一時の別れ
ヴィヴレットが息を力なく吐くと、僕に目を向けた。
「わしの命は、それほど長くはない。もう百を優に超えておるのだ、いつ死んでもおかしくない。十分に生きた。満足して死ねるじゃろう。そう思うておった。お主に出会うまでは」
遠い目をしているヴィヴレットに返す言葉はない。
「お主とアーヤと暮らしていく内に、わしはお主の優しさに惹かれていった。魔法を学びたいと言ったのを止めたのは、お主が離れるかもしれぬと思うたからじゃ……。それが、わしのためじゃったと気づいたのは、しばらくしてじゃな」
弱弱しい笑みが、心を締め付けてきた。
「あの穏やかな日々が続けば良いと思うておった。じゃが、学長に断りに行ったあの日、王都で葬儀を見た時に知ったのじゃ、わしはお主より間違いなく早く死ぬ。お主とアーヤを残して、わしは死んでいく。そう思うた時、震えが止まらなくなった。そして、思ったのじゃ。お主から離れようと」
「だから、あの時」
「ああ。教授になったのは、お主から逃げるためじゃった。お主から離れなければ、わしは自分の気持ちが止められなくなる。なさけない話じゃな」
かすれた声で笑うと、僕を見つめた。
「あの時は辛かった。まさか、お主が追いかけてくるとは思わなんだからな。何度、折れそうになったことか。何度、お主の愛に応えようと思ったことか。それでも、何とかお主から距離を置くことができた。家族としての繋がりが残ったことは誤算であったが、今ではそれで良かったと思うておる」
「僕は……。ヴィヴレットさんが先に逝くことになっても」
「わしが嫌じゃった。お主が泣く姿を想像したくなかった。……お主に辛い思いをさせて、すまなかった」
「あ、謝らないでください。そんな風に思ってもらえていたことが、とても嬉しいんです。だから」
「そう思うてくれて、わしも嬉しいわい。ふふっ、やっと言えたわ。言う機会がないまま、逝ってしまうかと思うておったからのぉ」
「そんな……」
これが最後のような言い方をしないでください。
そう言おうと思った。だが、口から出なかった。多分、僕も理解しているのだ。ヴィヴレットの命の火が消えようとしているのを。
「ユージン、頼みがある。聞いてくれるか?」
「……はい。何でも聞きます」
「わしのことをヴィヴと呼んでくれぬか?」
「え?」
「わしがまだ子供の頃に恋した男の子から、そう呼ばれていたのじゃ。そう呼ばれるのが、わしは大好きなのじゃ」
「はい。……ヴィヴ、僕はあなたのことを」
あの日、消えてしまった恋の火が燃え上がるのを感じた。
口にしないままでいるなんて、できない。僕は、かつての自分が抱いた思い。そして、今こみ上げてきた思いを伝える。
「愛しています。ヴィヴ、一緒にいて欲しいです。頼りない僕ですけど、同じ時を歩んで欲しいです」
「わしもじゃ、愛しておるぞ。あぁ、あの月夜の続きのようじゃ。お主がやっと一人前になって、わしに思いを伝えてくれた。ユージン、もう一つ、頼みがある」
「言ってください、ヴィヴのためなら何でもします」
「わしを抱きしめて欲しい」
僕の目をじっと見据えている。拒む理由がない。優しく背中に手を回し、体を起こす。
そのまま、ヴィヴレットの体をきゅっと抱きしめる。
「心地よい。好きな男に抱きしめられるとは良いのぉ。幸福に心が満たされるわい」
「はい、僕もです。ずっとこのままいたいと思います」
「そうじゃのぉ。このまま、語り明かしたい。ユージン、お主に聞きたい」
「今日はお願いが多いですね。どうぞ、聞いてください」
「お主は何者じゃ?」
ヴィヴレットの言葉に一瞬言葉を失った。初めて会った、あの日から、深く詮索してくることはなかった。
怖くて伝えることができなかった。ヴィヴレットとの関係が壊れることを恐れて、ずっと言えなかった。でも、今だからこそ。
「僕は……。別の世界の人間です。前の世界で僕は死んだんです。そして、この世界の女神に呼ばれました。そこで、僕はアーヤを渡されたんです。勇者として作られたアーヤを育てるために、地上に落とされました」
「別の世界? それは興味深いのぉ。それに女神……か。ならば、その女神に礼を言わねばな」
「え?」
「お主を呼んだことにじゃ。女神がおらねば、お主と出会えなかった」
