お掃除タイム
まどろんでいると、小さな泣き声で目が覚めた。
声の方に目を向けると、木で作られたゆりかごがあった。
「ふぇ~ん」
アーヤの声がする。
ベッドから立ち上がって、ゆりかごの中で泣くアーヤを抱きかかえて、優しく体を揺らす。
「おはよう、アーヤ。お腹が空いたのかな?」
問いかけに応じるようにアーヤは泣き声を上げる。
多分、お腹が空いているのだろう。僕もお腹が空いてきた。
申し訳ないけど、またご飯をいただこう。
ドアを開けて、緩やかな階段を下っていく。
家は三階建てで、一階がキッチンとリビングで、二階が客室。三階がヴィヴレットの部屋だ。
一階に降りると、キッチンでいそいそとしているヴィヴレットが見えた。
「ヴィヴレットさん、おはようございます」
「おぉ、もう目が覚めてしまったのか。もう少しで、飯の準備ができるのでな。もうしばし待っておれ」
「はい。分かりました」
昨日座った椅子に腰を掛けて、一息ついた。
昨日はヴィヴレットの計らいで、この家に泊まらせてもらい、一夜を過ごした。
怒涛の一日も終わってしまうと、あれだけ危険な思いをしたのに、遠い過去のように思えてしまう。
多分、ゆっくり休むことができたからだろう。
柔らかいベッドに横たわるとすぐに睡魔に襲われて、色々考えることなく眠ってしまった。
ヴィヴレットとは色々話した。
森の魔女として、近隣の村々を周り、傷や病を癒して回っているそうだ。
それの対価として食料などを貰って一人暮らしをしている。
それも二十年以上も、だ。
ヴィヴレットの年齢は百歳を越えているとのことだ。
本人もまともに数えてはいなかったので、真実を知る者はいないようだが、この森に来て長いこと住んでいるのは間違いないという。
そう、百歳越えのお婆ちゃんなのだ。とても百歳とは思えない。というか、中学生か高校生にしか見えない。
若い姿を保っているのは、魔法の力に因るものだと言っていた。
魔法の万能っぷりには何度も驚嘆させられた。
他にも、この場所のことや国のことも教えてくれた。
その話をただ聞く僕に対して、ヴィヴレットは何も問いかけることなく丁寧に解説してくれた。
今、僕がいる国はニールゼン共和国。気候が穏やかで、豊かな国だという。魔王軍としばしば戦が起こることを除けばだ。
魔王の単語に鼓動が一際大きく鳴った。
何故なら、アーヤが生まれたのは、その魔王と戦うためだからである。
モンスターがいて、魔王までいる。こんな可愛い女の子が、重い宿命を背負っていることを改めて知らしめられた。
「ユージンよ。先にアーヤにミルクを飲ませてやれ」
気づくと、ヴィヴレットがミルク瓶とスプーンをテーブルに置いていた。
頷いて、ミルクをアーヤの口にスプーンで飲ませる。
お腹が余程空いていたのだろう。どんどん飲み干していく。
ひとしきり、アーヤにミルクをやっていると、鼻をくすぐる良い匂いがした。
「さて、わしらも飯にするかのぉ」
テーブルにパンとスープが入った器が並べられた。
食欲をそそる匂いに喉を鳴らす。
「はい。いただきます」
パンを口にし、スープを飲む。
温かな食事がこれ程、美味しく感じたことは今までない。
むさぼるように食べ尽くして、満足感に浸った。
「美味しかったです。ありがとうございます」
「うむうむ。それは良かった」
パンを小さく千切ってゆっくり食べているヴィヴレットが頷く。
食べ方は上品なのに、この部屋の汚れっぷりは何なのだろうか。
余計なことを考えていると、ヴィヴレットがはたと手を止めた。
「そういえば、今日はべスコット村に行く予定じゃったわ。あそこは遠いからのぉ。ユージン、後片付けを頼んでも良いか?」
「はい、もちろんです。あの、差し出がましいことかもしれませんが、お部屋の掃除もしましょうか?」
「ふむ……。そうじゃのぉ。では、頼むとしよう。わしの部屋も掃除してもらいたいところじゃが」
「じょ、女性の部屋ですか?」
