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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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ボーイズトーク

 “使命” と “任務 “ と “契約” に追い出されたアッシュロードが、宿屋二階の簡易寝台の入口から中を覗くと、昼間命名がなされたばかりのパーティ “友情の七人(フレンドシップ7)” の男たちと目が合った。


「おっさんじゃねえか。こんな時間にどうした?」


 盗賊(シーフ)のジグが “珍しい物を見た” といった感じで、アッシュロードに声を掛けた。


「エバやフェルに用なら、多分もう寝てるぜ」


 ジグはそういって、大部屋を真ん中で仕切っている厚手のカーテンを顎でしゃくってみせる。

 簡易寝台は宿代が安い分、男女共用なのだ。

 それでもいちおう室内は二分されていて、男女別にカーテンで仕切られてはいる。

 女の探索者たちが使っている部分は、入口も含めて今はカーテンが下ろされていて中を窺い知ることはできない。

 男たちが使っている方は、上げられたままだ。


「……どうやら、まだ寝てないようだな」


 カドモフが、アッシュロードが小脇に抱えているピローを見て、ボソッと呟いた。

 エバやフェリリルが――の意である。

 ドワーフにしては聡い男である。

 保険屋のしょぼくれた顔を見てすべてを察したようだ。


「は? ――あ、ああ、そういうことか」


 ドワーフの言葉の意味を理解し、ジグがうなずく。


「それは……羨ましいと言うべきか、災難だったと言うべきか……」


「「「……」」」


 三人ともに後者の思いを抱いたのだろう。

 年若の探索者たちが、憐憫の籠もった目でアッシュロードを見た。


「一杯やっていかないか?」


 レットが珍しくアッシュロードを誘った。

 “(グッド)” の戒律に従うレットから、“(イビル)” のアッシュロードに声を掛けることは稀だ。

 しかし今は、共に “火の七日間” を潜り抜けた仲でもある。

 死線を越えた戦友同士は、善悪の垣根(かきね)も低くなる。


「……いいのか?」


「ああ、構わないぜ」


「……うむ」


 レットたちは隣り合わせのベッドに腰掛けて、“ドワーフの蒸留酒” をチビチビとやっていた。

 ()()()では、階下の酒場が店終いした後も飲み足りない連中がそこかしこで固まりを作って、やはり寝酒を舐めている。


「……」


 アッシュロードは直立した老いたグレートデンそのままに、ベッドの端に腰を下ろした。


「……すまん」


 差し出されたタンブラーに満たされていた強い蒸留酒(スピリット)を一気に煽る。

 芳醇な香りのあとに強い酒精が喉を抜けて、アッシュロードの臓腑を灼いた。


「効くな」


「……キノコを醸したドワーフ秘伝の酒だ」


「悪くない」


 カドモフの手から二杯目が注がれ、今度は少しずつ味わうように飲む。


「「「「……」」」」


 元々ジグ意外は、口数の少ない男たちばかりである。

 ここにグレートデンの老犬が加わったため、なんとなくどんよりとした酒盛りになってしまった。


「おっさん」


「おっさんいうな。俺はまだ三七だ」


「俺らからしたら充分おっさんだ」


「……」


 ぐうの音も出ないアッシュロード。

 ジグ、二一才。

 レット、一八才。

 カドモフに至っては、なんと一六才なのである。

 確かに彼ら若き探索者からしたら、アッシュロードは充分に “おっさん” だった。


「んで、おっさん」


「なんだ」


「エバとフェルとハンナとドーラ。いったい誰が本命なんだ? ああ、ヴァルレハもそうだったか?」


「……ぐほっ」


 アッシュロードが咽せる。

 なにやら年下の(わっぱ)に手玉に取られているような、迷宮保険屋にして筆頭近衛騎士。


「な、なんのことだ」


「おいおい。ここまできて、それはセコいぜ、おっさん」


 まったくそのとおりだ。

 と、当のアッシュロードさえも思った。

 アッシュロードとて、そこまで馬鹿でも牛の頭(鈍感)でもない。

 自分が三人(四人? 五人? とにかく複数の)の娘から、好意を持たれているらしいことぐらいは気づいている。


 しかし、だからといってどうしろというのだ?

