五話 黒色の悪魔
見知らぬ土地に少女が一人泣いている。周りには大勢の人々が少女を見ている。
少女はかつて頭だったそれを抱き寄せ泣いている。
空は黒く染まりやがて雨を降らせた。まるで少女の悲しみが天に届いたように。
彼女の体は段々黒く染まり炎のように包み込んだ。雨で溜まった小池に映る彼女の顔は黒く悲しみと怒りに満ちていた。
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十返黒葉はベッドから飛び起きた。全身に酷い汗。呼吸は乱れ、瞳孔は開いている。肩で大きく息をしている体を深呼吸して息を整える。辺りを見渡す。見慣れた自分の部屋。自分の手を視認し、両手で頬を軽く叩く。上昇した体温が夢から覚めたことを教えてくれる。
一階の風呂場でシャワーを浴び寝汗を流す。コップ一杯に水を汲み一気に飲み干す。時刻は六時。気づけば太陽がどんどん顔を出し朝の訪れを告げていた。今日は日曜日。休日だ。二度寝しようと思えばできるが、もう一度寝ようと思えず、寝てしまえばまたあの夢を見てしまうのではないかと思うと寝つけなかった。
今日は天気がいい。せっかくだからどこか出かけようと思い黒葉は服を着替えた。
母に「朝ご飯は?」と止められたが、外で食べてくると伝え家を出た。
清々しい朝だ。気持ちよくて病んでいた心が洗われるようだ。店で購入したサンドイッチを早朝の公園のベンチで一口。卵とハムが黒葉の口を幸せにする。普段ならサンドイッチ一つ五分もかからず完食できるが、この日は一口一口ゆっくり味わいながら完食した。ジュースを一口。
空を見上げる。眩しいくらいの快晴。ここ最近では一番のいい天気だろう。この時ばかりは黒葉は天を憎んだ。
シュースを飲み終えた後、ごみを片付け電車に乗る。揺られること約十分。終点岡山駅に到着。そこから歩くこと五分。大型ショッピングモールに到着した。店内の店を見て回る。洋服、靴、化粧品、アクセサリーや小物、雑貨店、アイスクリームやカフェなど黒葉にとって興味ある店を中心に回る。
買い物は商品を購入する楽しさもあるが、見る楽しさもある。どの店にどんな商品が並んでいるのか、トレンドや人気の商品を見て回るだけでも楽しい。これだけでも一日が終わってしまいそうだ。あちこち見ていると時間は気づけば十七時半を迎えようとしていた。そろそろ帰ろうかと建物内を出る。
西日に横顔を照らされながら駅に向かう。この時間は平日、休日に関わらず車内満席で人が多く立っているのもやっとといったところだ。五分から十分の辛抱だと自分に言い聞かせ目的の大元駅で降りる。
改札を抜けるとようやく人通りも少なくなった。時刻は十八時を回っていた。夏が近づいていることもあり、日照時間は長く十八時を過ぎても太陽はまだ沈んでいない。
昼と夜の境目、つまりは黄昏時だ。黒葉は黒くなっていく空を見ながら帰るときふと黄昏時は別名逢魔ヶ時とも言ってなんでも魔物が出るといわれているらしい。まさかそんなと考えているとそれは黒葉の瞳にハッキリを映ってしまった。
今まで見たこともない現世では似つかわしくない姿をした百合たち、そしてその四人と対峙するのは高さ三メートルはありそうなほど大きな姿をした巨人。
黒葉は口を開け驚き、何が起こっているのかわからないといった感じで静止していた。
「魔物……?」
黒葉の美しい唇からふとそんな言葉が漏れた。
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時、さかのぼること一七時間前。
「えっ!?……帰るってどういうことスザンヌちゃん」
小金や翠たちと別れた後の帰路。不意にスザンヌの口から飛び出した突飛な発言。百合の注目を引くには充分だった。
「先程述べたとおりです。いつまでも国を開けておくわけにはいかないですし、それに百合様たちならもう私がいなくても大丈夫です」
「でも……そんな急に……お別れだなんて」
うつむいて元気がなくなる百合。アルジェントは何も言葉をかけることができなかった。
「いつ……帰るの?」
「早ければ今日の夜にでもと考えています」
「今日……。どうやって帰るの?」
「眷属の力です。百合様には最初に言ったと思いますが、覚えておりますでしょうか?私達は時を超えてここにやってきたと。あれと同じ力を使います」
