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迷宮保険  作者: 井上啓二
プロローグ 線画迷宮
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初心者狩り狩り初心者★

 その戦いは、吐き気を催す血臭の中で始まりました。


 アッシュロードさんが扉を蹴破って突入すると、そこは予想通り “ならず者(初心者狩り)” たちの巣窟でした。

 先ほど “腐乱死体(ゾンビ)” と遭遇したのと同じ、二区画(ブロック)四方の玄室。

 でもこの玄室には、多少なりとも生者の生活の痕跡が見て取れました。


 壁際に設置された、煤ぼけた崩れかけの(かまど)

 その上に置かれたドロドロに汚れた深鍋。

 玄室中央を占める、(かし)いだ巨大な(テーブル)

 転がるヒビの入った無数の陶杯(ジョッキ)

 卓に直置きされた燃え尽きる寸前の蜜蝋。

 シャッターのないひしゃげた角灯(ランタン)

 散乱した寝藁(ねわら)

 汚物の溜まった壷や小型の樽。


 そして……それもこの玄室の住人たちにとっては生活の一部なのでしょう。

 玄室の隅にうずたかく重ねられた()()()()()()()()()()

 床には人骨らしき物が散乱していて、それは竈の上の汚れた深鍋からも顔を出していました。

 玄室全体に充満する濃密な人血と……人肉の臭い。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


追い剥ぎ(ハイウェイマン)” ×6

無頼漢(ローグ)” ×5


 突然侵入してきたわたしたちを見て、一一人の “ならず者” たちがゆるゆると顔を上げました。


 酩酊している?

 お酒?

 それとも麻薬?


 その表情は虚ろで、口からは涎を垂らし、なにより瞳には狂気が宿っていました。


 食人を重ねたことで……狂気に憑かれた?


 そんな想像が頭をよぎったときには、アッシュロードさんが抜く手も見せない早業で短刀ダガーを投擲していました。

 短刀は狙い違わず突き刺さり、喉を押さえた “追い剥ぎ” のひとりがもんどりを打って倒れます。


 “(You)( surprised)( the)( monsters)!”


 一人目が倒れるよりも早くアッシュロードさんは左右の手で二本の剣を抜き放っていました。

 一声も発することなく男たちの真っ直中に斬り込み、右手の(ロングソード)で “無頼漢” の頭を断ち割り、左手の短剣(ショートソード)で、鎖帷子ごと二人目の “追い剥ぎ” の心臓を貫きます。


 さらにアッシュロードさんは短剣を突き刺した追いはぎを蹴倒して刃を抜くと、斬り掛かってきた “無頼漢” の蛮刀を剣で受け止めて、引き抜いたばかりの短剣をその右目に突き入れ、ねじりました。

 さらなる “無頼漢” が間髪入れず飛びかかってきましたが、これも剣の()()を顔面にめり込ませて一蹴します。


 これで五人。

 残り六人。


 誰何(すいか)の声も聞かないうちに5人を仕留めたのです。


 これが…… 熟練者マスタークラスの強さ。

 これが……あの人の本当の姿。


 覇気のない三白眼も、フケだらけのボサボサの頭も、頼りなくみえた猫背の背中も……この人の本当の姿ではなかったのです。


 そして目の前で繰り広げられる死闘。

 憎悪に満ちた怒号も、悪意の籠もった罵詈もなく、呼気を漏らす余力も惜しみ恐れるような、ただただ無言で演じられる泥臭い殺し合い。

 洗練などという言葉を鼻で笑うが如くのその戦いに……わたしは加護を願うことすら忘れて立ち尽くしていました。


 残る敵は “追い剥ぎ” が四人。

 その手下と思われる “無頼漢” がふたり。


 “ならず者” たちはさすがに場数を踏んでいるらしく、手練れのアッシュロードさんに不用意に斬り掛かるのは危険と悟ったようです。

 思い思いの凶器を手にしながら、ジリジリと遠巻きにアッシュロードさんを取り囲んでいきます。

 それに合わせて、アッシュロードさんも背後を取られないように少しずつ移動して……。


「あ、ダメ!」


 わたしは思わず叫びました!


 いつのまにか死体の山を背に追い詰められてしまったアッシュロードさん!

 囲まれないように間合をとっていたのかもしれませんが、回り込んでいるうちに逆に追い込まれてしまったようです!


「アッシュロードさん!」


 “ならず者” たちが一斉に飛び掛からんとした、まさにその時です!


「目を閉じて耳を塞げ! 口を半開きにしろ!」


 アッシュロードさんがこの玄室に入ってから初めて声をあげました!


「――えっ?」


「厳父たる男神 “カドルトス” の怒りもて――」


 え!? え!? え!?


 目を開けて、口を閉じて――耳をなに?


 もちろん今のわたしに、そんな器用な真似が咄嗟に出来るわけがありません。

 出来たのは借りた盾を身体の前にかざして、その後ろに隠れることぐらいで――。


「――ほむらよ立て!」


 直後、アッシュロードさんを取り囲む悪漢たちの足元から、紅蓮の炎が噴き上がりました!


 犠牲者から流れ出た大量の血で飽和状態だった玄室の湿度が、熱波によって一瞬で乾燥!

 盾で防いでもなお、わたしの鼻腔や喉、肺に微弱なダメージを与えます!


 聖職者系第五位階!

 “焔柱(ファイヤー・カラム)” の加護!


 魔術師系第三位階の攻撃呪文 “焔爆(フレイム・ボム)” に匹敵する威力を持つ、聖職者の加護では珍しい中規模集団(グループ)攻撃魔法です!


