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迷宮保険  作者: 井上啓二
プロローグ 線画迷宮
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ある迷宮童貞、あるいは処女たちの初体験とその顛末(中)★

「大丈夫か?」


 ダイモンくんが側にきて声を掛けてくれました。


「ご、ごめんなさい、わた、わたし……」


 その時になって、ようやくわたしはダイモンくんが頭から血を流していることに気がつきました。


「ダイモンくん、怪我してる!」


「え? ああ、かすっただけだ。かすり傷だよ。こんなの唾つけとけば治る」


「まってて、すぐに治療するから!」


 回復役(ヒーラー)こそ、パーティでのわたしの本当の役目です。

 スイッチが入ったように立ち上がり、代わりにダイモンくんを座らせます。

 周囲ではセダくんが “キャンプ” を張るために聖水を使って魔物除けの魔方陣を描き始めていて、リンダがコボルドの死体を改めています。

 クリスくんとエドガーくんが警戒役です。

 キャンプは探索者が迷宮内で休息を摂るために張る簡易的な結界のことで、短い時間ですが完全な安全地帯を作り出すことができます。

 ダイモンくんの傷を確かめると、派手に血は出ていましたがそれほど深くはないようです。


(よかった。これくらいの傷なら)


 わたしはホッとすると、帰依する女神に祈りを捧げて加護を願いました。


「慈母なる女神 “ニルダニス” よ、傷を負いし我が子にどうか癒やしの御手をお触れください―― “小癒(ライト・キュア)” 」


 聖職者(僧侶や司祭)の “加護” は、魔術師の “呪文” に相当する魔法です。

 地方によっては “奇跡” や “秘蹟”などとも言うようです。

 駆け出し僧侶(プリーステス)のわたしが願える加護は四種類。


 軽い傷を癒す “小癒(ライト・キュア)

 対象の古傷を開く “軽傷インフリクト・ライト・ウーンズ

 暗闇を短い時間照らす “短明(ライト)

 そして、パーティの装甲値(アーマークラス)を1下げる “祝福(ブレス)


 使える回数は加護の数と同じで全部で四回。

 これは駆け出しのレベル1の僧侶としては多い方らしいです。

 祈りは届き、願いは聞き届けられました。

 傷口にかざしたわたしの手が淡く輝きだすと、見る見る傷が塞がっていきます。

 やがて、


「お、痛みが消えたぞ!」


「もう大丈夫だよ」


「すげぇ、これが聖職者の “加護” か!」


「迷宮で “加護” を願うのは初めてだったから、ちゃんと聞き届けてもらえるか心配だったけど、上手くいってよかった」


 わたしは背嚢から清潔な布を取り出すと、皮袋の水で湿らせてダイモンくんの血を拭ってあげました。

 ダイモンくんはこそばゆそうにモジモジと動きます。


「もう、動かないで」


「お、おう」


「なんだよ、ダイモン。妙に嬉しそうだな」


「へへっ、そりゃな。これぞ前衛の役得ってやつさ」


「けっ、お気楽なやつめ。その程度の怪我ですんだのは俺とセダの呪文のお陰だってこと忘れてんじゃねーか」


「わかってるって。未来の大魔道士さまさま」


「さまは、一回でいい!」


 わたしは『あははは……』と所在なさげな笑みを浮かべながら、血で汚れた布を背嚢にしまい込みました。


「なによ、しけてるわね! こいつら何も持ってないじゃない!」


 “犬面の獣人(コボルド)” の死体を改めていたリンダが、ブーツの先で忌々しげに獣人の屍を蹴り飛ばしました。

 どうやら倒した “犬面の獣人” はお金を持っていなかったようです。


「やっぱり、あれを開けるしかねーんじゃねえか」


 クリスくんがあごで玄室の隅をしゃくりました。


ねぐらを持たない奴らワンダリング・モンスターと違って、玄室の奴らはあれに溜め込んでるらしいからな」


挿絵(By みてみん)


