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告白1

7/29 改行を調整。

 細く伸びた二人の影が、過ごした時の長さを気付かせた。

 新雪を踏む音に似た衣擦れが、はたと止む。不意に立ち止まった僕を、彼女は心配交じりに振り返っていた。


「隆央、どうかした?」


「今日は真由紀に、大事な話があるんだ」


 そう、僕――柊木隆央は決心してこの道を歩いていた。これまで幾度も、幾度も百瀬真由紀と語らい、時には怒り、笑い合い、そして歩いた散歩道。今は冬の厳しさに葉を落とした、見慣れたイチョウの木が、茜色に照らされている。


 立ち止まるだけの時間はいつでもあった。しかし立ち止まるには、大きな決断と、勇気が必要だった。僕は今日の今日まで、その踏み切りが付かなかったのだ。


 ただ二人で歩くだけなら、足を止める必要はなかった。それでもこうして、歩みを止めたのは、そこから新たな関係に踏み出したいからに他ならない。

 靴底が、乾いた音を地面に擦り付ける。喉を締めるのは、緊張に隠れた恐怖だ。昼間に受けた卒業論文の口頭試問より、ずっと喉がひりひりする。


 僕と真由紀は、いわゆる幼なじみだった。家が隣り合っていたこともあって、ずっと家族ぐるみの付き合いをしてきた。恋人でもない癖に、僕は真由紀の黒子の位置まで知っている。

 ともすれば兄妹――といったら、真由紀は「姉弟だ」と怒るかもしれないが――のような関係が、僕にはもどかしかった。しかし、そのぬるま湯のような関係は、抜け出すにはあまりに温かく、そして心地良かったことも確かだった。


 いつからこのもどかしさを感じ始めたのか、それを実感したのは、中学二年生の頃だ。ちょうど、真由紀に初めて彼氏が出来た時になる。

 相手は教育実習生として、僕らの中学校に来ていた大学生だった。何せ家が隣り同士だったのだ。真由紀と一緒に帰ることも多かった僕は、その度に彼女の惚気話を聞かされた。

 それを聞くうちに、霞掛かった居心地の悪さに戸惑ったものだ。結局、その大学生との関係は半年ほど続いて終わりを告げたのだが、僕はそのたった半年で、真由紀がまるで知らない女の子になったような気がした。


 それから僕は、真由紀を意識するようになった。前まで感じていた家族のような意識ではなく、一人の異性としてだ。

 だが、想像以上にこの幼なじみという関係は厄介なものだった。関係性としてすでに完成されている以上、それを乗り越えることは並大抵ではない。


 恥を晒すようだが、僕はこの大学四回生の冬までに三度、真由紀に告白しようとして出来ずにいた。


 一度目は、中学校の卒業式だ。真由紀とは高校が別になることもあって、僕は焦っていた。卒業式の後で、家に帰っていく同級生を尻目に僕は一人教室に残っていた。

 だが僕は見てしまったのだ。真由紀が同級生の男子(僕は彼とは折り合いが良くなかったので、ここでは名前を伏せる)と、抱き合っているのを。結局、僕は逃げるように家に帰った。

 後で真由紀が「どうして一人で帰っちゃうかな」と怒りに来たのだが、正直どんな話をしたのかすら覚えていない。


 二度目は、高校二年生の頃だ。別々の高校に通っていることもあって、真由紀と会う機会は少なくなっていたが、それでも時々は駅から家までの道程を一緒に歩くことがあった。

 高校生になった真由紀は、幼なじみという贔屓目を抜きにしても綺麗になっていた。彼女の口から出るのは、当時付き合っていたというサラリーマンの話だ。

 僕は真由紀が十も年上の恋人と交際していることに、はっきりいって不快感を覚えていた。しかし高校生と社会人では、まず経済力という決定的な差がある。

 結論から言うと、僕は戦う前に逃げたのだ。「ちゃんと話聞いてる?」と、真由紀は唇を尖らせたが、僕は上の空だったと思う。


 そして三度目は、大学二回生の頃だ。僕と真由紀は同じ大学の、同じ学部に通っていた。そのために僕が相当な努力をしたのは言うまでもない。

 真由紀は当時、サークルの先輩と付き合っていた。僕と違って交友関係の広い真由紀だったから、同じ学部といえど一緒にいることは少なかったが、それでも高校の時よりは頻繁に顔を合わせることがあった。そうなると、必然的に真由紀の情報も耳に入る。