 玄室の床から噴き上がった太い火柱は天井にまで達し、それはさながら炎の ギリシア式(パルテノン)神殿”でした。


 息を飲む光景が展開される中、不意に加護の効果が切れました。

 炎の柱が消え去り、天井から真っ黒な “何か” がドサドサと落ちてきます。

 “焔柱” によって噴き上げられていた “ならず者” たちです。

 全員が真っ黒に炭化していて、ピクリとも動きません。

 人の焼ける……最悪の臭い。


 これで……これで一一人。


 わたしは手で口を押さえて、必死に吐き気をこらえながら数えました。

 これでこの玄室にいた “初心者狩り” は、すべて倒れました。

 結局わたしは何一つすることなく、戦いは終わってしまったのです。


「ごめんなさい……わたし……何も役に立てなくて……」


 血振りをするアッシュロードさんに、わたしは謝りました。


「足手まといにならなかっただけで上出来だ」


 返ってきたのは、平素と変わらないぶっきらぼうな物言い。

 激しい戦いが終わった直後だというのに、息の乱れも感情の波立ちもありません。


「……でも……」

 

 ()()()()()()()()()()()()


 目を見開いて、まるで “赤ちゃん()を産んでいる()最中()” の妊婦さんのようなものすごい形相で――。


 盾を――。

 

 両手で握った盾を――。


 アッシュロードさんの背後で音もなく立ち上がり、黒く煤けた蛮刀を振りかざした()()に向かって――。


 ()()()()()()()

 

 炭化していた皮膚や肉片が粉塵となって飛び、かつては頭だったと思える部位がハンマーで叩かれた焼き菓子のように砕け散りました。


「……いい 殴打(バッシュ)だ」


 アッシュロードさんが三白眼をほんの僅かに拡げて、肩で息をするわたしを見ました。


 最後の最後に少しだけ手伝いらしいことをして、わたしの初めての “初心者狩り狩り” は終わったのです。


◆◇◆


 わたしは “ならず者” たちの掃討を終えた玄室にいました。

 目の前には、人の背丈を超えるほどに積み上げられた死体の山(人の山)


 “焔柱” の業火にもかかわらず炎による損傷が一切ないのは、アッシュロードさんが背にしていてくれたからでしょう。

 すべてあの人の計算のうちだったのです。


 わたしは死体の山から、目指す人物を捜しました。

 感覚も……そして感情も麻痺してしまっていて……。

 もう吐き気は催しませんでした。


「いたか?」


 動きの止まったわたしの背中に、アッシュロードさんの声が届きました。


 ……コクッ、

 

 視線の先には、白く濁った瞳を見開いたリンダ―― “林田 鈴(はやしだ すず)” の姿。

 衣服はいっさい身につけておらず、身体中が醜いミミズ腫れや噛み痕におおわれていて……。

 四肢は力なく、壊れた人形のようにだらりと垂れていて……。

 何よりも汚れた下腹部から太腿を伝って大量の……。

 大量の……。

 

「あとは俺がやる」


「……お願いします……」 


 本来であれば、それは友人であり、なにより同じ女であるわたしがやるべきことでした……。

 

 でも頭が働かなくて……。

 気が回らなくて……。

 身体が動かなくて……。

 

 わたしは玄室の中央、傾いだ卓の前に置かれた椅子代わりの長櫃に、のろのろと腰を下ろしました……。

 

 スイッチが……焼き切れてしまった感じです……。


 噎せ返るような血臭も……。

 足の裏に感じた内臓の感触も……。

 凄惨な友だちの死も……。

 初めて人を殺したことも……。

 

 すべて遠い世界の出来事のようで……。

 

 何を見ても……。

 何をされても……。

 何も感じない……。

 

 もういっそのこと、このまま焼き切れたままでいいです……。


「………………あ」

 

 すべてが遠くなった世界で、()()だけがわたしの意識に映りました。

 卓上に散乱するガラクタの中で、()()だけがわたしの意識を捉えたのです。


 乱雑に散らばったガラクタに紛れた、薄いガラスの板。

 

 わたしの……スマホ。


 “初心者狩り” に奪われてなくしてしまったと思っていたそれが、まるでそれ自体が意思を持っているかのように突然 目の前に現れたのです。

 

 “ならず者” たちには使い方がわからなかったのでしょう。

 写りの悪い手鏡か何かだと思ったのかも知れません。

 乱暴に扱われたせいか画面は割れていて、今は “割れたスマホ” です。


 身体が勝手に手を伸ばして、それをとりました。


 充電できないのでもうずっと電源を切ってあります。

 本当に、本当に辛いときだけ、みんなに隠れてコッソリ見ていた……。

 スマホは壊れてはいませんでした。

 スマホは生きていました。

 

 ちゃんと起動し、割れた画面の奥に見慣れた待ち受け画面が現れました。

 指が勝手に動いて……アルバムのアプリを……。


 彼が……彼が笑っています。

 スマホの中で、彼が変わらない姿で……変わらない笑顔を見せています。


「う、うわああぁぁぁぁぁっ!!!」


 遠くにいってしまっていた感情が、奔流となって甦りました。

 スマホを抱き締めて、子供のように泣きじゃくり、獣のように慟哭します。 


 隼人くんっ! 隼人くんっ! 隼人くんっ!

 助けて、隼人くんっ! 助けてっ!


 何度も何度も、彼の名前を呼びます。

 何度も何度も、彼に助けを求めます。


 でも……スマホの中で笑う幼馴染みが答えてくれることはなく、聞こえるのはアッシュロードさんが親友を麻袋に詰める音だけでした。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 戦闘シーンが圧巻です。グレイの剣捌きから明瞭な「音」が聞こえます。文章内には音の描写がありません、それでも読んでいて伝わってくるのです。ザクッとかドシュッとかカタカナで書いちゃう作品では味…
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