迫る時
うららかな日差しの下、アーヤとシオンが庭で剣の稽古に励んでいた。
アーヤの細剣による的確な突きを、シオンは何とか凌いでいた。
ナイフで剣の切っ先を逸らし、踏み込んでアーヤの懐にもぐろうとした。
だが、その前にアーヤは後ろに飛んでおり、引き戻した剣をシオンの首筋にピタリと当てた。
「はい、終了。まだまだだねぇ」
「負けた~。お姉ちゃん、強すぎだよ。少しは手加減してくれても」
「それじゃ、稽古にならないでしょ? はい、今日のお手伝いはシオンの番だからね」
「う~。分かったぁ」
不貞腐れてシオンが家に入って行く。今日のセシルの買い出しに付き合うのはシオンになったようだ。
ひと汗かいたアーヤが僕の存在に気付いた。
「パパ、どう? パパもやる?」
「い、いやだよ。勝てっこないし」
「もう、そんなんだから、ママのお尻に敷かれているんだよ?」
「それが夫婦円満のコツなの。そうだ。今度、学校が休みの時、ヴィヴレットさんの所に行かない? 最近、会えてないでしょ?」
「あ、良いね。じゃあ、クッキー焼いて行こ。パパ、忘れないでよね?」
「分かってるよ。稽古も程々にね」
診療室に引っ込んで魔法の本を読む。
高位な魔法をいくつか習得はしたが、使いこなすまでに至っていない。余裕があれば使えるが、戦闘中にそんな時間はないかもしれない。
こればかりは練習あるのみ。いかに魔法のイメージを早く、そして正確にできるか。魔法の基本に今一度立ち返る。
いつ、アーヤの覚醒の日が訪れるのであろうか。まだ、十五歳の少女だ。できれば、しばらくは来てほしくない。いや、一生来ないことを祈っている。
だが、ヴァベルの口ぶりから、その日が訪れるのは間違いないと思われる。
その日に何が起きるのか。考えても仕方がない。僕は僕にできることをするのだから。
・ ・ ・
アーヤの作るクッキーの香ばしい匂いが漂ってきた。
鼻を鳴らしていると、ドアを開けて入ってきた者がいた。
ユーグリットとライカであった。
「あれ? 二人共、どうしたの? 喧嘩するなら追い出すよ?」
「私は喧嘩をするつもりはありません。こいつがそもそも」
ユーグリットがライカを指さす。
「何っ!? 貴様が姫様の周りをちょろちょろするからだ! 姫様に手を出すような輩は拙者が成敗してくれる」
「お前が一番恐ろしいと言っているだろう! このストーカー男め!」
「何を!? ストーカーではない! 愛に殉じようとする忠臣だ!」
「一番、汚らわしい存在だ! 今日こそ、決着」
ユーグリットが口をつぐんだ。二人が硬直した首を回して僕を見た。
もう、杖に魔力は行き渡っている。あとは魔法を放つだけだ。にこやかに笑う。
「二人共、出てってもらって良いかなぁ?」
杖の先端に風が集まり、そこだけ捻じれて見える。
「お、お待ちください。おい、お前、謝れ?」
「何で、拙者が? あ、御屋形様、お待ちください。何卒、おやめください」
仕方がない。杖を引こう。二人はあからさまに胸を撫で下ろした。
「で? 二人共、何しに来たの?」
「実は、お茶をいただいたのです。アーヤちゃんが好きな銘柄だったので」
「それは喜ぶと思うよ。で? ライカくんは?」
プレゼント攻勢を仕掛けてきたユーグリットに対して、ライカが何をしようとしているのか。
少し楽しみになってきた。変なことをしたら即追い出してやろう。
「拙者はシオンに渡したいものがありまして」
「シオンに?」
ライカが懐から布で包まれた何かを取り出した。
受け取って布を剥ぐと、二本の短刀がそこにはあった。
「これって?」
「拙者が国元を離れる時に持ってきた物でございます。拙者の得物は槍でございますから、折角ならばシオンに使わせてやろうと」
「ありがとう。シオンも喜ぶと思うよ」
シオンとライカの関係性は悪いものではない。
アーヤをお姉ちゃんと慕い助けたいシオンと、姫とあがめ守ろうとするライカはある点では交わっている。
共通の目的があるため、二人で度々稽古をする姿を目にしていた。
「シオンも腕を上げてきましたから、変な輩から姫様の身を守ってくれるに違いないでしょう。特に横にいるようなヤツから」
「お前~」
「はいはい、そこまで。んじゃ、二人にプレゼントしようか」
アーヤとシオンを呼んで二人にプレゼントを渡す。歓喜の声を上げる二人を見て、ユーグリット達も微笑んでいる。
こんな日々が続けば良いのに。切実に願ってしまう。
・ ・ ・
アーヤが焼いたクッキーと、ユーグリットから貰ったお茶っ葉を持って、ヴィヴレットの教授室の訪れていた。
ドアをノックするが、反応がない。まだ、帰ってきていないのか。とりあえず、中で待たせてもらおう。
ドアを開けると、ソファに横たわるヴィヴレットが見えた。お昼寝中か? アーヤと目配せして、そっと近づく。
「わっ!」
アーヤがヴィヴレットの背後から声を掛けた。
だが、ヴィヴレットは驚いて起きることはなかった。おかしい。そんなに深く寝ているのか?
