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迷宮保険  作者: 井上啓二
第三章 アンドリーナの逆襲
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罠に嵌る

「――おい、そこの猫人(フェルミス)の娘」


 ご機嫌なノーラを、不機嫌な男の声が呼び止めた。

 小さなノーラが振り向くと、そこに血走った目をした見るからに “狂信者然” とした男が立っていた。


「? なんにゃ? ニャーのことかにゃ?」


「お前以外に猫がどこにいる」


 ノーラはキョロキョロとわざとらしく辺りを見回してから、


「いないにゃ。ということは、あなたが言っているのはニャーのことにゃんにゃ」


 と、猫に似つかわしくないにこやかな顔で答えた。


「おまえはカドルトス様の信徒か?」


 男は高圧的にノーラに問うた。


「? ニャーか? ニャーは違うにゃ」


「チッ、ニルダニスの一派か」


「それも違うにゃ。ニャーは “中立” だから、どっちの神様もそれなりに信じてるにゃ」


「そんなものは信仰ではない!」


 汚物でも見たような嫌悪に充ちた表情で、男が怒鳴る。

 まったく鼻がひん曲がりそうなほどの()()()()だ。


「? あなたはニャーに何が言いたいのにゃ?」


「探索者を見なかったか? 黒い髪の若い娘を背負った六人組だ」


「? 誰にゃ、それ? 探索者なら冒険者街に沢山いるにゃ。ニャーに案内してほしいにゃ?」


「いらん! そんなことはわかってる! ええいっ、もういい! 餌場でも砂場でもどこへでも行け!」


「バイにゃ!」


(……あいつは “怒りん坊” にゃ。間違いなくエバを捜してる悪い奴にゃ)


 軽やかに、優雅に、ステップを踏むように歩きながら、ノーラの背中は汗でビッショリと濡れていた。


(……急いでお城にいってトリニテェイを呼んでこないといけないにゃ。これは重大な任務にゃ)


 城塞都市最強の探索者である母親の薫陶が篤いノーラは、それでも顔色ひとつ変えず、背中にだけ汗を掻くという器用な真似をしながら王城を目指す。

 途中、同じような()()を持つ人間に三度も呼び止められたが、子猫人はしなやかに躱してみせた。

 これなら無事にお城に辿り着ける。

 ノーラは幼心に思い、実際にそのとおりになった。


 しかし、問題はそこからだった。

 “王城(レッドパレス)” に入るための内郭城門は、戒厳令の施行に伴い厳重に警備されていて、許可のない者は文字どおり()()()()()通れない状態になっていた。

 当然だ。

 つい昨夜外郭を突破され、城塞都市内に魔物の侵入を許したばかりなのだから。

 許可証や割り符を持たない者は何人であろうと、城門を固める屈強な衛兵によって問答無用で追い払われた。

 

 ハンナは万が一の時のノーラと自分たちの安全を考えて、言伝以外の連絡手段をノーラに託さなかった。

 ノーラが寺院側に捕らえられたとき、一挙に事が露見するのを怖れたのだ。

 さらにノーラにとって不運だったのは、その時内郭城門の警備をしていた衛兵は彼女の知らない兵士だった。

 トリニティ・レインから口添えされていた顔見知りの衛兵たちは、昨夜外郭の応援に駆り出され今は寺院で蘇生を待つ身だった。

 子供の冒険が通じるのはここまでで、一も二も無く追い払われたノーラ・ノラは、呆然と “レッドパレス” の白亜の尖塔群を見上げた。



 ハンナはノーラの子守のマーサ、その妹ポーラの自宅の埃っぽい半地下室に身を潜めたまま、思案に暮れていた。

 ポーラの厚意で入れられた白湯の椀で両手を温めながら、この切羽詰まった状況からの打開策を模索し続けている。

 そう、彼女たちはまさしく切羽詰まっていた。

 ノーラ・ノラが王城に遣いに出てから、すでに半日が過ぎていた。

 遅すぎる。

 子供の足でも、とっくに三往復以上出来ている時間だ。

 無事に城にたどり着き、城内で待たされているだけかもしれない。

 だが、それでも待たされすぎだ。

 戦時下ともいえるこの状況で筆頭国務大臣が多忙を極めているのは想像に易いが、次席近衛騎士ドーラ・ドラの娘が筆頭近衛騎士グレイ・アッシュロードの言伝を持ってきたのだ。

