二重遭難★
「「――はぁ、はぁ、はぁ!」」
わたしとパーシャは、回廊を東に向かってひた走ります。
“小鬼” にかけた “棘縛” の効果はまもなく切れるでしょう。
追いつかれる前に振り切らなくてはなりません。
でもこの場合の振り切るとは、別の魔物の縄張りに踏み込むことに他ならず――。
「正面、“犬面の獣人” ×4!」
案の定というか、この世界では “小鬼” と対立関係にある “犬面の獣人” が、息せき切って走ってくるわたしたちを見て、ギョッと動きを止めました。
不意の遭遇戦。
でも、これあるを覚悟していたわたしに躊躇はありません。
「慈母なる “ニルダニス”よ――」
再びの “棘縛” の 嘆願。
わたしたちは後衛が二人。
しかも片方は呪文を切らしている魔術師です。
一瞬の遅れが命取りになります。
「――!!?」
“犬面の獣人” たちが『ギョッ』としたままの表情で固まります。
でも四匹全部とはいかずに、
「GuRuRururuーーーッ!」
目に見えない棘の緊縛を逃れた一匹が、唸り声を上げて飛び掛かってきました。
ガッ!
振り抜かれた凶悪な蛮刀の一振りを盾で受け止めます。
初めて迷宮に潜ったときは両手でどうにか耐えられた一撃ですが、今は違います。
力負けせずに左手だけで支えることが出来ます。
(本当に神経が通ったみたい!)
レベルアップの効果に自分のことながら驚いてしまいます。
拮抗する力と力。
一瞬、わたしと “犬面の獣人” の動きがガチッと噛み合ったように止まりました。
その隙を逃さずに、横合いからパーシャが再び腰だめの一刺しをお見舞いします。
「小さい人の 鋭い一撃、いざ馳走!」
先ほどと同様の見事な身のこなし。
まさにホビット族は、生まれながらの “忍びの者” です。
「GiGyaaaaーーーっ!」
“犬面の獣人” が脇腹に受けた激痛に身体をよじらせます。
力の均衡が崩れました。
「――っ!」
わたしは無我夢中で戦棍を振り上げ、振り下ろします。
重い凹凸の付いた柄頭は “コボルド” の頭には命中しませんでしたが、その左肩を捕らえました。
外皮が引き裂かれ、その下の鎖骨が砕ける、胸の悪くような感触。
わたしはお腹に湧いた嘔吐感に、思わず顔を顰めました。
「走れ!」
トドメを刺している余裕も気力もありません。
再び倒れている魔物たちを飛び越えて走り出します。
「パーシャ、あなた盗賊でも充分やっていけそうね」
「あはは、それは無理!」
「? どうして?」
「だってあたし、正義の味方だから!」
パーシャが走りながら快活に笑ったとき、後ろから唸りを上げて飛んできた何かが彼女の背中に突き刺さりました。
小柄な身体がつんのめり、回廊の床に倒れ込みます。
「――がはっ!?!」
パーシャが口から大量の空気と血を吐き出して、前のめりに倒れ込みました。
「パーシャ!?」
右の肩甲骨の辺りに、深々と湾曲した蛮刀が突き刺さっています。
振り返ると、わたしが左肩を砕いた “犬面の獣人” が蛮刀を投げつけた姿勢を崩し、倒れ伏したところでした。
右手だけで、最後の力を振り絞って、わたしたちに――パーシャに一矢を報いたのです。
「パーシャ!」
わたしは回廊の石畳に突っ伏した彼女に駆け寄って傷を改めました。
(……致命傷ではないけれど……致命傷ではないけれど……)
「……加護は……使わないで……お願い……」
パーシャが、コポッ……と小さな血の塊を吐き出しながら哀願しました。
「だめ。致命傷ではないけど、このままでは失血死してしまう」
わたしは有無を言わさず、パーシャの背中に突き刺さっている野蛮な曲刀を引き抜きました。
血が小さな噴水のように噴き出します。
それを両手で押さえて、“小癒” の加護を願います。
手にパーシャの血の温もりを感じながらの祈願。
願いは聞き届けられ、パーシャの傷が塞がり始めました。
でも……!
