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古明地 さとり ~嘘と光~

03/05、追記

新しい段落を加えました。

「あなたは人を欺きすぎた。その魂はもはや私でも救いようがありません。」

そう宣告されると俺は小さな閻魔に舌を挟まれた。

左右を鬼がきっちりと掴み込み、身動きなんて取れたもんじゃない。

閻魔がゆっくりと舌を引っ張り始める。

「その二枚舌も引き抜けば嘘は吐けなくなるでしょう。」

こうして俺は舌を引き千切られた……


――――――――



――――――



――


私はふと散歩をしたくなりぱたんと本を閉じると久々に地霊殿から足を運びだした。

「さとり様、お散歩ですか?」

お燐が問いかける。

「えぇ、久々にね。」

「私もついていきましょうか?」

「いいえ、結構よ。さとり妖怪を襲おうなんて人はいないでしょうしね。」

「そうですか。」

そういってお燐は地霊殿の奥に歩き去っていった。

私はそれを見送ると歩き始めた。

ふわふわと悪霊が私の周りを飛び交う。

私はそれを追い払うと旧地獄街道を目指して歩き続けた。

当然だが、街の人々は私の姿を見るなり畏怖の顔をして引っ込んでしまう。

それでも断片ごとに読める心はあった。

(地霊――)

(古明地――)

(心を――)

思っていることは様々だが一様に私を嫌っていることは分かった。

私は知らずのうちにため息を吐くと歩みを速めた。

さっさと通り過ぎるとしましょう。

近くに川があったはず、そこで足を冷やしてみるのも悪くはないかもしれない。

私は川に向けて歩み始めた。

空からふわふわと雪が降りてくる。

地底の季節は気まぐれだ。

地上で雨が降って空気が冷たければ地底は雪になるし、逆にしみ出した水が太陽によって乾かされたら霧になる。

唯一確認できるのは春くらいかしら。

しばらく歩いていると川にたどり着いた。

さらさらと流れる川は絶えず清水を湛えている。

私は靴を脱ぐとそっと流れに足を付けた。

くるくると心地良い感触が足を潜り抜ける。

私は顔を上げて地底の空を見た。

当然のことながら太陽の差さない地底の空は真っ黒だった。

「ここにも太陽が降りる日は来るのかしらね。」

ポツリと独り言葉を零す。

「来るわけねーよ。」

しかし、その言葉には返事が帰ってきた。

顔を横に向けると全身を水につけて空を見ている男がいた。

その心は私の放った言葉への嘲笑が滲んでいた。

「ここに日が差すことはない。」

もう一度男はポツリと呟く。

「…何故?」

「なんでだろうな?」

「私が質問してるのよ。」

「じゃああんたはなんでここに日が差すと思ってるんだ?」

「私はそうはいってはいないわ。」

「ん、じゃあ…なんでお前はそんなことをちょっとでも想像したんだ?」

その質問に私は言葉を詰まらせた。

立て続けに男はしゃべる。

「それはお前が愚かだからだ。地底ってことはお前は地上にいる連中に煙たがられて地底に降りてきたんだろ?

 だが、太陽を恋しく思うって事は地上に未練があるか、それともお前が相当嫌われているかのどっちかだ。ハッ! 地上に行きたいなら行けばいいだろうがよ。馬鹿だろ。」

「…うるさいわよ。」

「生憎、俺は嘘が付けない人間だからな。」

そういって男はさも面白そうに笑った。

水が男の顔の表面を流れる。

それを気にする様子もなく男はけらけらを笑った。

不気味な男だった。

言葉に一切の嘘はなく、本心からそれを言っていることが分かる。

これを人間と定義するのは少々難しい。

良いことも悪いことも本音でしゃべってしまう人間。

そういった人間は世の中に数多くいれど、少なからず一部では嘘を含める物だ。

それなのにこいつはすべてを本音で語っている。

「どうして嘘を吐けないのかしら?」

「閻魔に舌引っこ抜かれた。」

男は顔を醜くゆがめながら答える。

「俺が嘘を吐きすぎたからだとよ。俺以上に嘘つく人間なんてどこにでもいるっていうのに本当に腹の立つ話だ。いつかあの閻魔に痛い目合わせてやる。」

生きている人間なのに舌を抜かれた?

