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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
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錯綜

「……さあ、死合おうじゃないか。“ザ・ハイマスター”」


 口元に西方の神と東方の仏を合わせたような笑みを浮かべて、ドーラ・ドラが灰色の忍び装束の男に告げた。

 彼女の師であるその男。

 “紫衣の魔女(大魔女アンドリーナ)の迷宮” 最強の忍者にして、今や “アカシニア” 最強の忍者であることを証明した男。

 真の達人―― “ハイマスター”


 “ハイマスター” が弟子から奪った “手裏剣(苦無)” を逆手に構える。

 ドーラも左手の “悪の曲剣(イビル・サーバー)” を逆手に握った。


 勝負は一瞬。刹那の攻防。


 ドーラは水鏡のように静逸な心で間合いを計った。

 左手にあるのは+3相当の魔法強化がなされた魔剣だが、忍者が使うのであれば威力でも振りの速さでも “手裏剣” には及ばない。

 “先の先” は取れない。

 “後の先” を取られて首を飛ばされるのがオチだ。

 こちらが “後の先” などさらに無理だ。


(ならば――!)


 ふたりの “達人(マスター)” の気魂が凜乎として急速に充実する。

 鼓膜が破れるほどの耳鳴りが見守るパーシャたちを襲った。


(……な、なんなのよ、これ)


 ホビットの少女は、眼前で展開されるマスターニンジャ同士の不可視の死闘、凄まじいばかりの気のせめぎ合いに圧倒された。

 その場に腰を抜かしてへたり込みたいが、それすらも出来ない。


(……ドーラは手負いだ。重症を負ってる。だから、だから、油断して。お願い、隙を見せて)


 パーシャは胸の奥で祈った。

 しかし、“ハイマスター” に油断はない。

 最下級の “下忍(レベル1ニンジャ)” ですら、利き手に関係なく左右の手を自在に操れるように修練を積んでいる。

 仮にも “熟練者(マスタークラス)”のドーラ・ドラが、利き腕を失った程度で危険度を大幅に減ずるとは思っていない。

 忍者の怖ろしさを “ハイマスター” ほど理解している者は、この世には存在しないのだ。

 ましてかつての愛弟子は、相打ちを狙っている。

 追い詰められた鼠は猫さえ噛む。

 ならば雌猫(くノ一)はその師ですら噛み殺すであろう。


 あくまで慎重に。

 どんな些細な隙も作らず見せず。

 着実に勝機を手繰り寄せ、相対する者に確実な死を。

 もし “ハイマスター” に人間らしい感情が少しでも残っているなら、それは忍者という存在への美学であろう。

 無様な闘法や泥臭い勝利を、その美学――誇りが拒否していた。

 そしてその誇りが今回は裏目に出たことを真っ先に気取ったのも、“ハイマスター” だった。

 次いでドーラと、忍者に匹敵する聴力を持つエルフのフェリリルが気づいた。


 回廊の東西双方から殺到してくる無数の跫音(きょうおん)

 東からは “第一” で待機していた第四中隊第三小隊が。

 西からは 東方の島国の鎧装束に身を包んだ “武者” の集団が。

 それぞれ抜剣、抜刀して殺到してくる。


 “ハイマスター” に執着はない。

 すでに敵の後方を撹乱するという自らの役目は果たし終えた。

 敵の大軍と真っ向から斬り結ぶのは忍者でなく武士の仕事だ。

 ドーラを含め、その場にいた全員が呼気を盗まれた。

 息をスッと吸い込んだ瞬間に、“ハイマスター” の姿は消えていた。

 水際だった腕前としか言いようがなかった。


 ドーラがその場にガクッと膝を突き、フェリリルとカドモフが小柄な身体を壁際まで引きずった。

 パーシャが切り落とされたくノ一の右手を拾い上げたとき、狂君主の精兵たちと大魔女の “旗本(ハタモト)” たちが血風を上げて激突した。


◆◇◆


 “(ウォール)” での攻防は、飛道具の応酬となった。

 溶解した土嚢が “壁” の全面に流れ出て、“火竜(ファイアードラゴン)” はともかく守備兵や探索者が接近戦を仕掛けることが不可能になっていたのだ。

 歩廊を守る胸壁の狭間から呪文やクロスボウが次々に放たれ、“火竜” の硬い竜鱗に弾かれ、時に貫く。

 “火竜” からも圧倒的熱力のため白熱光と化した竜息(ブレス)が応射され、呪文が封じられていない個体からは “氷嵐(アイス・ストーム)” の呪文が撃ち込まれた。

 “火竜” の知能はレベル9の魔術師に匹敵する。

 ただ図体が巨大なだけの獣ではないのだ。


(……呪文よりも知能そのものがやっかいだ)


