炎立つ
「――3、2、1、だんちゃーく!」
「シャイア!」
試射の結果を伝える観測手の報告に、パーシャは鬨の声を上げ物見台代わりにしているジグの頭をポカポカ叩いた。
「痛ててて! 興奮すんな! 冷静に測的しろ!」
肩車をするホビットの少女に容赦なくポカポカされ、顔を顰めるジグ。
盗賊の優れた視力が見つめる先は、五〇〇メートルほど離れた帝国軍の防御陣地だ。
荒野に穿たれた巨大な縦坑――迷宮への入口を、半包囲するように構築された堡塁群である。
土嚢や塹壕などを組み合わせて短期間で築かれた土塁だが、築城技術に優れるドワーフの工兵隊長が指揮しただけあって防御効果は高かった。
そして、その陣地の前面に迫る六体の蒼氷色の魔物。
全高約五メートル――距離があるからこそ巨大さが分かる。
そのうちの一体が、たった今自分のたちの後方から射出された巨岩の直撃を受けて打ち倒された。
パーシャとジグの後方、後方基地のほぼ中心に築かれた砲兵陣地には、五基の投石機が設置されている。
精霊樹と呼ばれる巨木の生木のしなりを利用して、重さ数トンの巨岩を一〇〇〇メートル以上先に投射する攻城兵器だ。
三六〇度回転する台座に載せられていて、自由な方位に巨岩を撃ち出すことが可能だった。
この基地の建設が始まった際に真っ先に備え付けられ、以来迷宮の入口に照準を合わせてきた帝国軍の切り札である。
「わかってるわよ! ――下げ “一”! 次弾、効力射!」
パーシャがジグに怒鳴り返し、冷静に修正指示を出す。
指示を受ける砲兵隊長は、初弾である試射で命中弾を得たホビットの照準能力に舌を巻いていた。
ここまで歩測で――それも全力で走りながら――距離を測ったらしいが、まったく見事な測距技術である。
自分の部下に欲しいくらいだ。この戦いに生き残れたら勧誘してみよう――とさえ思った。
経験豊かな “ノーム” の砲兵隊長からそんな高い評価を得ているとは露も気づかず、パーシャはただ親友たちが籠もる陣地に林立する “旗旒” を注視していた。
“狂気の大君主、上帝トレバーン” の紋章にして “大アカシニア神聖統一帝国” の国章である “真紅のドラゴン” が風になびいている。
「――左 “二”!」
パーシャはその棚引き具合から風速を計算し、射角に続きさらに方位角の修正を指示する。
次に投射されるのは燃焼性の高い軍用オイルだ。
まかり間違って味方の上に落としてしまったら、大惨事どころではすまない。
だが彼女は、自分の記憶力と計算能力から導き出された測的結果に、絶対の自信を持っていた。
だから、パーシャは躊躇なく叫んだ。
「撃ぇっ!」
◆◇◆
彼に残されていたのは、たった一瓶の “油” でした。
その油を使って、彼は魔術師には相性の悪い呪文無効化能力を持つ二匹の魔族を葬ったのです。
……命を賭して。
そして今、もうひとりの彼がより強大な魔族たちと対峙しています。
その人は言いました。
『魔族ってのは独自の思考体系を持ってる。特に奴らのような “異形系” は、俺たちとはまるで違う思考をする。奴らは俺たちを無視しない――できねえんだ』
“異形系” とは “堕天系” と対を成す、魔族の二大系統のひとつです。
魔族たちの住処である魔界の先住種と言われていて、天界を追われた “魔大公” 率いるかつての天使たちとの勢力争いに敗れ、その配下となった悪魔たちです。
人間に近い容姿や思考体系を持つ堕天系と違い、外見は怪物然としていて思考にはわたしたちでは理解できない点が多々あります。
人間を無視できない――目に入った人類は、人、エルフ、ドワーフ、ホビットなどの種族を問わず皆殺しにしなければ(それも残虐極まるやり方で)気が済まないというのが、もっとも大きな特徴でしょう。
異形系でも上位種の “高位悪魔” は、特にその傾向が強いのです。
鼠を見たら飛び掛からずにはいられない猫と同じ。
だからこそわたしたちはその習性を利用して、鼻の頭に噛みついてやるのです。
