滅菌作戦
悪夢は……続いていました。
アッシュロードさんが切り飛ばし、壁際に転がしておいた首領の頭。
顔を逆さまにしたままのその生首から、ガガンボのような六本の足が突き出し、そればかりかニョッキリと二本のナメクジの触覚じみた目玉までもが生えたのです。
「……こいつは何の冗談だ?」
パーシャを顔の横に抱えたまま、アッシュロードさんの口から激しい嫌悪感が漏れました。
そして凍りつく全員の視線の先で、カサカサと動き出した “頭蜘蛛” が、『クェーー』と一声鳴いてみせたとき、わたしたちの嫌悪感は最高潮に達したのです。。
「――召しませ! ホビット自慢の石頭、ここにあり!」
口上と共に、抱えていたパーシャを投擲体勢に移行するアッシュロードさん。
「ぎゃーー!!? おっちゃん、それ洒落にならない!!!」
「うるせえ! 目には目を、歯には歯を、頭には頭だ! おまえのその石頭で潰すのは俺の急所じゃなく、あの気色悪い頭蜘蛛だ!」
涙目で絶叫するパーシャに、容赦なく叩きつけられるアッシュロードさんの宣告。
「悪魔! 魔王! レイバーロード!」
「おおっ、今ごろ気づいたか! そのとおり、俺はレイバーロードだ!」
「余裕ぶっこいてる場合か! 逃げるぞ!」
ジグさんが延々とじゃれ合っている二人を鋭く叱責します。
頭蜘蛛(足が六本なので昆虫というべきでしょうか?)は、わたしたちの眼前を横切り、部屋に七つもある扉のひとつに向かいました。
「でも、どうするのです!? 言っていませんでしたが、あの “物体” の体液には生物を石化させる毒素が含まれています! 剣はもちろん戦棍の類いで殴り付けるのもNOです! だからといって “与傷” 系の加護連発していたのでは、こちらの回復ができなくなってしまいます!」
対象に傷を与える “与傷” 系の加護は、“癒やし” の加護と表裏一体。
すべて同位階に属しているのです。
すでにわたしは四回、アッシュロードさんは一回の “大癒” を使っています。
今からこの要塞を脱出しなければならないのに、これ以上癒やしの加護を消費してしまうのは、自らの首を絞める行為でしかありません。
となれば――。
全員の視線が、アッシュロードさんが抱えているホビットの魔術師に向けられます。
「よし、がきんちょ。おまえへの刑の執行は猶予してやる。代わりにあの蜘蛛を焼け。灰も残らねえように燃やし尽くせ。炎の呪文は残ってるな? 残ってねえなら――」
再び、投擲姿勢をとるアッシュロードさん。
「うわーっ! 残ってる、残ってる! おっちゃんの頭のフケほど残ってるよぉ!」
この余裕こそが、古強者の証。
迷宮で生き残るために必須の技能なのです。
……多分。
「――ふぅ」
床に下ろされたパーシャは一息吐いて、
「音に聞け! ホビット炎熱の呪文、今唱えん! ―― “焔嵐” !」
瞬息で火炎の呪文を詠唱し、次の瞬間扉をカリカリしている “頭蜘蛛” を紅蓮の炎が包み込みました。
ピギャーーーッ!
