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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
131/659

潰走

 ――マズい!


 スカーレットは咄嗟に思った。


 ()()()()()()()()()()()


 暗黒回廊(ダークゾーン)から姿を現したのは、毒々しい紫の皮膚をした四体の巨人だった。

 “毒巨人(ポイゾンジャイアント)

 あの巨人の毒息(ブレス)は土嚢を積み上げて焼き固めた壁では防げない。

 そして瞬時に決断を下す。


「――撤退! “(ウォール)” を放棄して扉を閉ざせ! 急げ!」


 奴の毒息は即効性の毒ガスだ。

 まごまごしていたら “壁” だけ残して味方は全滅だ。

 “壁” の維持は現状では困難と判断せざるを得ない。


(……すまぬ!)


 死体の回収を諦めたスカーレットは胸の内で骸となった戦友たちに詫び、身をひるがえして “壁” の隠し通路に走った。

 追い立てるように味方の兵士たちをトンネル状の狭い通路に押し込むと、自身は剣を構えて “毒巨人” たちに向き直る。

 四体の “毒巨人” がすべて “毒息” を噴いた場合、その最大ダメージは160。

 スカーレットの生命力(ヒットポイント)を優に上回る。


 しかし、彼女に躊躇いはない。

 彼女はこの戦線の指揮官だ。

 指揮官は攻める際には先頭に立ち、退くときには最後尾に位置する。

 もっとも危険な場所に身を置くからこそ、兵は指揮官に従うのだ。

 統率の基本であり極意だ。

 そうでなければ、誰が他人に命など預けるものか。


 兵士たちは身を屈めて、狭苦しい隠し通路に次々に飛び込んでいく。

 大半が城塞都市の城壁の守備に就いていた者たちである。

 この手の行動は経験を積んでいた。

 遊撃隊の撤退を少しでも援護しようと、胸壁の狭間からクロスボウが斉射される。

 “毒巨人” の魔法無効化率は驚異の九五パーセントだ。

 どんな呪文も加護もまず通らない。


「顔だ! 目を狙え!」


 胸壁の上の小隊長が声を嗄らして射手たちに怒鳴った。

 “毒巨人” の知能は巨人族の中でも高い方ではなかったが、それでも自分の顔面に撃ち込まれてくる短矢に手をかざすくらいはある。

 巨人の足止めは失敗した。


「――無駄だ! それよりも扉の奥に早く逃げろ!」


 スカーレットが背中越しに叫ぶ。

 “毒巨人” が “火竜(ファイアードラゴン)”の死体の前で足を止める。


 竜どもの屍が障害物になった――違う!


 大きく息を吸い込む紫の巨人たちを見て、緋色の髪の女戦士は自分の希望的観測を即座に否定した。

 “毒息” の射程圏内に入り込まれたのだ。


 ――万事休すか!


「スカーレット!」


 死の影がスカーレットの脳裏をよぎったとき、胸壁の狭間からヴァルレハが叫んだ。

 スカーレットは振り返り、味方が全員通り抜け終えた隠し通路に飛び込んだ。

 文字どおり這いずって、厚さ三メートルの “壁” を貫く隘路(あいろ)を抜ける。


「栓をしろ!」


 最後に撤収を終えた指揮官が叫ぶ。

 歩廊から駆け下りてきたヴァルレハが “壁” と後方を隔てる扉を越えて、回廊の奥への逃げ込む。

 そして四体の “毒巨人” たちが “毒息”を吐く。

 三つの出来事がほぼ同時に起こり、吹き付けられた紫色の毒霧の大部分が “壁” の上部を越えて内部に吹き込んできた。

 隠し通路の閉鎖が間に合わなけば、スカーレットはチューブ状のトンネルを吹き抜けてくる毒ガスをモロに浴びていただろう。


「閉鎖しろ!」


 身を屈めたまま転がるように扉を潜ると、スカーレットは再度叫んだ。

 “駆け出し区域(ビギナーズエリア)” と “壁” を隔てる頑丈な両開きの扉が閉じられ、工兵隊によって取りつけられた頑丈な閂が下ろされる。

 さらには残るありったけの加護を使って扉自体を強化した。

 固く閉じられた扉の前で、スカーレットが空気を求めて喘ぐ。


(……少し、肺に入った)


