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「ラグナ神父、行ってきます」
穏やかな声が家畜に餌をやる初老の男に挨拶をする。地平線の空をうつしたような薄青色の腰までの髪を一つに束ねた少年が軽く手を振って微笑んだ。村の女子供たちが作った織物と木彫りの民芸品を大きな麻袋に詰めて、街まで売りにゆく使いを言いつかっていた。
「いってらっしゃいイーザ。気をつけて」
手を振り返す男は微笑む。
イーザは彼を見つけたラグナ神父のもとで、この砂漠の村イシタの村人として迎えられていた。あの日以来、彼に角や翼が現れた試しはない。また、彼は自らの名をイーザと名乗った以外は語ろうとしなかった。
神父も無理に聞こうともしなかった。竜族か、と問うこともしなかった。その赤い瞳は紛れもなく竜族のものだが彼自身がそれを知らないかのように無防備だったのだ。
幸いこの砂漠の民はあまり外界の知識には乏しい。そんな瞳の人もいる。その程度にしか気にしはしなかった。
なにせ村長を補佐し、村の子どもたちの教育や村人の相談から薬師の知識から医者ともされる神父が「行き倒れていた旅人を助けた。ゆく宛がないため自らが引き取る」と言えば誰も疑わず、彼を受け入れたし、彼もまたその容姿の良しもあり、村人ともよく接するので自然と輪に溶け込んでいた。
彼の身の上はわからない。彼の言う17という年齢にしては知る知識が幼すぎること以外は何も普通の少年と変わらない。その幼い知識もこの半年で人並みに追いついているように見えた。
荷物を背負う馬とともにまる一日も歩けば少しばかり大きな街ガントスにたどり着く。王都ガインまではまだまだ遠いが、砂漠の境界に作られた街はかつては要塞都市であった。大きな戦がなくなった今、砂漠の公益拠点として賑わう商業都市となっていた。
街についたイーザは砂漠の陽光を避けるときよりも深くフード被る。神父の言いつけだ。自分の目は珍しく人が多いところでは驚かれるから隠すように言われていた。
内側から輝くような赤い瞳を隠して、いつもの品物を買い付けてくれる店に寄る。
砂漠狐の毛皮、織物、小さな工芸品の数々。
そして、神父から預かった小瓶に入った蒼翠の透明な小石。
この小石がいつも一番高く売れた。曰く、ルーレザーと呼ばれる珍しい宝石らしい。
「いつもありがとう、これでまたいい糸を買えます」
袋にずっしりと重く入った硬貨を大事にしまいこみ、楽しみにしていた町見物に出かけた。
大概、お使いついでに数日気が向くまま、仕入れの時間とはべつにゆっくり楽しんでくるようにいいつかっている。他の村人が出たがらない砂漠の往復を請け負う駄賃のようなものだ。用事できていると思えば律儀な彼の性格上、何日も遊ぶということもできずに2日ばかり町を回るだけなのだが。
流れの舞踊隊に拍手が湧くのを聞くだけでも楽しかった。
色とりどりの果物が並ぶ市場を見るのも楽しかった。
何より彼が気に入っていたのは、彫金街。見たこともない色の石をあしらった装飾品や凝った彫刻をみることだった。
ふと、一軒の店に目が止まる。先々月か、自分が売った蒼翠の宝石、ルーレザーを使ったピアスを売っていたのだ。金で装飾されたその石はとてつもなく高額で売られており、驚きを隠せなかった。
しばし立ち止まっていると見せの者らしい男が出てきた。
「珍しいでしょう、その石は普段は貴族が買い占めてしまうからなかなか店頭にはでないんですよ。小さすぎてシンプルなピアスにしかできなかったのでここにありますが。色は抜群…」
穏やかな声で説明を始める男を見上げる。商人にしてはできた体躯、鋭い目をしている…と思った。
「この石、売りに来るんですよ。こんなふうに使われているんだ、って初めて見たもので」
もちろんあまりの高額に、場違いを感じて逃げ腰に応答する。
「売りに?ルーレザーを?」
相手は心底驚いたように目を丸くする。
「この石は普通に山から採れるようなものではないのになんの冗談を」
「冗談なんかじゃ。さっきも買い取ってもらってきたばかりで…」
「さっきも?」
どの店だ?と男は問う。戸惑っていると
「ルーレザーを売るならこちらで直接買い取ろう。その店の倍を出すが?」
あっさりと倍額と言われて更に戸惑う。
「そんな、あれ一つで村の一月の食料くらいの金額に…」
「お前の村はそんなに大きな村なのか?」
「え?」
「お前は一体この石をいくらで売ってるんだ」
男は怒りにも見えるような気迫で荒く問いかけてきた。
「10000………」
答えると男は頭を抱える。
「0が2つ足りない」
足元見られすぎている、と叱られた。
「行くぞ」
男は乱暴にイーザの腕を掴み、買い付け屋に荒々しく歩を進めた。
数分。男にこってり絞られた店主から相応の仕入れ値を受取り、男の店の客室に招かれていた。
「すみません、知識がなくて…これでもたくさんもらったと思ってて。村の人も喜んでましたし…」
「さっき言ったとおり、あの店の倍額でルーレザーは買い取る。うちと取引してほしいね?」
男の灰色の目が狼のように睨む。
「は、はぁ……ありがとうございます…」
「名前は?オレはガイキ。この店の主で彫金師だ。石のこととなると熱くなってしまって悪かった」
「イーザ、です。グルト村でお世話になっているものです」
人前では取るなと言われていたフードをおろす。世話になった人に挨拶をするのに、顔をかくしたままも良くないと思ったし、きれいな店内で汚れたフードマントを身につけているのも礼儀ないと思ったからだ。
赤い瞳で相手を見上げる。
再び男の顔が険しくなった。
「お前…………お前が竜か」
低い声。
「え………」
「赤い瞳は竜族のもの。その瞳からこぼれ落ちるルーレザーより美しい宝石のようじゃないか」
ごくり、とつばを飲んで後ずさる。