折った。

 元来が航海の際の非常時に、船の綱を切断するための道具である。

 迷宮の凶悪な魔物の爪牙から探索者を守るために作られた防具が相手では、荷が勝ちすぎた。

 代償は大きかった。

 得物を折られた海賊は、剥き出しの腹を横一文字に掻っさばかれ、臓物のほとんどをぶちまけて即死した。


 海賊たちが怯む。

 今や練達の戦士であるカドモフが、その怯えを見逃すはずがない。

 砲弾のような勢いで集団に躍り込むと、手にした剣を縦横無尽に振り回す。

 血飛沫が舞い散り、悲鳴と絶叫が火薬庫前の通路に響き渡る。

 最初に屠った大男と合せて、諸肌を脱いだ戦士(ガード)とターバンを巻いた盗賊(レイダー)を都合四人肉塊に変えたところで、カドモフはそれ以上の深追いを避けて元の位置に戻り、再び低く身構えた。

 鉄靴(サバトン)のスパイクがガッチリと通路の床を噛んでいるので、血溜まりの中でも足を取られることはない。

 その動きは、海賊たちの目から見たらまるで奇術のようだった。


 しかし、カドモフにしても状況が好転したとは言い難かった。

 たった今斬り倒した以上の人数が、次々に通路の奥から駆け付けてきたのだ。

 だが――。


(……却って好都合。これでレットたちが動きやすくなる)


 若きドワーフの戦士は剛毅だった。

 アッシュロードが発火装置を完成させるまで時間を稼ぎ、その後はあの男が持っている “滅消の指輪” で一網打尽にする。

 劫火の中で息絶えるよりも慈悲深い最期だろう。


「……次に死にたい奴、前に出ろ」


 戦場を支配し続けるドワーフに、海賊たちがジリジリと後ずさる。


 レベルが違う。

 技量が違う。

 胆力が違う。

 なにより、覚悟が違う。


 単独航行をしているキャラックや、沿岸部に近い防備の薄い街や村を襲って男の寝込みを襲い、女を犯し、子供を奴隷として連れ去っている連中である。

 腕の立つ戦士に真っ向から挑戦を受けるなど、経験のないことだった。


挿絵(By みてみん)


 気圧された海賊たちを割って、豪奢な服をまとった一際大柄な男が進み出た。

 黄色いターバンと緋色の装飾がなされた同色の胴着。

 鮮やかな緑のズボン。

 先端が細く反り返った奇妙なデザインの黒いブーツ。

 拵えに宝石があしらわれた大振りの舶刀。

 海賊船の船長(ガリアン・キャプテン)だ。

 ()()()()()()()の無感情な瞳が、カドモフを見下ろす。


 例え格下の相手であろうとも、カドモフに油断はない。

 グリークヘルムの奥から、相手のどんな些細な動きも見逃さまいと鋭い視線を送る。

 直後、戛然と刃が鳴った。

 ドワーフの直剣と海賊の曲刀が激しく斬り結ぶ。

 鉄片が火花となって飛び、焦臭さが鼻の奥に広がる。

 驚いたことに膂力では互角。

 剣の腕前でも、カドモフにそう引けを取っていなかった。

 さすがは海の荒くれ者たちを束ねる、一船の長というところか。


 ……ニッ。


 ドワーフの口元が微かに歪んだ。

 強き敵。

 自分という灼熱の鋼を叩く鎚。

 あるいは、未だ鈍い煌めきしか放っていない鋼を磨き上げる砥石のような敵こそ、カドモフは求めていた。

 左手の盾が斬撃を受けるたびに削られ、木っ端が飛び散った。

 斬撃の鋭さよりも、その斬撃を息を乱すこともなく繰り出し続ける船長の底知れぬ体力に、カドモフは驚かされた。

 どこか人間離れした、無尽蔵のスタミナ。

 長引かせると、足元をすくわれるやもしれない。


 カドモフは盾を捨てた。

 剣を両手で握り、切っ先を通路の床すれすれまで下げる。

 ドワーフの戦いに小細工なし。

 次の一撃で、屠る。


 船長が曲刀を振り下ろす。

 ドワーフが直剣を斬り上げる。

 もはや何度目か数え切れない火花が散り、斬り上げたドワーフの無骨な直剣が海賊の豪壮な曲刀を両断。

 その勢いのまま顎下から脳天まで、船長の顔面を切り割った。

 あまりの斬撃の鋭さ故か、血はほとんど噴き出ず、数滴の返り血がカドモフに飛んだのみだった。

 ドワーフと海賊の一騎打ちは、ドワーフの完勝に終わった。


 カドモフが海賊たちの船長を討ち取ったとき、アッシュロードの作業も完了した。

 ボロ布と、その場にあった小樽を利用した簡単な時限発火装置だが、充分に用をなすはずだ。

 あとは “滅消の指輪” でカドモフが食い止めている海賊どもを消し去り、“光学透過の水薬(グラス・ポーション)” と “静寂(サイレンス)” の加護を使って脱出するだけだ。


「待たせたな、消すぞ――カドモフ!?」


 左手に嵌めた指輪に意識を向けながら振り返ったアッシュロードの目に飛び込んできたのは、身体の半ばが石化して倒れ込むドワーフと、壁際で怯え竦む海賊たち。

 そして、割られた顔面から無数触手を蠢かせる船長――いや、妖獣(THE THING)だった。


 迷宮に潜むもっとも危険な敵は “見えない刃” だ。

 それは探索者にも魔物にも平等に死をもたらす。

 カドモフは、そのもっとも危険な敵に切りつけられたのだ。



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