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鈴仙・優曇華院・イナバ ~永遠と須臾~

私は鈴仙・優曇華院・イナバ。

月より堕ちた月兎。

それは日常の延長に過ぎなかった。

人里に薬を売りに行く道中で、私はそいつと遭遇した。

迷いの竹林で倒れている男。

年は17〜18くらいだろうか。

背負い籠にはこれでもかというほどの薬草が詰め込まれていた。

「…誰よ、この男。」

思わず口に出すほどにこの男は不思議な男だった。

何が不思議なのかそれはよく分からない。

服装が派手な訳でもなければ髪の毛が異様なわけでもない。

なのに私はそいつのことを不思議と感じた。

ため息を吐くと私は男を担ぎ上げた。

「わざわざ独りでこの迷いの竹林に来るなんて変わった奴もいる物ね。」

そんなことを呟きながら私はそいつを永遠亭に運び込んだ。

「おかえりなさい、うどんげ。あら、男を連れてくるなんてあなたもとんだ兎ね。」

師匠の永琳が軽く笑いながら私を見る。

それがいつもの軽口だと分かっていても私はムキにならずにはいられない。

「竹林の中で倒れていたんです。とりあえず看病してください。」

師匠は笑いながら私がその男を病室に連れて行くのを見守った。

病室に寝かせれば私の仕事は終わりだ。

私は永遠亭を出て、改めて薬を売り出すべく歩き出した。

日が傾き始めた頃、薬を売り終わって永遠亭に戻った私は自室に向かって歩き出した。

「はぁ…今日も疲れたわね。全く、あの魔法使いは毎度毎度…」

そんなことをぶつぶつと呟きながら私は廊下を歩く。

いくつかの廊下を曲がったとき、私は思わず顔を引きつらせてその場で歩みを止めた。

私の部屋の前にいるのは今日倒れていたあの男。

さっぱりとした藍色の作務衣が妙に似合っている。

このまま引き返そうか考えていると、あいつの方も私に気づいたみたいだった。

静々とこちらに歩み寄ってくる。

まるで、武術で間を詰められたみたいだった。

正直生きた心地がしない。

私の前まで来るとそいつは深々と頭を下げた。

「あんたがここまで連れて来てくれたんだな。礼を言わせてくれ。ありがとう。」

まるで口調と態度があっていなかった。

態度は丁寧なのに口調が荒い。

改めて不思議な奴を拾ったものね。

「別にいいのよ。ここにある建物なんてこの永遠亭くらいだしそこならお師匠様もいらっしゃるから。」

自然と上から見下ろすような言い方になったのは何故だろうか。

私にも分からない。

男は頭をあげると腰に下げていた巾着を私に手渡した。

「ほんの少しだが受け取ってくれ。疲れの取れるお香だ。」

顔を近づけてみると確かにいい香りがする。

媚薬の類ではない様だ。

私はそれを確認すると受け取ることにした。

「どうして迷いの竹林なんかに足を踏み入れたのかしら? ここがどういう場所かあなたは分かっているでしょう。」

「実はおふくろが重病を患って。おふくろはこの竹林から遠い人里に住んでいる腕利きの薬師なんだ。

 だからそのおふくろが倒れたら困るんだ。俺もその手のことは出来るがおふくろには及ばなくてな。それでここに助けを求めに来たんだ。」

なるほど、籠に大量の薬草を詰め込んでいたのはそういう理由か。

そうなってくると多少納得できるところもある。

恐らくこのお香もこいつが作ったんだろう。

「確かにお師匠様に作れない薬は無いもの。きっとどんな病気でも快復するわ。」

「あぁ、でも『木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊(ミイラ)になる』んじゃ本末転倒だな。」