 まず何はなくとも取り次ぐのが、衛兵なり官吏なりの責務だろう。

 そして無事にトリニティ・レインまで取り次がれていれば、こんなにも待たされるはずがないのだ。


 直に日が暮れる。

 寺院側の探索の環――包囲の環は確実に狭まっていると考えて間違いない。

 あの連中は諦めない。

 ハンナは自分の中の “引き出し” を片っ端から開けて、中身を改め続けた。

 あるはずだ。

 何かあるはずだ。

 自分は探索者ギルドの受付嬢だ。

 同じ年頃の娘と比べても――いや、この場にいる未だ駆け出しの五人の探索者と比較しても、蓄積はあるはずだ。

 探索者たちからの報告、噂話、自慢話。

 なんでもいい。

 タンブラーを満たした水が縁から零れるように、一滴でいい。

 自分の内から、この窮地を抜け出す答えを――策を導き出すのだ。

 やがて、ハンナは冷えた白湯の椀から視線を上げた。


「――ここを出ます。夜陰に紛れて城に向かいます」



 日が暮れ夜の帳が下りても、城塞都市は各所に焚かれた篝火によって赤々と照らされていた。

 だが昼間とは打って変わり、街中からは住人の姿が消えている。

 “虎” は夜に訪れる――今はすでに魔物の時間なのだ。


 街路の石畳に、複数の跫音(きょうおん)が響いていた。

 篝火によって映し出された六つの陰影が、住居の壁を影走っていく。

 ダイモンは先頭を走りながら一度肩越しに、魔術師のセダに背負われた()()を見た。

 特徴的な髪を隠すため、ポーラの家から持ち出したフード付きのマント(気休めのお呪いつき)で顔を覆ってはいるが、探索者パーティの背中に担がれている時点で目立ちすぎている。

 寺院側の監視に引っかかれば、誤魔化すことはできないだろう。

 そうなれば、あとはガチでの強行突破しか残されていない。


 ポーラの家から王城への最短ルートは採れなかった。

 “カドルトス寺院” は、すでに自分たちが王城に駆け込もうとしているのを知っている。

 自分たちを見失ったあの区画(ブロック)から王城までのルートは、徹底的に見張られているだろう。

 迂回路を採るしかなかった。

 可能なら都市の地下に迷宮のように張り巡らされている “下水道” に潜りたいぐらいだ。

 いや、最悪の場合は潜るしかない。

 確実に迷うだろうが、自分たちより腕の立つ “暗殺者(アサシン)” を相手に大立ち回りを演じるより、まだ生き残れる可能性がある。

 すくなくとも地面の下なら、まだ自分たちのフィールドに近いはずだ。


 しかし寺院側の監視網は、ダイモンたちが考えていたよりもずっと密度が濃かった。

 ポーラの家を出て南に三区画走ったところで、彼らは周囲から接近する無数の跫音に囲まれてしまった。


「――こっちだ!」


 エドガーが十字路で唯一追っ手の気配を感じない西を指差す。

 ダイモンは十字路の真ん中を塞ぐ、下水道への蓋にチラリと視線を走らせた。

 

 ――潜るか? 


 いや、駄目だ。

 もうその時間はない。

 追っ手はすぐそこまで迫っている。

 潜るなら、追っ手の気配がないうちにだった。


(俺たちは――俺はいつもこれだ! いつも判断が遅い!)