スザンヌの意志は固い。そこから何を言っても貫き通すつもりなんだと百合は悟った。
「このことお母さんには?」
「まだ伝えていません。夜が明け、お母様が起きられたとき告げようと思っています」
「そっか……」
月明かりの夜道。それ以上はお互い何も話さず、家に着いた。帰路を照らす満月が嫌に眩しかった。
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午前九時前、百合は公園のベンチに座っていた。表情は暗い。
今朝、スザンヌは椿に昨夜のことを打ち明けた。スザンヌが帰ることを椿は特に何も言わず、そればかりか「そっか。じゃあ今日はたくさんごちそう作らないとね」と言っていた。
椿は突然帰るといったスザンヌに対して寂しさは感じないのだろうかと百合は思った。
しばらくすると公園の出入り口から一人の少女がこちらに近づいてきた。
緑髪が特徴的な百合の親友。江古田翠だ。
「よし、ギリ間に合ったな」
翠は肩で大きく息をしながら百合に話しかけた。
「おーっす百合。ってあれ?どうしたそんな暗い顔して」
「翠ちゃん……」
翠の顔を見上げると自然と涙が溢れてきた。
「お、おい!百合大丈夫か!?」
「ご、ごめん。大丈夫だから」
慌てて涙をぬぐう。しかし目尻には言い訳できない証拠が残っている。
「もし私が原因なら謝る。何かしたなら言ってくれ」
「ち、違うから。翠ちゃんは何も悪くないの。ただ……ちょっと思い出しちゃって……今日のこと」
百合は今日のこと、正確には悪魔を倒し翠たちと別れた後のことを話した。翠はただそれを静かに聞いていた。
「そっか……姫様が、それはいきなりすぎて戸惑うよな」
「うん……」
「でもさ、やっぱり仕方ないんじゃない。姫様にもいろいろ事情があるだろうし、それにこれで最後のお別れってわけでもないんだし。百合が暗いと姫様も帰りづらくなっちゃうんじゃない?」
「翠ちゃん……ありがとう。そうだよね。どうせなら笑顔で見送って私たちになら任せられるって思ってもらったほうがいいよね」
翠の言葉に元気をもらい思わず立ち上がる百合。元気になった百合に翠はある一つの提案を出した。
「なぁ百合。それから転校してきたばかりの小金を誘って遊びに行くんだけど百合も来る?」
「えっ!?行きたい!!」
迷う必要などなかった。休日に友達と遊びにいくのは百合の楽しみであるからだ。聞けばみかんが小金に話を持ち出したらしい。町案内も兼ねて仲を深めることができれば……ということらしい。
行くと決まれば準備が必要だ。翠と一旦別れ家に帰る。準備を終え、玄関を出ると翠が待っていた。
翠の顔を見ると安心する、それは百合が本人にも言えない自分だけの秘密だった。
二人はみかんとの待ち合わせ場所の駅前に行く。一応黒葉にも声をかけたらしいのだが、彼女の母親いわく今日は朝から出かけているみたいでどこにいったのか両親にも告げずまだ帰っていないらしい。
仕方ないため百合、翠、みかん、小金の四人で遊ぶことにした。四人とも念のため眷属の宝石を所持している。駅を経由して中心街へ。
ここ岡山駅は駅名に県名が使われていることもあって県内では一番大きく、人の出入りも多い。
「まずここが岡山駅だよ。と言っても小金ちゃんは新幹線使って来てるから知ってるよね?」
「うん、あの時は降りてすぐにマンションへ行ったからあんまりゆっくりできなかったけどこうしてみると結構大きいですね」
「他県からの玄関と言われるところだからね」
「駅の中にも店はあるんじゃけど今日は市街地の案内じゃから駅はまたの機会に」
そう言ってみかんたちは東口を中心に案内を始める。商店街、商業施設、地下街など中には気になる店もあったみたいで目線が自然と右に左に移っていた。いろいろな施設を回って小金に一つでも多くこの街のことを好きになってくれたらと百合は思っていた。
アイスクリーム店、ゲームセンターと回って次はカラオケに来ていた。今は翠がマイクを持って熱唱している。なんでも最近流行りのアニメソングとのことらしいが、普段アニメを見ない百合にとってはわからない曲だが、本人が満足ならばそれでいいのだろう。得点は92点と高得点。小金も拍手を送っていた。
