マッド・オーバーロード
「気づきませんでしたか。エバさんは今朝目覚めたときから、今まで授かっていた四つの加護に加えて、さらに五つも新しい加護を願えるようになってるんです」
ハンナさんの言葉に、思わず目をパチクリ。
「五つもですか……?」
「はい。第一位階で授かってなかった残りひとつと、第二位階で授かる四つすべてを嘆願できるようになってますよ」
ちょっと実感がわきません。
「信仰心が12だと、本来ならもう少し “様子見” されることが多いんですけどね」
“様子見” とはつまり女神さまや男神さまから、“この加護はおまえにはまだ早い” とレベル的には足りているのに、加護を授かれないことを言います。
主に信仰心が低い場合に起こる現象で、魔術師の知力が足りなくて呪文を習得できない……に当たるでしょう。
どちらにしても魔法使いにしてみれば、情けない話です。
「やっぱり…… “聖女”の恩寵のおかげでしょうか?」
据わりが悪い……とでもいうのでしょうか。
わたしは逆に心配になってハンナさんに訊ねました。
嘆願できる加護が倍以上に増えたというのは、聖職者としては喜ぶべきことなのでしょうが、さっきも言ったとおりわたしはお世辞にも信仰心の篤い人間だったわけではないので戸惑いの方が大きく……。
「そう考えるのが、一番蓋然性が高いかも知れませんね」
必然と言えるほど確かでもなく、偶然と言えるほど否定もできないということでしょう……。
「そもそも “恩寵” ってなんなのですか? 神さまから与えられる特別な才能みたいに考えていましたが」
「基本的にはその理解で間違ってないと思います。“女神ニルダニス” から与えられるものを “恩寵”。“男神カドルトス” から授かるものを “聖寵” と言い習わす違いはありますけど」
そこまで言うと話が長くなると思ったのか、ハンナさんは立ったままだったわたしに椅子を勧めてくれました。
そしてわたしにもお茶を淹れてくれて。
「ありがとうございます――ああ、いい香り」
よく考えたら、この世界にきて初めて飲むお茶かも。
「“恩寵” または “聖寵” は、だいたいこの世界の人間の一〇〇〇人に一人ぐらいの割合で授けられるといいます。単なる才能と違うのは、神様からある日突然に授けられることですね。まさに後天的に」
ハンナさんはそこで一口、自分のお茶を含みました。
「宣託、神託、託宣、お告げ、天啓……言い方は様々ですが、だいたいは物心付いてから成人――この世界では一四歳ですね――するまでに授かるのが普通だとされています」
後天的に神さまから授かる才能……。
環境や自分の努力によって身に付けるのではなく……。
わたしにはやっぱり素直には受け入れられません……。
「それで女神さまや男神さまは、“恩寵” や “聖寵” をわたしにたちに授けて何をしろと言うのですか? わたしたちに何を求めているのです?」
それは仮にも聖職者たる者が、探索者ギルドの受付嬢さんに訊ねる事柄ではないでしょう。
でも他の世界からの “転移者” であるわたしには、本当にわからなかったのです。
神が人に能力を授ける以上、何かしらの使命も一緒に与えるのではないでしょうか。
そうでなければ……意味が分かりません。
「それが本当に授けっぱなしなんですよねぇ。なんというか、突然くるんですよね? こう空から “コーン!” みたいな感じで?」
ハンナさんがあっけらかんとした顔で、両手を天井に向かって広げてみせた。
「ま、まあ、そうです」
不承不承ですが、わたしはうなずくしかありません。
実際にわたしが――わたしたちがそうだったのですから。
“あの日” の昼休み、教室でお弁当を食べていたわたしたちは突然身体が光り出して、極小の粒子に分解されてしまいました。
そして目に見えない、小さな小さな本当に小さな次元のトンネルを通ってこの “アカシニア” にたどり着き、元の姿へと再構成されたのです。
意識はあったのです。
分解されるときも、越次元するときも、再構成されるときも。
わたしたちは量子の世界を観測しながら、この世界に来たのです。
それは言葉にはとても言い表せない、恐ろしくも美しい世界でした。
そして身体が元に戻ったときには、あの六人だけが見知らぬ街道に立っていたのです。
すべては一瞬の出来事でした。