「じゃあ、僕もお礼を言わないと。ヴィヴと出会えたんですから。一緒にお礼を言いに行きましょう」
「そうじゃな。二人一緒にな」
ふふっと、小さく笑うと、ヴィヴレットが僕の体に更に密着した。
「のう? 生まれ変わりを信じるか?」
「生まれ変わりですか? 信じてますよ」
「そうか。わしはあまり信じておらんかった。じゃが、今は信じようと思う。もう一度、生まれて、お主と結ばれたいのじゃ」
「ヴィヴ……。僕もです。次はどんな出会いが良いでしょうか? また、モンスターに襲われましょうか?」
「情けないことを言うな。じゃが、今度もわしが探しに行こうかのぉ。お主は鈍感じゃから、放ったままでは心配じゃ」
二人して笑う。
でも、もし、生まれ変わったなら、僕からも探しに行こう。どんなに離れようとも、見つけてみせる。次こそは一緒に。
ヴィヴレットが体に力を入れて、僕から少し離れたので、回した手を緩める。
血色の悪い顔だが、どこか清々しい。伝えたいことを伝えたからだろうか。もしくは、死を受け入れたからか。
「お主はアーヤのために、戦おうとしているのじゃな?」
「はい」
「ならば、ムンドルグを受け取れ。話はついておる。お主にならば、力を貸すと言うてくれたわ」
「ありがとうございます。絶対にアーヤを守ってみせます。ヴィヴが残してくれた力で」
「頼む。アーヤはわしの子でもあるのじゃ。必ず助けてやってくれ」
ヴィヴレットが掌を僕に近づけて来たので、その手に僕の手を合わせた。
僕の中に暖かい何かが流れ込んできた。これがムンドルグの力。生命力が僕に満ちていくのを感じた。
ここで、気づいた。ムンドルグがヴィヴレットから離れてしまえば、その力が。
「ヴィヴ!?」
「ふっ……。そろそろ、別れの時じゃ。ユージン、最後にキスを……いや、もうしたから良い」
「えっ?」
僕の顔を見て、ヴィヴレットが小さく笑った。
「実はのぉ、初めての誕生日会の時に、寝ているお主から唇を奪っておいたのじゃ。もしや、お主の初めてだったかのぉ?」
「初めてですよ。でも、初めてで嬉しいです。ヴィヴ……」
「ユージン、また会おう……」
「はい、また会いましょう」
ヴィヴレットは力なく、僕にもたれ掛かった。温もりが失せていくのが分かる。
魂が体から離れ、天に行ったのだ。ヴィヴレットの亡骸を撫でて、そっとベッドに横たわらせた。
満ち足りた表情のヴィヴレットを見て、最高な別れを迎えることができたことを知った。
この別れは一時的なものだ。きっと、いや、絶対、この続きがある。だから、悲しまない。崩れそうな表情を引き締めて、病室を出た。
・ ・ ・
ヴィヴレットの葬儀はしめやかに行われた。
多くの参列者がいたことから、ヴィヴレットの人柄の良さを知った。
墓標に別れを告げていく人々と言葉を交わしていく。どれほどの時間が経っただろうか。
参列者もいなくなり、残ったのは僕達家族だけだった。
「ユーたん、帰ろうか?」
そうしよう。お墓から立ち去ろうと思った時、アーヤが声を上げた。
「パパ、もうちょっとだけいない? ママ、シオン、ちょっとの間、二人にしてもらえる?」
「分かった。あまり遅くならないようにな」
「うん。じゃあね」
去って行くセシル達の背中を呆けて見ていると、アーヤが僕の隣に並んだ。
「思い出したことがあるんだ。パパとママの結婚式の時、ばぁば泣いてたの。とても悲しそうに、辛そうに。きっとパパのことが大好きだったんだね。だから、苦しかったんだと思う。パパはばぁばのこと、好きだった?」
「そうだねぇ。……内緒かな?」
「えっ? 何それ?」
「僕とヴィヴレットさんの二人だけの話だからね。教えてあげな~い」
「も~う、良いじゃん。教えてよ~?」
可愛らしい顔で頬を膨らませたアーヤを見て笑う。
ヴィヴレットに見せるのは暗い顔じゃない。僕達の笑顔だと思う。だって、僕ならそう思うから。
さようなら。また、会いましょう。次に会える日を楽しみにしてます。
だから、僕は寂しくないです。安心して、僕達を見守ってください。きっと最高のエンディングが見れますから。
僕達家族が平穏な日々を送り老いていく。そんなありきたりなハッピーエンドを。
そして、そんな日々をヴィヴと過ごすことを約束します。だから、今は。
「さようなら、ヴィヴ」




