意見具申
「――お水、手に入るかもしれません」
わたしはアッシュロードさんとみんなのところに戻ると、事態の収拾に当たっているトリニティさんに、先ほどの発見について手短に伝えました。
「完全な海水ではないだと?」
「はい。少なくとも海の水に比べたら、あそこまで濃くはありません」
「だが報告では――いや、そうか “汽水” か」
紫衣の魔女を除けば “大アカシニア” でもっとも明晰な頭脳を持つであろうトリニティさんが、あっという間にわたしの言わんとすることを察しました。
「迂闊だったな。そこまで頭が回らなかったよ。よく気がついてくれた」
トリニティさんは気恥ずかしげな表情を浮かべると、わたしにお礼を言いました。
「それは……いえ、ありがとうございます」
トリニティさんを慮る言葉を口にしかけて、思い止まりました。
それは年下で経験も能力もずっと劣るわたしが、言ってよいことではないと思ったからです。
おそらく湖の水を調査した人が、たまたま濃い部分を調べて海水と思い込み、トリニティさんに報告したのでしょう。
普段のトリニティさんならともかく、その報告からこの地底湖が海水と淡水の交じり合う汽水湖だと思い至らなくても、無理はありません。
それは彼女の仕事ではないからです。
「思い込みとは怖いものだ。気をつけてはいるのだが」
「“アバナシア”の海が目と鼻の先だからな。塩辛い水を舐めれば、誰だって海の水だと思うさ」
アッシュロードさんの言う “アバナシアの海” とは、“城塞都市リーンガミル” の近郊に広がる外海のことです。
沖合には “アバナシア群島” と呼ばれる島々があり、そこを根城にして沖ゆく船に掠奪行為を働く海賊がいるとも聞きます。
地図を見れば、今わたしたちがいると思われる “龍の文鎮”からも波の音が聞こえそうな距離なので、アッシュロードさんの労りの言葉はもっともなのです。
「おそらくですが……この地底湖自体は元々淡水湖なのではないでしょうか? そこに海底トンネルとか地下水路とか、そういうもので海水が流れ込んで……」
「大いにありえることだな――やれやれ、故郷についての知識がこの有様では、リーンガミル生まれが聞いて呆れる」
「どうせ若い頃は、本の虫だったんだろう」
「しかも “魔道書” のな――とにかくお陰で希望が見えた。すぐに人数を手配して調査に向かわせよう。こちらの思惑どおり淡水域があるといいんだが」
「あの、それでしたらわたしが行きます!」
トリニティさんの言葉に、わたしは勢い込んで立候補しました。
「いや、しかし――」
「一番混乱して大変なときに何時間もお手伝いできなかったのです! わたしに行かせてください!」
「わかった。だが単独では駄目だぞ――」
やれやれ、とトリニティさんの視線が、わたしからアッシュロードさんに移ります。
「~装備を探してくる」
小さく嘆息するアッシュロードさん。
そうこなくちゃ――です。
「閣下、それでしたらこちらに用意してあります」
トリニティさんの旁らに控えていたハンナさんが、進み出ました。
「無事だったのか」
「はい。装備を積んでいた馬車もここに飛ばされてきましたから。閣下の剣と鎧も無事ですわ」
「そうか……助かる」
「エバさん、あなたの装備も一緒です」
「ありがとうございます」
ハンナさんは礼を述べるわたしに、
“おう、今日のところは大目に見てやるけど、次はこうはいかんけんな”
テレレ~、テレレ~! みたいな仁義なき視線を送ってきたので(若干誇張気味)、わたしも、
“わかっとる、わかっとる。今日のは、わしの失態や。この落とし前はあとでつけるけん、今は目ぇつぶっといてくれや”
エセ広島弁的視線を返しました。
トリニティさんはわたしとアッシュロードさんの他にも、一個小隊の近衛騎士を呼んで、分隊規模でそれぞれ淡水が手に入る場所を探させに出発させました。
すぐにアッシュロードさんとわたしも、着け慣れた武具の装備を終えました。
(さあ、仕切り直しです)
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アッシュロードさんが唱えた “永光” で暗闇を払いながら、わたしたちは地底湖の水打ち際を進んでいます。
少し歩いては立ち止まって湖水を舐め、少し歩いてはまた立ち止まって湖水を舐めるの繰返しです。
「まだ飲むには塩っぱいな」
「ですね。お味噌汁ぐらいの塩分です」
「ドーラがたまに作ってる、あれか」
「えっ!? この世界にもお味噌があるのですか!?」
「あいつは元々 “蓬莱” の出だからな。自家製のを作ってるぞ。あと妙な味のピクルスとかも」
「それはきっとお漬物です! すごい! 本物のお袋の味ですよ、それは!」
いろいろあって下がりまくっていたテンションが爆上げです!
