悲劇の子
マッサージを終え、ヴィヴレットの淹れてくれたお茶を飲んでいた。
「今日も魔法の特訓に付き合ってもらって、ありがとうございます」
「何度も言わせるな。気にするでない。強くなりたいのじゃろう? ならば、好きなだけ付きおうてやるわ」
ヴィヴレットに魔法の特訓をお願いして、一年が過ぎようとしていた。
ヴァベルと戦うために強くなる。その決意でヴィヴレットに特訓のお願いをしたところ、深く聞くことなく快諾してくれた。
僕としては、それがありがたかった。あまり言って良い事ではないのだから。
あの日から、診療時間以外は魔法の勉強と、魔王達について調べている。
魔王は自分の下に『アヴィス・バレット』と呼ばれる十の兵団を率いており、その者達と人間は戦争をしている。
魔王の存在はおよそ百年前に確認された。モンスターはその前から存在しており、モンスター達を部族としてまとめ上げた者達を、魔王が倒して従えた。それが『アヴィス・バレット』だ。
細かなことは知ることはできなかったが、調べ上げた中では、強大な力を持つ者は、魔王と『アヴィス・バレット』ぐらいで、ヴァベルについては、どの本にも記述なかった。
一体、あの男は何者なのか。気にはなるが、調べて分からないなら仕方がない。戦うべき存在とだけ認識していればいい。
お茶を飲んでいたヴィヴレットが、僕をしげしげと眺めていた。
「な、何ですか?」
「ふむ。精悍な顔つきになってきたのぉ。人間、いくつになっても成長していくものじゃな」
「ありがとうございます。僕、強くなってますよね?」
「うむ。間違いなくな。とはいっても、飛びぬけて優秀という訳ではないぞ? そこそこできる魔法使い、と言ったところじゃ」
「うっ……。精進します」
正直、自分でも分かっていた。天才でもなければ、秀才でもない。僕の長所と言えば、魔力の保有量と回復量が多いだけ。それ以外は、至って平凡だ。
それでも強くなりたい。少しでも強くなって、アーヤを守りたい。ただ、それだけのために、特訓を続けている。
お陰で、上級の魔法の取得が見えてきた。ヴィヴレットによれば、無理に高度な魔法を使うよりは、慣れ親しんだ魔法を効率よく使う方が強いとは言っていたが。
とはいえ、強い魔法を覚えることは悪い事ではない。できれば、高度な魔法を効率よく使えるようになりたいのだが、それは先走り過ぎか。
「お主も精霊と契約ができれば、更に強くはなれるのじゃろうがな」
「ヴィヴレットさんの霊樹王みたいなものですか?」
「まあ、そうじゃな。ただ、霊樹王は神に近い存在じゃ。今のままでお主が結べるとしたら、低位なものになるじゃろう」
「低位ですか。じゃあ、あまり強くはなれないんですよね?」
「ないよりはマシじゃがな。低位とはいえ、契約には手間が掛かるし、簡単なものではないぞ? じゃからの」
ヴィヴレットは僕に手を差し出すと。
「わしの手を握ってみよ」
何を言っているのだろうか。とりあえず、言われた通り、手を握った。
一瞬で周りの風景が闇に変わった。と思った時には、暗闇に小さな光の玉がいくつも浮かび弾けた。光が弾けた所が、緑に染まって行く。
気づけば、僕は森の中にいた。そこは人の手が全く入っていない、原生林のようだった。
「こ、ここは?」
辺りを見回すが誰もいない。ヴィヴレットもいない。僕はこの森の中で一人佇んでいる。
混乱していると、頭の中に声が響いてきた。
『ユージン、落ち着け。そこは霊樹王ムンドルグの世界じゃ。お主には精霊との対話をムンドルグを通して学んでもうぞ』
そう言う事か。慣れさせてから、他の精霊と契約をさせようと考えているのだ。
そうであるのであれば、早速、対話をしよう。だが、どこにもムンドルグがいない。何と対話しろと。
「ヴィヴレットさん、ムンドルグって、どこにいるんですか?」
改めて、辺りを見るがそれらしきものは。その時、視線を感じた。
その方向に振り向くと、いつの間にか天を突くような高さの巨木が現れていた。
直感で分かった。この荘厳さ、間違いない。これが、ムンドルグだ。
『見つけたようじゃな。姿を現してくれただけでも、良い出だしじゃ。さぁ、話してみよ』
「え? 話すって? う~ん……。ムンドルグさん、こんにちは!」
元気な挨拶が森に響く。ただ、響くだけだ。目の前の巨木には何の変化も起きていない。
「あの……、良い天気ですね!」
僕の声は森に消えて行った。反応がないのは困る。なんでも良いから、何か言って欲しい。
とにかく、何か会話のきっかけになるような言葉を選んで声を掛け続ける。
「ヴィヴレットさ~ん! ダメです。全然話せません!」
『情けない声を出すでない。まあ、今日はここらで終わりにしようかのぉ』
