子供から親に
アーヤを背負い、右手にバックを持ってヴィヴレットの横を歩く。
今日のアーヤはミルクを飲んでから、ゆっくりと眠っている。
このまま村に着くまで泣かないで欲しい。道中泣かれると、足を止めて泣き止ませないといけない。
ウーベルト村は遠くないが、それでも早く着く方が良い。ヴィヴレットの治療を心待ちにしている人がいるのだから。
「ユージン。アーヤを背負っておるのだ。薬鞄ぐらい、わしが持つぞ?」
「いえ、荷物持ちくらいさせてください。普段、お世話になっているんですから」
言って、軽く笑った。
最近、ヴィヴレットに付いて、村を巡ることが増えてきた。
ヴィヴレットの治療の対価は、ほとんどが食料だ。それを今まで、ヴィヴレットが一人で持っていたのだ。
そこまで量は多くないが、荷物が増えれば大変になることは間違いない。
そんな負担を少しでも減らしたい。その思いがあってのことだ。
いや、それだけではない。
荷物持ちは建前だ。本音は、魔法を使うヴィヴレットを見たいからだ。
優しく笑い、苦しむ人を治癒するヴィヴレットの顔を見ると、心が安らぐ。
普段見せる笑顔とはまた違う、慈しみを感じる微笑みをしている。
僕が見ることのない顔。それが見れるから行く。
これも不純な動機だ。ノルドの所に行くのも、少しでも自分が楽になりたいとの思いからだ。
僕は自己中心的な人間なのだろうか?
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ」
「む、アーヤが泣きそうじゃぞ? 少し、休むか?」
ヴィヴレットの言葉に首を横に振った。
「いえ、このまま行きましょう。多分、構って欲しいだけだと思います」
「そうか? ならば、もう少し歩くとするかのう」
一度、止めかけた足を進める。
背中ではアーヤがしきりに手足を動かし、体をよじっている。
「はいはい。もう少し我慢して。良い子だからね」
「うっ、うっ、うっ……びぃえ~~~~~!」
完全に泣き出してしまった。
こうなってはあやさないと泣き止まないだろう。
「ヴィヴレットさん、すみません」
「良い、休むとしよう」
「ありがとうございます」
手にした荷物を下ろして、肩に掛けていた紐を緩めて、アーヤを腕の中に抱く。
顔を涙で濡らして、大きな声で泣いている。その顔を見て、感情が歪んだ。
泣けば相手にされるなんて、アーヤは卑怯だ。
僕が泣いても、父親だからの一言で片づけられるに違いない。
大体、父親になったのも成り行きだ。勝手に子供を作られて、押し付けられて。そう、成り行きで父親になっただけだ。
僕は父親でも何でもない。ただの高校生だ。
「ユージン? どうかしたのか? アーヤが泣いておるぞ?」
ヴィヴレットの言葉で、目が覚めた。
首を振って、作り笑いを浮かべる。
「すみません、ちょっとぼーっとしてました。はい、アーヤ、ごめんねぇ」
アーヤを抱っこして、体を揺らす。
ゆりかごのような揺れが好みで、機嫌が悪いのもこれをすると大体良くなる。
今回も例に漏れず、機嫌が良くなってきたのか、心地よさそうにしている。
「うむ、流石は父親だのう。あやすのが上手い」
「そうですか? ヴィヴレットさんも、お上手じゃないですか」
「いや、そんなことはないぞ。本当に満足している顔をしておるのは、お主があやした時ぐらいじゃ」
「そう……ですか」
ヴィヴレットの言葉に返す言葉が見つからなかった。
僕が父親。その言葉は、僕の心を更に押しつぶそうとする。
ただの子供の僕には重い。重いのだ。
・ ・ ・
「おぉ、ユージン、よく来たなぁ」
ウーベルト村に到着すると、ノルドが歓待してくれた。
ヴィヴレットは村の中を回って、不調そうな人達の治療を行いに向かった。
普段であれば荷物を持って、ヴィヴレットの後ろを付いて回るが、今日は止めにさせてもらった。
少しでも早く、アーヤという重荷から解放されたかったから。
ノルドの家は木造りの一階建てで、妻と子の三人暮らしだ。
村々の家は、石造りだったら木造だったりの家が見えるが、どれも洋風の建築である。
ゲームで見るような、中世のヨーロッパを彷彿させられた。
ノルドに連れられて、家の中に入る。
「ユージン君、いらっしゃい」
「あ、ユージン兄ちゃんだ! いらっしゃ~い」
ノルドの妻と息子が、僕の姿を見ると近づいてきた。
「こんにちは。いつもお世話になって、すみません」
「気にすんなって。息子の命の恩人なんだからよ。腹、減ってるだろ? 飯にしようぜ」
ノルドの提案に頷く。
背負っていたアーヤを下ろすと、ノルドの息子が近づてきた。
「兄ちゃん、アーヤちゃん、抱っこしていい?」
心の中の僕がにやりと笑った。
待ったいた時が到来したのだ。抱っこしていたアーヤを差し出すと、ノルドの息子は嬉々として抱っこした。
「かわいいねぇ~、アーヤちゃん。ね、ママ?」
「そうねぇ。大人になるのが楽しみね。ユージン君に似て、優しくて良い子に育つでしょうねぇ」
ノルドの妻の言葉が胸にチクリと刺さった。
僕は優しくなんてない。現に、今の状況にほっとしていたのだから。
今度はノルドの妻がアーヤを抱っこした。
優しく声を掛けており、アーヤも安心そうに寝ている。
その姿に、思わず嫉妬してしまった。
アーヤは別に僕じゃなくても良いんだ。
あやすのが上手な人なら、誰でも良いんじゃないか?
