迷宮の一夜城★
「――まだだ!」
レットの伐るような警告が飛んだ。
“漆黒の正方形” から紅蓮の炎が延び、舐めるように彼らに襲い掛かった。
「散開!」
レットを含めた五人が、一斉に四方に飛ぶ。
標的を見失った炎の舌は、そのまま向かいの内壁を薙ぎ払うように一文字に灼いた。
ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ――!
まるで板金鎧を身に付けた騎士が歩いてくるかのような重硬い音が、暗黒回廊から響いてくる。
しかし魔法の光すら受けつけぬ真の闇から現われたのは、重武装の騎士などではなかった。
現われたのは、光沢ある緑色の外皮を持つ金属製の雄牛だった。
「―― “緑皮魔牛” !」
パーシャが叫ぶ。
“緑皮魔牛” とは幻獣系に属するモンスターレベル8、 ネームドの魔物だ。
メタリカルな光沢を放つ外皮はもちろんのこと、筋肉から内臓・骨格に至るまでもが重合金で形成されていて、その重量たるや、なまなかな巨人に匹敵する。
地下六階から最下層まで広い生息域を持つ魔物だが、地下一階に姿を現すのはこれが初めてであろう。
「竜息もやっかいだけど、一番の脅威は体重の乗ったぶちかましだよ! ――言ってる傍から、そらきた!」
“緑皮魔牛” は首を振って、水蒸気の鼻息を荒々しく漏らした。
魔牛の体内は、竜息を生成するために高温に保たれているのだ。
そして前足で土を蹴る仕草をした直後、
ズンンッ!
まるで投石機で射出された巨岩のような勢いで、緑色の巨獣が突き進んでくる。
狙われたのは――。
「「「「――カドモフ!」」」」
仲間たちの悲鳴が重なる。
“緑皮魔牛” は本能的に短躯でもっとも敏捷性に劣り、壁を背にしていて逃げ道の少ないドワーフを標的に選んだのだ。
「……ぬっ!」
いくら頑健頑強な若きドワーフといえど、分厚い板金鎧さえひしゃげさせる “緑皮魔牛” の体当たりを受けてはひとたまりもない。
しかし生来の戦士であるカドモフは動じない。
低い重心をさらに低くし、左右どちらにでも飛べるように身構える。
飛び退る間合いが少しでも早ければ追尾される。
遅ければかわしきれない。
どちらにしてもペシャンコだ。
重合金の猛牛がトップスピードに達するまで一秒もかからず、さらにドワーフの戦士が回避の判断と動作に費やせる時間はその半分がいいところだった。
パーティの仲間、積み上げられた土嚢の隙間から覗いていた工兵隊の兵士。
誰もがカドモフが “緑皮魔牛” と壁に挟まれて悲惨な末路を迎えると直感した。
だが若きドワーフ戦士は冷静で、それ以上に剛毅だった。
カドモフは自分が飛んだり跳ねたりが苦手なことを、十二分に知っていた。
そんな軽業師のような真似は盗賊かホビットにまかせておけばよい。
彼は右足を下げ、体を半身に開いた。
その瞬間、猛る魔牛の角が彼の左頬をこそげ取っていったが、カドモフは気にも止めない。
「――ぬんっ!」
カドモフは短躯を半身に開くと同時に、その反動作で剣を横殴りに払った。
戦場では、突撃してくる軍馬の足を刈り取る戦法は広く浸透している。
“緑皮魔牛” は自らの突進力を逆に利用されて、右の足を全て切り飛ばされた。
硬い金属質の外皮も、なんの役にも立たない。
“緑皮魔牛” はそのまま半回転し、カドモフの背にしていた分厚く頑丈な煉瓦の内壁に激突した。
迷宮を揺るがす大音響。
濛々たる土埃が治まったとき、ペシャンコにひしゃげていたのは魔牛の方だった
ドワーフの頬肉は高くて不味い―― “緑皮魔牛” は自らの命と引き換えに教訓を得たのだった。
