ザ・ハイマスター★
(残る敵は “中忍” が三人)
数的不利は覆した。
質的にも、全員に重度の熱傷を負わせて動きを鈍らせている。
パーシャはトドメの呪文を使うべきか逡巡し、すぐに温存することに決めた。
(敵はこいつらだけじゃないかも。ううん、きっとまだいる!)
彼女の判断は正しく、そして間違っていた。
敵は確かにまだいた。
そして彼女がトドメの魔法を放っていれば、少なくとも今一度その敵の動きを止められていたかもしれない。
黒焦げになって転がっていた “達人” の死体がむくりと起き上がると、次の瞬間、先ほどまでとは文字どおり桁の違う身ごなしでパーティに襲い掛かった。
“達人” は “達人” でも、パーシャたちが相手にしていたのはただの “達人” ではなかったのだ。
鮮血が飛んだ。
半歩のさらに半歩。
もしレットがその爪先分の間合いだけ前に出ていたら、彼の命はそこで断たれていただろう。
振り抜かれた白刃によって頸動脈が半ばまで寸断され、パーティのリーダーの首から大量の血が噴き出した。
「レット!?」
パーシャの悲鳴が、迷宮の回廊に響いた。
致命の一撃ではない。
致命の一撃ではないが――限りなくそれに近い斬撃。
レットが呻き声ひとつ上げられずに血だまりに倒れる姿を、ホビットの少女はなす術もなく見つめた。
そして、そのかたわらに音も無く立つ灰色の忍び装束をまとった人影。
この忍者こそ誰であろう。
アンドリーナ麾下の忍者たちがすべて強制的に召喚された中で、唯一彼女に敬意を持って招聘された忍びの頭領。
その名も――。
「―― “ハイマスター”!」
パーシャの全身を戦慄が貫く。
その名のとおり、達人を超えた真の達人。
他の “達人” がせいぜいレベル10程度の騙りなのに対し、“ハイマスター” のレベルは15。
本物の “熟練者”の忍者を超えた存在なのだ。
レベル15といえば、例の事件のおりに遭遇した “狂君主” と同等である。
“熟練者” のアッシュロードと自分たちのパーティの総掛かりで、どうにか倒すことが出来たバケモノと同じレベルなのだ。
迷宮最下層に、最強格の “六大の魔物” あり。
魔女の片腕にして、不死者たちの王である “真祖”
魔女に次ぐ実力を持ち、迷宮の魔術師たちを束ねる “大魔導師”
人の歴史を縦に紡ぐ悪意の糸、妖魔にして地獄の大道芸人 “道化師”
名を出すことも憚られる大悪魔、“災禍をもたらす者”
高潔なる人格を持ちながら暗黒面への誘惑に負けて闇堕ちし、魔物と化した金色の “狂君主”
そして蓬莱より招聘されし、忍者たちの頭領 “達人”
この “ハイマスター” こそが、その “達人” なのだ。
パーシャは動けない。
いやパーシャだけでなく、血だまりの中で口から血泡を噴いているレットを含めて、カドモフも、ジグも、フェリリルも動けない。
眼光のひと睨みだけで、中堅と呼んで差し支えのなくなった探索者たちをまとめて金縛りにしたのだ。
(……あ、ああ)
蛇に睨まれた蛙とはきっとこのような状態なのだ……と、パーシャは思った。
死を目前にしながら恐怖に支配されて、一歩どころか指一本動かせない。
“お頭” の手を患わせるまでもないと思ったのだろう。
重い熱傷を負いながらも生き残っていたふたりの “中忍” が、短めの片刃の直刀を順手に構えてにじり寄ってきた。
(……死ぬ……殺される)
およそ諦めることを知らないホビットの少女が、この時ばかりはどうにもならなかった。
観念すらできなかった。
思考までもがそこに行きつく前に金縛りにあっていた。
“中忍” がホビットの少女に向けて忍刀を振り上げ、首が落ちた。
“中忍” の首が。
「――にゃあ」
カドモフに迫っていた “中忍” の首も同時に刎ねた小柄な人影が、蠱惑的な笑みで振り返った。
その瞬間、全員の金縛りが解ける。
「「「「ドーラ!」」」」
「危機一髪だったね。それでもネームドまであと少しって――おっと、こいつはいけないね」
軽口を叩いていたノーラが、自らの血だまりの中で倒れているレットに視線を走らせて声音を改めた。
「誰でもいい、そいつを担いで “壁” に行きな! その傷じゃ “大癒” でも無理だ! 助けるにはレベル11以上の僧侶が必要だよ!」
レベル11以上の僧侶!
それはすなわち、最高位の癒やしの加護 “神癒” の存在に他ならない。
癒やしの加護は初歩的な順に、
“小癒”
“中癒”
“大癒”
があるが、これらはどれも効果にばらつきがあり、時として手遅れになる。
しかし “神癒” は違う。
死以外のあらゆる負傷・状態異常から瞬時に確実に全快させる、まさに “神の癒し” なのだ。
聖職者にとっては、最高位階の蘇生魔法である “魂還” よりも授かることを願ってやまない神の御業なのである。
レットの傷は、その究極の治療魔法を必要とするほど深かったのだ。
「俺が――ドワーフや女に、レットを運ぶのはちっとばかしキツイからな!」
ジグが即答し、血塗れで蒼白となっているレットをスルリと肩に乗せる。
一見すると細身ジグだが、胸当てや兜を装備した戦士としては平均的な体躯のレットを軽々と担ぎ上げるとは……パーシャは驚いた。
「コツがあるんだよ。あとで教えてやる」
教えられても、あたいの身体でそれは無理よ……とホビットの少女が思ったときだった。
回廊の西から腹の底に響く地響きが迫ってきた。
気の遠くなるような咆哮がビリビリと血臭に充ちた空気を震わせる。
毒々しいまでに紫の肌をした巨人が四体、こちらに向かって猛然と突き進んでくる。
パーシャは本当に気が遠くなりかけた。
“巨人族” の中でももっとも恐ろしいとされる “毒巨人” だ。
守備兵たちの休息所である玄室 “第三” を急襲し、即効性の毒息で全滅させた凶悪極まるモンスターだ。
だが――。
「どうやら全員一緒にってのは無理みたいね――ジグ、ここはあたいたちにまかせて、あんたはレットを “壁” に運んで!」
“壁” には今、探索者最強のパーティである “緋色の矢” がいる。
全員がレベル12の彼女たちには、当然 “神癒”の加護を授かった僧侶も含まれていた。
最前線の指揮官であるドーラがここにいるということは、“壁” の守りは実質的に彼女たちが担っているのだろう。
レットを死の淵から引き戻すには、彼女らに頼るしかない。
「とっとと行きな――こいつはあたしが抑える! 残りは “毒巨人” を滅菌しておやり!」
ドーラはそう言うと、黙して彼女たちのやり取りを見逃してくれていた “ハイマスター” に視線を戻した。
「さて、またせちまったね。殺ろうか」
「……」
“ハイマスター” が無言でうなずく。
「行くよ――師匠!」
迷宮軍と帝国軍。
最強の忍者同士の死闘の幕が切って落とされた。







