ワイルドピーチを求めて
僕の目の前に広がる光景は、起伏の激しい丘陵地帯のようだった。
物が散乱するだけでなく、積み重なって丘のようになっている。まさしく汚部屋だ。
女子として、この状態はどうなのだろうか。
見ているこっちが泣けてくる惨状だ。この部屋の掃除を許したヴィヴレットには、羞恥心の欠片もないのか?
そんなことを考えている場合じゃなかった。薬を探さないと。
でも、この足の踏み場がどこにもない所からどう探せば良いのか。
部屋の中を見回すと、小さな引き出しがいくつもある棚があった。
もしかして、あれの中にあるのでは。
足元を確認し、踏みつけても良さそうな場所に足を伸ばす。
「よっと。ふっ。ほっ」
つま先立ちで、着実に棚に向かっていく。
あと一歩。
棚の前まで足を伸ばした時、軸にしていた足が滑った。
「わわっ!?」
床に引っ張られるように、前のめりに倒れていく。
「痛っ!?」
床に倒れこんだ。
衝撃で思わず閉じた目を開ける。視線の先に、白い布のような物があった。
何だろう? 手で摘まむ。
「おうふっ!?」
パンツだ。間違いなくパンツだ。
何でこんな床に放置されているんだ。デリカシーが無さすぎではないか?
見ていると赤面してきたので、目に付かない所にそっと置く。
気を取り直して、倒れた床から立ち上がる。
棚を見ると、小さな引き出しにラベルが貼られていることが分かった。
「風邪、腹痛、かゆみ……。あ、解熱! 沈痛もあった」
この二つがあれば大丈夫だろう。
解熱の引き出しを引く。中は空っぽだった。
沈痛の引き出しを引く。こちらも中身は空っぽだった。
二つともない? そんな馬鹿な。どちらも薬として重要な物だ。ない訳がない。
まさか。
「今日、持って行ってたりして……」
何という事だ。渡せる薬がない。他に使えそうな薬がないか、引き出しから探し出す。
風邪の薬はない。他にもいくつか空っぽだった。ラベルがない引き出しも探してみよう。
出てきたのは乾燥した葉っぱや、根っこぽい物。トカゲのような干物があった。
薬の材料だろうか。
でも、どれが解熱の作用があるのか分からない。
下では、男性が今か今かと薬が来るのを待っているだろう。
それに応えることができない。僕には何をどうしたら良いのか分からないのだから。
肩を落として、深い息を吐く。
事実を伝えるしかない。
部屋を出て、階段を下っていく。気が重いためか、足取りも重い。
「あっ!? 薬は!? 薬はあったのか!?」
玄関で待っていた男性が、矢継ぎ早に聞いてきた。
その言葉にすぐには答えられなかった。期待の眼差しが痛い。
本当のことを言おう。少し目を逸らして、口を開こうとした。
その時、小さな木箱が目に入った。
そうだ。あの中には、あれが。
「お、おい!? 薬は!?」
男性の言葉を背中で受けながら、木箱の中を漁る。
そうだ。この中に。
「あった! 『薬物大全』!」
本が光り輝いて見える。これが残された希望。
これがあれば、きっと。
「薬が作れる!」
・ ・ ・
アーヤを背負って本を片手に、森の中を見回す。
目当ての物が、どこかの木に生っているはずだ。沈痛作用のある果物が。
「ノルドさん、ワイルドピーチって、この森にあるんですか?」
隣で僕と同じように首を回して、辺りを見ている男性、ノルドに聞いた。
「あぁ、あるのは間違いない。ただ、普段、あまり足を踏み入れない所なんだ」
「そうなんですね。でも、それがあれば大丈夫みたいです。あとは持ってきた材料を使えば、薬になるみたいです」
言って、手にした本を開く。
鎮痛剤の一つに、ワイルドピーチを使う物が書かれている。
本に書かれている材料を今一度確認していると、横からノルドが声を掛けてきた。
「すごいな。そんな文字が読めるなんて。俺にはさっぱりだ」
「あ、いえ、すごいかどうかは」
