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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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地下戦争

「――今帰ったよ」


 火の小さくなった篝火(かがりび)を前に、無聊(ぶりょう)をかこっていたノーラ・ノラは、待ち望んでいた声にピョンッ! と跳ね起きた。


「マンマッ!」


 幼子とはいえ猫人(フェルミス)のノーラの聴力は抜群である。

 それなのに足音を察知することが、まったくできなかった。


“さすがマンマにゃ! マスターくノ一、ここにあり――ニャッ!”


 ノーラは誇らしさと、退屈の虫から解放される嬉しさそのままの勢いで母親に駆け寄り、抱きついた。


「おう、いいタックルだね――いい子にしてたかい?」


「してたニャッ! でも退屈で死にそうニャッ! マンマ、マンマ、お土産はあるニャッ!? ないニャッ!?」


「もちろん、あるさね。ただ、デカすぎて持って帰れなかったから、これから人手を出してもう一度取りに行かなくちゃならないのさ」


 ドーラは娘の柔らかな毛に覆われた()()()を、優しく撫でながら言った。

 子猫の喉が心地良さげに鳴っている。


「――早かったな」


 トリニティ・レインがドーラの帰還を知り、やってきた。

 本来ならドーラの方から報告に行かなければならないのだが、猫は呼んでもこないものだと、この聡明な司令官は理解してる。


「第一層の南東区域(エリア)は、一通り調べ終えたよ。残念だけど、出口はなかった」


 わずか三時間の探索で、彼女たち “(イビル)” のバディはこの階層(フロア)の四分の一を踏破していた。


「そうか」


 もっとも聞きたかった発見がなされず、トリニティは表情に出さずに小さく落胆した。


「入口の階にしては、なかなか手強い魔物が巣くってるね。“紫衣の魔女(アンドリーナ)の迷宮” の地下二階と同程度だと思って間違いない」


「“初見殺し” だな――アッシュはどうした?」


 ドーラと行動しているもうひとりの姿が見えず、隣に控えている補佐官のハンナ・バレンタインが不安がっていたので、トリニティは代わって訊ねた。


「すぐそこの玄室で土産の番をしてるよ。“大蛇(アナコンダ)” を三匹ほど狩ったんでね。他の魔物の餌になっちまう前に取りにいかないと」


「それは助かる。すぐに人手を出そう。食料はいくらあっても困らないからな」


「マンマ! 今日のまんまは、また “ミズダキ” にゃんか!?」


 昨晩エバ・ライスライトが振る舞った鍋料理がいたく気に入ったノーラが、尻尾をピンとおっ立てて騒いだ。


「“水炊き” な――そうさね、他にこれといった材料もないしね」


 そこまで言って、ドーラはトリニティを見た。


善の子(あの子)らは、まだ戻らないのかい?」


 はるか東方の島国の料理に詳しいエバがいれば、今夜の献立について一緒に頭を悩ませられる、と思ったのだ。


「まだだ。おまえたちが早すぎたのだよ。戻るまでもうしばらくかかるだろう」


「ふむっ」


 ドーラは低い小鼻をヒクヒクさせると、拠点南西を見つめた。

 その先の玄室には、“大蛇” の死体を守るアッシュロードが人数の到着を待っている。

 そして、さらにその先には……。


「ほいじゃ、聖女様たちが戻ってくれるまでに、今夜の餌を運び込んでおこうかね」


◆◇◆


 ギイイイイイイイッッ!!!


 盛大にして耳障りな音を立てて、要塞のふたつの城門が開きました!

 そして中から大挙して現われた、曲刀を手にした薄汚れた半裸の大男たち!


「――逃げて!」


 これは、これはいくらなんでも――多勢に無勢です!


 そしてなにより――!