 完成から四日、“(ウォール)” は陥落した。


◆◇◆


 パーシャは切断されたドーラの右手を拾い上げると、怒声を上げて激突する帝国の兵士と迷宮の武者から、すんでのところで身を躱した。

 くノ一の右手を自分の命のように抱え込み、パーシャは回廊の壁にびったりと背中を着け、目の前で繰り広げられる狂躁染みた戦いから逃れた。


(う、うそ……)


 帝国軍の第四中隊第三小隊は、大陸最強と謳われる狂君主トレバーンの精兵だけあって誰もが屈強だった。

 しかし、その精強な兵士たちが瞬く間に数を減らしていく光景を、パーシャは呆然と見つめた。

 “旗本(ハタモト)

 遙か東方の島国 “蓬莱(ほうらい)” で、その統治者である “将軍(ショーグン)” のロイヤルガードに任じられた一騎当千の武士(もののふ)たち。

 全員が熟練者(マスタークラス) 一歩手前の古強者であり、誰もが一角の剣客・剣豪である。

 血刀が振るわれる毎に兵士ひとりの命が確実に奪われ、中には練達の忍者よろしく首を切り飛ばす手練れもいた。

 数は帝国軍が倍も多かったが、その差はあっという間に覆りつつあった。


「……逃げな……今のあんたたちじゃ……あいつらには勝てないよ」


 大量の血を失い混濁しつつあるドーラが呟いた。

 しかし彼女のために必死に癒やしの加護を願うフェリリルや、ふたりをかばって立つカドモフには届かない。

 切断された部位を接合するには “神癒(ゴッド・ヒール)” の加護を嘆願するしかないが、フェリリルはまだ授かってはいない。

 今は応急処置として止血をするだけで精一杯だ。

 額に玉の汗を浮かべて、一心不乱に “大癒(グレイト・キュア)” の加護を願うフェリリル。

 やがて彼女の祈りは聞き届けられ、ドーラの傷は見る見る塞がりだし、出血も止まった。


「ダメだ! 味方は押されてる! 直に総崩れになるよ!」


 両手でドーラの利き手を抱き締めたパーシャが、血相を変えて他の三人に向き直った。


「……後退しな…… “第一” まで……」


 ドーラの頭がガクッと垂れた。


「大丈夫! 気を失っただけよ!」


 エルフの少女が疲労に滲んだ顔を上げる。

 魔法による造血効果が現われるまでには時間がかかる。すぐには目を覚まさないだろう。


「後退しよう! 乱戦になりすぎてる! 魔法使い(スペルキャスター)は役に立たないよ!」


「……フェル、殿(しんがり)を頼む」


 カドモフが先ほどのジグと同じように、意識を失ったドーラを肩に担ぎ上げる。

 パーシャが先頭に立ち、回廊の壁際を這うように進んだ。

 間もなく戦闘の狂乱が治まり、帝国側の潰走が始まるだろう。

 その前に後退して、“壁” を守っている第一小隊やその後詰めの第二小隊と合流して態勢を整えるのだ。

 二つの小隊を合わせれば、まだ一〇〇人からの兵力になる。

 そうすれば挽回できる――。


 そこまで考えて、ホビットの少女魔術師は愕然とした。

 ()()ではなく()()なのだ。

 すでに迷宮に潜っている一個中隊のうち半数に当たる二個小隊が壊滅、あるいは壊滅しつつある。兵学的には全滅だ。

 増援が――援軍が必要だった。


◆◇◆


 アッシュロードは麾下の四個中隊のうち、後方基地(リヤ・ベース)の守備と後詰めに残してきた一個中隊を除く三個中隊を率いて、迷宮へと繋がる巨大な縦坑の淵に立っていた。

 もちろん、すべての中隊を率いて潜ることはできない。

 さらには地下一階の始点は敵の手に落ちている可能性がある。

 その場合は、縄梯子を下りてきた瞬間を狙われ、抵抗するまもなく殲滅される危険が高い。

 最初に潜る人間は決死隊だ。


「――俺が()行く(GO)


 アッシュロードは深淵を見下ろし、無造作に言った。



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