前代未聞だ。

私でも聞いたことがない。

それでも喋れているということは閻魔は彼の嘘の部分を引き抜いたのだろう。

その結果口を開けば本音が出ることとなった。

でもこいつは心を読まなくても平気な人間なのかもしれない。

やや性格に難はあるが。

そう思った私は声を掛けた。

「ねえ、もしよかったら私の家に来ない?」

「はぁ?」

「私の家に来れば衣食住は保証してあげるわ。閻魔に舌を抜かれるんだからあちこちを放浪しては人に嘘ついてきたんでしょ?」

「そうだな。」

男は水の中で頷いた。

その顔が苦悶の表情を浮かべていることから嘘を吐くつもりだったことが分かる。

何を言うつもりだったのやら…

私は苦笑すると手を指し伸ばした。

「来るでしょ?」

「連れてってくれよ。」

そういって男も手を伸ばした。

両手を使って必死に引き上げると全身を水に濡らした細い男が打ちあがった。

年齢は20歳くらいかしら。

「私は古明地さとり、地霊殿で主をやっているわ。」

「俺は…來斗(らいと)。『元』大ウソつきだ。」

來斗はそういって手を差し出した。

こうして嘘つきと私の同居生活が始まった。

 地霊殿に帰ってくるとお燐が駆け寄ってきた。

「さとり様、その男は?」

「彼は來斗。ちょっと訳アリでね。ここに住むことになったわ。」

「よろしく、ねこもどき。」

「にゃッ!?」

お燐はピクリと反応する。

「彼は嘘が吐けないの。理解して頂戴。」

「はっはーん。そういうことですか。」

お燐は納得したように頷いた。

「ところでソイツからドブの匂いがするんですが…」

「お風呂に連れてって頂戴。」

私はお燐に命令すると自室に向かって歩き始めた。

お燐は見るからに嫌そうな顔をする。

「あぁ、そうそう。來斗、お風呂から上がったら私の部屋に来て頂戴。事務作業を手伝ってもらうわ。」

「やりたくねぇ。」

「やるべきことよ。」

「……。」

來斗は黙ったまま連れて行かれた。

 しばらくすると私の部屋をノックする音が聞こえた。

「來斗だ、入るぞ。」

そういって來斗は扉を開けて入ってきた。

「そこの椅子に座って頂戴。そこにある資料を片付けるのが今日の仕事よ。」

「ったく…」

そういいながらも彼は椅子に座って資料と睨めっこを始める。

「なぁ、俺にこの仕事任せてもよかったのか? 俺は口でこそ嘘は吐けないが態度で嘘を吐くことならいくらでも出来る。書類を偽装することだってできるんだぜ?」

彼はニヤリと笑って言う。

「別に構わないわよ。私があとですべて目を通すから。そこで偽装があればあなたの仕事量が増えるだけ。それでもあなたは楽するのかしら?」

「残業はしたくないな。」

「賢明な判断よ。」

「このくそったれが。なんつー小娘を俺は上司に持ったんだ。」

そういうとぶすっと不機嫌そうな顔になった彼と一緒に私は仕事を再開した。

沈黙があたりを包む。

彼が黙ったまま物凄い文句を言ってるのは伝わった。

それでもきっちり仕事はこなしていくのだから器用なものだと思う。

彼のおかげで普段よりも30分も早く仕事は終わった。

「お疲れ様、これで今日の仕事は終わりよ。明日も同じ時間に来て頂戴。」

「俺がきっちり仕事を終わらせたのか訊かないのか?」

「えぇ、だってもう分かってるもの。」

そういって私は彼に微笑みかけた。

「けっ、ご苦労なことだ。」

そういって彼は扉に手を掛けた。

彼が出て行ったのを確認すると私は引き出しから原稿用紙を取り出した。

無論、仕事の為じゃない。

私の完全な趣味だ。

地霊殿の本はすべて読みつくしたので趣味として私は自分の為の小説を書いている。

さて、どこまで書いたかしら…

私は前回書いていた原稿用紙を見つめながら次の小説の構想を練るのだった。

 気づけば夜になっていた。

そんな時間まで筆を走らせていたとは。

私は大きく伸びをするとお風呂に入るべく歩き出した。

お風呂場に行くと丁度來斗が出てくるところだった。

こんな時間まで何をしていたのかしら?