 ある時、真由紀が件の先輩と別れたという噂を耳にした。だから僕は勇気を出して、真由紀を飲みに誘ったのだ。

 これも結果から言うと、失恋に涙する真由紀をただ慰めるばかりで、僕は告白も出来なかった。そうして一か月後には、真由紀には新しい彼氏が出来ていた。


 そして今、僕は四度目の告白を試みている。最後のチャンスだった。真由紀は就職すると、遠く離れた県に行ってしまう。

 僕はそれまでに、真由紀への恋心に決着をつけたかったのだ。そうしなければ、この長い恋煩いはずっと棘のように胸に残り続けるだろうから。

 正直、成就する見込みは少なかった。真由紀は半年前からフリーだが、それでも恋人候補と言えそうな男は何人もいたし、対する僕はこの年まで真由紀以外の女の子の手すら握ったことが無い。

 それでも僕は真由紀と釣り合う男になりたくて、勉強だって頑張ったし、うちの大学では前例の無い大企業への内定も決めた。

 つまるところ、この告白は僕のエゴなのだ。ずっと引きずり続けてきた真由紀への想いを、彼女の手で終わらせて欲しかった。

 自分では片想いさえ殺せない、そんな情けない男が僕だった。


「黙っちゃってさ。何? 悩みでもあるの? なんでも聞いてあげるよ」


 真由紀のからかうような声に、僕は意識を引き戻された。鈍りかけた決心に鞭を打ち、僕は改めて真由紀と向かい合う。


「その、何というか、真剣に聞いて欲しいんだけど」


 今にも吐きそうな程、喉が詰まって動悸が胸を打つ。まるで溺れているみたいだ。呼吸を求めて口がぱくぱくと動く。


「……わかった。真面目に聞く」


 僕のただならぬ様子を見て、真由紀は姿勢を正した。真っ直ぐに彼女の双眸が、僕の瞳を見つめている。おかしな話かもしれないが、僕はその態度に励まされたような気がした。

 痛いほどに空気を吸い込み、僕は秘め続けた言葉を絞り出す。


「僕は、真由紀のことが好きだ。幼なじみの、兄妹のような相手としてではなく、一人の女性として」


 真由紀の丸い瞳が、見開かれる。


「だから、これからは僕の彼女になって欲しい」


 そうして僕にとって一世一代の大勝負は、意外なほどあっさり受け入れられた。


「いいよ」


 流すように告げた真由紀は、見たことのない笑みを浮かべて、僕を見返した。

 五秒前まで高鳴り続けていた鼓動は、そのまま空へ突き抜け、頭を真っ白にしていた。


「いいよって……そんなに軽く?」


「軽いかな? むしろ、待ってました?」


 確かめるように尋ねる僕に、真由紀は後ろ手を組んでからりと答えた。真由紀のすっかり肩まで伸びた髪が、晩冬の夜風に揺られている。大失恋だと言って、半年前にばっさり切った髪だ。毛先には無理して染めた茶色が、まだいくらか残っている。


「虫のいい話かもしれないけれど、ね」


 くすんだような声で、真由紀が呟く。僕はまだ呆気に取られていた。


「やっと、かもね」


「真由紀は……僕を待っていたの?」


 僕の問いに、真由紀は答えなかった。黄昏が真由紀の顔に影を差している。


「なんだか、ちょっと恥ずかしいね」


 俯きがちに、真由紀はぽつりとこぼす。


「そんなの、僕もだ」


 顔が頬っぺただけになったかのように熱い。のぼせ上がるとはまさにこういう状態だろう。


「うーん、そうだ」


 跳ねるように真由紀は僕の隣に来た。


「こうすれば、少しは恋人らしいんじゃない?」


 そうして僕の腕に抱きつき、指と指とを絡めた。真由紀の指は冷たく、抱かれた腕は熱いくらいだった。


「ね、名前を呼んで?」


 いつからか僕の方が頭ひとつ高くなった身長。上目遣いの真由紀と視線が結ばれる。


「真由紀」


「わたしね、“今”が一番幸せかも」


 そうして僕は、真由紀と唇を重ねた。

 日は暮れて、影絵さえも僕たちのくちづけを見落としていた。


 その翌日、真由紀は死体となって発見された。

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