決意の夜
固唾を飲むと、仮面の男がくつくつと笑った。
「まあ、緊張するなという方が無理か。安心しろ。何もするつもりはない。俺は見に来ただけだ。お前の娘、勇者の力をな」
アーヤの事も知っている。一体、こいつは何者だ。何もしないと言うが、とても信用できない。
杖に魔力を行き渡らせようと集中したとき、森が震える程の咆哮が響いた。
「なっ!? 今のは!?」
「始まったようだな」
「何を言っている!? 何だ、今のは!?」
「聞くより、見た方が早い。勇者はあっちだ。急いだほうが良いぞ、面白いものが見れるだろう」
仮面の男が指さした方へと走り出した。
低い唸り声が森に怪しく響く。音が近くなると、靄が晴れた。そこは森が開けた場所で、不意な日差しが僕の目を刺激した。
瞑った目を開けたとき目に映ったのは、象のように大きな獣。全身が赤く燃えているような赤い毛に包まれた、狼のような獣がいた。
獣は怪しい光を放つ眼で僕を見ると、ゆっくりと顔を向けた。
その口には。鋭い牙が咥えているのは。
まぎれもなく、アーヤであった。
「あ、あ、あ……」
声が出なかった。目の前の光景が信じられなかった。夢だ、これは。夢に違いない。
思考が現実であることを否定するが、頬を撫でる風も、森の緑の香りも本物だ。こんなことが。
逃げようがない現実。それを理解した時、覚えたことのない感情が膨れ上がり、弾けた。
「アーヤーーーー! エアリアル・ストームブレード!」
杖に魔力を込める。狂暴な風を収束させ、獣に向け放った。
突風が獣の体に触れた瞬間、無数の風の刃が襲い掛かる。体毛を、皮膚を、筋肉を切り刻む風。獣が絶叫を上げる。
痛みによるものか、咥えていたアーヤを地面へと放った。
その光景にも更に怒りがこみ上げた。
すぐさま、魔力を杖に込めると、勢いよく地面に杖を叩きつける。
「アース・バイト!」
獣の背後から土が山のようにせり上がり、牙のように岩が尖った。その岩が上顎となり、獣の足元にも尖った岩でできた下顎が出現した。
岩が虎バサミのように、獣に噛みついた。獣が痛みによって、更に吠える。
この魔法なら時間稼ぎになるはずだ。すぐにアーヤの元に駆け出した。
服がやぶれて、痛々しい姿が見える。近づくにつれて、見たくない姿を想像してしまう。
目を逸らしたくなる自分を叱咤する。今なら、助けられるかもしれない。いや、助けるのだ。僕の魔法でアーヤを救う。
すぐに魔法が使えるように、杖に魔力を込める。
アーヤの元に駆け寄り、すぐさま魔法を掛けようとした。だが、開いた口から出たのは呪文ではなかった。
「……えっ?」
アーヤの体から一滴も血が流れていない。服が破れているが、どこにも傷がない。どういうことだ。
顔を見るが、苦痛を訴えるような顔はしていない。脈も正常だ。おかしなところが何もない。もしかしたら、毒に掛かって。
「なるほど。これが勇者の力か」
背後から掛けられた声に、矢のように振り返った。
仮面の男が僕の傍に立って、アーヤのことをしげしげと見ている。
「こいつの牙では、傷一つ付けられなかったか」
「な、何を言っている!? アーヤに何をした!?」
「狼狽えるな。勇者は見た通り無事だ。力を発現した反動だろう。時が経てば、目を覚ますだろうさ」
「力だと?」
思わず出た僕の言葉に、仮面の男は頷いた。
「神から与えられた力。いや、組み込まれた力。と言った方が正しいかな」
「どういう事だ!? 何を知っている!?」
「まあ、待て。お話は、こいつを始末してからだ」
仮面の男はそう言うと、岩の牙に噛まれてもがいている獣に向けて、手を伸ばした。
手が光ると、獣を火が包んだ。だが、赤ではない。揺らめくのは白だ。白い炎が獣を燃やし尽くす。
獣は存在そのものを焼却され、あとには消し炭さえ残っていなかった。
「さて、何が聞きたい?」
仮面の男が僕に問う。
聞きたいことは山ほどある。だが、先ず確認すべきことは。
「アーヤは本当に無事なのか?」
「ああ、それは間違いない。思っていた通り、普通の勇者とは違うからな」
「普通の? 勇者が普通って?」
「ああ、こっちの話だ。その娘は特別ということだ。今はそれで良い」
それで良い訳がないが、喋りそうな感じではない。なら、ここで何が起きたのかを知ろう。
「あのモンスターは、お前が?」
「あれは俺ではない。魔王の部下が放った勇者殺しの猟犬だ」
「勇者殺し!?」
「おっと、口が滑ったな。安心しろ。今後、お前達の前には現れないだろう」
「何でそう言い切れる?」
「俺が殺すからさ」
ぞっとした。仮面で表情は読み取れないのに、恐怖してしまった。
