血路
『……』
スカーレットは歯を食いしばって扉を睨んでいた。
彼女は決断しなければならなかった。
だが何を決断しろというのだ?
彼女に出来る選択は、扉を開けてすぐに死ぬか。
それとも閉じたまま後で死ぬか。
そのふたつしか残ってないのだから。
『スカーレット』
そしてスカーレットがこのような状況に陥ったとき、打開策を示すのがヴァルレハの役目だった。
『よし、それでいこう』
『でも、問題があるわ』
即答するリーダーにいつもなら苦笑を浮かべるヴァルレハが、表情を強ばらせたまま続ける。
『冷凍系の魔法で扉を凍結させて隙間を塞ぐわ。毒息の侵入は防げると思う。だけど――』
『だけど? だけどなんだ?』
『おそらく閂や蝶番も凍りついて動かせなくなってしまう……開けることが出来なくなる』
『そんなの火炎系の魔法で溶かせばいいだろうが! 早くしないと詰め物が腐っちまうぞ!』
苛立たしげに会話に割り込んできたジグに、ヴァルレハが頭を振る。
『この玄室の広さに一個半小隊の人数。全員が壁際に固まれば炎の逆流から逃れられるかもしれない。でも問題は酸素よ』
『なんだよ、それ!』
『人間が息をするために必要な元素よ。今あなたが吸っている空気の中に含まれている。炎が燃えるにはその酸素が必要なの。下手をすると扉を開ける前に玄室内の酸素を燃やし尽くしてしまう――酸欠の怖さは、そこのドワーフがよく知っているわ』
ヴァルレハに突然話を振られたカドモフは、同意するしかない。
地下の鉱山都市で暮らしていた彼ほど酸欠の怖さを身に沁みて知っている者は、この場にはいなかった。
火炎系の魔法がどれほどの酸素を消費するかは不明だが、つい先日の籠城戦でトリニティ・レインが凍結させた外郭城門の空隙は、今も氷塊で塞がれたままだ。
城壁守備に残された魔術師による撤去作業が続けられていたが、遅々として進んでいない。
彼らの火炎系呪文では熟練者のトリニティの冷凍系最上位呪文 を突き崩すことが出来ないこともあったが、魔法で創り出された氷はとにかく頑強なのだ。
扉を凍らせたとして、はたして何発の “焔爆” や “焔嵐” が必要になるか。
カドモフは戦士で魔法には詳しくなかったが、パーシャが覚えたばかりの火炎系の集団攻撃呪文を使うところを見ている。
あれだけの熱量を生み出すには、相当量の酸素が必要なはずであった。
加えて地下迷宮はその構造上、元々酸素が希薄でその点鉱山とよく似ている。
さらにその酸素の希薄な地下迷宮に、帝国軍だけで二〇〇人もの人間を送り込んでいる。
兵士の休息所が迷宮の始点から一番近い玄室 “第三” に設置されたのは、薄い酸素が原因で頭痛を訴える兵士が後を絶たなかったためもある。
少しでも新鮮な空気が流れ込んでくる場所で、休息を摂らせる必要があったのだ。
『……この広さにこの人数。確かに酸欠の危険はある』
ドワーフの戦士としては同意せざるを得ない。
『扉を凍結させれば、障壁の加護が切れたあとも強度が保てるわ。さらに低温で身体の代謝が落ちるから酸素の消費量も減る。援軍が来るまで籠城するなら最適解よ……ただし援軍が遅れれば遅れるほど、酸欠と凍死の可能性が高まってしまう』
ヴァルレハは、“緋色の矢” の参謀であり軍師である。
メリットとデメリットを説明し、パーティの判断材料として、最終的にはリーダーであるスカーレットの決断を仰ぐ。
そして、スカーレットは決断した。
◆◇◆
「……誤算は……玄室内が冷えすぎたことよ……こんなにも冷えてしまうとは……思わなかった……」
毛布にくるまりながら、合わない歯の根を無理やり合わせてヴァルレハが呟いた。
アッシュロードは彼女に近寄って、残された最後の “小癒” を願ってやった。
「……沢山の凍死者を出してしまったのは、わたしの責任よ」
癒やしの加護の効能で体温が上昇し、血の気と言葉の明瞭さが戻ってきたヴァルレハがうなだれる。
