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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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大人買い

 チュン、チュン、チュン、朝チュンチュン。


「う、うーーんっ」


 窓の外で楽しげに交わされる雀のさえずりに、目を覚まします。

 爽やかな朝の目覚めです。

 上半身を起してグッとノビをすると、目尻に心地良い涙が浮かびました。

 わたしは()()()のダブルサイズのベッドから出ると、スリッパを履きました。


「エバ、起きたの?」


「はい、おはようございます」


 ()()()()()()()とを仕切る衝立の向こうから、朝から溌剌とした若い女性の声がしました。

 帝国軍上層部から、上官が所有する借金奴隷に()()な真似をしないよう監視のために派遣された、副官 兼 秘書官の女性士官さんです。


「よく眠れたみたいね。くーくー、可愛いイビキをかいてたわよ」


 反対側の衝立の向こうから、まるで賛美歌を歌うような澄んだ声がしました。

 ニルダニスの修道院から、主人が “聖女” の奴隷に()()な真似をしないように監視のために派遣された、エルフの僧侶(プリーステス)さんです。


「あはは……さすがにスイートルームのベッドですよね。寝心地が良すぎて溶けてしまいそうです」


 最上級のロイヤルスイートには及ばないものの、一週間 300 D.G.P. は伊達ではなく、スィートルームのベッドは快適そのものです。


「ぐがーーっ! ぐがーーっ! ぐぴーーっ! ぐがーーっ!」


 この豪快にして幸せそのもののイビキが、まさしくその証明といえるでしょう。

 このスィートルームの主が、奴隷と部下と僧侶(プリーステス)()()な真似をしないように監視役を買って出てくれた、ホビットの女の子です。


(監視役なのに、誰よりも熟睡しているのはご愛敬ということで)


「ご主人様は?」


「まだ寝てるわ」


「毎晩遅くまで飲んでるうえに、()()朝が弱い人ですからね」


「「――は? なんであなたが、そんなことまで知ってるわけ?」」


 両側の衝立から、ハンナさんとフェルさんが同時に怖い顔を出しました。

 タイミングドンピシャの見事なユニゾンです。


「あ、あはは、言葉のあやです。なんとなく普段の様子からそんなイメージがありますから」


 慌てて誤魔化す、わたしです。


「それじゃ、顔を洗ってきますね。一巡して、今日はわたしがご主人様を起す番ですから。おふたりはパーシャをお願いします」


「「ぐぬぬぬ!」」


 そんな怖い顔をしても駄目ですよ。

 これはみんなで話し合って決めたルールなのですから。

 そもそも、本来ならわたしが独占的に有する権利を、皆さんに分けてあげたのですよ。

 感謝のまなざしを向けられこそすれ、睨まれる覚えはありません。


「ああ、旦那様を起してさしあげるのは、わたしにとって無上な喜びです!」


「「その呼び方、やめて!」」



「ご主人様、起きてくだ~い。朝ですよ~。お日様がもう昇ってますよ~」


 顔を洗って着替えると、わたしは部屋の中央から片隅に移動されたベッドの脇に立ちました。

 ご主人様は、壁際に身体を向けて寝ています。

 なんとなく拗ねているように見えて、可愛いですね。とっても可愛いですね。


「返事がない。ただの屍のようだ」


 仕方ないので、ゆっさ、ゆっさ!


「起きてくださ~い。今日はノーラちゃんと大事な約束があるんですよ~。約束を破ったら針千本飲まないといけないんですよ~」


「……」←ご主人様


 むぅ、これはあれですね。意地っぱりの狸さんですね。

 意地になって、狸寝入りをしています。

 まったく子供っぽい人です。

 いえ、子供そのまんまです。

 仕方ありません。

 子供に勝つには、子供のファイトしかありません。


 わたしは後ろを振り向くと、反対側の壁際までツカツカと歩きました。

 そして再度振り返り、助走をつけての――。


「フライ~ング、ボディプレス!」


 ボスッっとな!


「ぬわわわぁぁっ! いきなりなにしやがる、ライスライト!」


「ああ、やっぱり狸さんでしたね。おはようございます、狸さんなご主人様」


 慌てて跳び起きたご主人様に、にこやかにご挨拶です。


「……はぁ~」


「なんです? そのしょぼくれたため息は?」


「……なんだか、自分がどんどん堕落してる気がするからだよ」


「堕落ですか?」


 キョトンとした顔で、訊ね返します。


「……あんな、ライスライト」


「はい」


「朝っぱらから、()()()()()()()()()()()()()()()()()() “おはよう” って言われてるんだぞ? これが堕落でなくてなんだってんだ」


 胸に走る鈍い痛みを無視して、ことさら明るく反駁します。


「わたしはあと半年ちょっとで一六才の一五才です。この世界の成人年齢は一四才ですから、わたしは立派な成人――大人ですよ」


 一五才が未成年だなんて、いったいどこの世界の常識なのでしょうね。まったく。


「そういうのをな、屁理屈っていうだ」


「屁理屈だって理屈のうちだと、ドーラさんも仰ってました」


「あんなドラ猫に影響受けちまって……ああ、ライスライト。出会ったばかりの頃のおまえは、素直でウブな娘だったのに」


「“女子三日会わざれば刮目して見よ”と言うではありませんか」


「また屁理屈を。そりゃ男子だろうが。だいたい、それをいうなら “男女七歳にして席を同じゅうせず” とも言うぞ」


「それをいうなら、“据え膳食わぬは男の恥” とも言いますよ」


 王手飛車取り。


 ――ぬがっ! と二の句のつけないご主人様。


 さあ、どーんと行っちゃいますか、朝っぱらからどーんと!