身震いした僕を見てなのか、仮面の男はふっと笑った。
「俺の楽しみの邪魔はさせない。今回は切っ掛け作りとして見逃したがな」
「楽しみって?」
「さてな。それは、また今度あった時にでも話そう」
「まただって?」
仮面の男は小さく頷くと、アーヤを指さした。
「勇者の覚醒の時だ。必ず、その時は訪れる。必ずな」
言うと、仮面の男は背中を見せると、森に向かって歩き出した。
「待て! お前は誰だ!?」
「俺か?」
仮面の男は首を回し、僕を見る。
「ヴァベルだ。じゃあな」
言うと、再び歩みを進めた。僕は、その背中を追うことができず、ただ眺めることしかできなかった。
・ ・ ・
ヴァベルとの邂逅について、セシルに話をした。
アーヤの班の人達は全員気絶しており、何が起きたのか知っている人は誰もいなかった。
ゴーストの相手をしたユーグも無事で、他の班の人を探しに行ったライカにも何事もなかった。
結果、誰も怪我をすることなく終わったが、僕は大きな問題に直面した。
アーヤの正体を知る何者か。校長とは違い、全てを知っている風な口ぶりだった。
あの男が何者なのか。考えても、まったく答えがでない。だからと言って、何も考えない訳にはいかない。
夫婦で今後について考えなければ。
「アーヤの正体を知る者が誰かよりも、魔王に近しい存在に知られているかもしれない事が問題だな」
「そうだね。ヴァベルは敵だと思う。となると、魔王と関係していると思って間違いない」
「その上で、今回は見逃した。いや、アーヤの覚醒の時を待つと言って、去った……か」
セシルが深いため息を吐いた。
どうしたら良いものか。逃げるか。この国を離れれば、あるいは。いや、あれだけの力を持った者を簡単に出し抜ける気がしない。
もし、下手なことをしてしまえば、関係のない人が傷つくかもしれない。それだけは避けなければ。
では、どうするか。このまま、その時を待つのか? そうしたら、どうなる。ヴァベルと戦うのか。
勝つイメージができない。あの獣を消し去った白い炎。温かみを感じる一方で、無慈悲で冷酷なものにも感じた。思い出すだけで、鳥肌が立つ。
僕はどうしたら。考えが堂々巡りになる。
「パパ~? ママ~? 寝ないのぉ?」
パジャマ姿のアーヤが、目をこすりながら降りてきた。
「ちょっと、ユーたんとお話をしていたのだ。すぐに寝るから、アーヤもベッドに戻るといい」
「うん……。ねぇ、パパ?」
アーヤが不安そうな顔で僕を見た。
「どうかした?」
「ううん……。何でもない。お休みなさい」
どうしたのだろう。普段のアーヤらしくない。
階段を上って行こうとしたアーヤの手が震えていることに気が付いた。
そのことに気づいたときには、椅子を立ち上がってアーヤを抱きしめた。
凍えて震える体を温めるように優しく抱きしめ、穏やかに言い聞かせる。
「大丈夫。パパがいるから、何も怖くないよ。何があっても、助けるから。だから、安心して」
「……うん。ありがとう、パパ」
震えが止まったことを確認して、そっと手を離した。
アーヤは振り返ると、満面の笑みで僕の頬にキスをした。
「パパ、ママ、お休みなさい!」
小走りで階段を上って行った。先ほど見せた、暗い影は微塵も感じさせなかった。
僕の言葉を信じてくれたのだ。何があっても助けてくれると、信じてくれた。ならば、僕がすべきことは一つしかない。
「セシル、僕、強くなるよ。アーヤを守れるぐらいに強くなる。だから、これまで通り、アーヤを育てよう。愛そう。家族の時間を過ごそう」
「そうか。ユーたんはできる男だ。きっと、アーヤを守れる男になるだろう。ならば、私はアーヤを鍛えよう。自分で戦う術を教える。もしかしたら、ユーたんの助けが不要になるかもしれないぞ?」
「それは困るなぁ。親としての威厳が」
「ふふっ。子に追い越されないようにしなければな。絶対に乗り越えて見せよう。私達、家族でな」
「うん。僕達なら乗り越えられるさ」
乗り越えてみせる。どんなに辛くても、強くなって、アーヤを守れるようになってみせる。
不安はあるし、恐れもある。後ろ向きになる要素なんて腐るほどある。だからこそ、強くなれると思う。
弱い己こそが最大の敵だ。行き着く先にはヴァベルがいるかもしれないが、そこに行くまで立ちふさがるのは自分自身だ。
限界を悟らせようと現れる影と僕は戦い続ける。そして、必ず打ち払ってみせる。僕達に迫る闇を。
そして、皆で穏やかに暮らす日々を送るのだ。ごく平凡な日常のために、僕は決意をした。敵と戦うという覚悟を。




