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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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安西恋★

『――安西恋だ』


 “妖獣(THE THING)” を倒した、“首領(ハイ・コルセア)” の部屋。

 この要塞を滅菌しに行くと言い出したアッシュロードさんとの、『着いていく・連れて行かない』問答の最終盤、いきなり女性の名前が飛び出してきました。


『こんな時に、他の女の人の名前を出さないでください!』


 さすがのわたしもカッとなります!

 いったい誰ですか! その女性は!

 一度、ちゃんとお話がしたいです!

 喫茶店です! ファミレスです!


『落ち着け、女の名前じゃねえ』


『じゃあ、何の名前ですか!? 犬ですか!? 猫ですか!? アルマジロですか!?』


 わたしの頭は絶賛沸騰中!

 とにかくわたしも一緒に行くか、それともこの人が残るか。

 ふたつにひとつです!


Anseilen(アンザイレン)――登山でパーティの身体を互いにザイルで結ぶことだ。岩壁や氷壁を登る際に、そうしておけばひとりが滑落しても他の仲間で支えることができる』


『そ、それが今のこの状況に、なんの関係があるのですか?』


 も、もしかして煙に巻こうとしています?

 そ、そういうセコいところが、あなたの――!


『がきんちょ』


 なおも喰ってかかろうとしたわたしから、アッシュロードさんが “うへぇ” といった顔でやりとりを傍観していたパーシャに視線を移しました。


『な、なによ』


『“透過(グラス)” の呪文は使えるな?』


『誰に言ってるのよ。あれは第一位階の呪文でしょ』


『――よし』


 アッシュロードさんは頷くと、雑嚢から水薬(ポーション)の小瓶をいくつか取り出し、首領の机に並べました。


『それは…… “光学透過の水薬(グラス・ポーション)”』


『ああ――残りは三本。がきんちょは自前でかけられるから、この三本のうち二本を残りの四人で分けろ。城門まで最短ルートを辿れば、効果はギリギリ持つはずだ』


 “透過” は、魔術師系第一位階に属する呪文です。

 身体を透明にして敵の目を欺くのですが、詠唱者本人にしか効果がなく、後衛の魔術師がその必要に迫られたときは、パーティが壊滅状態に陥っているときです。

 普通ならそうなる前に “昏睡(ディープ・スリープ)” の呪文なりを使っているはずなので、滅多に……というか、今まで魔術師の人が使っているのは見たことはありません。

 “光学透過の水薬” はその呪文を聖水に封じた魔道具(マジックアイテム)ですが、迷宮金貨一五〇〇枚という値段の割りに、今いったようにパーティでの迷宮探索には実用性が低いので、もっぱらボルザッグさんのお店での換金アイテムとして扱われているようです。


 ですが、単独行(ソロ)上等の迷宮保険屋さんになると話は別です。

 特にドーラさんのような穏身のスキルを持たないアッシュロードさんには、必須のアイテムと言えるでしょう。

 実際、この水薬と “静寂(サイレンス)” の加護の()()()()でここまで忍び込み、すんでの所でわたしを助けてくれたのですから。


『こいつと “静寂” の加護を使えば、海賊どもにはまず気づかれん。おまえらはこれを使って脱出しろ。残りの一本は俺とドワーフが使う』


『ちょ、ちょっとまってよ。姿が見えなくなって、音まで聞こえなくなっちゃったら――あ、そうか』


 なにかに気づいたようにハッとしたパーシャに、アッシュロードさんが頷きます。


『そうだ。そのための “アンザイレン” だ。ロープで互いの身体を繋いでおけばはぐれる心配は無い。おまえらは暗黒回廊(ダークゾーン)で見えない仲間と行動することに慣れてる。やれるはずだ』


『なるほど、な。それなら海賊どもとチャンバラしなくても、ここから出られるってわけか』


『ま、まってください! 問題はそこではありません! 問題は――』


 わたしは思案顔でうなずいたジグさんを無視して、話を元に戻します!

 問題は、わたしがアッシュロードさんと行くかどうかなのです!


