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 冷たくなった額に、そっと触れる。そこにあるべき筈の体温は無く、まるで粘土のような感触は、否応なく彼女の“死”を突き付けた。

 指先から冷え冷えと、震えが全身に広がっていく。その時、初めて僕の口から嗚咽まじりの声が漏れた。


「真由紀……!!」


 飛び起きるように体を起こすと、そこはいつもの自室だった。ベッドの他にはノートパソコンと、必要最小限の家電に本棚くらいしかないワンルーム。カーテンの隙間は、まだ真っ暗だった。

 酷い寝汗で、シャツがべったりと肌に張り付いている。妙に現実感のある悪夢だった。しかし、何故――


「真由紀か……今は何をしてるんだろうな」


 随分前に連絡の途絶えた幼なじみの名前を、僕は呟いた。




 昨日、得意先の担当者と飲みに行った後のことだ。給料日ということもあって、懐は温かかった。

 担当者は既婚者だが、その夜は奥さんが実家に帰っているとのことで、男同士の付き合いだ――なんてもっともらしい理由をつけて、僕らは風俗店へ足を運んだ。ある程度の年齢になると、遊ぶことにも理由が必要なのだ。


 頻繁というわけではないが、営業をしていると付き合いで夜の店に行くこともある。コンプライアンスとか、ハラスメントが声高に叫ばれる今日でも、まだまだそこは時代錯誤で変わりきっていない。

 担当者はキャストを指名をしていたようだが、僕は特に希望せず店側に任せることにした。前金を払い、待合室で下世話な話をしているとほどなくして先に担当者が出て行き、そこから十分ほどして僕の番が来た。


 厚いカーテンの向こうにいたのは、栗色の長い髪をカールさせた二十代半ばくらいに見える小柄な女性だった。初対面の筈がどこか見たことがあるような、不思議な感覚に襲われる。“彼女”の方も、どこか驚いたような反応を見せていた。

 暫し戸惑っていたが、やがて彼女の方から僕の腕に絡みついた。コロンの強い香りが鼻をつき、柔らかな感触が腕に伝わる。年甲斐もなく胸が高鳴った。

 そうして腕を組んで、彼女はありふれた源氏名を名乗った。


「こういう遊び、よくするんですか?」


「たまに、付き合いくらいかな」


「たまに、か。良かった。真面目そうだもんね」


 ホテルまでの道中。マニュアルのような会話だったが、控えめに笑う彼女に僕は好感を持っていた。話した内容は取り留めもないことだったかもしれないが、安らぎさえ覚えていたほどだ。思えばここしばらく、プライベートで女性と接する機会は無かった。


 部屋に入り、シャワーを浴びると程なくして彼女は唇を重ねてきた。そうして間接照明に照らされたお互いの顔だけが見える中、ガウンをはだけ、肌を重ねる。

 そこでも僕には、既視感があった。形が、とか、感触が、とか、そんな下劣な話ではない。彼女の表情に、肢体に、何か影が重なる。それが何かは、分からなかったが。

 まとまらない考えは、異様な熱い興奮と共にばらばらと崩れ落ち、後に残るのはただの二人だった。




 煙草に火をつけた彼女は、物憂げな表情で紫煙を燻らせた。溜息が聞こえてきそうな横顔に、髪が張り付いている。


「煙草はよく吸うの?」


「たまに、吸いたい時だけかな」


 彼女から火を貰い、むせ返るような煙を吸い込む。煙草なんて滅多に吸うことは無いが、今夜は僕もそんな気分だった。


「どこかで会ったことある? ああいや、気障なことを言うつもりは無いけど」


 意識せず、僕は口に出していた。彼女は沈黙の後、細い煙草から唇を離して静かに笑う。


「気障だよ、それは」


「僕が野暮だったか」


「野暮ね、すっごく」


 灰皿に煙草を押し付けると、彼女と目が合った。照明の下で見るその瞳は、少し潤んでいるようにも見える。僕にはそれが、泣いているようにも見えた。

 やがてどちらともなく、飽きるほど重ねた唇を再び触れ合わせる。先ほどまでの貪るような接吻ではなく、そっと触れるか触れないかの優しいキスを。


「会ったこと、あるかもね」


「やっぱり」


「さーて、どうでしょう?」


 もう一度キスをしようとして、僕の唇は彼女の指で押さえられた。


「もう、時間だから。また、ね?」


 夢から醒めたようなもの寂しさが、月明りと共に差し込む。指先の温もりを、名残惜しそうに彼女は撫でた。




 熱いシャワーを浴びて、身支度をする。早くに目が覚めたので、出勤までは随分と余裕があった。普段は朝食を取らないが、今日は時間がある。冷凍のうどんをレンジに放り込み、ノートパソコンを立ち上げてニュースに目を通した。


 百瀬真由紀。夢の中で死んでいた彼女は、僕の幼なじみだった。しかし中学校を卒業する頃に彼女が引っ越してからは、連絡が途絶えてしまっている。

 僕は昔、彼女のことが好きだったが、今朝まで名前を口にすることなんてなかった。幼なじみとはいえ、疎遠になって久しいのだ。

 真由紀は確か、成人式にも来ていなかった筈だ。僕の中で彼女は、中学生の頃で時間が止まっている。今となってはほとんど他人と言っても良かった。


 ネットのニュースを読み流すのもそこそこに、「幼なじみ 夢」なんて検索をしてみた。いわゆる逆夢というやつで、運気の上昇を意味するらしい。

 自嘲気味に笑いがこぼれる。夢を見て意識するだなんて、思春期じゃあるまいし。


 スマートフォンを見ると、アプリの通知が届いていた。確認すると、昨日連絡先を交換した“彼女”からメッセージが届いていた。

 だからか、と、一人納得する。彼女にどこか既視感というか、懐かしさにも似た印象を受けたのは間違いではなかったのだ。

 彼女は――真由紀に似ている。顔が、とか、声が、とか、そういうことではないと思う。言ってみれば雰囲気、身に纏う空気とでも言えばいいだろうか。それが似ているのだ。

 しかし、それだけだったろうか。僕は何か、とても大事なことを見落としているのかもしれない。


「良ければ、外で会いませんか……?」


 彼女からのメッセージに、僕は目を疑った。が、すぐさま頭を振ってその考えを打ち消す。

 これはいわゆる営業だ、三十手前で本気にする方がどうかしている。こんな気持ちになるなんて、夢の影響だろうか。それとも、体調を崩して熱でも出ているのか。

 昨日、連絡先を交換した“彼女”。一夜限りの関係と思っていた。しかし、こうも惹かれるのは何故だろう。

 彼女は――“マキ”と名乗った。

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