益々、僕が父親である必要性が感じられなくなった。
「ユージン? おい、ユージン?」
「あ、はい。すみません」
「ぼーっとしていたが、疲れているのか? じゃあ、今日は早くに食事にしよう」
「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えます」
僕は捻くれてしまったのだろうか。
アーヤという重石が僕を曲げてしまったのか。
いや、そもそも、僕は曲がっていたのかもしれない。
そうでなければ、こんな情けなくて卑怯な自分を受け入れることができなかった。
・ ・ ・
ノルドの息子の部屋に布団を敷いてもらい、眠りに入っていた。
久しぶりにアーヤから解放されての眠りだ。恋しかった静けさに包まれていると、耳に微かな音が届いた。
アーヤの泣き声だ。
今、アーヤはノルド夫妻の部屋にいる。
面倒はノルドの妻が見てくれるに違いない。耳を澄ませて、事の次第を聞く。
小さな泣き声と共に、ノルドの妻の声が聞こえた。
「あら、起きちゃったの? 怖い夢でも見ちゃった? 抱っこしてあげるからねぇ」
落ち着いた優しい声だった。これが親なのだろう。偽物の親とは大違いだ。
子守歌が聞こえる。その声から慈愛を感じた。益々、僕との違いを知らしめられた。
悔しさがこみ上げてきた。顔を苦くしていると、聞こえる声が大きくなった。
アーヤの泣き声がどんどん大きくなってきている。
どうして泣くのだろう? おそらく抱っこされているだろう。子守歌まで歌ってもらっている。
これ以上ない程、優しくしてもらっている。なのに、泣くなんて。
ドアをゆっくりと開けて、ノルド夫妻の部屋の前に立つ。
ドアの隙間から光が漏れていたので、目を近づけて中を見る。
ノルドの妻がアーヤを抱っこしている姿が、そこにはあった。
「どうしたの? まだ怖いの? 遊んで欲しいの? お腹が減ったの?」
少し困り顔していた。
意外だった。子供を育てたことがある人が、困惑するなんて。
アーヤの泣き声に耳を傾ける。
誰かに呼び掛けるように、泣いている。不満を訴えるのとは、どこか違う。
誰を探しているんだ? 誰を求めているんだ?
ノルドの妻が必死にアーヤをあやしている。
違う。そうじゃない。アーヤが好きなのは、優しく体を揺らすことだ。大丈夫と声を掛けることだ。
何で、僕はそんなことを知っている?
アーヤのことが分かっているのか、僕は。
僕は親なんかじゃない。なのに、アーヤの気持ちが伝わってくる。
親を、僕を呼んでいる。求めている。
こんな卑怯で小さな僕を呼んでいる。僕なんかより、よっぽど優しい人に抱かれながらも、僕を呼んでいる。
何でだ。僕を必要とするなんて。
アーヤが更に声を上げて泣いた。
何で僕なんだ? 僕から出来たからか? 成り行きで父親になった僕に何を求めて。
分からない。僕には分からない。でも、アーヤは求めている。僕という存在を。
僕はどうしたら良い。
もう疲れたんだ。僕に子育ては無理だ。子供なんて育てられっこない。
また逃げようとした時、ふと疑問が浮かんだ。
じゃあ、いつ親になれるんだ?
親ってなんだ? どうやったらなれるんだ? 歳をとったらなれるのか?
現実から逃げようとしている僕は、人の親になれるのか?
目の前にいるアーヤを捨てて、僕は親になれるのだろうか。
おそらく、なれないだろう。一度、逃げてしまえば、また逃げてしまうだろう。
何かと理由をつけて逃げる。
そう、ここで逃げてしまえば、僕は親になる機会を失ってしまう。
誰もが親になる時は初心者だ。初めての経験に悪戦苦闘して、親になっていく。
まさに僕は今、親になるスタートラインに立っている。
親になる覚悟なんてない。そう思う人もいるに違いない。
でも、全員スタートは一緒なのだ。あとはどう進むか。走るのも、歩くのも良い。遠回りも良いかもしれない。
ただ、必ず前に進まなければならない。親になるためには、子供の自分から遠ざかって行くことが必要なのだから。
僕はまだ子供だ。でも、いつまでも子供でいてはいけない。
いつかは訪れるだろう、親という立場。そこに向かうのは、今でも良いんじゃないだろうか。
僕を求めるアーヤと向き合うことで、子供から卒業し、僕は親になることができる。
それなら、僕はここにいてはいけない。
このドアを開けることが、親になるための第一歩なのだ。
ドアをノックする。
「ユージンです。あの、入っていいでしょうか?」
ノルドの妻が了承したので、中に入る。
アーヤは変わらず泣いていた。
「アーヤを預かります。ご面倒をお掛けして、すみません」
アーヤを受け取って、泣き顔を見つめる。
不思議と苛立ちを覚えなかった。僕を必要として泣いている。それが今なら分かる。
泣くのはただ不満を訴えているだけではない。親を、僕と一緒にいたいと思って泣いているのだ。
今なら、そう思える。
だから。
「アーヤ、パパはここにいるよ。大丈夫、大丈夫だよ。パパはここに……」
アーヤの体を優しく包んで、温もりを与える。
親が傍にいる。安心して眠ることができるように、何度も僕は自分のことをパパと呼び続けた。
アーヤに僕が親であることを伝えるように。そして、僕が子供という立場から、離れて行くために。
この夜、僕はアーヤを育てる決意を。そして、親になる覚悟を決めた。