蒼氷色の悪魔★
「――状況、青!」
天上から零れる神々しい日射しを遮り出現した、六つの青い火球に向かってアッシュロードさんが叫びました。
その声には、これまでこの人から聞いたことのない明かな怯えがありました。
人間の頭大だった火球は脈動するごとに倍々に膨れあがり、あっという間に直径五メートルほどまで膨張し――爆ぜました。
中から現われたのは、水牛のように太くねじれた角を持つ巨大な蒼氷色の魔物でした。
爬虫類に似た容貌でありながら、シルエットは人に近く、それでいて太い尻尾と背には翼竜のような羽布ばった翼があります。
両眼はまるで鮫の目です。小さく白目のみで、一片の感情も見てとれません。
迷宮最下層に、最強格の “六大の魔物” あり。
紫衣の魔女の片腕にして、不死者たちの王である “真祖”
蓬莱より招聘されし、忍者たちの頭領 “達人”
魔女に次ぐ実力を持ち、迷宮の魔術師たちを束ねる “大魔導師”
人の歴史を縦に紡ぐ悪意の糸、妖魔にして地獄の大道芸人 “道化師”
名を出すことも憚られる大悪魔、“災禍をもたらす者”
高潔なる人格を持ちながら暗黒面への誘惑に負けて闇堕ちし、魔物と化した金色の “狂君主”
訓練場の座学で教わる知識です。
ですがそれらはすべて、単体での強さを言い表したものなのです。
集団での強さでは、間違いなく、文句なく、今眼前に出現したこの魔物たちが最強にして最悪。
“紫衣の魔女の迷宮” が出現して二十余年。
深層で初めて存在が確認されたときから、探索者を震撼させ続けてきた蒼氷色の魔物が、ついに、ついに姿を現したのです。
「…… “高位悪魔”」
呟いたわたしの目の前に、六体の魔神が土埃と共に降り立ちました。
ガシュウウウウ……ッッゥゥゥ!!!
無数に生えそろった鋭い牙の間から、蒸気のごとき呼気が漏れます。
そしてその口から紡がれ始める、野太い呪文。
発音こそ、言語こそ違いますが、その韻律は紛れもなく――。
「―― “氷嵐” !」
パーシャが悲鳴を上げました。
究極の破壊呪文 “対滅” を除けば、もっとも高い殺傷力を誇る物理攻撃呪文。
それが六重に詠唱されているのです。
周辺には、生還したばかりの負傷兵が溢れています。
「フェルさん!」
「ええっ!」
“高位悪魔” の呪文無効化率は “毒巨人” と同等の九五パーセント。
しかもモンスターレベルが11なので “滅消” の呪文で消し去ることが出来ません。
確率が――可能性が限りなく低くても、やるしかないのです!
「「―― 慈母なる女神 “ニルダニス “ よ」」
久方ぶりの、フェルさんとの倍掛けです!
ソプラノとメゾの “静寂” の祝詞が重なり――。
「「――きゃっ!?」」
悲鳴が重なりました。
「グレイ!?」「アッシュロードさん!?」
「無意味なことはすんな!」
アッシュロードさんが両脇にわたしとフェルさんの腰を抱えて、一目散に遁走します!
「「で、でも」」
「――逃げろ! 陣地に逃げ込め! 振り返るな!」
わたしたちの周りを、レットさんが、カドモフさんが、ジグさんが、スカーレットさんが、ヴァルレハさんが、脇目も振らずに一〇〇メートルほど離れた土嚢で作られた陣地を目指して疾駆しています!
そしてパーシャ!
速い! 速い! 速いです!
ホビットの敏捷性の高さを遺憾なく発揮して、ストライダーなアッシュロードさんを見事なピッチ走法であっという間に引き離し、真っ先に土塁に飛び込みます!
