内なる宇宙②★
『あのお城はしょっぱいにゃ』
普段 “レッドパレス” を見慣れているノーラが、このテーマパークの顔ともいえる “プリンセス・キャッスル” を見てバッサリと斬り捨てた。
ノーラは友人の匂いを追って、迷うことなく一直線に進む。
そして……。
『……なによこれ。いったい、なんの冗談』
行きついたアトラクションの前で、リンダが嫌悪感も露わに吐き捨てた。
看板にはおどろおどろしい文字で仰々しく、
“Dungeon of Death”
ようこそ! 死の迷宮へ!
一生遊んでても飽きないおもしろさ!(簡単には帰しませんよ!)
……の文字。
ポッカリと口を開けている地下迷宮の入口を見て、リンダの身体がブルブルと震えだした。
苔むした石造りを模した入口は、しょせんは作り物然とした代物に過ぎなかった。
よく造られてはいたが、間近で見れば舞台の大道具程度の精密さでしかなかったし、客もそんなことまで気にしない。
むしろリアル過ぎると退かれてしまう。
しかしリンダにはその作り物の入口が、あの迷宮のそれに見えた。
自分の心と人生を粉々に打ち砕いた、あの迷宮の入口に。
“アカシニア” では、打ち砕かれ壊れていたからこそ、あれからも潜ることができた。
しかし、この世界では違う。
この世界の慣れ親しんだ空気が、嫌でもリンダを引き戻してしまう。
(……あたしに……ここにまた潜れって言うの……ここに……あの迷宮に……また……)
蒼白になって震えるリンダの手を、温かく柔らかい何かがつかんだ。
見ると子猫人のノーラが、心配そうな顔でリンダを見上げていた。
またあの肉球だ。
『平気かにゃ? 怖いのかにゃ? ニャーがついてるから大丈夫にゃよ?』
(――怖い? このあたしが? 怖いですって!?)
勃然と湧き起こった激しい怒りに、リンダの震えが止まった。
『……あんた、誰に向かって言ってるのよ』
リンダの口から、凄みのある声が漏れた。
(あんたにとってあの迷宮は単なるアトラクションに過ぎなかった――そういうわけね)
怯えたノーラが、リンダから手を離す。
(どうやら、あたしは本当にあんたの心を覗いてるみたいね――瑞穂)
目の前の入口は “紫衣の魔女の迷宮” を遙かにしのぐ複雑で底の知れぬ大迷宮、人の心の深奥に通じる穴だ。
ならば覗いてやろうではないか。
あの娘の――枝葉瑞穂の心の底の底に何があるのかを。
どんな姿のあの娘がいるのかを。
もはや一片の迷いもなく、リンダ・リンは新たな迷宮に踏み入った。
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入口で係員から手渡されたスポーツ用のサングラスに似たVR器具を装着すると、まさしくそこは地下迷宮だった。
黴と苔と、湿った土埃の臭い。
手入れのされていない、古い墓の臭い。
ギチッ、
間違いない。ここはあの娘の心の中だ。
この臭いが何よりの証拠だ――リンダは歯ぎしりと共に確信した。
この臭いこそ彼女たちが初めて迷宮に潜ったときに嗅いだ、何よりも強烈に灼き付いているイメージ―― “死” の臭いである。
『す、すごいニャ! この世界にもダンジョンがあったんにゃね!』
興奮する子猫人の声に視線を巡らすと、そこには幼児サイズの革鎧を着たノーラが興奮度MAXの顔でしきりに周囲を見渡していた。
どうやら訳も分からないまま、 職業を決めてしまったようだ。
(せめて魔術師か僧侶にしてよ)
今さら盗賊以外の職に就けるわけもないリンダが舌打ちして、視界に表示されている四つの職業から自分も盗賊を選ぶ。
短剣、革鎧、小型の盾……駆け出し盗賊の三点セットがたちまち装着される。
現実の世界ならすごい技術だが、心の中ならなんでもありだ。
むしろなんでもありな矛盾や整合性を、こうして少しでも解消しているのかもしれない。
(これならわざわざ装備を詰めてくることもなかった)
いつの間にかなくなっているボストンバッグを思い出して、胸の中でリンダは呟いた。
『ここでもあの娘の匂いはわかるの?』
『もちろんニャ! っていうか、ここの方がもっとハッキリしてるにゃよ。ビンビンにゃ!』
(匂いはビンビンじゃなくてプンプンよ)
苛ついたが今はそんなツッコミを入れてる場合ではない。
『それじゃ案内して。魔物に気づかれないように注意してよね』
『わかってるニャ! そのためにちゃんと盗賊を選んだニャ!』
その言葉にリンダは虚を衝かれた。
脳天気にしか見えない子猫人も、それなりに考えているらしい。
『――いいわ、行くわよ』
『あい・あい・にゃー!』
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大小ふたりの盗賊は小さな子猫人を先頭に、折れ曲がってはいるが一本道の回廊を進んでいく。
なかなかどうして、ノーラの身ごなしは堂に入っている。
猫人 はホビットに並ぶ、生まれながらの “忍びの者” である。
足音を立てず、気配を消して歩くのはお手のものだ(なんといっても猫なのだ)。
リンダは先を行くノーラの文字どおりの猫背を見て、見直すと同時になにやらプライドを傷つけられたような、複雑な思い抱いた。
(……馬鹿馬鹿しい。盗賊なんて生きるために仕方なくやってるだけのロールプレイじゃない――ほんと、この子ってばムカつくわ)
自分の存在が後ろを歩く本職の盗賊を苛つかせているとは露程も思わずに、当のノーラは真剣その物だった。
懸命に鼻を利かせてエバの残り香を追い、まだ短いヒゲを必死に立てて周囲の空気を探った。
そう……短いのだ。
短かったのだ、まだ。
ノーラ・ノラは “猫” で言うならまだ子猫程度の成長具合であり、成猫であれば――成長した猫人であれば当然気づいたであろう空気の微細な揺れに気づけなかった。
母親のドーラ・ドラなら三〇メートル手前からでも充分に察知できたその空気の揺らぎに、ノーラは真下に来るまで――来てもなお気づけなかった。
ドサッ!
