突破
帝国軍に残された最後の拠点 “第一” を出た生き残り約五〇人は、探索者パーティ “緋色の矢” を先頭に、迷宮の始点へと出発した。
三列縦隊。
最前列を、元姫騎士スカーレット・アストラを中心に左右を僚友であるふたりの女戦士が固め、二列目にヴァルレハやノエルといった後衛職が、少し遅れて第四中隊第二小隊長に率いられた帝国軍兵士たちが重い足取りで続く。
多くが負傷した戦友に肩を貸し、またすでに息絶えた者の遺体を背負っていた。
皆一様に虚ろな表情で、顔色は疲労でドス黒く染まっていた。
もはや、士気などあってなきがものだった。
ただひたすらに、地上に戻る。
家に帰る。
家族や恋人ともう一度会う。
それだけを支えに歩を進めていた。
(……まさに敗残兵だね、これは)
パーシャは眼前をのろのろと進んでいく兵士たちの背中を見て、暗澹たる思いに囚われていた。
彼女は最後列から二列目を、両脇をフェリリルとジグに守られて進んでいる。
最後列は、指揮官であるアッシュロードを真ん中に、右にレット、左にカドモフという布陣である。
殿である彼女たち六人は、追っ手が現われた場合には身を挺して兵士たちを逃さなければならない。
この様子だと兵士たちの掩護は期待できないだろう。
凍死寸前まで体力を消耗した彼らに歩く以上のことを求めるのは、もはや酷と言うものだ。
それでもどうにか軍隊としての規律を保っていられるのは、厳しい訓練によって植え付けられた兵士としての条件反射と、先頭と殿を行くふたりのリーダーの統率力のなせる業だろう。
“極上品” の鎧をまとった緋色の髪の女戦士は、その美貌と偉丈婦ぶりからまるで戦乙女のようだ。
実際、剣の腕でも迷宮における指揮能力でも、スカーレットに勝る騎士はいなかった。
彼女が白金に輝く魔法の板金鎧を身に付けて先頭を行く姿は、絶望に呑み込まれかけている兵士たちの大きな支えになっているはずだ。
そしてそのスカーレットに先頭を任かせた、もうひとりのリーダー。
この部隊の正式な指揮官。
黒衣の君主。
やさぐれた “迷宮保険屋”
(……スカーレットの見てくれまで計算してこの布陣を考えたのなら、ほんと大したもんだよ)
そう思ってから、パーシャは思わずにやけてしまった。
確かに士気向上という点であのおっちゃんが先頭では、いまひとつ――いやふたつ。いやいや、三つ、四つ、いま五つぐらい、スカーレットには及ばない。
我ながら巧い表現に、パーシャは声を立てずにケタケタと笑い出した。
(……わかってるじゃない、おっちゃん)
眉を顰める隣を歩く盗賊に、金と鉛ふたつの指輪がはまった親指を立てたときには、ホビットの胸から重苦しい思いは消えていた。
「……グレイ!」
その時、ジグの反対側を歩くフェリリルが小さく鋭く警告を発した。
「来たか」
「足音が複数。人間大よ」
エルフの少女が緊迫した表情で頷く。
彼女の抜群の聴力が、遠方から迫る追っ手の接近を察知したのだ。
「……閣下」
「ここは俺たちに任せて先に行け」
アッシュロードは左右の腰から大小の剣を引き抜きながら、兵士たちの最後尾をついていた第一小隊長に命じた。
「……ご武運を」
第一小隊長――今や一個分隊程度の人数しか残っていない小隊の指揮官は、すでに自分の隊が戦闘に絶えられる状態でないことを理解している。
まごまごしていてはこれから始まる戦いに巻き込まれて、殿部隊の足手まといになるだけだ。
「癒やしの加護も守りの加護も、もう残ってないわ」
「上等だ。却って思い切った戦いが出来る」
フェリリルの言葉に、アッシュロードが無造作に答えた。
「ギリギリまで引きつけて点すぞ」
「了解だ」
「……うむっ」
剣を抜いて黒衣の指揮官の左右に立った人族とドワーフ、ふたりの戦士が頷く。
アッシュロードは追っ手の足音と鎧の音が充分に近づいたのを見計らって、祝詞を唱えた。
「――厳父たる男神 “カドルトス” よ」
最大光量に調節された “永光” が、闇に包まれていた回廊を煌々と照らし出す。
闇に慣れていた網膜を灼かれた “古強者” たちがたじろいだ隙に、フェリリルとパーシャがそれぞれ “棘縛” と “昏睡” の魔法を唱えた。
アッシュロードが、レットが、カドモフが、それぞれ獲物を手に、たじろぎ、固まり、そして昏睡に落ちた古強者の戦士たちに突進する。
瞬く間にひとり目を屠ったアッシュロードの耳に、隊列の先頭から鳴り響く呼子の甲高い音が届いた。
どうやら、あっちでも始まったようである。
◆◇◆
アッシュロードたち殿が追っ手を迎え撃つよりもわずかに早く、スカーレットたち “緋色の矢” が接敵を果たしていた。
殿が味方の退却のための “壁” であるなら、彼女たち先鋒は “錐” であるだろう。
踏みとどまるのが殿の務めならば、先鋒の役目は敵の包囲を突き破ることにある。
「――騙り×7!」
彼女たちの聖職者であるノエルは “短明” も “永光”も使い果たして回廊は闇に包まれていたが、迷宮に適応したスカーレットの視力は、高速で接近する柿色の忍び装束に身を包んだ男たちを正確に補足していた。
“達人” が七人。
だが奴らはせいぜいがレベル10程度の実力しかない詐称者、すなわち “騙り”だ。
それでも忍者特有の殺人技術 “首刎ね” の脅威は侮りがたい。
運が悪ければ、どんなに高い生命力を誇る前衛でも一撃で屠られる。
ただちに動きを封じなければならない。
僧侶のノエルと魔術師のヴァルレハが、それぞれ “棘縛” と “昏睡” の祝詞と呪文を唱え始める。
高位階の派手な加護や呪文は使い切ってしまったが、初歩の魔法はまだ幾つか残している。
最小の魔法でいかに最大の効果をもたらすか――魔法使いの技量と直感力が試される場面である。
“達人”のうち三人が “棘縛”に絡め取られ、 残りの四人が “昏睡”に陥る。
身動きのとれなくなったひとりを、その魔剣の銘のとおり一振りで真っ二つにすると、スカーレットが叫んだ。
「――突破するぞ! 揉み抜け!」
◆◇◆
その臭いは、……スッと音もなく消えた回廊北側の内壁の奥から溢れ出してきた。
千匹もの “犬面の獣人” の腐乱死体でも、これほどの強烈な臭気はしないだろうと思われる凄まじい悪臭。
ズチャッ、ベチャッと胸の悪くなる足音が、地響きと共に闇から聞こえてきた。
“紫衣の魔女” が放った迷宮内最後の試練が、座標 “E5、N0” の一方通行の扉に現われたのだ。