 “神璧(グレイト・ウォール)” の加護の重ね掛けで可能な限り強化した胸壁の陰で、スカーレットが心中で独り言ちた。

 呪文は封じることが出来るし、尽きることもある。

 だが、知能は無限だ。

 脳髄を破壊しないかぎり、命ある限り思考を続ける。

 こちらの足をすくおうと、策謀を巡らし続ける。

 竜属(ワーム)とは、狡猾な存在の代名詞なのだ。


 白熱の炎と呪文による嵐が一段落したところで、身を伏せていた兵士たちが顔を上げて、胸壁の狭間から “火竜” を狙い撃つ。

 射程の短いクロスボウであっても至近の距離である。

 鱗に覆われていない腹を狙って次々にボルトが放たれた。

 竜属(ドラゴン)が財宝を溜め込みその中に身を潜めるのは、無防備な腹を守るための本能なのだ。

 複数の短矢で腹を射貫かれ、“火竜”が苦痛に身悶える。

 だが、足りない。

 強靱な竜属の命を断つまでには遠く及ばない。


(――埒が空かんな!)


 飛道具だけでどうこうなるような相手ではない。

 このままではジリ貧だ。


「スカーレット、考えがあるわ」


「よし、やってくれ」


 身を屈めて傍にきた魔術師(メイジ)のヴァルレハに、スカーレットが即答する。


「前衛は隠し通路で待機していて。わたしが合図したら斬り込んでちょうだい」


「了解だ」


 ふたりの会話をすぐ近くで聞いていた小隊長は呆れた。

 以心伝心すぎて、他の者にはまったく意味不明の会話だ。

 “壁” の全面は溶け出した土嚢の砂で灼熱地獄と化している。

 それなのに、どうやって斬り込めというのだ?


 “火竜” が矢傷の痛みに身悶えた隙をついて、ヴァルレハが胸壁の狭間に立つ。

 特有の澄んだ声音で、涼やかに呪文を詠唱する。

 彼女に残された最後の “氷嵐”

 ただし、狙うは “火竜” の足元を流れる溶岩だ。


 溶解した砂に接触した無数の氷刃が一瞬で気化し、二〇〇〇倍近くまで膨張した体積が “火竜” たちの巨体を襲う。

 水蒸気爆発の濛々たる靄の中に、“火竜” の巨体が倒れた。


「――今よ!」


「斬り込むぞ! わたしに続け! ――開門ぉぉぉぉん!」


 スカーレットが叫び、解放された隠し通路の扉から真っ先に飛び出す。

 白金に輝く鎧をまとって突撃する元姫騎士の勇姿は、神話に登場する戦乙女そのものであった。

 士気を奮い立たせられた仲間の女戦士や槍兵たちが、臆することなく後に続く。


 スカーレットが自慢の魔剣で、倒れ込んだ “火竜” の腹部を横一文字に掻っ捌く。

 同じく魔剣を持つ仲間の女戦士が、こちらは深々と鍔元まで別の “火竜” に剣を突き立て、槍兵たちもそれに倣う。

 溶け出した砂は “氷嵐” の冷気によって固まり、今なお熱を帯びてはいるが踏みしめられぬほどではない。

 立ち上る水蒸気で視界が効かない中、暴れ狂う “火竜” 尾で薙ぎ払われる者が続出する。


「――怯むな! ここが勝敗の分かれ目ぞ! 押し切れ!」


 スカーレットが叱咤し、一頭の “火竜” に約一〇人の兵士が群がり、文字どおりの死闘が繰り広げられる。

 強大な顎で噛み殺される者。

 魔剣よりも鋭い爪で、バラバラに切断される者。

 白い靄が赤い霧と混ざり合っていく。

 やがて……最後の一頭が動きを止めたとき、兵士たちの数は半分以下に減っていた。


「油断するな。確実にトドメを刺せ」


 スカーレットは慎重に倒れた “火竜”たちの動きを見極めながら、心臓の位置に剣を突き入れる。

 四頭すべてに同じ行為をしたあと、ようやく今回の戦いが終わったことを悟った。

 高くついた一戦だった。

 おそらく小隊の半分以上を失ったはずだ。

 間違いなく、これまでで一番の被害だ。

 最下層の魔物を相手取るということは、つまりはこういうことなのだ。

 緋色の髪の元姫騎士は、周囲に散乱する動かぬ兵士たちをみて暗澹たる気持ちになった。


「どんなに酷い損傷でも味方の遺体はすべて収容しろ。寺院に運べば蘇生の可能性がいくらかは――」


「――スカーレット!」


 その瞬間、胸壁の狭間から身を乗り出したヴァルレハが鋭い警告を発した。

 スカーレットが、仲間の女戦士が、生き残った兵士たちが、ハッと暗黒回廊(ダークゾーン)の出入り口に視線を向ける。

 “漆黒の正方形” からヌッと姿を現す、毒々しい色の巨人たち。


 ――マズい!


 スカーレットは咄嗟に思った。


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