 何度も言うがアッシュロードは三七。

 自分の娘ほどの純真な少女たちを、気のままに手折ることなど出来ようはずがない。

 そもそも(デッドヒートを演じている)娘たちの感情の()()()()()()()、とてもついていけない。

 自分はあっという間に置き去りにされて、周回遅れでトボトボと歩いているような状況だ。


「……自分の娘のような娘たちだぞ」


「~生真面目というか律儀というか。その辺が妙に固いよな、おっさんって。とても “悪” には思えねえ」


「…… “秩序にして悪(ローフル・イビル)”。転向者に稀にある性格らしい」


「あなたはやはり以前は “善”だったのか?」


 カドモフの呟きを聞いたレットが、アッシュロードに訊ねた。


「? 君主(ロード)なんだから、転向したのは当たり前じゃねえの?」


「古に存在した数多の君主たちの精髄が封じられた “変身アイテム” があるらしい。それを使えば “中立(ニュートラル)” や “悪” の属性の者でも君主に転職(クラスチェンジ)することができるそうだ」


「ふえ、そんな魔道具(マジックアイテム)があるのか。それじゃそれがあれば、俺も君主に――」


「……なりたいのか?」


「ははっ、んなわけねえだろ。この俺がもっとも戒律に厳しくなければならない君主様だって? そんなお堅い職業(クラス)、死んでもごめんだね」


 一向に酔った素振りを見せないカドモフの言葉に、こちらはいい加減呂律があやしくなってきたジグが陽気に答えた。


「まぁ、噂に聞く盗賊が忍者になれる短刀(ダガー)なら、ちょっと興味があるけどな」


「……わからん」


 アッシュロードは青年盗賊の言葉を聞き流しながら、少年から青年に変わりつつある戦士に答えた。


「わからない?」


「俺ぁ、この城塞都市にくる前の記憶がねえんだ。だから、どうやってこの戒律になったのか、この職業に就いたのか、わからねえのさ」


 肩を竦めて蒸留酒を舐めるアッシュロード。

 日暮れから飲み続けているので、普段よりは口調が砕けている。

 気心を許した人間にだけふとしたときに出る、()()()()()調()が漏れた。


「すまなかった」


「気にするな、俺も気にして()()。――それよりも、そっちこそいいのか?」


「? なにがだ?」


「こんなこと、俺の口から言うのはお門違いだってのはわかってるが――あの娘らはおまえらの大事な仲間だろうが。俺みたいな()()()()()()ともわからねぇ男にかっさらわれて、おまえらそれでいいのか?」