「いやぁ~ありがとう。ありがとう」
翠はまるでスターになったかのように頭を下げている。端的にいえば調子の乗っている。
「次、誰歌う?」
「小金ちゃんは?まだ一回も歌ってないよね?」
「えっ?わ、私は……大丈夫」
「おい、小金。ノリ悪いぞ」
「あんたは黙っといて」
「えぇ……」
翠とみかんを無視して百合は小金に問う。
「もしかしてあんまり歌うまくないとか?大丈夫。私達気にしないよ」
「ううん。そうじゃなくて……その……恥ずかしい…………から……」
百合は瞬時に理解した。おそらく小金は人前で歌うのに慣れていないのだろう。それにあまり好きでないことを強要するのも本人に悪い。何かいい方法はないものかと選曲機を操作しているとある曲が目に止まり、一つ閃いた。
「そうだ小金ちゃん。私と一緒に歌う?」
「一緒に?」
「そう、デュエット。二人なら小金ちゃんも歌いやすいんじゃないかと思って」
「そ、それなら……」
「ありがとう。曲は私が決めていい?」
「ど、どうぞ」
百合が選曲する曲はかつてドラマの主題歌にも使われたことがある恋愛ソングだ。
「この曲知ってる?」
「あっ……は、はい」
「よかった。はい」
そう言ってマイクを小金に渡す。小金はそれを受け取った。
「私が男性パートを歌うから小金ちゃんは女性パートをお願い」
この曲は若干男性パートのほうが歌うところが多い。
百合の言葉とともに曲が始まる。百合が歌う。翠とみかんが合いの手で場を盛り上げる。
小金が歌うパートが来た。最初は戸惑いと緊張があったが、いざ歌ってみるとそんな不安はいつの間にか消えていた。スムーズに歌い、曲のテンポとともに段々リズムに乗ってくる。二人でフィニッシュすると翠とみかんから拍手が送られる。隣を見ると百合が手のひらを小金に向けていた。小金も手を出しハイタッチする。
「ありがとう小金ちゃん。楽しかったよ」
「こちらこそありがとう」
小金が席に座る。
「小金よかったぞ、すごくうまいじゃん」
「翠よりはるかに上手いからもっと歌ったらええんよ」
翠と小金が褒める。みかんの言い方にひっかかった翠はみかんとけんかになる。
小金に笑みがこぼれる。みんなの温かさに少し自信がついた小金であった。
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帰り道。陽も段々西に傾き始め、茜色の炎が地球を照らし百合たちの後ろに巨大な影を作っていた。百合たち四人は横に並んで歩いている。
すでに電車を経由して街の住宅街に帰ってきていた。大通りと違ってこの辺りは滅多に人も車も来ないため話しながら帰ることができる。
「どうだった?この街は」
「すごく楽しかった。最初はわからなくて不安だったけど百合たちのお陰でその不安も消えたから」
「それならよかった」
『!!』
自分たちが生まれ育ったこの街を少しでも好きなってもらえてよかったと安堵する百合。
その矢先だった。アルジェントたちが何かを感じ取った。それはもう慣れてしまっているが、できることなら絶対に慣れたくない強い気配。そう宿敵の悪魔たちだ。
『百合様!』
百合は首を縦に振った。
「翠ちゃん。皆、準備はいい?」
「当然。な、みかん」
「やっぱりこうなるんよね。小金、あんたのバック頼りにしとるけんね」
「う、うん。頑張る」
みんなの士気は十分だった。アルジェントたちに出現場所を教えてもらう。着いた場所は小学校だった。日曜の夜ということもあって校門は閉まっている。
人目を盗んで敷地内に潜入。眷属の力を使い廊下を走っているとき、百合が涙声で言った。
「うぅ~これって不法侵入で立派な犯罪だよね」
「仕方ないじゃろ。背に腹はかえられんし、誰かが襲われてからじゃ遅いんじゃから」
「そうだけど……」
「それよりも皆、少しおかしくない?」
小金の声に足を止める三人。
「どうしたんだよ?」
翠が質問する。
「さっきから人の気配はおろか悪魔たちの気配も感じ取れないって思うの」
「言われてみれば……」
三人は周囲を警戒する。アルジェントが指名した場所はここで間違いない。すでに敷地内に潜入しているためいつ的に遭遇してもおかしくない状況だ。
にも関わらずこれほどまでの静けさは何だ?