『ライスライト。それにフェルも。おまえらには俺やドワーフよりも先にここから抜けだしといてもらわねえと、この悪巧みはなりたたねえんだ』


『ど、どういう意味?』


 と、これはわたしではなく、フェルさん。


『最終的に海賊どもをこの要塞に閉じ込めるのは、おまえらの役目だって言ってるんだ』


『『――』』


『おまえらは先に脱出して、城門の近くに身を潜めていてくれ。俺とドワーフが火薬庫に花火を放り込んできたら、城門を外から封じろ。ライスライト方式だ』


『『……』』


『……嫌な役目だ。何百人いるかわからない人間を焼き殺すんだからな。片棒を担がせちまって悪いと思ってる』


『……いえ、いえ、むしろ望むところよ。グレイ』


『フェルさん』


『あなただけに罪を背負わせたりしない。あなたが汚れるのなら、わたしも汚れる。あなたひとりだけに夜の小路は歩ませない』


 そしてエルフの友人は、わたしを見ました。


『エバ、わたしはこの水薬を受け取るわ。あなたはどうするの?』


『……』


 この人も……戦っているのです。

 愛する人を死地に送る不安と……もう会えなくなるかもしれないという恐怖と。

 負けるわけにはいかない戦いを、絶対に負けたくない戦いを、この人も戦っているのです。


『……わたしも、受け取ります』


 こうしてアッシュロードさんとカドモフさんは、“イラニスタンの油” が貯蔵されている火薬庫へ。

 他の人間は、いったん要塞の外を目指すことになりました。


『アッシュロードさん!』


 わたしは準備を終えて部屋を出て行きかけた、黒い背中を呼び止めました。


『……』


 呼び止めたのはいいのですが、続く言葉が出てきません。


『“龍の文鎮(岩山の迷宮)” にアンザイレン(登山用語)。俺にしては上出来だ』


『……そうですね、上出来だと思います』


 泣き笑いの表情を浮かべたわたしに見送られて、アッシュロードさんは首領の部屋を出て行きました。

 レットさんが机に置かれた水薬の小瓶を手に取り、ジグさんが背嚢からロープを取り出します。

 パーシャとフェルさんも、それぞれ呪文と祝詞を詠唱するための精神統一を始めました。

 すでに……事態は次の段階に移っているのです。



 そうして、アッシュロードさんとカドモフさんを除くわたしたちは、要塞からの脱出を敢行しました。

 フェルさんの嘆願が女神に聞き届けられた直後、彼女を含むパーティ全員から一切の音が発せられなくなりました。

 身体を包んでいる空気の振動が、すべて遮断されたのです。

 わたしたち魔法使い(スペルキャスター)とって、加護や呪文を封じられるのは恐怖以外のなにものでもありませんが 、板金鎧(プレートメイル)を装備した戦士を含む探索者五人が、何十人いるかわからない海賊の根城から気づかれずに脱出するのですから、やむを得ません。


 何十人……それとも何百人。


 あの時、首領(ハイ・コルセア)の後ろに控えていたのが、海賊船の船長(ガリアン・キャプテン)たちだとして、その数は六人。

 首領も含めて、七隻の私掠船団……海賊船(ガレオン)

 一隻の海賊船に、いったい何人の海賊が乗り込んでいるのでしょうか?

 確か歴史の授業での先生の脱線話によると、確かマゼランやコロンブスの船団が一隻あたり三〇~五〇人ぐらいだったはずです。

 そうすると最小で二一〇人。最大で三五〇人。

 でも船体の大きさにもよるでしょうし……。

 この過酷な迷宮で減りこそすれ、増えることはなかったはずですし……。


 必死に頭を巡らせてみますが、情報が少なすぎて浮かんでくる数字は想像・妄想の範疇を出ません。

 わたしは無駄な計算に糖分を使う愚かさに気づいて、前を行くレットさんに結ばれたロープの感触に意識を集中しました。

 腰にもう一本結ばれた、後ろのパーシャに伸びるロープの感触も確かめます。

 大丈夫、前後どちからも引っ張られています。


(……本当に “悪巧み” の宝庫みたいな人です)


 あの迷宮でも……そうでした。

 ひとりで頭を捻って、一見突拍子もないアイデアを捻り出して。

 それで、わたしたちを救ってくれて。

 それが、いつしか当たり前のようになって。

 みんなで、彼を頼って。

 そして、その帰結が……。


(……カドモフさん、お願いします。あの人を助けてあげてください。どうか、どうか無事に、あの人を連れ戻してくだいさい。お願いします――お願い)


 有言実行。

 かつて口にした “戦士の嗜み” を行動で示してくれた、無口で、無愛想で、それでいて心根の優しいドワーフの戦士さんに、わたしは胸の中で祈りを捧げました。


 コツン、


(……痛っ)


 突然、鼻の頭がレットさんの硬い背当て(バックプレート)にぶつかり、涙がにじみました。


(ど、どうしたのです――あっ!)


挿絵(By みてみん)


 “静寂” の加護が掛かっていなければ、涙方と鼻声の混じった声が出ていたでしょう。

 ジグさんが立ち止まっていると思われる場所から、さらに一〇メートルほど先。

 そこにいたのは、一頭の犬――シベリアンハスキーでした。

 間違いなく、首領に頭を撫でられていたあの犬です。

 その犬が警戒するように、わたしたちのいる()()を見つめています。

 それから要塞中に聞こえるほどの激しさで、吠え始めました。



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― 新着の感想 ―
[一言] ああ、このためのハスキー犬か……全く趣味がいいぜ!!w
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