そういうとそいつはクスリと笑った。

口角を持ち上げてそれが面白くてたまらないとでもいうように。

それが自虐だというのにまるで他人事のように、とっておきのジョークを思い出したようにそいつは笑った。

つくづく不思議な奴だった。

「ところで、ここ私の部屋なんだけど。」

「あぁ、すまん。迷惑かけたな。」

そういうとそいつはすたすたと歩き去っていった。

「…何なのよ、あいつ。」

私はどうにもすっきりしない気持ちで部屋に入り、夕食の時間までそこで時間を潰すことにした。

 夕食の時間、私は兎たちに交じって食事を摂る。

姫様や師匠は自室で箸を動かしている。

兎たちが高貴な者と食事をしてはいけないと思って自室で食事をお願いしている、というかさせている。

客人であるあいつもきっと病室で食べているんだろう。

そんなことを考えているとてゐの奴が私の向かいに座ってきた。

正直言って私はこいつのことがあまり得意じゃない。

こいつの所為で何度落とし穴に落ちたことか。

そんな理由から私はなるべくプライベートでこいつとは関わらない様にしている。

それを分かっているのに来たってことは私をからかいに来たってことだ。

「なぁ、鈴仙。あんた男を連れ込んだんだって?」

特有の厭味ったらしい笑みを浮かべながらてゐは口を開いた。

無視してもいいけど放っておくとこいつはどんな噂を流すのか分かったもんじゃない。

しょうがないから相手になることにした。

「竹林の中で倒れていたのよ。」

「へぇ、面白い奴もいるもんだね。わざわざ独りで入ってくるなんて。」

「そうよね。話によると薬師の母親が倒れたからそれを治す薬を師匠に作ってもらいに来たそうよ。」

てゐは笑みを深める。

「なぁ鈴仙。1つ兎たちの間で噂になっていることがあるんだ。」

嫌な予感がして勝手にピクリと耳が動いた。

それを見ていたてゐはこれまで見たことがないほどに笑みを深めた。

「あんたが狂気を操ってその男を洗脳したんじゃないかって話が実は流れていてな。」

…ここまで嫌な予感が当たるものかと私は軽く驚いた。

いや、驚いちゃいけないんだけど。

「少なくとも噂でしょう。師匠の軽口を真に受けた兎がいるんじゃないのかしら?」

てゐもそういわれることは分かっていたのだろう。

素直にうなずいた。

「でも、あまりそういった噂されるようなことはしない方がいい。事実、兎なんて年中発情期みたいなもんだからね。」

最後にとんでもない爆弾を落としててゐは去っていった。

私の前に置かれたままのお皿はいつの間にか空っぽになっている。

いつの間に私のご飯を…

「まぁ、てゐの早業なんていつものことよね。」

私はそう独り納得すると席を立ちあがった。

ちなみにてゐは自分のお盆を持って行かずに去っていった。

つまりは私が2人分片付ける羽目になった。

あの兎め…

 私は自室に戻るともらったお香を焚いて布団を敷いた。

お香の香りはジャスミンみたいな爽やかな香りとも桃の様な甘い香りともとれる不思議な香りをしていた。

「安眠だけは出来そうね。」

布団を敷き終わると私は日記を開いた。

最近師匠に勧められて書くことにした。

師匠曰く「長いこと生きているとどうも昔の記憶がぼけちゃうのよね〜」らしい。

私があとどのくらい生きられるのかは知らないが師匠の勧めを断るのも怖いので書くことにした。

―――――

《〇月×日》

今日は不思議な男を永遠亭に運び込んだ。

話を聞いた所、人里の医者の息子らしい。

その割にはあまり裕福そうには見えなかった。

あぁ、医者じゃないくて薬師だからかな?

何でも医者である母が重病にかかったから治してもらうべくここを目指したとか。

私が薬売りに行かない人里はまだあるようだ。

そいつは助けてもらった礼にと私にお香を渡していった。

とてもいい匂いがする。

それから

―――――

 そこまで書いたところで私はなぜか心臓の鼓動が早くなるのを感じて日記を書く手を止めてしまった。

私は…何を書こうとしたの?

あいつの…あの時の笑顔の事。

私は部屋に置いてあった水がめの蓋を上げると柄杓ですくってひたすらに水を飲んだ。

てゐのあの言葉がよみがえる。

『事実、兎なんて年中発情期みたいなもんだからね。』

私も所詮は兎だってことかしら。

何度か頭を振って平静を装う。

日記のページを開くと続きを書き始めた。

―――――

 それからあいつの名前を訊くのを忘れた。

明日はあいつの名前を訊いておかないと。

お客様の名前が分からないなんて失礼だから。

―――――

 私は日記を閉じると蝋燭の火を消し、布団に潜り込んだ。

それでも頭はばっちり冴えて眠れる様子がない。

あいつの笑った顔が頭に張り付いて離れない。

これは…何?

この気持ちは何なの?

理解が出来ない苛立ちと謎の感情がせめぎあう。

やっぱり…気づかないうちに私はあいつを洗脳したのかしら?

でも…あいつは嘘を吐いている様子はない。

そういえば…初めて日記で嘘を吐いたかも知れない。

こうして私は自分の世界にこもるようにして眠りに落ちた。

 次の日。

私は顔を洗うと食事を摂り、師匠の部屋に向かった。

「失礼します。」

一言断って師匠の部屋に入る。

「丁度いいところに来たわね。1つ頼まれてくれるかしら?」

「はい。」

「どうも私にはあのお客さんの言っている病気がいまいち分からないのよ。なんというか、今まで事例がないって感じかしら?

だからあのお客さんと一緒に家へ行って症状を調べて来て頂戴。」

私の顔は相当恐ろしい顔をしていたらしい。

あの師匠が一瞬怯えた様な表情を見せた後、心配そうな表情を見せた。

「…大丈夫?」

「…はい、お任せください。」

そういうと私は静かに師匠のお部屋から退室した。

少し離れた廊下の前まで来たところで私はため息を吐いた。

「よりによって…」

 私は荷物を適当に見繕うと永遠亭の門でそいつを待つことにした。

10分程したのちにそいつは門の前にやってきた。

兎から借りたのか薬売りの服を着ている。

「おはようございます。」

割と愛想のない挨拶だったと思う。

自分でも思うくらいだからなおさらだ。

「おう、おはよう。」

しかし、彼は特に気にした様子もなく挨拶を返してきた。

そんな彼の反応に私は少し面食らった。

「とりあえず行きましょうか。」

永遠亭の入り口からすたすたと竹林に向かって歩き出す。

私は妖獣だがこれでも兎だ。

かなり足は速い。

だから、私はそいつを置いて行かない様に合わせて歩いていくことになった。

「そういえば。」

そいつが切り出す。

「ん?」

「名前、聞かせてもらってないんだけど。流石に『お前』はこっちが呼びづらい。」

「…鈴仙よ、鈴仙・優曇華院・イナバ。」

「ふーん、俺は大伴 諸道(おおとものもろみち)。」

それを聞いた私は嫌な予感がした。

「それって…ご先祖様が昔とんでもない美人に振られた、なんて歴史はないわよね?」

するとそいつは驚いたようにこちらを振り向いた。

「よく分かったな。大伴御行(おおとものみゆき)だ。

まっ、かぐや姫に振られたなんて話があるけど俺がいるってことはかぐや姫以外に狙っている奴がいたってことだろう。我が先祖ながら虫唾が走るぜ。」

そういうあいつの顔は心の底から嫌悪している様で私の感じた波長からもその心が本当に思っていることだと伝えていた。

「ところで、お前の名前ってなんか変な名前だな。なんで3つなんだ?」

「本来の名前は『レイセン』よ。少し理由があって漢字の『鈴仙』に。師匠から頂いた名前で『優曇華院』、姫様から頂戴した称号で『イナバ』。

 だからその名前をすべてまとめて鈴仙・優曇華院・イナバよ。」

…どうして私はこいつに名前の由来を教えているのだろう?

本来なら意地でも教えないと思うのに。

何故?