『おかしいですね。間違いなく奴らはこの場所に出現していると思うのですが』
『あぁ、気配を感じるぜ』
アルジェントとヴェルトが言うのだから間違いないのだろう。だが、どれだけ探しても見つけることができなかった。
『おい!皆外を見ろ!!』
翠が指差した方向。全員が窓の外を見た。そして絶望した。声にならない叫び。
窓の向こうには目玉があった。こちらを見つめる巨大な目玉。巨人と呼ぶにふさわしい悪魔だ。漆黒の闇に擬態する黒い肌。頭頂部に生える巨大な角は伝承の鬼を連想させる。
そして巨人は握りこぶしを作りそれを校舎へ突き出した。咄嗟に百合が前へ出て白銀の盾で皆を守ろうとするも、その圧倒的な力に成す術なく百合を含めた全員が校舎の外からはじき飛ばされ地面にたたきつけられた。
いくら眷属の加護でダメージを軽減させているとはいえ校舎の三階から落下すれば無事では済まないだろう。百合が盾で防いでいなければ。
瓦礫の中から翠が顔を出した。
「ぷはー。みんな無事か?」
「な、なんとか」
「百合がかばってくれなかったら危なかった」
「でも防ぎきれなかった。皆ごめん」
「百合、話はあと。さっきの巨人こっちに来るよ」
小金が言うと三人もあの黒い巨人に意識を向ける。巨人は大地を揺らしながらこちらに向かってきている。先程は校舎の内側から発見したため顔の辺りしか見えなかったが、今では全体がはっきりと見える。
一つ目の顔に飛ぶの頂点に一本の角。皮膚は黒く、来ている服はまるで原始時代を想起させる布製の服。その姿は鬼そのものだった。
「くそーっ。あんなでかいのどうやって戦えばいいんだよ!」
「まともにやりあって勝てる相手じゃなさそうじゃな」
「小金ちゃんの弓なら」
『確かに小金様の遠距離攻撃は有効でしょうね』
「わかった。やってみる」
小金が弓を引く。巨人の顔めがけて飛翔した矢は見事的を射た。だが、巨人は自身の大木のように太い腕を前にして防いだ。腕に命中したというのに巨人は痛がる素振りを見せなかった。
『効いてないのか?』
ジョーヌが驚く。巨人は百合たちに向かってくる。
「とにかく一旦、あいつと距離を置こう。倒し方がわからないんじゃ埒が明かない」
翠の声と共に三人は納得し、四人ともそれぞれ別の方角へ逃げる。巨人は最初戸惑っていたが、すぐに標的を見定めたようで翠を追いかけた。翠は巨人が自分を追いかけてくるのを確認するとその巨人を誘導するように逃げる。グラウンドの広い場所まで逃げると今度は正面玄関から校舎内に入る。いくら体格差が有利とはいえ室内に入られてはどこに行ったか見当つかない。建物ごと壊してしまえば造作もないことだが巨人からすれば体力を無駄に消費するだけである。
「おーい」
声が聞こえる。白銀の鎧に身を包んだ女性が手を振って自分の存在をアピールしている。
巨人の標的は自然と百合に移る。今度は逃げる百合の後を追いかける。
百合の逃亡劇が始まって数分。百合の逃げた先には行き止まりの壁が。振り返る。目の前には巨人が。絶体絶命のピンチだと思われた。
「おーい、こっちだ化け物!」
翠の声がする。巨人が見上げると屋上には小金と翠の二人がいた。
すでに弓を引いていた小金が巨人の瞳に向かって矢を放つ。巨人は素早い動きで腕を盾に防いだ。だが、そんなことは想定済みだった。
「今だ!みかん」
「わかってる」
巨人の足元に接近していたみかんが鉄の拳を思いっきり足元にめがけて振り下ろす。百合たちが時間を稼いでくれたおかげで力を貯めることができ、通常の力よりも格段上がった威力を発揮できる。
痛みと衝撃に耐えきれず、バランスを崩した巨人はその場に仰向けで倒れこんだ。
「今だよ。翠ちゃん!」
「おっしゃー!!」
屋上から飛び降りた翠が槍を頭上で回しながら目標を見定め、下方へ突き刺す。そこには巨人の瞳が。遮るものはなく重力に従って槍が命中した。そして翠は巨人から降りて百合たちの元へ近づいた。
「お疲れ。百合」
「おう」
みかんと翠がハイタッチする。
「上手くいきましたね」
「うん。アルジェントさんたちが上手く連絡路として私たちに指示してくれたから」