(だめ、足りない! 一回の嘆願じゃ足りない!)
間髪入れず、もう一度の加護を願います。
“小癒” の加護はその名前のとおり、軽度の傷を癒す加護です。
これぐらいの怪我になると一回では出血を止められないのです。
結局、わたしは二回 “小癒” を使ってパーシャの出血を止めました。
「さあ、立って。まだ辛いでしょうけど、ここにはいられない」
わたしはパーシャを抱え起こすと、倒れている “犬面の獣人” たちをチラリとみました。
今にも “棘縛” の効果が切れて追ってきそうです。
(……失った血が戻るまで、どこかでパーシャを休ませないと)
“小癒” をはじめとする癒やしの加護には、傷を塞ぐだけでなく、スタミナ回復や造血の効果もあります。
そうでなければ迷宮探索では役に立たないからです。
わたしはパーシャを支えながら回廊を東の突き当たりまで歩き、そこにある大扉を開けました。
軋んだ音を立てて、回廊と回廊をさえぎる門扉が開け放たれます。
そして現れたのは新たなる闇。新たなる回廊。
「……あっち」
弱々しい動作でパーシャが右手を持ち上げ、東を指差します。
わたしは黙ってうなずくと、彼女が指し示す闇の中へと踏み出しました。
その時です。
「「「GuRuruRruruーーーーっ!!!」」」
背後から獣じみた――いえ、獣そのものの唸り声が追い掛けてきました。
“棘縛” の効果が切れた!
パーシャはまだ動けません。
“棘縛” の加護は、残りあと二回。
今のわたしの力で、彼女を守りながら三匹の “コボルド” を相手にできるの?
決断を迫られたわたしの脳裏に、
――二重遭難。
不吉な言葉が浮かびました。
◆◇◆
同時刻――迷宮入り口。
「無理だ」
見張り番の衛兵に懇願されたグレイ・アッシュロードは言下に拒絶した。
薄汚れた板金鎧に身を包み、腰の左右に大小三本の刃物を佩いている。
その気になれば、すぐにでも迷宮に潜れる装備である。
実際アッシュロードはそのために “街外れ” に来たのだから。
「なぜだ!? あの娘はあんたの知り合いなんだろう!? なぜ助けにいってやらない!?」
あの娘――黒髪の東夷風の容貌をした僧侶がホビットの魔術師と迷宮に入ってから、かれこれ一時間ほど経つ。
今から急げば、あるいは助けられるかもしれない。
この男は熟練者 の探索者だ。
彼女たちを救う能力は充分に持っている。
それなのに目の前の三白眼の男は動こうとしない。
「俺は保険屋だぞ。ライスライトだけならともかく、そのホビットのパーティの誰かが他の迷宮保険に入っていてみろ。同業者同士の仁義を破ることになる」
「……あ」
衛兵がアッシュロードの言葉を聞き、殺気立っていた表情を改めた。
彼とてこの城塞都市で生きる者である。
アッシュロードの言わんとすることは理解できた。
「……そうか。そうだったな」
「そうだ」
保険屋は他の保険屋の仕事を奪わない。
依頼人の遺体を回収する際に、他の仲間の死体を見つけても無視する。
その遺体を回収しにくる同業者がいるかもしれないからだ。
それが保険屋の仁義であり、掟だ。
破れば相応の制裁が待っている。
「ライスライトが生きている限り俺は迷宮には潜れん。あいつひとりだけ連れて帰ることが出来ないからだ。そんなことはあいつが納得しない」
そうしてアッシュロードは、ポッカリと口を開けた迷宮への縦穴を睨んだ。
「俺が潜れるのは、あいつが死んだときだけだ」