そしてすぐに顔を出し、
「急いで! 速く! 速くぅっ!」
腕も千切れよばかりに手招きして叫びました。
その横にジグさんが飛び込み、ついでレットさんが。
長距離型のドワーフであるカドモフさんは、顔を真っ赤にしてわたしたちのすぐ横をドタドタと走っています。
軽量化の魔法を施されているとは言え重装甲の鎧を身に付けている上に、ふたりのの僧侶を抱えているアッシュロードさんも、顔を引きつらせてこれでもかというストライドで陣地を目指しています。
わたしは小脇に抱えられながら、後ろを振り返りました。
身動きのとれない負傷兵の人たちが、こちらに向けて手を伸ばしています。
助けを呼んでいます。
悲鳴を上げています。
(……ごめんなさいっ!)
わたしは歯を食いしばって顔を背けることしかできませんでした。
刹那、“高位悪魔” の六重の “氷嵐” が吹き荒れました。
ほとんど同時に、カドモフさんが、そしてわたしとフェルさんを抱えたアッシュロードさんが陣地に飛び込みます。
すぐに顔を上げて、取り残された負傷兵の人たちを――。
「――見るな!」
アッシュロードさんがわたしの顔を抱え込んで、土嚢の陰に身体を縮こまらせました。
息が出来ないほど、強く、強く抱き締められます。
すぐに分厚く積み上げられた土嚢を通して、凍傷になりそうなほどの冷気が伝わってきました。
そして、そして……何かが、無数の何かが砕け散る音。
せっかく……せっかく生きて戻れたのに。
せったく生還できたのに。
二〇名以上の兵士が今生きたまま凍りつき、砕け散ったのです。
「……はぁ、はぁ」
荒い息で、魔法の鎧の硬い胸当てから顔を離します。
「……地獄の門が開いちまったな」
アッシュロードさんがほんのつかの間、空を見上げて呟きました。
その横顔はとても疲れて見えました。
疲れ果て、視線の先に慰めを求めているように……。
見上げる空には微かに覗いていた晴れ間はすでになく、再び薄暗い曇天が覆っていました。
まるで雲の切れ間から差していた光が、幻の希望だったかのようです……。
次の瞬間、
「――やるぞ!」
アッシュロードさんが決然と立ち上がりました。
その横顔にはたった今浮かんでいたの倦んだ色は微塵もなく、あるのは指揮官の――責任を負った男の人の顔でした。
「魔術師 ! “暗黒” と “宵闇” で奴らの目を潰せ!」
「はいっ!」「おー!」
ヴァルレハさんとパーシャが、同時に返答します。
「射手! 奴らが怯んだら一斉射撃だ! 先ず顔、目を狙え!」
「「「はっ!」」」
中隊を預かる三人の騎士が頷きます。
「バリスタ小隊! おまえらが主力だ! ギリギリまで引きつけて、土手っ腹に風穴を開けてやれ!」
「「「「了解でありますっ!」」」」
陣地の後ろに設置されている、本来は城の城壁に備え付けられている大型の石弩を預かる小隊長たちが一斉に返答しました。
「探索者の前衛! 頃合いを見て斬り込むぞ! 全員だ!」
「――あんたはどうするんだ、アッシュロード?」
「全員といったはずだ。例外はない」
言下に答えたアッシュロードさんに、その言葉が聞きたかったとばかりに頷くスカーレットさん。
「回復役!」
「「はい!」」
「おまえらは救護兵だ。奴らの爪には麻痺と毒の二つの成分が含まれている。前衛が動けなくなったらすぐに治療しろ!」
「はいっ!」
「……グレイ、わたしにはもう治療の加護は……」
うなずいたわたしの横で、フェルさんが泣きそうな声で答えました。
「それなら、“光壁” でみんなを守ってくれ。あの加護なら残ってるだろう?」
「うん!」
わたしは苦笑するしかありません。
もう、なんですか。
わたしのいない間にすっかり仲良くなってしまって。
「――よし、奴らを地獄の底に叩きかえせ! ここが俺たちの世界だと教えてやれ!」
「「「「「「「「「「「「おうっっ!!!」」」」」」」」」」」」
消えかけていた兵士たちの士気を一瞬で燃え上がらせると、アッシュロードさんは腰から大小の剣を抜き放ちました。
そして、
「揉んであげるよ、デッカいの!」
パーシャのその啖呵が、後に “街外れの血戦” 呼ばれることになる “火の七日間” 最後の戦いの幕開けとなったのです。







