対決スライム
スライムの体から、生々しい音とともに緑色の液体が噴射された。
咄嗟に飛び退く。液体をすんでのところで避けることができた。体に嫌な汗が吹き出したとき、悲鳴が聞こえた。
「くっそ! やられた!」
ノルドの声だ。振り向くと、ノルドの右腕に緑色の液体がべっとりと掛かっていた。
「ノルドさん!」
「大丈夫だ。死ぬものじゃない。だが……」
ノルドが眉間にシワを寄せた。粘ついた手で腰に差していた棍棒を掴んだ。だが、手が滑って握ることができなかった。
「まずい、武器が持てない」
「えぇっ!? ど、どうするんですか!? 僕、戦うなんて」
「一体くらいなら、戦える」
ノルドのたくましい言葉に、胸を撫で下ろした。ゲームと同じように、あまり強い敵ではないのだろう。ノルドの戦いを見守ろうとしたとき、草むらが揺れた。
勢いよく飛び出てきたのは、スライムだった。
「ぎゃー! スライムがぁ!」
盛大な悲鳴を上げた。気持ちが悪いスライムが、地面をゆっくりと近づいてくる。
「くっ! 二体めとは。ここらは、スライムの縄張りだったのか!?」
「ど、どうするんですか!? 二体でも勝てますか!?」
ノルドが歯を食い縛ったのが分かった。難しいということだ。囲まれて、あの液体を浴びてしまえば、戦うどころか逃げることすら危ういかもしれない。
新たに現れたスライムがじわりと僕達の後方に回った。スライムに挟まれてしまった。恐怖が体を包む。怯んでしまい、上ずった声を上げる。
「ど、どうしますか!? に、逃げますか?」
「逃げるわけにはいかない! 何とかする!」
「何とかって……」
この状況で、何とかするなんて。逃げるしかない。
下手をしたら死ぬかもしれないのだ。何とか説得しよう。
他の場所にもワイルドピーチはあるかもしれないのだから。
ノルドに声を掛けようとしたとき、息を飲んだ。
顔を歪めている。苦渋に満ちた顔で、瞳を滲ませていた。
「絶対に何とかする! だから、諦めないでくれ!」
「ノルドさん……」
僕に掛けた言葉は、おそらく自分に。そして、熱で苦しむ息子のための言葉だろう。
僕だって助ける事ができるなら、助けたい。何とかできるなら諦めたくない。
でも、でも。
抗う気持ちが出てこず、目を伏せた時、背負っていたアーヤが身じろぎをした。
「うぅ、あ~う~」
アーヤが僕の肩を何度も叩く。何かを伝えようとしているのか、何度も何度も叩く。
「う、う~。ぶ~」
「アーヤ?」
僕の背中にある小さな命から、熱い思いが伝わってきたような気がした。
僕を励ましてくれているの? 僕を応援しているの? 僕に戦えっていうの?
言葉ではない何かが、僕の胸の中を熱くしてくれた。
恐い、逃げたい。その思いはまだある。
でも、それ以上に熱い思いが沸きたってきた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
出せる限りの声を出して、スライムに向かって駆け出す。
「このぉぉぉぉ!」
スライム目掛けて、蹴りを放つ。
蹴りはスライムにめり込むと、サッカーボールのように飛んでいった。
「やった……。やったぁ!」
ガッツポーズを取って、全力で喜びを表現した。
これで恐怖は。
「しまった! もう一体!?」
振り替えると、ノルドがスライムを蹴飛ばす瞬間が見えた。
あれ? 意外に弱い?