しかし、私が問いかけるよりも先に彼はすたすたと歩き去ってしまった。

まさか覗きでもしようとしてたのかしら。

彼の性格ならやりかねないが、それは何か違う気がした。

彼は嘘は吐くがそれを行動に移すような人ではない。

我ながら酷い評価を付けていると思うがまあそこは仕方あるまい。

閻魔に舌を抜かれるような人なのだから。

私は脱衣所で手早く服を脱ぐと風呂場の扉を開けた。

「…えっ?」

そこにはピカピカに磨き上げられた風呂場が姿を見せていた。

ご丁寧に浴槽のお湯まで抜かれ、垢1つ見当たらない。

仄かに湿っていることを考えるとついさっき掃除されたのだろうか。

彼がきっと洗ってくれたのね。

私は申し訳なくなってお風呂場を後にした。

部屋でシャワーだけ浴びて寝ましょう。

今度はもう少し早くお風呂場に向かうようにしないと。

 「昨日はお風呂場を洗ってくれてありがとう。」

「は?」

朝ごはんの時間、私は來斗に話しかけると彼は目を見開いて首を傾げた。

「なんで知ってるんだ?」

「なんでって…昨日お風呂場の前で通り過ぎたじゃないの。」

「通り過ぎたか?」

本当に気付いていなかったのね。

「まあ、あれは俺の勝手な癖だ。気にするな。」

どうやら彼自身、非常にきれい好きらしい。

そんな彼がどうして川に全身を浸けていたのか。

少し気になったがそれは掘り下げるべきじゃない気がした。

私は黙々と箸を動かし始めた。

彼もそれ以上おしゃべりに付き合うつもりは一切ないらしく、同じように箸を動かし始めた。

一緒に同席していたお燐とお空は何があったのかと本人の前にも拘わらずぺらぺらとおしゃべりをしていた。

それも來斗の「うるさいっ!」という一喝でシンと静かになったけど。

本当に不思議な人。

なんで嘘つきになったのかしら。

彼に何があったのか気になった。

なにか理由がある気がする。

逆に人間は理由がないと動かないけど。

私は映姫の下を訪ねることにした。

「あぁ、彼の事ですか。そうですね、確かに彼は他の人とは何か違っています。しかし、大嘘つきであることもまた事実なのです。」

「あなたにも理由は分からないんですか?」

「えぇ、そもそも私が説教をするのは地獄に落ちる可能性のある者ですし。

 私が彼に目をつける頃には彼はあちこちで嘘をついては金を稼いでいました。その額は1万両にも上るようです。」

「一万両。」

私は感心して言葉を繰り返した。

「無論、彼が不当に稼いだその額はこちらで押収しましたがね。金属の状態から打ち直して幻想郷に再び流す予定です。」

「そうですか。」

「えぇ、元々幻想郷のお金ですからね。しかし、地底にいたとは驚きました。

 舌を抜いて幻想郷に返還したのですがその後の動向までは探らないという決まりがありますから。」

私が内密に説教に回らなければですがね、と映姫は付け加えた。

しかし、映姫も知らないとは。

「彼の人生が気になるのなら閻魔帳から調べましょうか?」

「いえ、大丈夫です。少し彼の態度が気になった物ですから。」

「そうでしたか。では私はこれで。」

そういって閻魔は彼岸に止めていた死神の船に乗り込むと去っていった。

ふむ、映姫にも分からない原因…

彼に直接訊かないといけないのかもしれない。

やっぱりおかしいのだろうか。

私はある方法を思いついた。

 事務作業の後に來斗を呼び止める。

「少し、やってほしいことがあるのだけどいいかしら?」

「何すりゃいいんだ?」

拒否をしないということは構わないということだろう。

私は引き出しにしまっていた原稿用紙を取り出すと彼の前に広げた。

「私の書いた小説なのだけど、良かったら感想をくれないかしら?」

「…これを全部読めと?」

彼は私の取り出した原稿を嫌そうな表情で見た。

確かに100枚もある原稿用紙なんて誰も読みたくはないだろう。

「無論今日中に全て読めとは言わないわ。あなたの速度で読んで頂戴。飽きたらそこまでにして感想が欲しいの。」

「…何企んでるのか知らないが読めばいいんだろ。」