 あれ――というのは、玄室の片隅に置かれた宝箱(チェスト)のことです。


「やるしかないか」


「やるしかないな」


「そうだよね……よし、やる!」


 リンダは意を決すると、宝箱に向かって歩き出しました。

 わたしたちが今日この迷宮に潜ったのは、魔物を倒して彼らの財宝を奪うためです。

 宝箱にはほぼ確実に罠が掛かっているはずですが、ここで諦めたら今の戦いが無駄になってしまいます。

 宝箱を調べ、罠があれば解除するのが盗賊であるリンダの仕事です。

 ここからが彼女の本当の戦いなのです。


「解除を試すのは “毒針” だけだからな。“爆弾” も “石弓” もダメだからな」


 “爆弾” の罠を恐れたダイモンくんが、構えた盾の後ろから怖々と声を掛けます。

 地下一階の宝箱に仕掛けられる罠の中でも“爆弾”は特に恐ろしく、運が悪ければ低レベルのパーティ全員が爆死するほどの威力があると聞きます……。


「わかってるわよ!」


 怒鳴り返しながら、宝箱の前に立つリンダ。


「……」


「リンダ?」


「……もし死んじゃったら生き返らせてよね」


「う、うん。必ず」


 弱々しい笑顔で振り返ったリンダに、何度も頷き返します。

 “爆弾” と違い、“石弓” は宝箱を開けようとする人間だけにダメージを与える罠ですが、それでも低レベルの盗賊ではほぼ確実に即死するそうです……。


「でも、出来れば死なないで」


「……はは、それ当たり前」


 リンダは大きく息を吸うと、宝箱の前に膝をつきました。

 腰の雑嚢から曲がった針金やら細いヤスリやら棒磁石やら糸鋸やらの、いわゆる『盗賊の七つ道具』を取り出して、探索者ギルドの運営する訓練場で習ったとおりの手順で宝箱を調べていきます。

 数分が永遠に感じるほどの心臓に悪い時間が流れます。

 やがてリンダが右手を挙げました。


「わ、わかったのか? 罠はなんだ?」


「“毒針”」


 ダイモンくんの問い掛けに答えるリンダ。


「当たってればだけど……」


 そう、当たっていれば。

 リンダの識別が間違っていて、もし罠が “爆弾” なら、パーティ全員がここで死ぬ可能性もあるのです……。


「それで、どうするの?」


 リンダが振り返り、最終的な決断を求めます。


「もちろんGOだ。“毒針” なら例え失敗しても地上へ戻れる」


 それは事前に何度も話し合い、打ち合わせたことです。

 リンダの生命力(ヒットポイント)は8ポイント。

 そして、ここから地上まではちょうど八区画(ブロック)の距離があります。

 ステータス異常 “毒” は、一区画進むごとに生命力を1ポイント奪います。

 ですから罠の解除に失敗して毒を受けてしまえば、リンダは地上への入り口で命を落とすことになります。

 ですがわたしの “小癒” の加護があと三回残っています。

 “小癒” は最低でも1ポイント回復させるので、帰路に “徘徊する魔物” に遭遇さえしなければ、リンダは生きて地上に戻ることができるのです。


「OK……それじゃ解除するわね」


 再び心臓に悪い時間が流れます……。


(ニルダニス様、女神様、リンダの識別が当たっていますように! どうか、どうか “毒針“ の罠であってください!)