正直何が私を「鈴仙・優曇華院・イナバ」足らしめているのか分からない。

「じゃあ、『ルイ』って呼んでいいか?」

そんな声が私の思考を遮った。

「えっ?」

「鈴仙の『R』、優曇華院の『U』、イナバの『I』。それぞれの頭文字を取って『ルイ』だ。」

「…勝手に変な名前を付けないで。」

「わりぃ。」

そいつは存外素直に謝罪した。

「というより、アルファベット分かるのね。」

「あぁ、薬師になる以上多少英語が読めるようにならないとな。そうしないと何の薬か分からないだろ?」

確かに言うことも最もだ。

「さて、ここで話をしているのもいいんだが今にも呑み込まれそうなこの竹林からおさらばしたいのも事実だ。行こうぜ、ルイ。」

「…もう勝手にして。」

そいつは私を置き去りにして歩き始めた。

「ちょっと! ここは迷いの竹林だって!?」

ずんずんと歩き続けるあいつを私は追いかけた。

どうせ、道が分からないんだから。

あいつの話によると集落までは3日かかるらしい。

相当な辺境の地にあるのね。

私たちはしばらくの間無言で歩き続けた。

 どのくらいたったのかは分からない。

ただ、本当になんとなくというようにそいつは声を掛けてきた。

「そろそろ飯の時間だな。」

そういうとそいつは勝手に立ち止まって背中に背負っていた篭からおにぎりを取り出した。

「ほれ。」

そいつは私におにぎりを放り投げる。

それを受け取っている間にそいつはすたすたと歩き始めた。

お昼だからと足を止めるつもりはないらしい。

昼食を頬張りながら歩き続ける。

食事という物に余り気を使ったことはないが、ここまで味気ない、というか気まずい昼食はいい経験とはいいがたい。

おにぎりはショウガが入っているのかほんの少し舌がピリピリとする。

「そういえばルイ、今日の夕食はどうする?」

「はあ?」

思わず私は聞き返しそうになった。

「それってどういうこと?」

「あぁ、用意してもらった飯はさっき食った握り飯で終わりだ。」

私は絶句した。

十中八九てゐの仕業だ。

きっとさっきの昼食だけを用意するように指示したに違いない。

あの兎め…

長い付き合いがある分、私は怒りをため込まざるを得ない。

帰ったら覚えてなさい。

そんなことを考えていると遠くから何かが突っ込んでくるのが見えた。

「危ないッ!」

咄嗟にそいつを突き飛ばし戦闘モードに入る。

「何だよ!?」

「気を付けて、妖怪よ!」

土煙の中から現れたのは表現するのも恐ろしいヌメヌメとした化け物。

妖怪というより魑魅魍魎だったか。

私は相手の波長を探る。

駄目だ、滅茶苦茶だ。

あいつは…大丈夫そうだ。

顔を青くしてはいるがゆっくりと魍魎から距離を取っている。

「先に行って! 後から追いかけるから!」

「気を付けろよ!」

そういうとあいつは走って逃げて行った。

それを追うべく魍魎も動き始める。

「あんたの相手は私よ!《波符「赤眼催眠マインドシェイカー」》!」

宙に飛び上がると狂気の力を発動して弾幕を放つ。

魍魎に狂気が通用するかは分からないがそれはこの戦いで学べばいいだけの話だ。

触手を振り回しながら奴は弾幕を弾いている。

別に驚きはしない。

破壊することが出来るのなら弾くこともできるだろう。

合間を縫ってはレーザーを相手に撃つ。

何発かは刺さっているが一向に聞いている様子が見られない。

そもそも私の弾幕はこんな知性無き獣ではなく理性のある生き物に向いた弾幕だ。

このままじゃ負ける!

この手の化け物は博麗の巫女の方が得意だろう。

私にできるのは時間稼ぎまでだろうか。

撃退できれば万々歳、撃破できれば御の字といったところだろうか…

弾幕を突破した触手の1本がわき腹に当たる。

「グッ!?」

1本突破してしまうと2本3本と攻撃は飛んでくる。

「《幻波「赤眼催眠マインドブローイング」》!」

新しいスペルを展開して何とか距離を離す。

落ち着け、まだスペカはたくさんあるんだ。

そう自分に言い聞かせて戦闘に集中する。

なんとかして、あいつを守らないと。

弾幕を撃ち続けているがそろそろ体力の限界だ。

意識がもうろうとしてきたのが嫌でも実感できる。

まさか…まだ2枚目なのに…

触手がまた弾幕を突破して体に迫ってくる。

マズい…何とかして避けないと…

それでも体は言うことを聞かない。

まさか…体力を吸収する魍魎?