そういって彼は原稿を掴み上げるとさっきまでの資料を私の机に置いて読み始めた。

彼が読んでいる間に私は執筆を続ける。

ちらりと彼の表情を窺うと面白くもつまらなくもなさそうな顔で文字を追っていた。

心を読んでみたが特には何かを感じている様子はなさそうだ。

私はやや落胆すると筆を動かし始めた。

 結果的に日没になって彼は原稿を返してきた。

15枚ほどが読まれている様だった。

「どうだったかしら?」

「文章が粗削りだが構成はいいと思う。世界観も適度に作り込まれていたな。」

「そう、ありがとう。」

彼は何も言わずに扉に手を掛けた。

カチャンと軽い扉の音が聞こえる。

「はぁ…」

私はため息を吐いて机に突っ伏した。

何も収穫はなかった。

得られたのはただの感想。

結果的に私の横暴に彼が答えただけの形になってしまった。

私がしたいのはこんな一方的な関係じゃない。

何か、何かないだろうか。

私は体を起こすと風呂場に向かった。

 結局進展が浮かばないまま1週間が過ぎた。

どうやっても彼は私の小説の感想しか言わない。

読んでいる最中に何か心情に変化が生まれるのか執筆を放棄して心を読んだこともある。

それでも彼の心が動くことはなかった。

こうなったらいっそのこと寝ている彼の下に行って無防備な心を読んでみようかしら。

今までそれをしなかったのは彼の為でもあるのだが。

それでもどうしても気になった。

そんなことを考えながら書斎で本を読んでいると正面から声が聞こえた。

「分かる分かる、そんな風にどうしてあんな人格になったのか、知りたくなる気持ちは分かるよ~?」

「こいし?」

「そーだよ?」

妹のこいしが頬杖をついて楽しそうに私を見ていた。

「うんうん、あの人は嘘つき。でも、あの人の行動に嘘はない。さてさて、なーんでだ?」

「それが分からないから気になるのよ。」

「だよね~。私にもさっぱり分からないわ。」

そんなことを言いながらこいしはふわふわと笑う。

「あの人と少しお話をしたことがあるんだけどね~。」

さらっとカミングアウトしながらこいしは話し続ける。

「何か、変だよ。あの人。嘘を吐けないってことを除いても何か変。そうだね~それが何なのか、それをお姉ちゃんは知りたいのかなぁ?」

「えぇ多分、それが知りたいの。だから教えてくれないかしら?」

「えへへ、私にもわかんない。」

そういうとこいしは席を立ちあがるとスキップで書斎を出て行った。

扉が閉まる直前に私は慌てて声を掛ける。

「こいし! お燐やお空もあなたに会いたがってたわよ!」

「もう会ってるよ。お姉ちゃんが最後だもん。」

そういってこいしは扉を閉めた。

…全く、用意周到なのか、それとも私の優先度が低いのか。

そんなことを考えていると地霊殿の入口の方からどたどたと音が聞こえた。

何事かと私は玄関に向かう。

そこには大勢の妖怪たちが執拗に地霊殿に石を投げていた。

「お前らの所為で商売あがったりだ! あんな安値で買いやがって! さとり妖怪のくせに!」

それぞれが憎しみの表情を浮かべて罵声を上げる。

「お燐、何があったの?」

「最近やってきたあいつ絡みらしいですよ。何でも値引き交渉を持ちかけて安価な値段で地霊殿の食料を買いあさっていたとか。

 元々さとり妖怪ってだけで随分と不当な値段に吊り上げられていましたがね。適正な値段で彼が買っただけでここまで叩かれるとはあたいも思っちゃいませんでしたよ。」

なるほど普段からいいお客さんだっただけ随分と嫌われたようだ。

嫌われているのは元からだったけどここまで憎しみが積もっていたとは…

「俺が値引きしたことが何か問題だったか?」

気が付けば來斗が後ろで不愛想な顔をしていた。

いえ何も、と言おうとしたがお燐が私の腕を掴んで止めると彼に攻めよった。

「あぁ問題だね! あんたの所為で元々恐れられていたさとり様が憎まれる的になったんだ! あんたの所為でだ! 買い物の値段が高い?

 そんなことをあたいだって知ってたさ! それでも値引き交渉を今までしてこなかったのはこうなる事を恐れたからだ!