『皆さん。良い連携でした』
全員が己の役割をこなし、勝利を手に入れた。みなが終わったものだと思っていた、いや、思い込んでいた。
翠が百合ともハイタッチしようとしたときである。だが、百合は応じなかった。そればかりか倒れた巨人のほうを見ていた。
「待って!翠ちゃん。その悪魔、まだ生きてる!」
翠は慌てて振り返る。百合の言う通り巨人は再び起き上がった。巨人の瞳は何事もなかったかのように再生していた。
『なっ?』
『瞳が弱点ではないのか!?』
驚くヴェルトとオランジュ。
『なぜわかったのですか百合様』
アルジェントが質問する。
「あの悪魔が倒れても壊された校舎が元通りに戻らなかった。だからこれはまだ倒れてないかもって思って」
鋭い観察力と冷静さだとアルジェントは感じた。
確かに悪魔が消滅すればその悪魔が関与した対象物は何事もなかったかのように元通りになる。今回でいえば破壊された校舎が。それが直ってないとすれば考えられる結論はただ一つということになる。悪魔が倒れていないという証拠を出すには充分だ。
巨人は百合たちに向かって再び進撃する。巨人に背を向けて走る三人。
「これじゃあ振り出しだよ」
「くそーいい作戦だと思ったのに」
『いや、翠。お前の作戦はいい案だった。落ち込むことはないぜ』
「そんなこと言ったってヴェルト。敵を倒せてないなら意味ないじゃんか」
「とりあえず今は逃げることだけを考えて。次の作戦はまた皆で考えればええけん」
三人が逃げた先には広いグラウンドが。そこで百合が誤って転んでしまった。
「百合!」
『百合様!』
翠とみかん。そしてアルジェントが叫ぶ。白銀の剣は自らの手を離れ、砂上を滑り手の届かない位置へ逃げてしまった。
慌てて後方を振り返る。すぐそこには鬼の形相で睥睨する巨人の姿が。
もうだめだと思った次の瞬間。鬼の顔が吹き飛んだ。巨人は断末魔を叫ぶ間もなく収粒子となって消えていった。破壊された校舎が元の姿を取り戻す。そしてその中には四人がよく知る人物が立っていた。
黒髪の流れる長髪は腰のあたりまで伸び、よく手入れされているため艶がある。肢体から伸びた細い手足。服の上からでもわかるスタイルの良さ。背中のラインは多くの男たちを悩殺するに違いない。そして右手には先程百合が落とした白銀の剣が握られている。
百合たちがこの人物を知らぬわけがなかった。
「黒葉・・・・・・ちゃん?」
十返黒葉。百合たちの友達であった。
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逢魔ヶ時に魔物が出るなどただの言い伝えだと黒葉は思っていた。そう、この時までは。だが、自分の目の前にいる黒い鬼の巨人は誰がどう見ても魔物だと呼ぶにふさわしい。
不思議なことに恐れはなかった。そればかりかどこか懐かしさすら感じる。
なぜだろう?本来こんな場面に出くわせば飛んで逃げるはずだろう。だが、黒葉はこの巨人を知っていた。攻撃パターン、名前、弱点・・・・・・と細かいところまで。
巨人の前で戦っているのは百合、翠、みかん。だが不思議なことに黒葉はその三人の変わった姿を見ても特に何も感じなかった。まるでそれが至極当然のように。
黒葉の足は疾風の如く駆け、あっという間に巨人の近くまで到達。そして落ちている白銀の剣を拾う。
「これ、借りるわよ」
誰に伝えるわけでもなく呟くと人間離れした跳躍力を見せ、巨人の頭まで飛び上がった。そして巨人の首元を一切の迷いなく根こそぎ切り落とした。頭は黒葉の力に耐え切れず吹き飛んでしまう。
その後、黒葉は地面に華麗に着地した。
百合と目が合った。
「黒葉・・・・・・ちゃん?」
百合は驚いているようだ。それも当たり前だろう。本来ならこの場所にいるはずもない人。そんな人物が今まで自分たちが苦労してきた黒い巨人を一瞬で塵にしたのだから驚くなという方が無理がある。
「お前・・・・・・なんで・・・・・・?」
「・・・・・・」