「ノルドさん、やりましたね。勝てて良かった」
「いや、撃退はしたが倒してはいない。あいつらを素手で倒すのは難しい」
「そ、そうなんですか!? じゃあ、早くワイルドピーチを」
「分かっている。すぐに持っていこう」
ノルドか木に登って、ワイルドピーチの実を千切って下りてきた。これで材料は揃った。早く村に行こう。
「ノルドさん、早く帰りましょう」
「あぁ、そうしよう! ん? やべっ! スライムだ!」
「えぇっ!? もうやだ~!」
ノルドと共に脱兎のごとく、森を駆けた。
・ ・ ・
ウーベルト村に到着すると、すぐにノルドの家へと向かった。
ベッドに横たわっているノルドの息子はまだ小学生低学年ぐらいだ。そんな子が、顔を苦痛に歪めている。
持ってきた材料で解熱作用を持つのは、トカゲの干物のような物で、サラマンドラモドキであった。これを粉々にすり潰して飲ませる。
鎮痛作用のある薬は、乾燥させたシーガという花の根っ子と、小さくて赤いコロの実を粉末して、そこにワイルドピーチの果汁を混ぜる。
これらをお湯に解いて飲ませるのだ。
容量と用法も『薬物大全』に載っていた通りなので、間違いはないだろう。
ノルドが息子に作った薬をゆっくりと飲ませる。
苦いのか、顔を渋くさせながらも、しっかりと飲んでいく。
飲まし終えると、ノルド夫婦と僕は静かに見守る。
不安に押しつぶされそうな時間が続いた。
時間が経つにつれて、荒い呼吸が段々と静かになっていき、穏やかな寝息を立てている。
ノルドが息子の額に手を置くと、顔をほころばした。
「熱が引いている」
その一言で、腰が抜けてしまった。
助けることができたのだ。不安から解放されたためか、堪えていた感情がこみ上げてきた。
涙が視界を滲め、嗚咽が口から漏れそうになった。
「ありがとう! あんたのお陰だ! 本当にありがとう!」
「ありがとうございます! 息子を助けていただき、本当にありがとうございます!」
ノルド夫妻の感謝の声が、僕の感情を更に高ぶらせる。
留めていた涙は流れ、口から声を上げて泣く。
「よっ、よがっだでず! ほ、ほんどうによがっだでずぅ! ほんどうにぃ!」
抑えるものなどなく、むき出しの感情をそのまま口から吐きだし続けた。
これが喜びの涙なのだろうか。それならば、もっと出しても良い。思いの限り涙しよう。
優しい笑みなら、涙が枯れてからでも遅くはないから。
・ ・ ・
ノルドの家で一夜を過ごして、ノルドに送られてヴィヴレットの家に帰ってきた。
まだ、ヴィヴレットは帰ってきていないようだ。
掃除をしようとしていたところだったので、改めて掃除用具を手にして三階に上がった。
昨日は本当に色々あった。
恐怖して、戦って、人を助けて、大声を出して泣いた。
そして、最後に笑った。心からの笑顔だった。
他人のために動く。
簡単のように思えて、実は大変なことだと実感した。
ヴィヴレットは近隣の村々を回って、人助けをしていると聞いている。
きっと僕が体験した以上に大変な思いがあったに違いない。
それでも他人のために頑張り続けるヴィヴレットは、本当に慈悲深い人だ。
部屋は汚いけど、尊敬に値する人だと思った。
ヴィヴレットの部屋に入って、腕組みをする。
どこから手を付けたら良いものか。
思案をしていると、一つの白い布で目が止まった。
パンツだ。
あれを、どう片づけたものだろうか。
洗濯したものなのだろうか。それとも使った物をそのまま置いているのだろうか。
悩んでも仕方がない。洗濯物の一つとして処理してしまおう。
パンツを手にした時。
「掃除中であったか。感心感心」
「えっ!?」
背中から声を掛けてきたのは、ヴィヴレットであった。
僕に向いていた目が、僕の右手に向く。
ヴィヴレットの表情が、歪な笑みに染まった。
「ほぉ~。やはり、わしに欲情しておったか。怖い怖い。このような奴と一つ屋根の下で過ごしたなど、思い出すだけで震えが来るわ」
「ち、違います! これは、そこに落ちていて!」
「下着をわしが放置する訳ないじゃろうが。とんだ言いがかりじゃな」
「あなたも、とんだ言いがかりですよ!」
絶対にからかっているヴィヴレットに必死に言い訳を続ける。
昨日経験した大変さとはまた違った大変なことに、心がやつれていくのを感じた。