それにしても、加速したあの超重量級の運動エネルギーを物ともしない膂力の凄まじさはどうだろう。
若きドワーフの戦士は、唯一人の “カドモフ”に向かって着実に階段を登っていた。
「――守るぞ、“壁”」
カドモフが血塗れの顔で振り向くと、低く、力強く、仲間たちに言った。
「築くぞ、“壁”」
同族の老いた工兵隊長が部下たちに言い放ち、そして歌い出す。
“遙か母なる大河に揺られ、いつか目指すよ大海洋”
“朽ちた流木、俺の船。ようやく見つけた、俺の夢”
部下たちが土嚢を積み上げながら、唱和する。
“遙か父なる大地に倒れ、いつか無になるその前に”
“乗って漕ぐのさ、俺の船。同じ死ぬなら、母の胸”
“千軍万馬の砂塵に塗れ、今日は東で明日は西”
“袋に詰めるは土塊で、死んだ友だち詰められぬ”
“死んだ友だち打ち捨てて、担いだ土塊幾数千”
“築いた城壁幾数千、見捨てた友だち幾数千”
“だから漕ぐのさ、俺の船。同じ死ぬなら、母の胸”
“そして漕ぐのさ、俺の船。同じ死ぬなら、夢の中”
最初は “壁” を築く工兵だけで歌われていた作業歌は、やがて土嚢をリレーする兵士たちにも拡がり、“駆け出し区域” 全域に響き渡っていく。
“遙か母なる大河に揺られ、いつか目指すよ大海洋”
“朽ちた流木、俺の船。ようやく見つけた、俺の夢”
“遙か父なる大地に倒れ、いつか無になるその前に”
“乗って漕ぐのさ、俺の船。同じ死ぬなら、母の胸”
“千軍万馬の砂塵に塗れ、今日は東で明日は西”
“袋に詰めるは土塊で、死んだ友だち詰められぬ”
“死んだ友だち打ち捨てて、担いだ土塊幾数千”
“築いた城壁幾数千、見捨てた友だち幾数千”
“だから漕ぐのさ、俺の船。同じ死ぬなら、夢の中”
“そして漕ぐのさ、俺の船。同じ死ぬなら、母の胸”
暗黒回廊から次なる魔物の群れが現われ、その滑稽でどこか哀愁を帯びた作業歌を背に探索者たちは再び剣を構えた。
工兵たちは歌いながら、間近で炸裂する呪文や竜息を横目に、黙々と自分らの仕事をこなしていく。
老ドワーフの指示で、計算し尽くされた積み方で土嚢を積み上げ、壁を築いていく。
完成すれば、巨人の体当たりにすら耐えられる “ドワーフ流築城術” の基礎にして神髄である。
それは昨夜の籠城戦とは打って変わった、地味で忍耐のいる戦いだった。
しかしこれこそが彼ら設営部隊の―― 工兵の戦なのだ。
彼らはこの不屈の忍耐力で、かつて魔物溢れる迷宮内に昇降機すら設置してのけたのである。
やがて三波目の魔群を撃退したとき、エルフの 僧侶の加護が尽き、ホビットの 魔術師の呪文が切れた。
戦士たちは傷を負い、誰もが疲労で目が霞んだ。
最初から決めれていたとおりに、彼らは緋色の髪の女戦士が率いるパーティと交代し、後方に下がった。
複数のパーティが連携して戦うには迷宮は狭く、意識を摺り合わせる時間もなかった。
作業歌は途切れることなく、歌われ続ける。
緋色の髪の女戦士たちは、それから八波におよぶ魔物の襲来を撃退した。
やはり彼女たちも疲れ傷つき、呪文や加護を使い切って、待機している探索者たちにあとを譲った。
同じ事が一昼夜繰り返され、探索者は魔物を撃退し続け、工兵は壁を築きながら歌い続けた。
そして翌日、迷宮の外では夜明けを迎える頃、ついに工兵たちの歌がやんだ。
“壁” は完成し、工兵たちはボロ切れのようにその場に倒れ込んだ。
魔物たちの襲撃は実に三十波を数え、最後は黒衣の指揮官や猫人の副指揮官までが剣を振るい防戦に努めた。
火の七日間の二日目。
工兵の死者は0。
探索者のそれは12。
消失は3であった。