沈黙。同様に驚く翠とみかんに何も答えなかった。ヴェルトと〇〇も予想外の人物に口を閉じることができないでいた。意外なことにアルジェントだけが唯一冷静であった。
「はい!皆さんお疲れさまでした」
沈黙を破ったのはスザンヌ姫だった。これまた予想外の人物に百合たちは理解が追いつかない。
「スザンヌちゃん!?」
「あっ、すみません。悪魔の反応に駆けつけたんですけど遅くなってしまいました」
思えば会うのはあの夜以来かもしれないと百合は思った。
「百合様。驚くのも無理はありません。ですが彼女のおかげで勝てたのも事実。ここは素直に黒葉様に感謝の言葉を述べてはいかがでしょう?」
スザンヌの提案に我に返る。彼女のおかげで助かったのは紛れもない事実。恩を仇で返すような真似はしたくなかった。
「そうだね。ありがとう黒葉ちゃん。助かっちゃった」
「い、いえ・・・・・・」
視線を逸らす黒葉。翠、みかんもお礼を言う。褒め慣れていない黒葉にとって感謝の言葉は嬉しくもあり、恥ずかしさもあった。
百合たちが眷属の力を解除すると遠方から声が聞こえる。黄瀬小金だ。
「小金ちゃん!」
「どうだったみんな?あの悪魔は・・・・・・」
「あぁ、何とか倒したよ」
「黒葉のおかげだけど」
小金は顔を横に向ける。すると黒葉と目が合った。
「こ、こんばんは・・・・・・」
「どうも」
黒葉がいることに戸惑う小金。無理もないだろう
「さてと悪魔も倒せたことだし帰ろうぜ百合。明日は学校もあるしさ」
「そうだね」
悪魔との戦いで今日が日曜だということを忘れそうになる。全員家に帰ろうとしたそのときだった。
「百合様、待っていただけませんか?」
百合たちの足を止めたのはスザンヌだった。
「黒葉様と話をさせていただけませんか?彼女には今、どうしても伝えておかなければいけないことがあるんです。お願いします」
スザンヌは黒葉を見つめた。黒葉には心当たりがないため困惑している。
「別にいいけど・・・・・・黒葉ちゃんはいいの?」
「構わないわ」
「ありがとうございます。では黒葉様、場所を変えましょう」
「え?ここでするんじゃないの?」
みかんが口を挟んだ。
「はい。この話は今、みなさんには聞かれたくありません。ご理解ください」
そう言ってスザンヌは黒葉を連れ校舎の影へと消えた。
不安が募る。
「なんなのかな?話って?それに私達にも言えないことって?」
「さぁ」
『百合様、翠様。きっと姫様には何か狙いがあってのことだと。今はわかりませんが姫様を信じましょう』
『そうは言ってもいきなり隠し事されて信じましょうと言われても・・・・・・なぁ?』
ヴェルトが意見を述べる。確かに言うことはもっともだ。これには不信感を抱かれてもしかたがない。
ここでふと気になったことがあったので百合は聞いてみることにした。
「そういえばアルジェントさんたちってスザンヌちゃんとはどういう関係なの?」
なにかしら重要な役職についているのは間違いないと思われが今現在まで詳しくは知らなかった。
『私は姫様の近衛騎士を務めています』
「このえきし?」
アルジェントの聞き慣れない言葉があるため首をかしげる。
『簡単に言えば姫様を守りながら雑用兼雑用をこなす仕事だな』
『おい』
ヴェルトが茶化すように言うとアルジェントが睨みつけた。
『冗談、冗談だって相変わらず怒ると恐ぇな』
『いついかなるときも姫様の隣にあり、姫様の剣となり盾となる。それが名誉ある近衛騎士の務めなのです』
「おぉ~」
拍手を送るもあまり分かっていない。正直ヴェルトの説明のほうが分かりやすいのはアルジェントには秘密だ。
「ところでヴェルトはどんな関係にあるんだ?」
『俺か?俺は姫様の国の騎士団長を務めている。そしてアルジェントとは親友にあたるんだ』
「へぇ~そうなんだ」
百合は二人の関係性に親近感を感じていた。自分もそれに近い関係にあるからだろう。
「オランジュさんはどうなん?」
みかんが質問した。オランジュはみかんが所持している橙色の眷属にあたる。
『俺は二人のように騎士でもなければお偉い身分でもない。平民出身だからな』
「平民?」