 これは以前から、アッシュロードが気になっていたことである。

 雄というのは、自分の近くの雌に他の雄が近寄ってくるのを許せないものだ。


「「「……」」」


「まっ、面白いか、面白くないかでいえば、面白くはねえけどな。さすがに」


 答えたのはレットではなく、ジグだった。


「だが、あいにく俺はパーティの女に恋愛感情は持たない主義でね。前に懲りたんだよ……ありゃあ、思い出すだけでも心臓を冷たい手で掴まれる気がする」


 後半は実感が籠もりまくった声だった。

 盗賊はパーティの外では博愛主義(プレイボーイ)で有名なのだ。


「……俺には故郷に心に決めた相手がいる。美しいドワーフの娘だ。だからあの娘たちが誰を好こうと、意見をいうつもりはない」


 アッシュロードは若きドワーフファイターの話に、意外な気にも納得した気にもなった。


「俺も別に……」


「おまえは今熱愛の真っ最中だもんな! フェルやエバを気にしている余裕はねえよな!」


 完全に酔漢の様相を呈してきたジグが、ガバッとレットと肩を組んだ。


「熱愛?」


「こいつ今、あの姫騎士様といい雰囲気なんだよ――な!」


「……」


「姫騎士……って、あのおっかない女とか!?」


 酒の勢いもあって、アッシュロードはぶったまげた。

 確かに、このお堅い騎士の九男とあの元騎士の女戦士とでは、相性はいいかもしれないが……なにもあんな腕っ節の強い女じゃなくても、周りは器量よしが何人もいるだろうに。


「か、彼女は()()()()()はない。なんというか……凛々しいだけだ……」


 一気に酒が回ったように真っ赤な顔でレットが答えた。

 最後の方は完全にモニョっていた……。


 これが若さか……と、老いたグレートデンは思わずにはいられない。

 灰と隣り合わせの迷宮に日々潜りながら、誰かを想う気持ちを忘れない。

 いや、灰と隣り合わせだからこそ、強く誰かを想わずにはいられないのだ。

 そうだとするなら、やはり自分は “おっさん” なのだろう。

 そういう気持ちは思い出す限り……アッシュロードの中にはもうずっと存在していなかった。


「そういうわけだ、おっさん。俺たちはフェルやエバがおっさんを追いかけ回してても、よっぽどのことがない限り口を挟むつもりはねぇ。あいつらが誰を好こうが、誰に好かれようが、それはあいつらの問題だからな」


 ジグは据わった目つきを、アッシュロードに向けた。

 目つきは据わっていたが、その声色は真摯だった。


「だからおっさんも、あいつらを無下にはしないでくれ。誰かが選ばれて誰かが泣くのはしかたねぇ。誰も選ばれねえで全員泣くのもしかたねぇ。でもその涙が、なんつーか、今でなくても、いつか納得できる涙だったらって……思う。エバもフェルも、俺たちの大切な……大切な……なんだ?」


 真摯な声色も、段々酔いに負けてくる。


「友情で結ばれた仲間。加えるならハンナもな」


「そうだ、それだ! 俺たちはなんつっても “フレンドシップ7” だからな!」


 レットの助け船に、我が意を得たり! のジグ。


「そして、その “七人目” にはあんたも入ってるんだぜ、おっさん」


 アッシュロードは苦笑するしかない。

 やはり、“これが若さ” なのだろう。

 酒が入っているとは言え、こんな小っ恥ずかしいことを口に出せるのだから。

 この盗賊、明日の朝このことを思い出して身悶えするだろうよ。


 ……だが。


「……そうだな。たまにはこういうのも悪く()()かもな」


 切った張ったでもなく、惚れた腫れたでもなく、同じ道をゆく者同士ただ酒を飲む。


「……特に男同士でってのが悪くねぇ。平和だ」


「ぶわっはっは!」


 しみじみと独り言ちたアッシュロードに、大笑したのは若きドワーフファイター。

 それから四人は話し込んだ。

 故郷のこと、娼婦のこと、博打のこと……迷宮のことは誰も触れなかった。

 やがてジグが酔い潰れ、レットが眠りこけ、カドモフの頭がカクンと落ちた。


 アッシュロードは一番最後に眠りに落ち、翌朝一番最初に目を覚ました。

 爆睡している三人を起さぬように、静かに自室に戻る。

 深酒をしたのに、珍しく気分のよい朝だった。

 独りで飲む酒は、やはりどこか重いのだろう。

 軽い足取りで、階段を登る。

 あの娘たちも、さすがに自分の寝床に戻っているだろう。

 今度こそ寝慣れたベッドで、もう一眠りだ。

 そして長らく占有しているスイートルームをドアを開けたとき、アッシュロードの平穏な朝は呆気なく終わりを告げた。


「……おい、冗談はやめてくれ」


 部屋の中央に置かれたキングサイズのベッドに、仲良く寝ている()()の娘たち。

 三人は見目麗しい眠り姫のようにスヤスヤと幸せそうに。

 一人は腹を出してグースカピーとやかましく、やはり幸せそうに。


 アッシュロードは思った。

 どの娘も器量よしで、肩書きもそれなりで、しかもその肩書き以上の実力まで持っている。

 だが……。


(……まだ子供(ガキ)なんだ)


 アッシュロードは年若な者たちの眠りを妨げぬように、またしても静かにその場を立ち去った。

 それでもこの時、まだ彼は平穏だったのだ。

 なぜならこの数時間後には、


『“灰の暗黒卿アッシュ・ザ・レイバーロード” が “聖女” を奴隷にし、土下座させていた』


 との噂が、城塞都市を駆け巡ってしまうのだから。



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