だとするとこの体力の低下にもうなずける。

あぁ…だめだ…指1本動かない…

触手が顔の前まで迫ってきた。

ここで終わりか…

月から逃げ出して、師匠の密室づくりを手伝ってそれを止めに来た連中にやられて…

碌な一生を送ってないな…

しかし、次の瞬間その触手はあらぬ方向へ飛んでいった。

「ルイー!」

あいつが私の名前を呼んでいる。

というか、人の名前ぐらいきちんと呼びなさいよ…

そう思っていたらなんだか力が出てきた。

今度こそ言ってやる。

私の名前は「レイセン」だって。

ゆっくりと体を起こして魍魎をにらみつける。

いつの間にか地面にまで落ちていたようだ。

あいつは手に何かを握ってそれを奴に投げつけている。

奴はそれに気を取られて私のことを無視している。

もう手加減は無しだ。

「《散符「真実(インビジブル)の月(フルムーン)」》!!」

私は力任せにスペルを唱えた。

四方八方から狂気によってタイミングのずらされた弾幕が魍魎を覆いつくす。

「ギィィィィィィ!?」

そんな気色の悪い鳴き声を最後に魍魎は倒れ込み、動かなくなった。

そこまで確認したのが私の体力の限界だった。

視界が真っ暗になり頭に強い衝撃が走る。

どうやら崩れ落ちたみたいだ。

「ルイ! 大丈夫か!?」

そいつは心配したように私を抱え起こす。

正直大丈夫からは程遠かったけど私はせめてもの意地で頷いた。

あいつは篭をごそごそと漁っていたが何か見つけたのか手を引っこ抜いた。

そこに握られていたのはパリパリになった赤いしそだ。

「多少間抜けな絵面だがしょうがない。少し待ってろ。」

そういうとそいつは私の頭を膝の上に乗せた状態で器用に火を起こした。

「しそ茶は疲労回復に役立つ。」

誰にともなく呟くとあいつは何処にしまっていたのか小さな鍋を取り出すと水を注ぎこみその中にしそを入れる。

「くそ、これで飲み水も尽きた。煮沸して確保するしかないか…」

あいつが零しているのが聞こえる…

そこまでが限界で、私は意識を手放した。

 どのくらいたったのかは分からない。

パッと目を覚ますと月が私を見下ろしていた。

「起きたか。」

不愛想な声が横から聞こえる。

見るとそいつは火の番をしていた。

「しそ茶はお前の水筒に入れといたぞ。」

「…そう。」

荷物を確認すると確かに水筒からいい香りがする。

「それからここからもう少し歩くぞ。あと10分くらいだ。」

そういってあいつは立ち上がる。

「立てるか?」

「…余計なお世話よ。」

そういって何とか立ち上がる。

「そうか。」

あいつはそれだけ言うとすたすたと歩き始めた。

ふらつく足に喝を入れながら私も後を追って歩く。

でもさっきの戦いで相当体力を消耗していたのかあいつに追いつくので精一杯だ。

10分間歩き続けられたのは奇跡としか言いようがなかった。

でこぼこした道を踏みしめながら歩き、遠くに明かりが見えたところで私の体力が限界に達した。

「ごめん…無理…」

あいつは慌てる様子もなく膝から崩れ落ちる私を支えた。

「…やっぱり厳しい道のりだったか。」

ため息と共に篭を下ろすと適当な様子で腰に括り付ける。

その後、妙にこなれた様子で私を背負った。

「…ちょっ!?」

「心配すんな。後3分も歩けば一番近くの家にはたどり着くさ。」

そういうとそいつは私を背負ったまま歩き出した。

しばらくの間私は無言で揺られていた。

なんか…あったかい…

包み込まれるような、いつまでも体を預けていたい様な…

そこまで思考したところで私は我に返った。

いや、断じてそんなことはない。

でもさっきそう思っていたことも事実…

一体なんなのよ…

何とも言えない複雑な気持ちを私は抱えていた。

「着いたぞ。」

ふっと声を掛けられる。

「えっ? あぁ、着いたのね。」

私は慌てて背中から降りた。

「お前は頭巾をしていた方が良いな。適当な理由はこっちでつけておくぞ。」

扉をノックする前にそいつは私に言った。

「あぁ、そうだったわね。頭が回るじゃないの。」

私の種族のことを考えると当たり前であることを今思い出した。

慌てて頭巾を被っているうちにそいつは家の扉をノックした。

「すいません。旅の者なんですが一晩宿を貸してくれませんか?」

がらりと扉を開けるとそこには年老いたお爺さんが立っていた。

「おや、これはこれは。」

お爺さんはそれだけ言うと体を退けた。

私たちはゆっくりと中に入っていった。

「ようこそお越しくださいました。何もないところですがゆっくりしていってください。」

囲炉裏の傍にはお婆さんが湯飲みを抱えて正座していた。

「ねぇ、あのお婆さん…」

「分かってる。恐らく俺達では治しようがない。」

私は吐き気を堪えて草履を脱いだ。

仕事柄分かってしまったといった方が正しいだろうか。

その人の顔には独特の発疹が見て取れた。

見たことのない症状は恐らくここら辺の地理的にメディスンの毒だ。

師匠なら治せるのかもしれないが今の私たちの持ち合わせの薬で治すことはできない。

進行状況からすると後1週間持つかどうか…

そんな顔をしているのが分かったのかあいつは手を掴んだ。

「諦めろ。」

小声だがきっぱりとした声は私には冷水を浴びせられた様に感じた。

お婆さんの作ってくれたお鍋を食べているとお爺さんは布団を持ってきてくれた。

「すいませんなぁ。布団は1つしかありませんでしたわ。」

申し訳なさそうな表情でお爺さんは頭を下げる。

「構いませんよ。俺が適当なところで眠りますのでお気になさらず。」

「そうですか。では、私たちはこれで失礼します。」

そういってお爺さんたちは襖の向こう側に消えた。

「なぁルイ。日記、持ってるか?」

「持ってるけど…それがどうかした?」

「貸してくれないか?」

「なんでよ?」

「いいから。」

私はしばらくの間渋っていたがあいつのただならぬ顔に押し負けて結果的に日記を取り出した。

『夜のうちにこの家を出る。』

そいつは囲炉裏の炭を使ってそんなことを書き込んだ。

「ちょっと待って。それって…」

そこまで言ったところでそいつは手で制した。

「ふむ、この配合はいいと思うぞ。そういえばあの薬は何か進展があったか?」

そんな事を言いながらそいつは文字を見せる。

『この家は盗賊の根城だ。さっき茂みの中に5人見つけた。』

私は音を立てずに日記を受け取ると口を動かしながら文字を書き込む。

「あぁ、あの薬は試してみたらかなりの効果があったわ。ただ、配分が難しいからもう少し改良が必要かも。」

『でもお爺さんたちが関係している様には見えなかったけど?』

「そうだな…少し葛根の配分を多くしたらどうだ? 副作用に一時的な体温低下があるならそうした方が良い。」

『いや、永遠亭に来るまでに1回これとよく似たことをされたんだ。間違いない。』

まるでちぐはぐな会話がしばらく交わされる。

「とりあえず、葛根は3グラム増やしてみようかしらね。」

『今は寝させてほしい。夜になったら起こしてくれる?』

「そうだな。多分その辺だろうな。シャクヤクの量も少し考えてみた方が良いかもしれないし。」

『分かった。』

私は日記を返してもらうと篭に突っ込んだ。

「それじゃ、おやすみ。」

これは本音。

「おう。」

あいつは特別反応する様子もなく引き戸を開けると出て行った。

私は落ち着かないままに掛け布団をめくると布団の中に潜り込んだ。

ほーぅ、ほーぅ、ほーう…

何処からかフクロウの声が聞こえる。

ただ、ごまかされない。

そのフクロウの声に紛れて何か茂みが不自然に揺れている音を私の耳は聞き取っていた。

やっぱり盗賊のアジトだったのかしら…

こんな状況下でおちおち寝ていられるはずがない。

私は狂気の波長を調整すると相手が来るのを待った。

 どのくらいたったのかは分からない。

ただ、民家の外で聞こえた明らかに暴力的な音でうとうとしていた私の意識は一気に覚醒した。

「放せっ!」

あいつの怒鳴り声が聞こえる。

「中に女がいたはずだ! 捕まえろ!」

盗賊の1人が声をあげる。

私は眼を閉じていたが扉が開かれる音を聞いた。

ことっ…ことっ…ことっ…

鼠のように軽快な足取りで下っ端が近づいてくる。

私の枕元でそいつは足を止めた。

「…へへっ、いい女だな。」

盗賊がぽつりと漏らす。

…まだよ。

沸き上がる不快感を必死に押さえつけて機会をうかがう。

男が顔を近づける。

不潔な匂いに嗅覚が悲鳴を上げる。

今ッ!