『――!? (もがががっっっ!!!)』
突然頭上から落下してきた薄いピンク色の物体にすっぽりと顔を覆われたノーラが、声にならない悲鳴をあげてもがき苦しむ。
『バブリースライム!』
はっ! と反射的に飛び退いたリンダが叫ぶ。
薄くピンク色に発光する、ゲル状の魔物。
装甲値は迷宮に生息する魔物の中ではもっとも高く、生命力も低い。
弱小モンスターの代名詞である “オーク” よりもさらに下等な最弱の魔物――いや生物。
スライムには包み込んだ相手を瞬時に溶解して自らの養分として吸収する危険な種もいるが、バブリースライムは違う。
獲物の顔を覆い窒息させてから、ゆっくりと消化するだけの単純な敵だ。
退治するのも簡単で、半透明の薄いピンク色の体内に浮かんでいる核を潰してしまえばいい。
それだけでゲル状の身体を保っていられなくなり、液状化してしまう。
しかし――。
突然呼吸ができなくなたノーラは、まさに溺れた幼児のように暴れ回った。
顔を覆うスライムをつかんでは千切り捨てるが、核を破壊するか火で炙らない限り
即座に復元してしまう。
『じっとして! 動かないで!』
リンダは短剣の切っ先を薄ピンクの生物の核に向けるも、パニックに陥ったノーラが暴れるので狙いが定まらない。
下手に突けば、子猫の顔に風穴を空けてしまう。
回復役がいない今、万が一目にでも刺さってしまったら失明は免れない。
(――あんたが悪いんだからね! 後先考えないで、あの娘の中に来るから!)
リンダは短剣を引き、狙いを定め――。
(こんなの先輩との1on1に比べれば、どうってことない!)
そして突き出す!
切っ先は狙い違わず揺れ動くバブリースライムの核に突き刺さり、その瞬間ゲル状の魔物は “バシャッ” とバケツで水をまいたような音を立てて、回廊の床の染みとなって消えた。
『――ケホッ、ケホッ、ケホッ!』
ノーラが激しく咳き込んで、気管に入ったスライムを吐き出す。
『はぁ、はぁ、はぁ――! ひぐっ……ひぎっ……ひっく!』
グズりながら、右手を舐めては顔を洗い舐めては顔を洗うノーラ。
(勘弁してよ、本当に……)
リンダは自らの額を鷲づかみにして、胸の内で呻いた。
子猫のこんな姿を見せられたら、どんなささくれ立った気持ちだって萎えてしまう。
再び熾った自分の中のドス黒い焔にまたも水を差され、リンダは天を仰ぐしかない。
『――ほら、これで拭きなさいよ』
腰の雑嚢に清潔な布きれが入っていたのを思い出したリンダは、右手で顔を洗い続けるノーラに差し出した。
せめてその仕草だけでもやめてほしかった。
『あ、ありがとうにゃ……』
『お礼なら必要ないわよ。あたしはあんたを囮にしてるだけなんだから』
『……囮?』
『そうよ。もし順番が逆でわたしが先に歩いてたら、死んでたのはスライムじゃくてわたしだった。あんたにはスライムに絡まれたわたしは助けられない。違う?』
『そ、そりは……』
『だから気にしなくていいわよ。あんたは立派にあたしの役に立ってくれたんだから』
そしてリンダはもう興味はないといった風に、ノーラから視線を外した。
『少し休んだら出発するわよ。今度は溺れないようにせいぜい気をつけるのね』
『……』
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「はぁ!? ますます意味不明! あんた、あたしたちをバカにしてるわけ!?」
「……確かに意味がわからない。世界が崩壊するってんなら、おまえだって死ぬはずだ。おまえの目的はなんだ? なんのために俺たちの前に姿を現した?」
「あたしの目的……? ……目的か。そうね、それはもちろん――」
「そんなの決まってるニャ! ニャーたちは、エバを助けに来たニャッ!」
(……あんたの目的はそうでしょうよ、子猫ちゃん。でも、わたしの目的は……)
道行の背中に隠れる瑞穂を見て、リンダの中のドス暗い焔が三度熾り燃えさかっていた。