「~偽物のお袋の味ってのは、どんなんだよ」
「わたし、お味噌汁では断然、ワカメとお豆腐派なんです!」
「ワカメ?」
「海藻の一種です。美味しいんですよぉ」
「海藻か――ちょうどあんな感じか?」
アッシュロードさんがそれを見て、わたしに訊ねました。
「えーと――いえ、あれはワカメではなく昆布ですね。似ていますが葉の付き方が違うんです。でも、あれも美味しいんですよ」
わたしも、それを見て答えました。
「へーえ、美味いのか」
「ええ、美味しいんです」
「「……」」
ザパァッッッ!!!
水面からニョッキリ伸びていたそれが、わたしたちの会話を聞いて餌にされるとでも思ったのか、突然動き出して襲い掛かって?きました!
「「ええーーーーっっっ!!!」」
思わず、ユニゾンで叫んでしまった、わたしとアッシュロードさん!
こ、これも迷宮の魔物なのですか!?
迷宮の魔物といったら、普通は “竜属” とか “巨人族” とか、ずっと弱くて “犬面の獣人” とか “オーク” なんかじゃないのですか!?
「散れっ!」
「はいっ!」
ですが、呆気に取られたのは一瞬のことです。
アッシュロードさんはもちろん、今やわたしもネームドの探索者です。
もう駆け出しの頃のように、魔物の突然の出現にも身を竦ませることはありません。
ビシャンンンッ!
水を大量に含んだ雑巾を床に叩きつけたような音が、周囲に響きました。
半瞬前までわたしたちがいた場所を、昆布の、昆布の、腕? 手? 葉? と、とにかく、そういうのが殴り付けたのです。
「しゃらくせぇ!」
飛び退いたときには、アッシュロードさんは左右の手で愛剣である大小二本の剣を抜き放っていました。
相変わらずの抜く手も見せない早業です。
わたしも腰の革帯に吊り下げていた魔法の戦棍を手に身構えます。
それにしても、なんという大きさでしょうか。
水面から顔を出している部分だけでも、二〇メートルはあるかもしれません。
小さい頃に観た海洋ドキュメンタリー映画で、海の中の森 “ジャイアント・ケルプ” の森で泳ぐラッコたちに、心をときめかせたことを思い出します。
しかし、これは “ジャイアント・ケルプ” ではありません。
似ていますが、非なるものです。
これは “クローリング・ケルプ” ――すなわち、“動き回る海藻” です!
その証拠に――。
ザバッ!
巨大な海藻が湖の中からズチャズチャと水っぽい音を立てて、上陸してきたのです。
しかも、一体?(一本?)だけではありません。
その数、4、5、6、7、8――8!
全部で、八体もいます!
「ええい、面倒だ!」
アッシュロードさんが魔法の短剣を握ったまま、左手を “昆布の群れ” にかざしました。
“滅消の指輪” を使うつもりです。
「――ああ、駄目です! “塵” にしないでください!」
「なに!?」
以前読んだ物の本によると、ジャイアント・ケルプは少量の若芽の部分が食べられるそうです。
――すなわち、
「“迷宮保険的ダンジョン飯” です!」
ドーン!







