密やかなお話
「このまま引き下がる気か?」
とヴィンセント皇子が言ったので、あたしは目を剥いた。
「は? 引き下がる気かって……どういう」
「百年ぶりに咲いたフォスター伯爵家の白薔薇の君にやられっぱなしでいいのか?」
ヴィンセント皇子は漆黒の瞳であたしをじっと見た。
いや~めっちゃ男前だわぁ、いや、そんな暢気な事を考えてる場合じゃない。
「でも……婚約は破棄されてしまったようですし、何より皇子の言葉ですもの、もう覆すなんて無理ですわ。それに……」
「それに?」
「そもそも私は侯爵である父の言葉に従っただけですもの。アミィは本当にローレンス様をお慕いしていますし、ローレンス様もそうでしょう。愛し合う者達の幸せを叶えて差し上げましょう……」
つい、とレースのハンカチで目尻をぬぐって見せる。
儚げに見えた?
万が一、第一皇子の権限で婚約破棄を破棄されてなるもんか。
悪役だろうが良役だろうが、あたしに令嬢役なんかぜってえ無理だ。
アミィにはむかっ腹立つが、何にしても引き際って奴は大事だ。
婚約破棄された可哀想な令嬢で上等さ。
こうなりゃ、屋敷の金目の物を元手に一旗揚げるぜ!!
「そうだな、やり方には他にもある。アミィ・フォスターに一泡吹かせたければ、もっと上位の男に嫁げばいい話だ」
優雅に長い足を組んで、ゆったりと馬車の後部座席にお座りになるヴィンセント皇子はとんでもない事をおっしゃったぞ。
「はあ? ……いえ、あの、その、ローレンス様は皇子ですのよ。それ以上の男性なんて」
我が国グリンデル王国は強大だ。
近隣諸国の中でも広大な領地、豊穣な大地、豊富な鉱産物。
自然は豊かで、四季は穏やかに巡る。
都は栄え、飢えも貧困もない。
民は民の為の政治を行う国王を賢人と慕う。
ぶっちゃけ、なんか人のいいおじさんって感じなんだけどね。
国王様。
でも今はローレンス皇子の母上であるリベルタ王妃様に夢中。
ローレンス皇子の美貌はそのままリベルタ王妃の美貌。
金髪碧眼のものごっつー美人。
ローレンス皇子に国を継がせたいリベルタ様はヴィンセント皇子とは反目している。
まあねえ、前妻の子供よりも我が子に国を継がせたいって気持ちは分からないでもない。
だから、この国でローレンス皇子よりも上位の男なんて……いな……い。
あたしはヴィンセント皇子を見た。
「一人いるだろう? ローレンスは第二皇子だが、私は第一皇子だぞ?」
「え!」
扇は手から滑り落ち、あたしの口は大きく開き、それはもう見事に間抜けな顔をしていたんだろう、と思う。