 ダイモンは自分の愚鈍な頭を、本気で壁に打ち付けたくなった。

 助かるための選択肢があったのに、自らそれを見送ってしまった。

 今となっては、ただひたすらに西に逃げるしかない。


 そして、彼らは罠に嵌った。

 猛獣を狩るときの常套手段は、獲物を完全には包囲せず一方にだけ逃げ道を作っておくことだ。

 そうすれば獲物は自然と、狩人の望む()()へと誘導される。

 ダイモンたちの前に昨夜市民たちが築き上げ、そのまま放置されていたバリケードが立ちはだかった。


「――の、乗り越えろ!」


「……もう遅い!」


 狼狽した声でダイモンが叫び、後ろを振り返ったクリスが中古の(ロングソード)を構えながら答える。

 昼間よりも多い、一二人の追っ手。

 しかも前回の失敗を考慮して、全員が “暗殺者” ではなく “僧兵” だった。

 “認知(アイデンティファイ)” の加護がないダイモンたちには見抜けなかったが、彼らを袋の鼠にした寺院の手の者たちは、


 “プリーステス” ×1

 “レベル3プリースト” ×5

 “レベル5プリースト” ×5

 “レベル8プリースト” ×1


 ――全員が彼らよりも上のレベルだった。

 セダが背負っていた()()を下ろし、バリケードにもたれさせる。

 フードに覆われた頭がグッタリと垂れた。

 エドガーがその姿を横目で見て、“昏睡(ディープ・スリープ)” の倍掛け(ユニゾン) は不可能と判断し、先行して詠唱を始める。

 その分だけ、呪文の完成がプリーストたちの祈祷よりも遅れた。


 “静寂(サイレンス)” の嘆願が男神に聞き届けられ、魔術師のエドガーとセダを含むすべての声が奪われた。

 あとはもう、なぶり殺しだった。

 “棘縛(ソーン・ホールド)” の加護で自由を奪われたダイモンたちに、“与傷(ライト・ウーンズ)” や “減生(ミドル・ウーンズ)” といった殺傷系の加護が次々に投げつけられ、剣を振るう間もなく生命力(ヒットポイント)が削られていく。

 死ぬもよし、もし生き残ったなら奴隷に売り払うなり、阿片漬けにして昼間失った “暗殺者” の代わりに仕立て上げるもよし。


 剣を握ったままの姿勢で石畳に倒れたダイモンの頭を、プリーストのひとりが踏みつける。すでにその圧力だけで息が絶えかねないほど、彼の生命力は奪われていた。

 みぞおちを蹴り飛ばされエドガーが住居の壁に叩きつけら、白目を剥き口から泡を噴いて昏倒する。あとは子供に殴られただけでも絶命するだろう。

 戦士のクリスは徹底的に足蹴にされ、たとえ “棘縛” の加護が解けたとしても、もはや指一本動かすことはできないほどに痛めつけられた。

 セダの受けた “減生” の加護は効果が高く、一気に生命力を奪われ意識を失っていた。幸運だった。

 寺院側で唯一の女であるプリーステスは、自らが “与傷” の加護を与えた同じ女であるリンダにトドメを刺そうとし、なんの色もない虚無的な瞳を見て逆に怖気を震った。


 死を目前にしたダイモンの両眼から悔し涙が噴きこぼれる。

 せめて……せめてひとりぐらいは道連れにしたかった。

 それすらも出来ぬほど自分たちは弱く、無力で、無様なのだ。


 僧兵たちの統率者であるレベル8プリーストが、バリケードにもたれ掛かって頭を垂れている()()に近づいた。

 手を伸ばして被っているフードを引き下ろすと、乱暴に顎を持ち上げて顔を確かめる。

 街路に焚かれた篝火が、“静寂” と “棘縛” の加護で声と身体の自由を奪われた()()()()()()()()()()の凄絶な笑みを照らし出す。

 自分たちが謀られた――と悟ったレベル8プリーストが怒りにまかせて戦棍(メイス)を振り上げ、すべての自由を奪われたままハンナの意識はそこで途切れた。



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[良い点] ひええ、捨て身の作戦……いくら蘇られるといっても
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