顔をのぞき見ると、血の気が引いた。
ヴィヴレットが歯を食いしばり、顔を真っ青にしていたのだ。
「アーヤ! 人を呼んで来て! 早く! ヴィヴレットさん! 大丈夫ですか!? 魔法を使いますから、安心してくださいね!」
杖先に魔力を集中させ、癒しの光をイメージする。
「メディクル!」
淡い緑の光がヴィヴレットを包む。これでどうだ? ヴィヴレットの顔色を見るが、まだ血色が悪いままだ。
「くっ。メディクル!」
まだ、顔色が悪い。
「メディクル! メディクル!」
何度も唱える。魔法が効かないなら、病気だ。そうに違いない。病気なら病院に行けば治る。それまでは、僕が体力を回復させ続ける。
少しでも痛みを緩和させるため、魔法を唱え続けた。きっと、良くなる。そう自分に言い聞かせながら。
・ ・ ・
個室の病室のベッドで横たわるヴィヴレットの傍にある椅子に座って、様態を見ていた。
医者の話によれば、今は落ち着いているとのことだが、これから先はどうなるか分からないと言う。
だが、ヴィヴレットは霊樹王ムンドルグと契約をしているから、多分大丈夫だ。生命力に満ちたムンドルグなら、こんな病気。
「こ、ここは……?」
か細い声に伏せた顔を上げた。
「ヴィヴレットさん!?」
「ばぁば!?」
ヴィヴレットは焦点があっていないようで、虚空を見ている。
「そうか。わしは……」
「あまり無理しないでください。ゆっくり休めば、元気になりますから」
「そうじゃのぉ……。いや、今、話しておきたいことがある。ユージン、席を外してくれぬか?」
「え? ……分かりました」
席を立って、病室の外にある長椅子に腰かける。
一体、何を話そうというのだろうか。あまり無理はしてほしくない。疲れ切ったヴィヴレットの顔を思い出すと、心が締め付けられた。
どれだけ経ったのだろうか。ひたすらヴィヴレットの回復を祈っていると、肩に何かが触れた。
見れば、アーヤが僕の肩に手を置いていた。
「パパ、ばぁばが呼んでるよ……」
アーヤの顔を見て、僕の心が更に曇って行った。
辛そうに顔を歪めており、唇をきつく結んでいる。
地に足がつかない感覚で、ヴィヴレットのいる病室に入った。
「ユージン、近くに来てくれるかの?」
「はい……」
ベッドの傍の椅子に腰かける。まだ、どこか遠くを見ている瞳をしている。
何と声を掛けたら良いのか。元気づける言葉を。どんな言葉で元気づけられる?
ヴィヴレットの心を癒すような言葉を言わないと。
「わしはのぉ、お主のこと愛しておる。家族としてではない。女としてじゃ……」
「えっ? 何を言っているんですか?」
「わしはあの日、恐怖したのじゃ。お主よりも早く死ぬことに。じゃから、お主を突き放したのじゃ。愛していたのに……」




