ホビットと冒険★
「あ、あんた、聖職者だよね!? お願い、一緒にきて! 仲間が、仲間が死にそうなんだよ!」
縄梯子を登りきって肩で息をしていたその探索者は、顔を上げてわたしを見つけるなり、汗と、そして血にまみれた顔で嘆願しました。
小さな身体と幼い顔立ちから、わたしは最初その探索者が子供だと思ってしまいました。
まだ子供の――身長が九〇センチくらいの幼い女の子。
でも、それは間違いで――。
「早く! 仲間が――みんなが死んじゃう!」
その女の子――ホビットの探索者はわたしの手をつかむと、迷宮の入り口に向かって強引に引っ張りました。
ややくせ毛の赤毛からのぞく、尖った耳。
緑色の大きな瞳には今にも零れそうなほどの涙を溜めて。
ゆったりとした厚めのローブと腰に帯びた短刀から、魔術師だと思われます。
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりそんなこと言われても――」
わたしは戸惑い、そして慌てました。
それはそうです。
いくら “善” の僧侶とはいっても、状況もわからずに迷宮に助けには入れません。
わたしはホビットの魔術師に縦穴に引っ張り込まれないように踏ん張ると、助けを求めるように側に立つ衛兵さんを見ました。
衛兵さんは何も言わず、顔を横に振るだけです。
衛兵さんは迷宮の中にまで踏み入ることはできません。
そういう規則なのです。
迷宮の外まで自力で戻ってくることができれば、もちろん手を貸してくれます。
重い傷を負った探索者を宿まで運んでくれますし、命を落としていたり特殊な状態異常の場合は寺院にです。
ですが探索者を救いに迷宮に入ることはできないのです。
「も、もう少しだけ待てばわたしの知っている人がくるはずですから」
わたしは引きつった笑顔で、それでも精一杯彼女なだめました。
「その人は熟練者の 君主で……」
「待てないっ!」
そんなわたしの曖昧で及び腰な言葉を、彼女の悲鳴じみた声が打ち砕きます。
「待てないっ! 待てないっ! 待てないっ! みんな血だらけで、血が噴き出してて――あいつら、あいつら卑怯なんだよ!」
「あいつら?」
「“みすぼらしい男” たちだよ!」
「――」
「お願い、お願い助けて! あんた僧侶なんでしょ? 回復役なんでしょ? あたいの仲間たちを――友だちを助けて!」
涙を湛えた翠玉色の瞳がわたしを見つめています。
わたし……きっとこういう目をしていたんだ。
あの時、あの寺院で、わたしこういう目をしていたんだ。
長いようで、それは短い時間でした。
「わかりました」
わたしはうなずきました。
もう曖昧で及び腰な気持ちはありません。
このホビットの少女の言葉が、そんなものはどこかに吹き飛ばしてしまいました。
「ほんと? ほんとに!? ほんとにきてくれるの!?」
「僧侶 に二言はないですよ」
わたしは微笑みました。
今度は引きつってはいません。
「おい、あんた本気か?」
衛兵さんがうろたえた様子で訊ねました。
「グレイ・アッシュロードさんが来たら伝えて下さい。ライスライトは大切な用事ができたので先に潜ると」
それと――。
わたしは次の言伝を頼み掛けて、思い直しました。
「さあ、行きましょう」
もしものときはまたお願いします――。
その言葉を呑み込んだわたしは、ホビットの少女に先んじて縄梯子を下り始めました。
◆◇◆
慎重に縄梯子を下りきると、わたしは腰に下げていた戦棍をすぐに右手に持ちました。
左手には木製の大きめの盾を構えます。
両手に感じるズシリとした感触が、今は不思議と頼もしく思えました。
縄梯子を背にして、ホビットの彼女が下りてくるまで周囲を警戒します。
やがて彼女が下りてきて、わたしの頭ぐらいの高さから軽やかに飛び降りました。
さすがは身軽が身上のホビットと言ったところでしょうか。
「ふぅ、ありがとう」
「明かりは持っていますか? 角灯とか松明とか。わたしは一緒に来る人頼みで……」
わたしは周囲を警戒しながら、背中越しに訊ねました。
