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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
202/659

炎★

 蹴り開けた扉の先でアッシュロードが見たものは、黒く濃密な煙の海だった。

 西方の熱砂の国で汲み上げられ、彼の地のギルドによって精製された特殊な油が燃える臭いが、辺りに充満している。

 アッシュロード自身この油の使い方には熟達していて、つい先日も投石機(カタパルト)とホビットの()()()()()を使った精密狙撃で、多数の “高位悪魔(グレーターデーモン)” を焼き殺したばかりだ。


 だから、わかる。

 油の燃焼する臭いに紛れて、生き物を焼く臭いが混じっていることに。

 酒場や料理屋の厨房や、家庭の台所から漂ってくるあの芳しい肉料理の匂いではない。

 髪や爪や骨ごと肉を燃やす、あの火葬場の……荼毘(だび)の臭いだ。


 アッシュロードは顔を顰めながらも、鼻や口元を覆うことなく煙中を進んだ。

 臭いの()を探さなければならない。

 広大な地下空間を圧するような大要塞が、濃煙の奥に見え隠れしている。

 高い防壁を暗い水を湛えた壕がぐるりと囲み、難攻不落の様相を呈していた。


(……築き上げたのはともかく、根城にしているのは十中八九、例の海賊たちだろう)


 アッシュロードの予想は正しかった。

 迷宮の天井に届かんばかりの防壁の上に、見張りと思しき頭にターバンを巻いた男たちの姿が垣間見えた。

 先ほど彼が斬り倒した五人と同じ服装だ。

 幸いにして大量の濃煙が漂っているお陰で、アッシュロードは発見されることなく要塞の周囲を進むことができた。

 まさに煙幕だ。


 激しい熱気と飽和した湿度に、長年の()()()()()で発汗しにくい体質になっていた額にも、じんわりと汗粒が浮かぶ。

 “悪の曲剣(イビル・サーバー)” を握る右の掌も、戦闘用の黒革の分厚い手袋の下で汗ばんでいた。

 咄嗟の対応に備えて、左は無手だ。

 まず北に数区画(ブロック)、それから西へ延々と進み、突き当たりの内壁を今度は南に折れた。

 巨大な地下要塞の外周をぐるりと回っている形だ。


 そして、アッシュロードはついに臭いの元を発見した。

 再び数ブロック南下した彼の眼前に、その凄惨で酸鼻な光景は現われた。

 それは地獄の劫火さながらに燃えさかる炎だった。

 発生した激しい上昇気流が大量の黒煙を迷宮の天井まで噴き上げ、さらに天井から壁、床へと循環して保険屋の視界を遮っていた。

 遮ってなお紅蓮の炎はそれを、臭いの元を濃煙の中に炙り出している。


 やはり……燃やしていたのだ。

 生き物を……生の肉を。

 生きたままか、あるいは死んだ……殺した直後に。

 怪物のように不定形に形を変える煙の先に、半ば開いた巨大な城門が見えた。

 下っ端の海賊たちが出入りしていて、燃やしている死体の山を遠巻きに囲んでいる。

 殺して、さらに油をかけて燃やしておきながら、その表情にはありありと怖れが浮かんでいた。

 連中にとって、よほど恐ろしい相手だったのか。


 どちらにせよ、要塞内に侵入するには絶好の機会だ。

 しかし、さすがにもうこの煙幕には頼れない。

 自分には、相棒のくノ一のような穏身のスキルはない。

 しかも身に着けているのは(普及品のそれとは違って比較的静音な魔法の品とはいえ)、歩く度にガチャガチャとやかましい音を立てる板金鎧(プレートメイル)ときている。

 侵入ミッションにはまったく向かない。


(……さあ、悪巧みのときだぞ、グレイ・アッシュロード)。


 やさぐれた保険屋は、半開きになった城門を見ながら自身に語りかけた。


◆◇◆


 わたしは……耐えがたい暗さと息苦しさの中を歩いていました。

 目を見開いても何も見えず、息を吸っても肺に空気は届かず……。

 炭を塗られる苦しみとは、これに近いのかもしれません……。

 遠くに劫火が燃えさかり、大気が唸り震える音が聞こえます。

 今わたしが歩いているこの場所は、いったいどこなのでしょう……?


 冥府……地獄……。


 そんな言葉が浮かんでは消え、不安ばかりがいや増します……。

 わたしはこのまま狂ってしまうのが怖くて、正気を保つために必死になって別のことを考えました。


(……なぜ海賊たちは、わたしたちを見てあんなに怯えて……怖れていたの?)