 いいかい! あんたは今まで保ってきたあたいらと里の関係をメッタメタにぶっ壊しちまったって事だ!」

こんなお燐の表情は初めて見た。

本気で怒っているのではなく、私の為を思ってあの人を叱っている。

決して感情のままに怒っている訳では無いのは私の能力を使えば一目瞭然だ。

「じゃあ、俺があそこに行って鎮圧してくればいいな?」

「…出来るのかい?」

お燐が渋い顔をする。

自分の都合を押し付けていたことに気づいたらしい。

「何度暴徒を口先八丁で大人しくさせてきたと思ってるんだ。」

そういって彼は扉を押し開けた。

石が一斉に飛んでくる。

彼はそれを気にする様子もなく扉の外に出て行った。

「さとり様、あいつが失敗したら危険です。お部屋に戻っていてください。ここはあたいが守りますから。」

お燐の言葉で私は部屋に向けて歩き出した。

 何時間かした後に事務の時間がやってきた。

來斗の事が心配だ。

相手は妖怪だ。

話が通じずに暴力に訴えた可能性だってある。

不安な気持ちを抱えたまま私は書類作業に取り掛かった。

…思うように作業が進まない。

何故だろうか。

しばらく考えて分かった。

彼がいないからだ。

…あの人がいないと仕事が進まない。

私は彼を探すべく椅子から立ち上がった。

とその時、ガチャリとドアノブが回る。

「――ッ!」

私は息を呑んだ。

「なあ、仕事はまだあるか? それとも無意味な読書感想でも述べればいいか?」

ボロボロになった來斗はそういって笑った。

あちこちから血が出ていることから彼が説得に失敗したことが分かる。

「大丈夫なの!?」

「大丈夫な訳ないだろ。今にも死にそうな気分だ。」

私の問いに彼はぴしゃりと答える。

気分、と言っているので死ぬことはないだろうが重傷を負ってることは事実だ。

「今日は休んでいいから。」

「この仕事は…義務だろ?」

そういうと彼はばたりとうつ伏せに倒れた。

「お燐!!」

私の叫び声にお燐はすぐに駆け付けた。

部屋の状況を見るや否や、すぐに來斗を担ぎ出す。

後には私1人だけが残された。

私はゆっくりと扉の前まで歩み寄るとそっと開いたままの扉を、閉めた。

扉に背を付けてしゃがみ込む。

膝に力が入らなかった。

私の所為だ。

――これは私の所為だ。

彼にここでの生活の仕方を教えなかった私の責任だ。

私は何を満足していたのだろうか。

気の置けない友達でも見つけたつもりだったのか。

心を読まなくても済む、読んでも平気な人間をみつけ、ペットと同様の扱いをして結局自分の心を満たしているだけだった。

彼は、幸せだったのだろうか。

隔絶しよう。

この世界と、私を。

幻想郷はすべてを受け入れるのかもしれない。

でも、受け入れた後に弾かれることだってあるのだから。

 あれから1週間くらいは経った。

その間私は仕事の為にも執筆の為にも筆を執ることは出来ず、部屋から出てくることもせず、食事もとらず、ただ漫然と扉に背を持たれかけさせていた。

扉越しのお燐の声によると來斗はあばら骨を何本も折られていて回復には1ヶ月以上必要であることを報告された。

言いようのない罪悪感が私を苛む。

普段は私に許しを求める悪霊が私を嘲笑するために周りに集まってくる。

私はそれを何もせずにただぼんやりと見つめていた。

「さとり様――」

「お燐、怪我が治ったら彼を地霊殿から追放しなさい。」

お燐が来た時、私は扉越しに告げた。

「元々は私の勝手で地霊殿に連れてきた身。彼が追放されたと知れば世間も彼を見る目を変えるでしょう。」

「ですが…」

「これは命令です。火焔猫 燐、従って頂戴。」

お燐が毛穴を開くのがありありと実感できた。

あの子は本名で呼ばれることを極端に嫌う。

「…分かりました。」

「ありがとう。」

これで…いいの。

これで來斗という人間は地霊殿からいなくなり、私という化け物も忘れてくれる。

これでいいはず…

なのに、なんで涙が出てくるのかしら?

私は袖で目元を抑えて涙が顔を伝わない様にした。

苦しさが胸を叩く。

嫌、本当は彼にいてほしい。

私の傍で文句を言いつつもいつものようにあの仕事ぶりを発揮してほしい。

でもそれは彼の不幸を意味することになる。

だから、私は切り捨てなくてはいけない。

彼の為に。

あの人は優しい人だ。

こんな私の遊びに付き合ってくれたのだから。

 もう、何日経ったのだろうか。

私は覚えていない。

夕日が私を照らしていた。

日差しに照らされた埃がキラキラと反射する。

そんな光景をぼんやりと眺めていた私は扉の外から聞こえる物音で我に返った。

「そんな体じゃ無理だよ!」

「……!」

お燐と誰かがどうやら揉めている様だった。

別に放っておいてもいいだろう。

私には関係ない事だ。

しばらくするとお燐がぶつぶつと文句を言いながら去っていった。

それでもまだ1人、扉の外にいる。

ドンッ、と私の背中が揺れた。

どうやら扉が叩かれたらしい。

「よう、このちびっこいさとり妖怪が。まだ小説は書いてるか?」

來斗の声だ。

追放したはずなのに何故?