曖昧な顔をして笑った。
僕は文字が読める。この世界の文字が読めたのだ。
女神様が言った通り、僕にその力を与えてくれたようだ。となると、僕にはこれ以外の力はないと言う事になる。
「いや、流石は魔女様の所にいるだけあるな。魔法とか使えるのか?」
「い、いえ。そんなことできませんよ」
「そうか。難しい文字が読めるぐらいだから、魔法も使えそうなものだがなぁ」
ノルドは言うと、僕の先を歩き出した。
魔法が使えるか。それができれば、薬を作らなくても何とかできるのかもしれない。
いや、今考えることじゃない。今できることは、薬の材料を探すことだ。
森が深くなっていく。
まだ陽はあるが、少し不気味になってきた。
「まだでしょうか? だいぶ、歩きましたけど」
「もう少しだったと思う。ん?」
ノルドが何かに気づいたのか、足を止めた。
僕も足を止めて、様子を伺う。
「ノルドさん?」
「しっ。何かがいる……」
「え?」
ノルドの視線を辿ると、何かが動いているのが見えた。
「ゴ!? ゴブリン!?」
「静かにっ。六匹か……。怖くはないが、数がいるから面倒だな」
「あ、あんまり強くないんですよね? それに陽はまだありますし」
ヴィヴレットに聞いた話によれば、モンスターは日中、比較的穏やかで、攻撃的ではないとのことだった。
それにモブゴブリンは弱い。簡単に追い払えるのでは?
「いや、どうも興奮しているようだ。……まさか」
「まさかって?」
「ワイルドピーチは今が旬だ。奴等もそれが狙いだったら」
ノルドの声に、固唾を飲んだ。
夜と同じような状態だったら、何をしてくるか分からない。
昨日みたいに囲まれでもしたら。
「あの、別の場所にはないんですか?」
「俺は知らない。ここは、あいつ等を追い払う以外に方法はない」
この人、やる気満々だ。子供の命がかかっているのだから、そうもなるか。
手伝ってあげたいけど、戦えと言われると、その勇気が湧いてこない。
「あの、僕」
「分かっている。俺が追い払うから安心しろ。こいつを使えば一発だ」
ノルドは腰に下げていた袋から、クルミのような物を取り出した。
「それは?」
「まぁ、見てなって」
そう言うと、ノルドは腰を屈めて歩き出した。
慌てて、その後を付いていく。静かにモブゴブリンに迫っていく。
モブゴブリンの姿を完全に捉えた時、ノルドが手を大きく振りかぶった。
「おらぁっ!」
投げたのはクルミのような物だった。
それは一直線に飛ぶと、モブゴブリンの背中に当たった。
乾いた破裂音が、鼓膜を震わせた。
「ギャ―、ギャー!」
「ギャ―!」
モブゴブリンがあたふたとしだした。
「もういっちょ!」
ノルドが声を上げると、また投げた。
もう一度破裂音が森に響く。
「ギャ―、ギャー! ギャ―!」
「ギャー! ギャ―!」
モブゴブリンが奇声を上げながら、蜘蛛の子を散らすように去って行った。
その光景に呆気に取られていると、僕の目の前にノルドが手を差し出した。
その掌の上にはクルミのような物が乗っている。
「カルハの実だ。強い衝撃を加えると破裂して、大きな音を出すのさ」
なるほど。それでモブゴブリンを追い払ったということか。
「ワイルドピーチの木はすぐそこだろう。急ごう」
ノルドの言葉に頷き、歩みを進める。
モブゴブリン達がいた場所を過ぎると、ノルドが声を上げた。
「やった! あったぞ!」
ノルドが指さした先には、背の低い木が生えていた。
それには小ぶりの桃が幾つも生っていた。
早速手に入れようと小走りで近寄った時、何かが草むらから飛び出してきた。
現れたのはサッカーボールのくらいの大きさで緑色をし、ぶよぶよした不定形の何かだった。
まさか、これって。
「くそっ! スライムだ!」
「やっぱりぃ!」
立ちふさがったスライムが全身を震わせると、体から勢いよく液体を飛ばしてきた。