 理由はわかりません。

 ですがわたしには、そこにこそ()()()()()()()()があるように思えてならないのです。

 あの表情と似た顔……いえ、あの状況と似たシチュエーションを、どこかで見た気が……既視感(デジャブ)ではなく、確かにどこかで……。


 ――思い出した。


 見たのではなく、読んだのです。

 お父さんの書斎にあった小説で。

 それはこのようなお話でした。


 あるウィルスが世界中に蔓延し、主人公の男性を除いた全人類が “吸血鬼” になってしまいました。

 主人公はそれでも絶望せずに、食料を探し、武器を見つけ、他にも残っている人間がいないか、無線で呼び掛け続けます。

 そして吸血鬼たちが眠っている昼間に、隠れ家を襲い、その胸に白木の杭を打ち込み続けたのです。

 しかし、()()()()()

 主人公も最後には捕まってしまいます。

 吸血鬼と化したかつての同胞たちが見守る中、主人公は刑場に引き出されます。

 その時、主人公は気づきました。

 彼を見つめる吸血鬼たちの瞳にあったのが、怒りでも憎しみでも、まして侮蔑でもないことに。

 そこにあったのは……。


 ドンッ!


 突然、わたしは背中を強く押され、固い床の上に突き転がされました。

 次に頭から被されていた()()()を、乱暴に剥ぎ取られます。

 魔法を封じるために厳重に猿轡を噛まされた顔が、ようやく外気に晒されました。


 そこは二〇メートル四方の広い部屋でした。

 中央に大きくて豪奢な机があり、その上に置かれた燭台に太い蜜蝋が灯されていて、部屋に立ち込める闇を僅かながらも払っています。

 壁は玄室の内壁そのままでしたが色取り取りのタペストリーや武具が飾られており、床は剥き出しの石畳でしたが、やはり机の下にだけ豪華な絨毯が敷かれていました。

 そして……机の向こう側で、こちらを見下ろしている複数の視線。


 黄色いターバンと緋色の装飾がなされた同色の胴着。

 鮮やかな緑のズボン。

 先端が細く反り返った奇妙なデザインの黒いブーツ。

 拵えに宝石があしらわれた大振りの舶刀(カットラス)

 どれも、一目で上質な造りだと見て取れる品ばかりです。

 そんな衣装や剣を身に付けた複数人の男たちが、机の向こうに立ち並んでこちらを見下ろしています。

 明らかに、他とは違う身分の海賊たちです。

 間違いないでしょう。

 海賊船の船長(ガリアン・キャプテン)たちです。


 同じ思いを、やはり床に突き転がされた “フレンドシップ7” の仲間たちも抱いているはずです。

 わたしたちの視線はそんな男たちの中でも、机と同様の豪華な造りの椅子に座る唯一人の男に釘付けになっていました。


 純白のターバン。

 ゆったりとしたアラビアンナイト風の黄色い衣装の上に、やはりゆったりとした紫の羽織。

 机の下からわずかに覗くズボンは真っ赤です。

 どれも汚れ一つありません。

 真っ黒に日焼けした顔と、奇麗に整えられた顎髭。

 椅子に腰掛けていてなお、この部屋にいる誰よりも大柄で膂力に溢れて見える精悍な体躯。

 この男こそ、複数の海賊船(ガレオン)とその船長を束ねる――。


挿絵(By みてみん)


「命令どおり連れてきやした」


 わたしたちをキツく縛り、ここまで乱暴に連行してきた褐色の肌をした半裸の大男が、口頭しました。


「な、なんで、こいつらも “壕の怪物” と一緒に燃やちまわねえんですかい! もしコイツらが()()()()の仲間だったら――」


 口頭が口答えに変ります。

 その声には、明かな不満と怖れがありました。

 一瞥。

 文字どおりの一瞥です。

 “ひと睨み” すらもしていません。

 ただ異様なまでに瞳孔の小さな、ほとんどが白目の双眸を向けただけで、半裸の大男は、怯え竦み黙り込みました。

 椅子に座った男の圧倒的な支配力と、なにより大男の漏らした言葉。


(……あいつらの仲間? この迷宮には、この海賊たち以外にもまだ他の勢力があるというのですか?)


 その一瞥で、自分がこの集団の支配者であることを示した男は、長い時間わたしたちに無機質な視線を向けていましたが、やがて……。


「……おまえたちは何者だ? どこからきた?」


 足元で伏せている(シベリアンハスキー)の頭を撫でながら、この私掠船団の首領(ハイ・コルセア)が、一欠片の感情も感じさせない声で訊ねました。



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