 わたしはギュッと目をつぶり、両手を組んで、女神ニルダニスに祈りを捧げました。

 そして、


 ……カシャン。


 玄室内に響く、小さく乾いた解錠音。


「おっしゃー! 宝箱バージン卒業!」


「「「「おおーーーっ!」」」」


 リンダが両手を突き上げて吠え、わたし以外の仲間が歓声をあげました。

 そんな中で、わたしだけがへなへなと再び腰砕け、友人たちが宝箱に駆け寄る姿を見送ります。


「なにが入ってる!? 大漁か!?」


「強そうな剣はあるか?」


「そんなもんより金だ! 金! 金貨はあるのかよ!?」


「でも魔法のアイテムがあれば高く売れるそうですよ!」


「ちょっとガッつかないでよ、キモイわね! ――エバ、こいつらなんとかしてよ!」


 ちょ、ちょっと休憩させて。

 さすがにそのテンションにはついていけない。


 結局、宝箱から入手できたのは “迷宮金貨(ダンジョンゴールド)” が九〇枚。

 一人頭一五枚。

 迷宮金貨一〇枚で “冒険者の宿アドベンチャラーズ・イン” の簡易寝台に一週間泊まれるぐらいの価値があるので、食事代を含めても三~四日は温かい食事と寝る場所に困らないというわけです。

 つまり、


「「お風呂!」」


「「お肉!」」


「「柔らかいベッド!」」


 ウ~ッ、チャチャチャッ! ――みたいなノリでリンダと盛り上がります!


「おいおい、あんまり騒いで魔物を呼び寄せないでくれよ」


 ダイモンくんに苦笑混じりに注意されて、慌てて口をつぐみます。

 それでもまたリンダと顔を見合わせて、クスクスと笑い合い。


「一応確認するぞ。呪文はいくつ残ってる?」


「ひとつだ」


「僕もです」


「加護は?」


「3つです」


「つまり “昏睡” が二回に “小癒” が三回か……もう一戦いけそうだな」


 思案顔のダイモンくんに、彼を除く五人の視線が突き刺さります。


「冗談だよ。帰る。帰ります」


 当然です。

 まだ行けるは、もう行けない。

 訓練場で深層意識に刷り込まれるほど繰り返し教え込まれたことです。

 帰路に魔物と遭遇しないとは言い切れないのです。

 数日分の生活費とは言え、少なくない財宝を得られたのです。

 こちらから戦いを求める必要はまったくありません。

 もちろん、わたしも大反対です。

 というか、もう何をおいても一秒でも早くお風呂に入りたいのです。

 だから大反対なのです。

 なのです。


「よし、それじゃ帰るか」


 ダイモンくんを先頭に先程と同じ一列縦隊を組みます。

 全員が再び武器を手に、コボルドとの戦闘の間にいつのまにか閉まっていた扉を開けて玄室を出ます。

 初めての戦いに勝利して、初めて財宝を手に入れて。

 油断していなかった。気が弛んでいなかった……といえば嘘になるかもしれません。

 それでも、そこまで酷くはなかったと思います。


「…………えっ?」


 顔に生臭い息を感じたときには、わたしの左胸からニョッキリと赤錆びた短剣が生えていました……。

 痛みと言うより熱……。

 それよりも衝撃……。

 身体の中に何かの液体が溢れかえり、内側から圧迫される不快な感触……。


(……あ)


 視界が傾き、そのまま迷宮の石畳に顔を打ち付けて……。


 ダイモンくんがふたりの “探索者風の男(みすぼらしい男)” に短剣を突き立てられていて……。

 クリスくんが両手で喉を押さえてうずくまっていて……。

 セダくんがわたしに向かって手を伸ばした瞬間に切り刻まれてて……。

 エドガーくんが呪文も唱えずに滅茶苦茶に短刀を振り回していて……。

 リンダが……リンダが悲鳴をあげていて……。


 口から……何かが溢れて……。

 声が……出なくて……。


(……なん……で……)


 こんなに簡単に、呆気なく終わってしまうの……?


(……嘘……いやだ……こんなの……)


 でも、こんなに簡単に、呆気なく、わたしの冒険は終わってしまったのです……。


(……ヤト……くん……)



挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
奇襲で全滅というウィザードリィあるあるだけど小説だと 怖いなw
[良い点] 宝箱を開けてからの急展開が見事で驚きました。開けるまでの緊張感も面白かったのですが。なぜ急襲されたのか、想像がいろいろ出来て楽しいです。 [一言] 続きの気になる面白い展開でした。
[良い点] ウィザードリーだあああああ! [気になる点] *おおっと* [一言] いしのなかにいる
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