「ここで戦っては()()になってしまいます!」


 わたしは叫びました。

 地下空間に存在する、ふたつの勢力。

 ひとつはもちろん、わたしたち “リーンガミル親善訪問団”

 もうひとつは、眼前にそびえる大要塞を拠点とする、この半裸の大男たち。


 番兵変わりの怪物を倒しただけなら、あるいはまだ交渉の余地が残っているかもしれません。

 しかし局地的とはいえ干戈(かんか)を交えてしまえば、それは戦端を開いたのと同じです。

 事態を収拾するのが、何倍も困難になってしまいます。

 なぜなら干戈を――剣を交えれば、人が死ぬのですから。


「あたいたちは敵じゃないよ!」


 パーシャが悲鳴のような声で呼び掛けます。


「無駄だ! “海竜(番犬)” を撫で切りにしちまったんだ! 連中、頭に血が上っちまってる!」


 諸肌を脱いだ褐色の肌の大男たち。

 ジグさんが怒鳴ったとおり、その表情には怒りと、なにより強大な力を持つ侵入者への怖れが、強い怖れありました。

 ガーディアンと頼んでいた “巨大な怪物(モート・モンスター)” を一蹴してしまったわたしたちは、彼らの目には脅威としか映らないのでしょう。


「――後ろを見ないで!」


 その時、隊列の最後尾にいたフェルさんが叫びました。

 刹那、パッと身体を追い越していく眩い光。

 最大光度で点された “短明(ライト)” の魔法光が、大男たちの網膜を灼きました。


「今だ、パーシャ!」


「あいよ! 音に聞け、ホビット光速の詠唱、いざ唱えん―― “昏睡(ディープ・スリープ)” !」


 レットさんが間髪を入れずに指示を出し、パーシャがたった今自分を追い越していった閃光のような速さで、眠りの呪文を投げつけます。

 “短明” も “昏睡” も最初歩の魔法だけあって祝詞や呪文が短く、高速詠唱に向いているのです。

 深昏睡に陥った褐色の大男たちが、つんのめるようにバタバタと倒れました。


「――南へ!」


 わたしは再度叫びました。

 北側の東にある城門からは、半裸の大男たちや頭にターバンを巻いた船乗り風の男たちが溢れ出ていて、とても元来た方へ戻ることはできません。


「行くぞ!」


 ジグさんが真っ先に走り出し、他の五人がそれに続きます。

 わたしたちは南に数区画(ブロック)走り、すぐに煉瓦造りの内壁に行く手を阻まれました。

 西はやはり内壁です、東に逃れるしかありません。


「これって、グルッと回ってるだけなんじゃ!」


 お得意のピッチ走法で駆けながら、パーシャが嘆きます。

 わたしたちは南の内壁沿って、東へ東へと逃走しています。

 北には、深い壕をはさんで要塞の南側の防壁がそびえていて、その上から矢や石つぶてが次々に襲ってきました。

 飛来する矢弾から逃れるため、フェルさんが “短明” を消して、 わたしたちは再び闇に紛れました。

 同時にわたしは走りながら口の中で祝詞を唱え、“神璧(グレイト・ウォール)” を嘆願しました。

 石つぶても矢も、当たり所が悪ければ容易に行動不能に陥ってしまいます。

 逃走中に()()()わけにはいきません。

 背後に迫る大勢の気配。


「南への回廊か扉があれば逃げ込め!」


 レットさんが肩越しに後ろを見たあと叫びました。

 そうなのです。

 このまま南に逃れる経路が見つからなければ、パーシャの言うとおりわたしたちはグルッと回って――。

 そして、往々にしてこういう場合は、悪い予感の方が当たってしまうものです。

 南への逃走経路は見つからず、わたしたちは東の内壁にぶつかり、さらに北へと逃れるしかありませんでした。

 北にはわたしたちが、掘建て小屋(バラック)方面から侵入してきた扉があります。

 そこに逃げ込めれば、拠点へと戻ることができるのですが――。

 当然要塞周辺の地理に明るい追っ手側は、退路を断って挟み撃ちにするべく、反対方向から別働隊を回り込ませているでしょう。


 息せき切って走り続けるわたしたちの目に、掘建て小屋方面への扉の前に立ち塞がる何十人もの男たちが姿が映りました。



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