私は閉じていた瞳を見開いた。

「おっ! 目覚めた…」

そこまで言ったところで男は言葉を失い仰向けに倒れた。

手に持っていたナイフを奪い取ると男を抱え上げる。

「…やっぱり臭いわね。」

そんなこと言っても仕方ないので私は男を引きずり扉の敷居をまたぐ。

「おう、捕まえたか…」

盗賊の親玉らしき男はそこまで言ったところで言葉を失った。

抱えていた奴を投げ捨てると私はナイフを構えた。

「てめぇ、俺の仲間に何しやがった!?」

「何もしてないわ。ただ目を開いたら気絶しただけよ。」

「ちっ、近寄るな! こいつがどうなってもいいのか!?」

下っ端の1人が焦ったようにあいつにナイフを突きつける。

ナイフを突きつけられたあいつは顔をやや青ざめさせながらも叫んだ。

「ルイ! 構わず逃げろ! おふくろを診るのが先決だ!」

まったく、どこまであんたはお人好しなのよ。

自分の命も知らずに私を助けて、母親の為に単身で迷いの竹林に踏み込む。

本当に馬鹿よ…

私はため息を吐くと名乗りを上げた。

「私の名前は鈴仙・優曇華院・イナバ、竹林の賢者八意 永琳の従者! 卑しき獣達よ! ――この名前を地獄まで響かせると良いわ。」

そういって私はナイフを投げると一気に距離を詰めた。

「っ!?」

男は持っていた斧でナイフを弾き上げる。

でも私だって無策に突っ込んだわけじゃない。

ナイフを弾き上げて下を見ると私と目が合う。

「狂いなさい。」

私の言葉に反応したかのように男は斧を味方に向けて振るい始めた。

武術の構えもへったくれもない素人丸出しの暴走だ。

「兄貴ッ!?ガハッ!!」

あいつにナイフを突きつけていた盗賊は狂った盗賊によって頭をかち割られた。

紅い液体があいつに降り注ぐ。

「げぇ、気持ち悪…」

そんな悠長なことを言っているあいつの襟首を私は掴んで引き寄せた。

「大丈夫か?」

「自分の心配をしなさいよ。」

「それもそうだな。」

そういうとそいつは腰に差していた竹取用の鉈を引き抜いた。

「ちょっと何する気!?」

「決まってるだろ。お前ひとりばっかりを矢面に立たせる訳にはいかねぇさ。」

「早く逃げなさい!」

「俺の顔も少しは立たせてくれよ!」

そういうと私が止めるよりも早くそいつは飛び出した。

1人の盗賊に接近すると屈み込み一直線に鉈を振るう。

だめ! 一般人のあんたがなんでッ…

盗賊の腹部から血が噴き出し薬師の着物が更に赤く染まる。

「やめてぇぇぇぇぇ!!」

無意識のところで何かが爆発したんだと思う。

気が付けば私の周りにはバラバラの四肢が転がっていた。

中には虚ろな目で私を見上げる首まである。

「あ…あぁっ……!」

我慢の限界だった。

体をくの字に曲げると気色悪い音と共に胃の中の内容物をありったけ吐き出す。

ただ気持ち悪かったんじゃない。

一般人であるあいつの前で狂気を晒し、どう思われるのか分からなかった故の気持ち悪さだ。

思わず四つん這いになり尚も吐き続ける。

胃の中は既に空っぽでただ酸っぱく透明な液体が口から零れ落ちる。

「狂気を操る程度の能力」と言っておきながら結果的に一番タガが外れているのが自分だなんてこの上ない皮肉だった。

ふと見上げるとあいつがじっとこちらを見ている。

嫌よ…こんなの私じゃない…

そういおうとしても言葉が出てこない。

代わりに出て来たのはあまりにも醜い懇願だった。

「お願い…嫌わないで…」

暗転。

全てが真っ暗になった。

 それからどのくらい経ったのかは分からない。

ただ目覚めると背負われていた。

軽く振動していることから歩いているのが分かる。

「起きたか。」

そいつは振り向かずに声を掛ける。

「……。」

私は何も言えなくなってそいつの背中に顔をうずめた。

「返事をしなくていいから聞いててほしい。」

そういってあいつは適当に語りだした。

「あれは夢だ。お前の悪い夢。

 どんな夢を見たのか知らないがあれはすべて俺とお前の見た白昼夢だ。だから思い出す必要はない。

 仮にもしお前がそれで何か思っているなら…俺は何にもできない。

 お前と違って俺はただの人間だからな。出来るのはせいぜいお前に寄り添って必要とあらばいっしょにくたばるだけだ。

 …だから、安心して眠れ。」

そういうとそいつは口を閉ざした。

何分か黙った状態が続いた。

「私の事…嫌い?」

「嫌い。」

そいつは即答した。

そうなんだ、やっぱり嫌いだったんだ…

「いつまでも意地っ張りで、人の傷までしょい込んで、そのくせ自分が傷付くことは一切厭わず、薬では矯正できない優しい心を持っているから。」

目頭が熱くなる。

気付けば私は声を押し殺して泣いていた。

「ううっ…あぁ…!」

あいつの手が頭に乗る。

ただ黙ってあいつは私を受け入れた。

暖かい手が私の頭を撫でる。

「お前はよくやったよ。何も思う必要はない。」

静かで温かい声が私の耳をくすぐる。

あたたかい……

包み込まれる様な、全てを迎え入れる様な……

涙の中だんだんと意識が沈んでいった。

 再び目を覚ますと火の傍で毛布に包まれていた。

「おそよう、まさか1日中俺の背中で寝られるとは思わなかったぞ。」

そいつは鍋を作りながらこちらに目を向ける。