『そうだ。貧しい村で働いていた俺を・・・・・・いや、俺たちを姫様は救ってくれた。あの方は俺にとって命の恩人だ』
オランジュの言葉には一言一言重みがあった。それだけで彼の過去には想像を絶する苦難があったことが理解できた。
『平民出身といえばジョーヌも王族や貴族の出身ではなかったはずだ』
ジョーヌは小金が所持している黄色の眷属である。
「そうなの?ジョーヌさん」
小金が問いかける。小金が眷属の力を使うと姿が狩人のような見た目になるので騎士ではないであろうことは予想されていた。
『あぁ・・・・・・俺は軍隊にも村にも組織という枠組みに身分を置いてなかった。狩人として小さな森でただ一人静かに暮らしていた。だが、彼女と出会って考えが変わった。姫は不思議な人だ。それが何なのかは俺にもわからない。しかしついていきたいと思わせるカリスマがあるのは確かだ』
姫様を知ろうとすればするほど分からなくなる。それは百合も感じていた。ミステリアスな部分が魅力を感じさせるのかそれはまだわからない。
そうしていると遠方から姫様の声が聞こえてきた。二人が戻ってきたらしい。
「お待たせいたしました」
姫はいつも通り笑顔だった。黒葉は何だか元気がないのか下を向いていた。
「あっ、スザンヌちゃん。もう話は終わったの?」
「はい。お陰様で。これで私は自分の国へ帰りますね」
「え!?帰るってどういうことなん?」
みかんが驚く。百合は表情を曇らせる。翠は口を開かなかった。今、現在この場で姫様が帰ることを知っているのはアルジェント、ヴェルト、オランジュ、ジョーヌ。そして百合と翠のみ。
「みかん様、申し訳ございません。急な知らせになってしまい。ですが私も一国の姫。いつまでも自分の国を開けておくわけにもいかないのです」
「・・・・・・」
みかんは何も言うことができなかった。それもそのはずスザンヌの言っていることは至極全うだからだ。みかんは百合の方へ振り向いた。
「百合、あんたは知っとったん?」
百合は目を逸らした。
「落ち着けってみかん。姫様のことは私らも今日知ったばかりだったんだ」
翠が百合を庇うようにみかんに言った。
「私も今初めて知ったから驚いた」
小金がそう言った。みかんは小金の言葉を聞くとそれ以上は聞かなかった。
「でもどうやって国に帰るの?スザンヌちゃん過去から来たんだよね?」
「百合様。私がここへどうやって来たのかお忘れですか?眷属の力です。あの力には時を超える力があるのです」
「時を・・・・・・」
百合、翠、みかん、小金、黒葉は驚いたであろう。
百合は薄々気づいてはいたが、本当に眷属の力にそんな力があると言われてもピンと来ない。非現実的な力にただただ驚くばかりだ。
「それでは百合様、翠様、みかん様、小金様、黒葉様さようなら。もしかしたらこれが最後かもしれませんが、また会えたらそのときはよろしくお願いします。アルジェント、みんな頼みましたよこの世界の命運を」
『はい』
スザンヌは目を閉じた。意識を集中させ詠唱を始める。
「世界にある十の眷属よ。この時代と我の行くべき時代を繋ぎ止め、我を送り出したまえ。我は白き女神に認められた眷属の長なり」
スザンヌの詠唱と共に百合たちの眷属も光り出した。百合のは白色、翠は緑色というように各々選ばれた色と同じ輝きを。それはスザンヌを中心に円を創り出し、スザンヌの周りを飛翔する。白、緑、橙、黄、黒、青、紫、赤、藍、桃の色が強く光りスザンヌを包み込む。
あまりの眩しさに目を背けた。光が弱まった後、その場にスザンヌはいなかった。
飛翔していた眷属は元通り百合たちの手元に戻っていた。
「本当に帰っちゃったんだな」
「うん」
仕方のないこととはいえ、やはり別れは寂しい。特にこの五人の中で一番スザンヌと関りが深い百合の表情は曇っている。
「よし。みんな帰った姫様が安心できるためにも一日でも早くあいつらを倒して平和を取り戻そう!」
みかんが元気づけるように言った。同意する仲間たち。百合は暖かい仲間たちに励まされながら、勇気づけてもらいながら前に進むことを決意するのである。