私は黙ったまま頭を回転させていた。

久々に思考という物をしたせいか頭がキシキシと悲鳴を上げる。

「あなたは追放したはずよ。」

「ところがどっこい。俺はまだ怪我が完治してないからな。」

「嘘よ。」

「嘘を吐けないことはてめぇがよく知ってるだろうが!」

彼の怒鳴り声に私の肩がびくりと震えた。

「俺の衣食住を保証したのは何処のどいつだ!?てめぇが引き籠ってもなんで地霊殿が回っていけてるか知ってるか!?えぇ!?

 おい答えろよさとり! どうして俺は! ここにいるんだ!?」

「私が知る訳ないじゃないの!」

私は怒鳴り返した。

「私が悪いんだ! 私はあなたを傷つけた! 私があなたを縛り付けたから! 私が! あなたを望んだからよ!」

涙が溢れていた。

今まで堪えていたものが音を立てて壊れる。

嗚咽が込み上げる。

それを來斗は黙って聞いていた。

「――なぁ、さとり。今のあんたにとって俺は不要な存在か?」

來斗が静かな声で問い掛ける。

私は流れる涙をそのままに答えた。

「…いいえ。あなたは――あなたは私にとって必要な存在よ。だって――だって――私はあなたの事が――大好きだもの。

 ――不愛想で、口が悪くて、とても正直で――とてもやさしい人だから。だからお願い――私を助けて…」

袖口を涙で濡らしながら子供の様に泣きじゃくる。

我慢出来なかった。

耐えられなかった。

私の所為で彼が傷付くことが許せなかった。

私の所為で彼を失うことが怖かった。

「なあ、知ってるか? 今夜の地上は満月らしい。青く、大きく、綺麗な月がぽっかりとした夜の空に浮かんでいるんだとよ。」

そこに行けばよ、と彼は言葉を続ける。

「何かが見つかるのかもしれないな。お前が探し求めている物じゃないのかもしれない。でも、お前がここにいれば見つけられるものも見つからねぇよ。

 ――だから出て来いよ、さとり。殺してやりたい(殺されてもいい)程度には大嫌いだぜ(愛してるぜ)。」

ハッと目を見開く。

「あなた…嘘を…」

「頼んだんだよ。閻魔に頭下げてな。で、どうだ。扉は開けられるか?」

「…出来ない。私は鍵を開けられても扉を開くことはできないの。だから、開けてくれるかしら?」

「勿論。」

その言葉を聞いて私はまた涙が溢れてきたのを感じた。

でも、この涙は今流す時じゃない。

私はごしごしと目を擦ると立ち上がって錠を、開けた。

ゆっくりと扉が開かれる。

そこには優しい顔をした來斗が私に暖かい微笑みを向けていた。

彼の右手は私に差し出されている。

私はその手を取ると部屋の外へ1歩、足を踏み出した。

彼は私をそっと引き寄せると優しく私を抱きとめた。

枯れ果てたと思っていた涙がまた溢れる。

「…自分の評価を決めるのは自分じゃない。周りの人間だ。だが、それをどう思うかは自分の勝手だ。言いたいことは分かるよな。」

彼は私に語り掛ける。

私は黙って頷いた。

偽られた言葉でも私には分かる。

彼の半生が流れ込んでくる様だった。

記憶の濁流に私は流されるまま彼の人生を辿った。

今まで親だと思っていた人が只の他人であること。

他人の為に利用され、誰も信用できなくなったこと。

生き残るためには嘘を利用するしかないこと。

生きる手段を閻魔に奪われたこと。

そのことに絶望して川に身を浸けたこと。

私に拾われて嬉しかったこと。

そして、私が引き籠っている間にも彼はけが人の身でありながら仕事を続けたこと。

その間私の小説の続きが読めずに物悲しさを感じていたこと。

気付けば私は彼を抱きしめ返していた。

この人を失いたくなかった。

いつまでも一緒にいたかった。

「ねぇ…」

私は話しかける。

(Lie)だって(Light)に変わることはあるのよ。」

「そうかもな。小節だっていつかは区切りがくる。」

夕日が沈むのはしばらくかかりそうだった。

 それからの話。

私はあの日のトラウマ引きずって扉を開けることが出来なくなった。

それでも私は特別困ってはいない。

お燐や來斗が扉を開けてくれるし、私の為に部屋のいくつかの扉は撤去された。

それでも私の部屋にはまだ扉が付いている。

それはなぜか、それは…言うだけ野暮ってものじゃないかしら?

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