「0か100かで考えるな。0にならないようにだけ考えろ。この状況で五〇人からの人間が生き残れてるんだ。上出来だ」
それは慰めでも励ましでもなく、アッシュロードの本心だった。
上出来どころか奇跡に近い。
“滅消” の呪文が尽きた状態での四体もの “毒巨人” との遭遇。
迷宮という閉所で機動性に欠ける小隊規模にとって、もっとも相性の悪い相手だ。
判断にわずかな瑕疵があれば全滅していてもおかしくない、むしろその可能性の方がずっと高い状況だった。
「……はい」
ヴァルレハは身を包んでいる毛布をギュッと握りしめて頷いた。
その様子を見つめていたフェリリルから何やら不穏な気配を感じたパーシャは、
(……勘弁してよ)
と心底ウンザリした。
もちろん、アッシュロードはそんなことには気づかない。
「脱出するぞ。隊伍を組め――ひとりも置き去りにするな。全員連れて帰る」
ヴァルレハは呆れた。
このアッシュロードという男、自分に言った側からオール・オア・ナッシングの指示を出している。
だが、すぐに思い直した。
この男は参謀でも軍師でもなく、指揮官――リーダーなのだ。
今兵士たちは、たとえ死んでも味方が連れ帰ってくれる。
そして死んだ戦友を必ず連れ帰る――その想いだけで立っているのだ。
その意思を挫くような指揮官なら、ヴァルレハ自身従う気にはなれないだろう。
負傷した兵士を真ん中に縦隊を組むのは当然として、問題は先頭と殿だった。
アッシュロードはこうなることを前提に、“緋色の矢” とレットたちに優先して癒やしの加護を施していた。
ふたつの探索者パーティは聖職者が癒やしの加護を使い果たし、魔術師が呪文の半分を消費している以外は、ほぼ全快していた。
「“緋色の矢” は先陣を切ってくれ」
「わかった」
即座に了承するスカーレット。
アッシュロードは視線を転じてレットたちを見た。
「悪いが、おまえらは俺と一緒に貧乏籤だ」
「了解だ」
癒やしの加護と “炎の杖” が温めた室温のお陰で生気を取り戻したレットがうなずく。
「や~れやれ。また おっちゃんとパーティを組むことになるとはね」
同様に快活さを取り戻したパーシャが、頭の後ろで両手を組んでうそぶいた。
「わ、わたしはむしろ望むところよ。グレイを正しき道に導くまたとない機会だわ!」
(……友好的な魔物が出てくれるなら、たとえ間違った道に進むことになったとしても、今回だけは見逃してしまいそうだ)
アッシュロードは白磁のような肌を上気させて、うんうん! と何度も頷くフェリリルを見て思った。
他のメンバー、ジグとカドモフも否やはないようだ。
「――やるんじゃないぞ」
アッシュロードはパーシャに向かってピンッ! と何かを指で弾いた。
ホビットの少女はハシッとそれを受け取ると、
「わかってる。あたい、もう魔法の指輪に頼るのはやめたんだ」
鉛色に変わってしまった初代の指輪の上に、借り物の “滅消の指輪” を嵌めるパーシャ。
「言うようになりやがった」
苦笑したアッシュロードの口元がすぐに引き締まった。
大柄な兵士に背負われた小柄な猫人が運ばれてきた。
ダラリと垂れた右腕の肘から先が欠損している。
「合流したときには、もう “神癒” が切れていて……出血を止めるだけで精一杯だったの」
“緋色の矢” の聖職者、ノエルが苦しげに説明した。
「……生きてはいるんだな?」
兵士の背中でピクリともしないドーラ・ドラを見て、アッシュロードが確認する。
「……ええ、でも早く接合させないと右腕が使えなくなってしまう」
「……わかった」
後方基地には、“神癒” が使える “カドルトス寺院” のクソ坊主を半ば監禁するように待機させてある。
是が非でも連れ帰って、奴らに繋げさせるのだ。
「――家に帰るぞ。立ち塞がるなら悪魔だろうと神だろうと、ぶった斬って進め。血路を開くんだ」
敗残の一個小隊による決死の撤退戦が始まった。