その直後に、ハンナさんのいう “コーン” が突然空から降ってきたのです。
わたしたちは直感しました。今、“力” を授かった――と。
これはもう理屈ではなく、そう感じたとしか言えません。
その時のわたしたちの感覚を、来栖くんが端的に言い表しています。
“俺、今何かに入られた”
結局それが “恩寵”だったとわかったのは、訓練場で能力鑑定専門の魔術師の人に、潜在能力までわかる診断を受けたときでした。
また “転移者” はほぼすべての人が “恩寵” を授かるようです。
越次元の際に神さまの御心に触れるからだとか、再構成の際に身体の構造が神さまに近くなるからだとか言われているらしいですが、本当のところはまったく不明みたいです。
大門くん―― “闘士”
来栖くん―― “剣士”
わたし ―― “聖女”
瀬田くん―― “調停者”
江戸川くん― “混沌者”
リンダ ―― “屠者”
以上がわたしたちが授かった “恩寵” なのですが……なんだかいろいろと恥ずかしくなってきます。
「“闘士” とか “剣士”だと、他にも例が沢山あるので判明してるんですけど、“聖女”の “恩寵” は 文字どおり伝説級 に稀少で、いったいどういう能力を秘めているのかわからないんです」
ハンナさんが端正な顔立ちに申し訳なさそうな表情を浮かべます。
”闘士” だと耐久力の数値に関わらず生命力が伸びやすいとか、“剣士” だと いわゆる “二回攻撃” を覚えるのが1レベル早いとか、そういった効果があるらしいのですが……。
“聖女” の場合は、遙か昔に “勇者” と共に世界を救った “銀髪の聖女” という人の伝説が残っているくらいらしくて……。
「多分、信仰心の高さに関わらず加護を授かりやすいとか、解呪 の成功率が他の聖職者よりも高いとか、そんな感じじゃないでしょうか。
もしかしたら水晶玉では判定できない能力値として、信仰心がプラスされているのかもしれませんし。他の “恩寵”の効果を考えても、それぐらいに考えるのが妥当かなと……」
「“伝説級にレア” だからといって強力無比というわけではない……」
「はい。人間、逆立ちしたって神様にはなれませんから」
屈託なく笑うハンナさんに、わたしも釣られて笑います。
神様ジョークで笑うなんて、これで本当に “聖女” なのでしょうか。
でも……。
「そうですね。強すぎる “恩寵” はわたしには荷が重いです」
他の聖職者の人より、ちょっとだけ得した気分で探索ができる程度に考えておくのが、精神衛生上よいかもしれません。
なんというか、神託に振り回されて結局は非業の最期を遂げてしまった、某オルレアンの少女のようになりたくはありませんから……。
「うーん、でもそれはそれとして…… “恩寵” を持ってる人に、もう少しこう優遇措置というか、特待生制度というか、奨学金制度というか、そう言うのがあってもいいのではないでしょうか」
貧乏な上に多額の借金を抱えるわたしは、思わずさもしい本音を漏らしてしまいました。
一〇〇〇人に一人といえば、日本の学校でいえば奨学金をもらえる特待生ぐらいにはなれると思うのですが……。
「なぜ“紫衣の魔女の迷宮” が “狂王の試練場” と呼ばれているのか。今上帝 は徹底した合理主義者です。権化といってもいいくらいに。わざわざ国費を掛けてあなた方を鍛えるよりも、独力であの迷宮を探索させた方が費用対効果がずっとよいとお考えなのです」
わたしの愚痴に、ハンナさんは表情を真面目にして答えてくれました。
「そもそもあの程度の試練を個人の才覚で生き残れないようなら、いくら “恩寵” 持ちとは言え鍛えたところで人的資源としては使い物にはならない――そういうお考えなのでしょう」
人材ではなく……人的資源。
ハンナさんに似合わない酷薄な表現に、わたしは気圧されてしまいました。
「でもそれじゃ、迷宮探索を諦めた人や、そもそもそんな危険なことをしたがらない人がもっと待遇のいい国とかに行ってしまうんじゃ……」
「それはありえません」
「どうしてですか?」
「“恩寵” 持ちと判別された探索者の方がいれば、報告をあげるように皇宮から指示を出されていますから」
「それってどういう……?」
ハンナさんの言ってる意味がよく理解できません。
「つまり、エバさんはこのギルドで探索者登録をしたときから、帝国の監視下にあるということです」