上体を起こすと山菜のいい香りがこちらまで漂ってくる。

「ほれ、飯。」

気まずさから思わず体を倒そうとしたけどそれより早く山菜鍋が盛り付けたお椀が置かれた。

私は黙って箸を手に取ると山菜を口に運ぶ。

「…おいしい。」

素朴な味が私を温める。

じんわりと指に熱がこもっていくのを感じる。

そいつは黙って鍋の世話をしていた。

「ねぇ…」

「ん?」

「…なんでもない。」

「そうか。」

そんなシンプルで何の意味もない会話が束の間交わされる。

「…なぁ。」

今度は向こうから話しかけてきた。

「なに?」

「変わらないものってなんだろうな。」

その問いに私は答えられなかった。

「…分からない。」

「そっか。」

そいつはそれ以上追及せずに黙った。

「まだ食うか?」

そいつは変わらない眼差しで訊ねる。

「人を蟒蛇(うわばみ)みたいに言わないでよ。」

私は軽く笑いながら言った。

「そうか。」

あいつも軽く笑いごろりと横になった。

「おやすみ、ルイ。」

「おやすみ――」

…私は名前を呼ぶことが出来なかった。

火が爆ぜる音の中、私はずっとあいつの姿を見ていた。

「――母さん。」

あいつの寝言がポツリと聞こえた。

泣いていた。

普段の不愛想な表情からは想像もできない涙。

流した涙はたった一滴。

それでもそこには明確な愛が込められていた。

あいつに近づくと毛布を掛ける。

「大丈夫…ここにいるわ。」

あいつがしてくれた様にそっと頭を撫でる。

さらさらした感触が不思議と心地良い。

やっぱり――あったかいや。

「…ッ!」

気付けば涙を流していた。

あれ…なんで泣いてるの?

…分からなかった。

涙を拭うと日記を開いて筆を手に取る。

書き込もうとしたところでふと手が止まった。

「…昨日の日記、書いてないや。」

そうつぶやくと私は日記を閉じた。

「…おやすみ。」

それだけ呟くと私は夜の番をすることにした。

 日が昇った時、そいつは開口一番にこういった。

「今日は徹夜で歩く必要がある。」

「えっ?」

「昨日、お前を背負って歩いていた所為で予定よりも進むのが遅かったんだ。だから、夜通し歩き続ける。」

そういわれてしまうと私に言い返す権利はない。

多少不服ながらも頷いて準備を開始した。

簡単な朝食を取ればすぐに出発だ。

焚火の後を片付けると私たちは歩き始めた。

山の中を気持ち駆け足で進み続ける。

途中遭遇した猪を何とか撒いて山を下り終えるころには正午を過ぎていた。

「…ルイ、走るぞ。」

あいつが焦ったように声を掛ける。

「どうかした?」

「いや、どうも嫌な予感がする。」

「ただあんたが走りたいだけじゃないの?」

でも分かっていた。

私の周りに2体妖怪がいる。

出来れば気づかれないうちに波長を使って無力化したかったがそういう訳にはいかなそうだ。

私という存在がいるから襲うに襲えないのだろう。

「分かったわ。走るわよ!」

私はそいつを抱えて走り出した。

「おいルイ!」

騒いでいるが仕方あるまい。

本気を出して私は跳躍した。

後ろを見ると1つ目の鬼と狼の頭をした妖怪が何やらわめきたてている。

「降ろせ!」

「急ぐんでしょ!?」

あいつの怒鳴り声に私は返す。

結局、5分もしないうちに妖怪たちは追跡を諦めた。

「ふぅ…」

私は一息吐くとそいつを下ろした。

「おまえなぁ…絶対気づいてたろ?」

「まあね。」

「だったら最初から言えよ。仲間だろ?」

仲間。

そんな言葉に私は少し驚いた。

「――そうだったわね。…ねぇ!」

私は思わず呼びかけてしまった。

「ん?」

「…ううん。何でもない。」

「そうか。」

そいつは特に気にする様子もなく篭を背負いなおすとそいつは歩き出した。

そっか…私のこの気持ちはそういうことだったのね。

今になってようやく自覚する。

はっきり自覚したのなら白状しよう。

私は――あいつのことが好きだ。

 それからあいつは宣言した通り朝日が昇るまで進み続けた。

「なぁルイ。」

冷たい朝霧と柔らかい陽光の中、あいつは話しかけてきた。

「人間の定義って何だと思う?」

「人間って…それはもちろんホモサピエンスが進化した存在でしょ?」

私の答えにあいつは「あー」と頭を書いた。

「すまん、言葉が足りなかったな。精神論的に人間の定義って何だと思う?」

「……。」

私は口を開いた…でも、そこから言葉が出てくることはなかった。

口の中の水分が一滴もなくなったような感じでカサカサした空気が肺から漏れ出る。

「――『ありのままの自分を自覚し己の個性を追求すること』、これが俺の思う人間の定義だ。」

「…それで?」

「ん〜、そうだな。例えばここに貧乏神がいたとしよう。最凶最悪の貧乏神だ。そいつの貧乏神としての力はあまりにも強いため自身すらも常に貧乏な状況にある。

 だから己の貧乏を認め、『お金持ちの自分』を追求する。これは人間の定義に入ると思うか?」

あまりにも的確過ぎる仮定に私は苦笑いをしながら即答した。

「それは違うんじゃないかしら? だってもともとその貧乏神は神様なんだから人間の定義に当てはめたら逆に怒っちゃうわ。」

「じゃあ、精神論的に神の定義ってなんだ?