「何じゃ、いやらしい奴め。もしや、わしに欲情しておるのか?」
ヴィヴレットは顔をニヤつかせて、僕を見た。
欲情なんてしていない。ただの感謝の思いからだ。きっと。多分。
「欲情なんてしていませんよ、本当に」
「本当にそうかのう? わしのような美貌の持ち主の女子が目の前におるのにか?」
「いい加減にいじるのを止めてください。お掃除しても大丈夫ですか?」
「分かった分かった。薬品なんかも転がっているかもしれぬから、足元には気を付けるようにな」
「はい。注意します」
「ちなみに、下着はタンスの二段目じゃ」
「だから、違いますって本当に!」
僕をからかって笑うヴィヴレットに湿った視線を送る。
その引き出しだけは開けないようにしよう。変に意識しだした思いを、ぐっと抑えた。
・ ・ ・
「それでは行ってくるからのぉ」
「はい、行ってらっしゃい。お気をつけて」
玄関でヴィヴレットを見送ると、床に散乱するゴミなのか物なのか分からないもの達と対峙した。
「さて、始めようかな」
床に散らばる物を一つ一つ手に取って、用意してもらった木箱に入れる。
必要そうな物と、不要そうな物を分けるために二つ作ってもらったのだ。
軽快なペースで物を整理していく。その時、一冊の本が目に入った。
本の表紙には『薬物大全』と書かれている。
ページをめくると、症状別の薬の作成方法が書かれており、少し小難しい言葉が並んでいた。
リビングには本棚はないので、おそらくヴィヴレットの自室に本棚があるのだろう。
重要そうな本なのに、こんな扱いを受けているのはやや可哀そうに思えた。
片づけを済ませると、箒で床を掃いて、ぞうきんを掛けていく。
見る見るうちに綺麗なっていく様を見ていると、更にやる気が出てきた。
この気分のままなら、ヴィヴレットの部屋に行っても、変なことは思わないだろう。
気が付けば、もう太陽が高々と上っていた。もう、お昼を過ぎていたのかな。
三階の掃除の準備だけでもと、箒とバケツを手に持った時、玄関のドアが激しく打ち鳴らされた。
「魔女様! 魔女様! おられませんか!?」
鬼気迫る男性の声が聞こえた。
何事だろうか。出るのは不安だけど、出ないのも申し訳ないので、玄関のドアの鍵を開ける。
そこには顔を強張らせた中年の男性がいた。がっしりとした体に、口周りのヒゲがたくましい。
「魔女さ! ん? あんたは誰だ!?」
「あの、ヴィヴレットさんの所に厄介になっている者です」
「そうか、なら、魔女様を呼んできてくれ! 息子が大変なんだ!」
「えっ!? ヴィヴレットさんなら、べスコット? 村に行ってしまいましたが」
僕の言葉を聞いて、男性が頭を抱えた。
「べスコット村……。もう、間に合わん」
「えっ!? その、何が……あったんですか?」
「息子が高熱にうなされて……。誰も薬を持っていないんだ……」
顔を青くした男性が呻くようにして言った。
ヴィヴレットなら、その薬を持っているということか。
「じゃあ、ヴィヴレットさんを呼びに」
「べスコット村と、俺達の村は反対だ……。今から呼びに行っても……」
間に合わない。そういうことだったのか。
近くに薬屋や医者はいないとヴィヴレットは言っていた。
その代わりをヴィヴレットは勤めていた。その人が今、ここにいない。この人の子供を救える人がいないのだ。
「くそっ……。俺はどうしたら……」
男性が頭を振った。
今にも泣きだしそうな程に、顔を歪めている。
僕に何かできるだろうか。ヴィヴレットさんに助けてもらったように、僕にもできることが。
「あの……。薬がないか、探してきます。ちょっと待っていてください」
「本当か!? すまない! よろしく頼む!」
男性の言葉に頷いて、三階へと向かった。
高熱にうなされているなら、解熱剤が良いだろう。
すぐに見つかれば良いけど。
ヴィヴレットの自室のドアを開けた時、淡い期待が打ち砕かれた。
一階の比ではない程に物が散乱していたのだ。