ヴィヴレットの声が聞こえると、僕の周りの世界が一変していた。
森の中だったのが、いつもの教授室に戻っていた。
「どうじゃった? 精霊とはあのように会話を交わすのじゃ」
「会話になっていなかったんですけど? 反応がなさ過ぎて、なんか恥ずかしくなってしまいましたよ」
「ムンドルグと心を交わすのは時間が掛かるじゃろうな。じゃが、それができれば、お主はより高位な精霊と契約ができる可能性がある。しばらくは、わしを通してムンドルグと会話をし続けることじゃな」
高位な精霊との契約。それができれば、僕は更に強くなることができる。
ヴィヴレットのムンドルグのように強くなくても良い。少しでも、アーヤを助けることができる力を手にしたい。
そのためなら、あの恥ずかしくなるような時間にも、耐えることができる。
「はい! 頑張ります!」
・ ・ ・
体が重い。僕は今、倦怠感に襲われながら、帰路に着いていた。
精霊との対話は体に負担があることを、後から知った。ここまで疲れるとは。特訓の日は覚悟を決めて挑まねば。
強くなるためには苦労はつきものだ。この程度で音を上げていれば、ヴァベルに勝つことなどできないだろう。
丸まりそうな背中を伸ばして、アーヤの通う学校の校門の前に立った。
今日はアーヤと一緒に帰る日だ。
子供達の元気な声を聞いていると、背後から声を掛けられた。
「パパ、お待たせ」
振り返るとアーヤが手を振りながら、僕に向かって歩いて来ていた。
十三歳になったアーヤは、可愛らしさに磨きが掛かっていた。大きな瞳に、艶のある桃色の長い髪。美少女の鏡のようなアーヤを見て思う。
反抗期が来たら、僕は耐えきることができるのだろうか。
「どうかしたの?」
「あ、いや、何でもないよ。さ、帰ろうか」
「うん!」
アーヤと今日の出来事を話す。もちろん、僕の特訓については秘密にしてだ。
ヴィヴレットの元に行くのは、マッサージに行くと言っており、それを信じているようで、僕に聞くのはヴィヴレットの近況についてだ。
とりとめのない会話をしていると、いつの間にか城下町へと入っていた。
大通りを歩き、家へと続く道に入ろうとした時、道の先から歩いてくるユーグリットが目に入った。
その後ろにはアーヤと同い年くらいの少女がおり、四人の兵士がそれを囲んでいる。
ユーグリットが僕達の存在に気付いて、声を掛けてきた。
「ユージンさん、アーヤちゃん、こんにちは。お帰りになられているのですか?」
「うん。ユーグくん、その子、どうかしたの?」
「この子ですか? 実は……」
ユーグリットが口ごもっていると、少女の目が僕達に向いた。
やや伸ばし気味の白い髪の毛に、ぱっちりとした目。一見すると、可愛らしい少女だ。だが、それよりも印象的なものがある。
暗く淀んだ瞳だ。死んだ魚の目である。焦点が定まっていないのか、虚ろな目は僕達に向いているようで、遠くを見ている気もする。
その虚ろな目に生気が宿った。目を大きく開き、口をパクパクとさせ、驚きの様子を見せている。
少女に何があったのだろうか。突然、少女はこちらに駆け出すと、僕の横にいるアーヤに飛びついた。
「お姉ちゃん! お姉ちゃんだ!」
「えっ? お、お姉ちゃん!? 私が!?」
「うん! お姉ちゃん! 良かった、良かったよぉ!」
少女は涙交じりの声を上げると、アーヤに抱き着いたまま涙を流し始めた。
この光景に僕はもとより、ユーグリットも困惑していた。
「ねぇ、ユーグくん。この子、何者なの?」
「実は……。ある村が一晩にして壊滅させられるという事件がおきまして、あの子はその村の唯一の生き残りです」
「壊滅!? それって、モンスターの仕業なの?」
「おそらくは。モンスターと思しき爪痕や、惨たらしい死体から見て、間違いないかと」
「そんな」
酷い話だ。家族どころではなく、村の皆が殺されてしまった。心が負った傷の深さは計り知れない。
そういえば、何でアーヤがお姉ちゃんなんだ?
「ねぇ、アーヤがお姉ちゃんって呼ばれているけど、似ているの?」
「あの子は記憶がないようで。シオンという名前しか分かりませんでした」
「そうなの? じゃあ、アーヤのことをお姉ちゃんって、どうして思ったんだろう?」
「何かを思い出したのかもしれませんね。それはそれで、可哀そうな話かもしれませんが」
ユーグリットの言いたいことは分かる。このまま思い出さないままがいい事もあるのだ。何も知らないまま、新たな生活を送るのも、一つの幸せだ。
シオンに抱き着かれたアーヤが困惑した表情をしながら、頭を撫でた。
「泣かなくても、大丈夫だよ。でもね、私、あなたのお姉ちゃんじゃないんだよ?」
「お姉ちゃんだよ! お姉ちゃんは、お姉ちゃんだ! 俺の、お姉ちゃんだよ!」
俺の?