 神だって悲しい時には涙を流すし恋もする。欲望があればガキだって作れる。そんで常により多くの信仰を求めて宗教活動に励んでいる。どう違うんだ?」

「それはあなたの定義の仕方が違ってるからじゃないの? もっと具体的な定義を持つとか…」

「じゃあ、あんたの思う人間の定義って何だ?」

「……。」

再び飛んで来たそいつの疑問に私は考える。

「分からない。」

「分からない、誰にだって分からない。俺だって今は分からない。さっきの定義は神の定義であることにもなるからな。じゃあ逆に考えてみよう。人外の定義ってなんだ?」

その問いに私は再び考える。

「…そもそもないんじゃないかしら。だって人間の定義をはっきり定義できないんだから。」

「そうか。それじゃ、魑魅魍魎だって盗賊だって俺だってお前だって同じなんじゃないか? 同族が同族嫌悪してたのがちょいと過激になっただけだ。」

そういうとそいつはそれっきり黙り込んでしまった。

なんとなくあいつの言いたいことが分かった気がする。

あいつが盗賊の腹を何のためらいもなく斬ったのはそういうことだし、私が弾幕で魑魅魍魎を殺したのも同じ理論。

「…それ慰めてるの?」

「さあ?」

…特に理由もなく話していたらしい。

「ねぇ…」

「ん?」

「――ありがとう。」

「…どういたしまして。」

私のお礼にそいつはいつものように不愛想に答えた。

それでいいのかもしれない。

言葉にしない方が良いことだってある。

 次の日、私たちはついに目的地にたどり着いた。

藪をかき分けて歩き続けると少し開けたところに小さな集落が見えた。

「あそこだ。」

あいつが声を上げる。

その調子は心なしかワクワクしているように感じた。

足取りも気持ち速くなっている。

何故だか私は不安を覚えた。

その家は集落の端っこに存在していた。

集落に入ると好奇の視線が私に突き刺さる。

「…あまり気にするな。ここの連中は外の世界を知らないからな。」

あいつが庇うように言う。

『外の世界』というのは結界の外の事ではなくまさにこの集落を囲っている藪のことをいうのだろう。

確かにあれを突破するのは至難の業だ。

私も何度あそこに足を取られた事か…

そんなことを考えながら歩いているとあいつが立ち止まった。

「ここだ。」

そこには土壁で作られた家が建っていた。

それでもボロボロという空気は感じられずむしろその古さが味を出している。

「母さん! 帰ったよ!」

そんな声と共にあいつが扉を開ける。

私もそのあとに続く。

家の真ん中には40程の女性が布団に横たわっていた。

家の中は不思議な薬草の香りがする。

「おや諸道、帰ってきたのかい? とっくに嫁を探しに出て行ったのかと思ったよ。」

「んな訳ないだろ…医者を連れてきたんだよ。」

あいつは少しほっとした様子で木張りの床にどっかりと座りこむ。

不意にあいつのお母さんがこちらに顔を向けた。

「あなたが諸道のお嫁さん?」

「いえッ! 鈴仙・優曇華院・イナバと申します。あなたの診察に参りました!」

背筋を伸ばしてそう答えるとその人は柔らかく笑った。

その顔はあいつにすごく良く似ていた。

「じゃあルイちゃんね。鈴仙の『R』に優曇華院の『U』そして最後にイナバの『I』で――」

そこまで言ったところであいつが遮った。

「母さん、そんなことより診察を……」

「はいはい、分かったよ。」

そういうとその人は上体を起こした。

「それじゃ、診察を頼むよ。」

それを聞いたあいつは立ち上がる。

「診察が終わったら呼んでくれ。」

引き戸が閉まる音がする。

私は心音を聞くために近づくとその人の着物をはだけさせた。

「――ッ!?」

ぞっとした。

その人の体にはいくつもの生々しい傷跡が残っていた。

「これはッ――!」

「どうかしたかい?」

「この傷は――何ですか?」

私は意を決して訊いてみる。

「これかい? これは…失敗したんだよ。」

その人がポツリと呟く。

「失敗?」

「蓬莱の薬さ。」

「……。」

私は思わず黙り込んでしまった。

もし蓬莱の薬であるのなら私にこの傷跡を治す手立てはない。

「私の一族は大伴一族でね。まぁ、早い話がかぐや姫に大恥をかかされたのさ。この気持ちがあんたには分かるかい?