まるで赤子を縊り殺すような悲鳴が、猛炎の中でもがく “物体” からあがりました。
ですが火炎系最高位の呪文に焼かれ、耳を覆いたくなる最悪の悲鳴もすぐに収まります。
“頭蜘蛛” は動きを止め、炭化し、灰化し、呪文の効果が消失したときには、それすらも消えてなくなっていました。
扉を中心に首領部屋の一角は真っ黒に焼け焦げ、猛烈な熱気だけが籠もっていました。
「……コイツが、海賊どもが怖れていた “あいつら” か」
「……焼いたのは正解だったな。奴らもそうしていた」
「……その奴らも、まさか自分たちの首領が乗っ取られていたとは思うまい」
レットさん、ジグさん、カドモフさんが言葉を繋げます。
「……これで最後なの? 全部……」
「海賊どもの話しぶりから、コイツらは “種” として存在している。“道化師” のような単体の特異生命体じゃないはずだ……元は一匹だけだったのかもしれないが……」
フェリリルさんの呟きに、アッシュロードさんが小さく頭を振りました。
「それじゃ……」
「ああ、他にもいると考えておくべきだろうな」
全員が黙り込みます。
首領が同化されていた以上、全てではないにしろ、手下の海賊たちもそうでないとは言い切れないのです。
「もし、こんなのが一匹でもあたいたちの拠点に紛れ込んだら……」
パーシャの震える声が、わたしたち全員の気持ちを代弁していました。
「それより、その “妖獣” がいるかもしれない複雑な巨大要塞を、これから突破しなけりゃならないんだ。そっちの心配が先だぜ」
ジグさんが、気持ちを切替えるよう皆をうながしました。
妖獣……とはまた巧みな表現です。
獣人でも、幻獣でも、動物でも、不死属でも、魔族でも、巨人でも、植物でもない、まるでSF映画に出てくるエイリアン……。
「――かえって好都合だ」
はめ直した手袋の具合を確かめるアッシュロードさんに、全員の視線が集まりました。
黒衣の君主は、剣帯に吊した大小の双剣と、さらにはベルトに手挟んでいる短刀の点検も続けます。
「それって、どういう……」
「わからないか? その複雑で巨大な要塞が、奴らを閉じ込める格好の “檻” になってるってこった」
問い直したわたしに、装備の点検を終えたアッシュロードさんが顔を向けました。
「さっき、ちょうど一回目の“静寂” が切れたとき、見張りのひとりをシメてこの部屋の場所を吐かせたんだが――ついでにいいことも聞き出しておいた」
「「「「「「???」」」」」」
「“イラニスタンの油” の貯蔵庫だ」
その単語が彼の口から漏れた瞬間、わたしはこの人が脳裏に描いてる光景が、まざまざと見えました。
「――駄目っ!」
わたしは彼にすがりつきました。
「絶対に駄目っ!」
「お、おい、俺はまだ何も言って――」
「聞かなくてもわかる! あなたとあの油は相性が良すぎる!」
この人はこの人は――この要塞ごと、あの妖獣を燃やすつもりなのです!
「なにをそんなに怯えているのかわからんが――これが一番合理的な判断だ、ライスライト」
アッシュロードさんが鎧にしがみつくわたしに、戸惑い気味に言いました。
「それならわたしも一緒に行きます!」
「ライスライト……」
ようやくわたしの必死さが通じたのでしょう。
アッシュロードさんの表情が、真剣なものに改まりました。
「冷静になれ、ライスライト。あの海賊どもがこの要塞に何人いるかはわからないが、全員が妖獣に取って代わられてるわけじゃないだろう。もしかしたらそんな奴はひとりもいなくて、まるまる人間のままかもしれないんだ。そういう奴らを下手したら何百人も焼き殺すんだぞ? こいつは “善”のおまえには、おまえらには向かない仕事だ」
「……」
わたしは唇を噛みしめました。
そんなこと……そんなことはわかっているのです。
でも、そういうあなたも、元々はその “善”の属性だったではありませんか。
わたしは、どんな切っ掛けがあって、あなたが “悪” に転向したのかは知りません。
ですが、そうならなければならなかった理由はわかります。
誰よりも優しいあなたが迷宮で生きていくためには――自分以外の誰かを守るためには、そうするしか、そうなるしかなかったのです。
「それなら……それなら、わたしも一緒に行きます!」
一緒に行って、一緒に生きて、万が一の場合は一緒に逝きます!
「おまえには大切な仲間がいるだろう。俺と一緒にいておまえまで黒く染まっちまったら、俺は今度こそそこのホビットに “玉” を潰されちまう」
その微笑はアッシュロードさんのものであって、アッシュロードさんのものではありませんでした。
その微笑は、その微笑は……彼の……炎の中に消えた彼の……。
「でも……わたしは……あなたの物なんですよ……」
口から零れる、精一杯の哀願……。
「だからこそだ。どこの阿呆が、火事場に自分の大切なもんを持っていくかよ」
そういってから、『……変こと言わせんな』と、そっぽを向いてしまったアッシュロードさん。
「……」
「……なら、俺が同行しよう」
言葉を失ってしまったわたしの代わりに進み出たのは、自分を叩き鍛え上げることに人生をかける、若き不屈のドワーフ。
「……俺は善にも悪にも、そんな窮屈なものには縛られない。問題はなかろう」
唯一人の “カドモフ” でした。