『奴らはこの陣地を無視できない。ここに籠もってる俺たち全員をしらみ潰しにしない限り満足できないんだ。迂回することも飛び越えることもない。そんな考え浮かびもしない。こいつは俺たちにとって一万の味方よりもありがたい話だ』
そしてアッシュロードさんは不敵に言いました。
『奴らは馬鹿じゃないが間抜けだ。せいぜい利用させてもらうことにしよう』
わたしの “悪巧み” の弱点は、悪魔たちを “油” の罠に誘い込む方法でした。
誰かが囮になって罠まで釣り上げるのか。
それとも他にもっとよい手立てがあるのか。
わたしには、その手段までは思い浮かびませんでした。
しかし、そんな必要はなかったのです。
わたしたちがここで踏ん張って、この陣地を堅守しているだけで良かったのです。
軍用オイルはこの陣地だけでなく、当然ながら後方基地にも備蓄されています。より大量に。
さらに後方基地には、そのオイルをここまで一瞬で送り込む手段まであるのです。
基地が建設されたときから、五基の投石機が迷宮の入口に照準を合わせていたのですから。
必要だったのは、確率兵器である投石機で “狙撃” を行える、神業のような測距・照準能力だけ。
そしてわたしたちは、そんな神業じみた真似が可能な仲間がいたのです。
パーシャが距離や風向きまで計算に入れて撃ち出した効力射は、まさしく狙いすましたように、次々に “高位悪魔” たちに命中しました。
直撃したのが三体。
さらに飛散した油を浴びたのが三体。
グリースの粘着力とガソリンの燃焼性を併せ持つ、東方の砂漠の国―― “イラニスタン” から伝わった特別な油です。
彼が――道行くんが最後に使った 魔道具 。
「――いまだ! 使用可能なありったけの火炎魔法を叩き込め!」
アッシュロードさんの号令一下、待機していた魔術師が立ち上がり、一斉に呪文の詠唱を始めました。
“焔嵐” に “焔爆”
油の効果を最大に利用するため、火力の低い “火弓” や弓兵の火矢はあえて放ちません。
“イラニスタンの油” は高火力の炎であればあるほど、その火勢を何倍にも高めるのです。
わたしも立ち上がり、加護の嘆願を始めます。
自分に使える唯一の――最大火力の炎の加護を!
(――道行くん! 力を貸して!)
女神ニルダニスの情熱がすべてを浄化する聖焔となって、六体の魔神の足元から天空に向かって噴き上がります!
同時に魔術師たちの炎の呪文が炸裂しました!
魔力を伝播する大気を遮断しての耐呪も、直接浴びた油に引火した炎を防ぐことはできません!
瞬間的な燃焼は大爆発となって、“高位悪魔” たちを呑み込みました!
「「「「「「GiGYaAaaaaaaaaッッッ!!!!!!!」」」」」」
閃光と爆風の中から届く、悪魔たちの断末魔の叫び。
「……ナパームだな」
現出した地獄の劫火を見つめながら、アッシュロードさんがボソリと呟きました。
それはこの世界には存在しないはずの言葉でした。
(……やっぱり、この人は……)
「……やったのか?」
スカーレットさんが吹きつける熱風に顔を顰めながら呟きました。
「……ああ。あれは仲間を呼ぶ声じゃない。奴らにはその力は残っていない。あとは劫火の中で灰になるだけだ」
答えたアッシュロードさんの声は疲れ切っていました。
肩が落ち、いつもより背中も曲がり、横顔には疲労の皺が刻まれています。
瞳の奥でふたりの彼が重なります。
彼も戦いが終わったあとは、いつもこんな顔をしていました。
「エバ、大丈夫?」
「ええ、なんでもありません」
零れた涙を拭うと、わたしは微笑みました。
「負傷者の手当をしましょう。 “小癒” の水薬があるはずですから――」
ボッ! ボッ! ボッ! ボッ! ボッ ボッ!
突如、陣地上空に出現した、六つの青い火球!
「そ、そんな……仲間は呼んでないのに!」
絶望に引きつったフェルさんに、アッシュロードさんが答えました。
「こいつは援軍じゃねえ……第二陣だ」
あらたに六体の “高位悪魔” が、わたしたちを焼き尽くす地獄の炎となって陣地の直中に降り立ちました。