「召しませ、ホビット自慢の空飛ぶお尻、いざ馳走!」


 ドゴッ!


 そして、どーんと飛んできた小さなお尻が、ご主人様の顔面を直撃しました。

 おお……これはまた見事なフライング・ヒップ・アタックです。


「朝っぱらから、なにベッドの上でイチャイチャしてんのよ! 気持ち悪いわね!」


「「そうよ! いつまで抱きついてるのよ!」」


 パーシャのお尻がご主人様の顔にめり込んでいる隙に、わたしはハンナさんとフェルさんに両脇を抱えられて、ベッドから引き離されてしまいました。


「ああ、旦那様!」


「「その呼び方、やめて!」」


「もう、いいところだったのに」


「「なにがいいところよ! どさくさに紛れて、なに密着してるの!」」


 人族(ヒューマン)とエルフ。

 ふたりの美女が般若(オーガ)の形相で、わたしを睨みます。


「ああ、その言い方はずるいと言わざるを得ません! フェルさんは一昨日、ご主人様を起すときに、フッと耳に吐息を吹きかけたではありませんか!」


「あ、あれは、()()()の耳に糸くずが付いていたから……」


「ハンナさんもです! 昨日の朝、貧血を起した()()をして、ご主人様に()()()()かかりましたね! わたしの目は誤魔化せませんよ!」


「あ、あれは、本当に立ち眩みがしたのよ。わたしが低血圧で朝が弱いの知ってるでしょ」


「自分たちだって小技を利かせているではありませんか。わたしだけを責めるのはお門違いというものです」


「「あなたのは大技でしょう!」」


「――むぅ!」


 バチバチバチッ!


 ゴーーーングッ! カァァンッ!


(…………迷宮に籠もりてぇ)



 グズってなかなか起きてくれないご主人様を、わたしとハンナさんとフェルさんでなだめすかして、それでも起きてくれないので、パーシャがお尻を蹴り飛ばして、

どうにか宿屋の外にまで連れ出しました。


「…………迷宮に籠もりてぇ」


「もう、いい加減踏ん切りをつけてください。今夜はいつもより高いお酒を飲んでもいいですから」


「…………一番高いのじゃなきゃ嫌だ」


「仕方ないですね。それじゃちゃんとお買い物ができたら、頼んでもいいですよ」


(((……なんつー会話じゃ)))


 ご主人様の腕をポムポムと叩いて励ますわたしを、他の三人がゲッソリした顔でみています。

 ご主人様は平服に護身用の短剣(ショートソード)という、街でのいつもの出で立ちで、他のわたしたちもそれに準じた普段着です。


「アッシュ()()()!」


 待つことしばし、駆けてくる足音ひとつ立てずに、ノーラちゃんが現われました。


「相変わらず干涸らびた干物みたいな顔ニャ。覇気の欠片もないニャ」


 直立したグレートデンの老犬のようなご主人様を見上げて、ノーラちゃんから漏れる容赦のない(率直な)言葉。


「……」


 もはや答える気力もないご主人様です。


「――干物ってのは、元から干涸らびてるもんさね」


 少し遅れて母親のドーラさんが、やはり足音ひとつ立てずに現われました。


「そういう場合は、そうさね――迷宮のマミーみたいに干涸らびてるってのはどうだい?」


「おはようございます」


「おはよう、少し遅れちまったかい?」


「大丈夫です。ご主人様も、ようく始動しはじめたところですから」


「やれやれ。なんだか、あっという間の世話焼き女房だね」


 ドーラさんが苦笑を向けたのは、ご主人様ではなくわたしでした。


「エヘヘ……そ、そんなことはありませんよ」


 モニョモニョ……。


「「ええ、そんなことはありません!」」


 今日はまた一段と見事なハモり具合ですね、ハンナさん、フェルさん。


「~頼むから、買い物の最中に “女の戦い” を始めないでくれよ。これから行くのは、上帝陛下御用達の格式がお高くとまってる店なんだから」


 そうなのです。

 今日のノーラちゃんとの大事な約束とは、みんなで親善訪問団に持っていくための服を買うことなのです。

 着の身着のままな着た切り雀のご主人様はもちろんのこと、わたしやフェルさんも、リーンガミル聖王国の公式な行事に出られるような、ちゃんとした服は持っていません。

 使節団長を務めるトリニティさんからは、


『我が帝国の恥にならないような礼服(フォーマル)を、可及的速やかに見繕うように。金に糸目はつけるな』


 との厳命を受けているのです。


(現役の財務大臣がスポンサーなのです。これ以上ない頼もしさです)


 ……頼もしいですけど、


「でも税金で自分たちの服を買うのも、ちょっと気が退けますね」


「気にするこたぁ、ないよ。あたしらはそれだけの働きをしたんだ。むしろ、これっぽっちのご褒美じゃ全然足りないくらいさ」


 なるほど、それも一理あるかもしれません。

 今回の支度金を “火の七日間” での報奨金と考えば、確かに順当かもしれませんね。

 そういうことでしたら、思う存分楽しみましょう!

 なんといっても、旅行は旅行前の準備こそが楽しいのですから!

 そしてその準備の中でも、買い物こそが一番楽しいのですから!

 そういうわけで――


「ご主人様」「閣下」「()()()


「「「服選びは、わたしにまかせてください」」」


「「「……」」」


 バチバチバチッ!


 ゴーーーングッ!



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