 ありもしない竜の首の珠に踊らされる先祖にそれをほくそ笑むかぐや姫。一体どっちを恨めばいい?」

華奢な体から放たれる言葉からはおどろおどろしい姫様への恨みを感じた。

「諸道は一族の本家の子だ。本当ならばこんなところで薬師に収まる人間じゃない。あの子には幸せになってほしかったのさ。その為には私は死だって厭わない。」

言葉が口から出かかったが何とか呑み込んで沈黙を保つ。

「でも、ルイちゃんに会って少し考えが変わったよ。きっとあんたはそっちの連中なんだろう? 私らとあの姫様の橋渡しになって欲しいんだ。」

そういってその人は私の手を握る。

その手にはほとんど力が残っていなかった。

「ルイちゃん、諸道と――結婚してやってはくれないか? そうすればあの子は足掛かりが出来るしかぐや姫を娶ればあの子は太政大臣にだってなれるんだ。」

その人はじっとこちらを見つめる。

私はその狂気の瞳をただ見つめるしかできなかった。

「――何してんだ、母さん。」

その声に私は我に返った。

振り返るとあいつがこちらを見下ろしている。

「おや、聞いていたのかい?」

「……。」

あいつはただ黙って自分の母親の目を冷たく見つめていた。

「――少し考え事をしていたんだ。蓬莱の薬へのあんたの偏執について。でも少し俺も甘く見過ぎていた。」

あいつはそういうと私の手首を掴んで強引にこちらに引き寄せた。

「えッ!?」

引っ張られた私はあいつの胸の中に突っ込む。

「ちょっと何を――」

「勘当だ、母さん。」

あいつは腰に差していた鉈を自分の母に向けた。

「いつまでもそんな執着を持つあんたを俺は自分の母親だとは思いたくない。」

「何を言ってるんだい? 私はあんたの事を思って――」

「動くなッ!」

不意にあいつが叫ぶ。

大声に驚いたのかその人はびくりと震える。

その手から零れ落ちたのは――薬。

「なるほど、情報処理薬か。そんな洗脳(まが)いなやり方をしてまであんたは地位が欲しいのか。」

「そんなことは――」

「もういい。――あんたにはこりごりだ。ルイ、行くぞ。」

そういうとあいつは私の手を引いて走り出した。

私はただされるがままにその手に引かれていた。

しばらく走って里の外まで来たところであいつは足を止めた。

「…ねぇ!」

私は思わず呼び止めていた。

「ん?」

「…良かったの?」

「いいと思ったから全てを捨てて逃げたんだ。」

その言葉に私ははっとした。

逃げる。

その意味は人によってさまざまなのかもしれない。

けど昔、私も戦から生き延びるために逃げ出した。

それと同じなのかは分からないけどあいつも私も逃げ出した者同士だ。

そう考えると不思議と嬉しい気持ちが沸き上がった。

「…ねぇ。」

いくらか落ち着いた調子で私はまた声を掛ける。

「何だ?」

「一緒に帰ろ?」

お願い、伝わって……

私は無様に祈るしか出来なかった。

「…そうだな、帰るか。帰ろうぜ――鈴仙。」

「あっ…」

頬を熱いものが伝う。

それを涙と実感するのはしばらくかかった。

「うん…うん…帰りましょう――諸道。」

あいつ、いや諸道は不器用に笑った。

「ふふふっ」

自然と笑いが込み上げる。

陽が沈む。

月の光は珍しく私達を優しく包んでくれた。

 永遠亭に帰った私達はありのままを師匠に報告した。

「そう、人間も…そんな愚かな事をしても何にもならないというのに…」

師匠は悲しそうに目を伏せた後、私たちに目をやると口を開いた。

「あなたも察しているようにこの永遠亭は竹取物語にも登場する蓬莱山 輝夜様が生活しているところよ。ここに返ってくるということは彼女にも会うことがあるという事。それでもいいかしら?」

諸道はなんて事の無いように答える。

「問題ありません。先祖に取り憑かれていたのは私の母であり私は先祖の因縁になんて興味がありません。ご安心ください、永琳様。」

そういって諸道は頭を下げた。

永琳もその様子を見て理解したらしい。

「分かったわ。それじゃあしばらくは雑用をやってもらおうかしら。」

そういって師匠は柔らかく微笑んだ。

「おかえりなさい、永遠亭へ。私は貴方を歓迎するわ、大伴諸道。」

 数年後…

「おかあさまー! たんぽぽをみつけました!」

私の前には満面の笑みで私にたんぽぽを差し出す少女の姿があった。

「あら、ありがとうね(よもぎ)。」

私は蓬の差し出したブーケを受け取る。

そこにはシロツメクサも混じっていて完全なたんぽぽだけのブーケじゃないことに私は気が付いた。

彼女の名前は大伴蓬・優曇華院・アカザ。

私と諸道さんの子供だ。

ヨモギという名前は私がつけたのだが、師匠と姫様がめでたがって私の名でもある優曇華院とヨモギの漢字が蓬莱の蓬でもあるので莱を取ってアカザという名前を付けてしまった。

名前を付けられたということは残念ながらこの子は一生永遠亭に仕えなくてはいけないのだろう。

それでも私は将来この子と一緒に永遠亭に仕えることを楽しみにしている。

「おや、蓬は蒲公英(たんぽぽ)を取ってきたのね。今夜はたんぽぽ鍋だ。」

いつの間にか隣に立っていたてゐが茶化すように口を開く。

「てゐおばちゃん、これはおかあさまにあげるからたべちゃダメだよ。」

「なっ…おばちゃ…」

そこまで言うとてゐはふくれっ面をしてどこかへと飛び跳ねてしまった。

どうやら、蓬にはてゐがおばちゃんに見える様だ。

そうやって考えると少し笑ってしまう。

「そろそろ、おとうさんも帰ってくるから出迎えにいこっか?」

私が提案すると蓬は嬉しそうに歓声を上げながら永遠亭の門の方に走っていってしまった。

楽しそうに走り回る蓬をなだめながら待っていると師匠が玄関に出てきた。

門の下に立っている蓬を見ると嬉しそうに目を細める。

「あら、蓬ちゃん。また元気になったわね。」

「あっ! おししょーさま! うん! かげろうおねえさんとよくおにごっこしてるんだ!」

そういって蓬は師匠に笑顔を向ける。

その様子を見た師匠は一層嬉しそうに頬を緩ませる。

「子供の笑顔ほどいい薬はひょっとしたらないんじゃないかしら…」

蓬莱の薬を作った師匠はそんなことを言いながら蓬の頭を撫でる。

蓬も満更でもなさそうに得意げな顔をしている。

その時、私の耳が新しい足音を聞きつけた。

「蓬! そろそろお父さんが帰ってくるわよ!」

「わーい! おとうさま!」

しばらくすると竹林の奥から藍色の薬師の服を着た諸道さんが姿を現した。

「おとうさまー!」

蓬は迷いなく門の外へ駆け出す。

「こら蓬ー! 転ばないように気を付けなさいよー!」

私は危なっかしい足取りを見て声を掛けた。

 永遠と須臾。

不老不死である師匠や姫様からしたら私たちの時間なんてまさに須臾にも満たない時間なのかもしれない。

それでも私は限りある諸道さんと蓬との時間を楽しみたい。

蓬が死んでも私は生き続けなくてはいけない。

それは使命であり性だ。

でも、時にはその性から解放されて須臾の時間を思いっきり楽しみたい。

それが永遠の前に許された須臾の須臾な願いだ。

私は蓬を追って、諸道さんとの再会を喜ぶために走り出した……

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