「あたいも、ここまで逃げてくる間に全部なくしちゃった」
「そうですか」
同じ位階に “小癒” の加護があるので、“短明” の加護は願えません。
大丈夫。
明かりがなくてもヒカリゴケの発光があります。
だから、きっと大丈夫。
「あなたのレベルは? 呪文はいくつ残っていますか?」
「レベルは3……呪文はもう残ってない……ごめん」
後ろでシュンとする気配が伝わってきます。
「いいのですよ。こういう状況で呪文が残ってる方が変なのですから」
「あんたは……あんたのレベルは? 加護はいくつ使えるの?」
すがるようなホビットの少女の声。
「わたしのレベルは4です。加護は第一位階が五回。第二位階が四回。すべて授かっています」
「すごい、貰い残しなしなんて優秀じゃん!」
(本当に、そうだといいんですけどね……)
わたしは控えめに笑って彼女の感嘆を受け流しました。
それで少しでも彼女が希望を持てるなら、何を言わんやでしょう。
「名前……名前教えて。あんたの」
「エバです。エバ・ライスライト」
「あたいはパーシャ。ただのパーシャ」
「よろしく、パーシャ」
「よろしく、エバ。来てくれて嬉しいよ。そしてありがとう」
「友だちは何があっても絶対に見捨てられませんから」
わたしのその言葉にパーシャが目を見開くのがわかりました。
「時間がありません。動き出したら話してる余裕はなくなると思います。お友だちは何人で、どういう状況なのかを教えてください」
さすがに魔術師だけあって、パーシャの説明は簡潔で明瞭でした。
彼女の話によると、彼女たちのパーティは五人編成で、戦士、戦士、盗賊、僧侶、そして魔術師のパーシャ。
彼女たちは一ヶ月前に探索者として初めて迷宮に潜り、それ以来一人の犠牲者も出すことなく順調にやってきたのだそうです。
そしてレベルが3になったので少し遠出をして、ボルザッグさんの言う “トモダチの部屋” に行ってみることにしたのだとか。
その “トモダチ” という固定モンスターは装甲値が低く(装甲値は低いほどよいのです)攻撃が当たり難い代わりに、攻撃力もあってないようなもので、ある程度経験を積んだパーティには良い稼ぎになるのだそうです。
戦いは両者とも攻め手に欠いて長期戦なったそうですが、なんとか勝利していざ帰還しようと玄室を出たところで……。
「あいつらが不意に襲ってきたんだ! 卑怯者め」
「……探索者が玄室での戦闘で疲弊したところを襲う。それがあの人たちの常套手段なのです」
結局その奇襲攻撃で、生命力が減っていた戦士と僧侶が死亡。
残ったメンバーでなんとか敵を撃退したものの、もう一人の戦士と盗賊も深手を負ってしまい、帰還は困難と判断。“トモダチの部屋” に戻って立て籠もったのだそうです。
そして唯一無傷だったパーシャが、助けを呼ぶために一人地上を目指した。
「出会ったのは探索者になってからだけど……でも、みんな友だちなんだ」
「状況はわかりました。急ぎましょう。話を聞く限り、玄室に立て籠もってる二人も危険な状態みたいですし」
わたしとパーシャは魔物と遭遇した際の行動などを軽く打ち合わせ、出発します。
「玄室までの先導は任せて。あたいはこれでも魔術師の記憶力とホビットの敏捷さの両方を合わせて持ってるから。ついでに悪運も」
パーシャは務めて明るい声を出すと、短刀を抜いて回廊を進み始めました。
わたしも戦棍を握りしめて彼女の後に続きます。
(空元気でもないよりはずっといいです)
“線画の迷宮” をパーシャと二人、息を殺して進みます。
パーシャは岩壁の外壁を左手に進んでいます。つまり北に向かっているわけです。
わたしは何度も後ろを振り返りました。
何かが暗闇の中から足音を殺して、ヒタヒタと付いてきているような気がしてならなかったのです。
やがて回廊は篤い煉瓦塀にぶつかり、東に折れました。
そして東に進むこと二区画。
先を進むパーシャが右手を挙げました。
一区画先で回廊は南と東に分かれています。
その東側から、何かが近づいてくる気配がしたのです。
どうやら徘徊する魔物と早くも遭遇してしまったようです。